伊達昌司
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| 基本情報 | |
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| 国籍 | |
| 出身地 | 神奈川県 川崎市 高津区 |
| 生年月日 | 1975年8月23日(33歳) |
| 身長 体重 |
179cm 77kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| 守備位置 | 投手 |
| プロ入り | 2000年 ドラフト2位 |
| 初出場 | 2001年 5月26日 |
| 最終出場 | 2005年 10月6日 |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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この表について
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伊達 昌司(だて まさし、1975年8月23日 - )は、神奈川県川崎市出身の元プロ野球選手(投手)。父の伊達泰司はロッテオリオンズ・ヤクルトスワローズに在籍した元プロ野球選手(内野手)。
目次 |
[編集] 来歴・人物
法政大学第二高校から法政大学に進み、同期の真木将樹らとともに投手陣を支えた。大学卒業後はプリンスホテルに進み、廃部になった2000年に同僚の大沼幸二や長崎伸一とともにプロ入りを表明した。同年、ドラフト2位で阪神タイガースに入団。社会人出身で2位指名ながら逆指名制度を利用せずに指名された唯一の選手である。
阪神ではルーキーイヤーから先発にリリーフに活躍。2001年6月17日の横浜戦では、プロ初先発で5回2失点の内容で初勝利をあげ、チームとしては1984年の池田親興以来、17年ぶりに阪神の新人のプロ初先発初勝利となった。
2002年シーズンオフ、下柳剛、中村豊との交換トレードで山田勝彦とともに日本ハムファイターズに移籍した。なお、同時期に坪井智哉と野口寿浩のトレードも行なわれている。移籍1年目は開幕戦でプロ初セーブをあげるなど、春先は抑えとして活躍したが、故障のためシーズン途中で戦線離脱した。その後は登板機会が減少し、2005年途中に読売ジャイアンツに金銭トレードで移籍した。
2006年5月には原辰徳監督が伊達と縁のある野村克也が監督を務める東北楽天ゴールデンイーグルスに対し譲渡を打診するものの、楽天側はこれを拒否した上、野村の元には話が届いていなかった。結局トレードはまとまらず、同年オフに戦力外通告を受け現役引退した。
現在は母校の法政大学に戻り教員免許取得を目指している。また学業と並行して2008年度から巨人の非常勤職員として勤務することが決まった。
[編集] 詳細情報
[編集] 通算投手成績
146登板 12勝7敗9セーブ 勝率.632 防御率3.33
[編集] 個人記録
- 初登板:2001年5月25日、対読売ジャイアンツ10回戦(阪神甲子園球場)、4回表から救援登板、2回1失点
- 初奪三振:同上、4回表に松井秀喜から
- 初先発・初勝利:2001年6月17日、対横浜ベイスターズ13回戦(阪神甲子園球場)、5回2失点
- 初セーブ:2003年3月28日、対西武ライオンズ1回戦(西武ドーム)
[編集] 背番号
[編集] 関連項目
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