坪井智哉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
| 北海道日本ハムファイターズ #7 | |
|---|---|
| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 出身地 | 東京都江東区 |
| 生年月日 | 1974年2月19日(35歳) |
| 身長 体重 |
177cm 79kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 左投左打 |
| 守備位置 | 外野手 |
| プロ入り | 1997年 ドラフト4位 |
| 初出場 | 1998年4月3日 |
| 年俸 | 2,800万円(2009年) |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
|
|
|
この表について
|
|
坪井 智哉(つぼい ともちか、1974年2月19日 - )は、北海道日本ハムファイターズに所属するプロ野球選手。ポジションは外野手で、左翼・中堅・右翼すべてを守る。東京都出身。
目次 |
[編集] 来歴・人物
外野手として肩はイマイチだがそこそこの俊足と巧打が持ち味。
実父はかつて中日ドラゴンズなどの選手だった坪井新三郎。幼少期は愛知県名古屋市で過ごした。
PL学園高校(入来祐作と同室だった事もある[1])、青山学院大学(同級生に城石憲之)、東芝でプレーし、1997年のプロ野球ドラフト会議にて阪神タイガースに4位で指名され入団。
1998年に打率.327でセントラル・リーグ新人最高打率を記録。最優秀新人は川上憲伸(中日)に譲ったが、その年同じく新人として活躍した高橋由伸や小林幹英とともに連盟の特別表彰を受けた。その後数年は徐々に打率は落ちていったが、スランプの時期に打撃フォームを改造し極端なオープンスタンスや振り子打法をやめノーマルなスタイルに変化した。
2002年シーズン終了後、野口寿浩との交換トレードにより日本ハムに移籍(同時期に中村豊・下柳剛とのトレードで山田勝彦・伊達昌司らも入団)。2003年、自己最高の打率.330を記録。史上初めて両リーグ1年目で3割を越す打率を残した。
2004年3月27日の大阪近鉄バファローズ戦(大阪ドーム)で、日本ハム北海道移転後のチーム公式戦初安打を打っている(岩隈久志から中越え二塁打)。また、自己最多の11本塁打を放っている。
2006年はオープン戦で故障、8月6日の西武ライオンズ戦でも守備中に右肩を負傷し登録抹消された。プロ入り後最低の成績に終わり、シーズン終了後にトレード要員通告を受けたが、トレードがまとまらずに戦力外通告となった。12球団合同トライアウトを2度受けたが契約に至らず、12月27日に大幅減俸のうえ異例の日本ハムとの再契約となった。[2]
2007年は前半戦は左翼手でスタメン出場をしていたが、次第に工藤隆人にスタメンの座を奪われ、後半戦では主に代打での出場となったが、最終的に100試合に出場し、規定打席に満たないものの打率.283を記録。オフには1500万円増の3500万円(推定)プラス出来高でサイン。
翌2008年の目標として「若手の台頭が多いので自分は経験を生かして外野のレギュラーを取りたい」と宣言した。そのシーズンでは出場機会が減少したものの、クライマックスシリーズ第1Sの2戦目で活躍した。
株式会社スーパーエージェント所属
- オフには3日程度、水のみの断食を行う。本人曰く「シーズン中はカロリーの多い食事ばかり取るため、内臓を休ませる効果がある、断食をしないとシーズンに調子が出ない」。
- 大のコーヒー好きとしても有名。札幌市に本社を置きラジオ番組などを手がけるグーゲンとの共同計画で「坪井珈琲」を販売した。また、Zippoの収集家でもある。
- 阪神タイガース時代野村克也監督と不仲が噂されたが野村監督の息子のカツノリとは仲が良かった。そのカツノリの結婚披露宴の際カツノリの母である野村沙知代のスキャンダルが世間を騒がせていたため披露宴には心無い報道陣がぞろぞろと入ってきて一時混乱したが出席者の坪井が「人の人生の門出を祝う気持ちがない奴は帰れ!」と報道陣を一喝し騒ぎが収まった。
- 格闘家のボブ・サップと仲が良く、2008年オフには一緒に自主トレを行う。
[編集] 年度別打撃成績
| 年度 | 球団 | 背 番 号 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
失 策 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1998年 | 阪神 | 32 | 123 | 455 | 413 | 63 | 135 | 26 | 2 | 2 | 171 | 21 | 7 | 5 | 3 | 1 | 32 | 6 | 80 | 0 | .327 | 4 |
| 1999年 | 134 | 583 | 530 | 75 | 161 | 30 | 1 | 5 | 208 | 43 | 6 | 10 | 1 | 2 | 43 | 7 | 90 | 5 | .304 | 5 | ||
| 2000年 | 128 | 546 | 489 | 49 | 133 | 14 | 4 | 4 | 167 | 32 | 6 | 6 | 4 | 3 | 38 | 12 | 83 | 3 | .272 | 3 | ||
| 2001年 | 43 | 142 | 128 | 12 | 28 | 7 | 2 | 2 | 45 | 11 | 1 | 1 | 2 | 1 | 10 | 1 | 30 | 1 | .219 | 1 | ||
| 2002年 | 24 | 76 | 68 | 8 | 17 | 3 | 0 | 1 | 23 | 6 | 1 | 0 | 3 | 0 | 4 | 1 | 19 | 2 | .250 | 0 | ||
| 2003年 | 日本ハム | 7 | 123 | 500 | 443 | 70 | 146 | 26 | 3 | 5 | 193 | 40 | 13 | 5 | 5 | 0 | 46 | 6 | 79 | 10 | .330 | 4 |
| 2004年 | 89 | 409 | 359 | 53 | 102 | 23 | 2 | 11 | 162 | 43 | 4 | 6 | 4 | 3 | 35 | 8 | 64 | 8 | .284 | 1 | ||
| 2005年 | 98 | 349 | 314 | 39 | 97 | 10 | 1 | 2 | 115 | 19 | 5 | 3 | 3 | 1 | 26 | 5 | 54 | 0 | .309 | 2 | ||
| 2006年 | 25 | 50 | 47 | 4 | 9 | 2 | 0 | 0 | 11 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | 2 | 0 | 10 | 1 | .191 | 0 | ||
| 2007年 | 100 | 309 | 276 | 26 | 78 | 7 | 2 | 0 | 89 | 23 | 6 | 2 | 10 | 1 | 17 | 5 | 53 | 3 | .283 | 0 | ||
| 2008年 | 26 | 53 | 50 | 2 | 11 | 2 | 0 | 0 | 13 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | 1 | 1 | 7 | 0 | .220 | 0 | ||
| 通算:11年 | 913 | 3472 | 3117 | 401 | 917 | 150 | 17 | 32 | 1197 | 240 | 49 | 38 | 37 | 12 | 254 | 52 | 569 | 33 | .294 | 20 | ||
- 太字はリーグ最高。青太字はリーグ最少。
[編集] タイトル・表彰
[編集] 表彰
- セ・リーグ会長特別表彰(1998年)
- オールスターゲーム出場:2回(2000年、2003年)
[編集] 記録
[編集] 初記録
- 初出場:1998年4月3日、対横浜ベイスターズ1回戦(横浜スタジアム) ― 8回表に代打、投手:川村丈夫
- 初安打:1998年4月11日、対広島東洋カープ2回戦 ― 5回裏、投手:紀藤真琴
- 初先発出場:1998年4月15日、対ヤクルトスワローズ1回戦(阪神甲子園球場) ― 一番・右翼手
- 初打点:同上 ― 8回裏、投手:伊東昭光
- 初盗塁:1998年4月24日、対読売ジャイアンツ3回戦(阪神甲子園球場) ― 3回裏、投手:桑田真澄、捕手:吉原孝介
- 初本塁打:1998年7月4日、対広島東洋カープ12回戦(広島市民球場) ― 1回表、投手:紀藤真琴 ※ランニング本塁打
[編集] その他記録
- プロ初本塁打がランニング本塁打
- 初回先頭打者ランニング本塁打: ともに達成日等は上記「初本塁打」の項を参照。プロ初本塁打がランニング本塁打なのは史上3人目。また、初回先頭打者ランニング本塁打は史上5人目、新人では史上初。
- 規定打席到達で併殺打なし: 史上9人目(1998年)
- セ・パ両リーグ1年目で規定打席到達し打率3割: 史上初(1998年、2003年)
[編集] 登場曲
なお、打席に入る際に演奏されるファンファーレは、阪神時代と同じものである。(ただし、新たに「阪神!」のコールが後に追加される)
[編集] 関連項目
[編集] 脚注
- ^ 『プロ野球戦力外通告・クビを宣告された男達』 TBS 2007年1月5日
- ^ 2007年1月5日にTBSテレビで放映されたドキュメンタリー番組『プロ野球戦力外通告・クビを宣告された男達』にて、日本ハムを解雇されてから再雇用されるまでのいきさつが紹介された。同番組のラストは日本ハムとの再契約の際の記者会見で意気込みを語る姿であった。
[編集] 外部リンク
|
|||||||||||||||||||||||
|
|||||

