野口寿浩

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野口 寿浩
YB-Toshihiro-Noguchi.jpg
横浜時代
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 千葉県習志野市
生年月日 1971年6月24日(40歳)
身長
体重
183cm
77kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 捕手
プロ入り 1989年 ドラフト外
初出場 1991年10月13日
最終出場 2010年6月30日
経歴(括弧内は在籍年)

野口 寿浩(のぐち としひろ、1971年6月24日 - )は、千葉県習志野市出身の元プロ野球選手捕手)。

目次

[編集] 経歴

[編集] プロ入り前

習志野高校では県内で強打の捕手として有名だったが全国大会には縁がなく、3年夏は千葉大会準決勝で押尾健一を擁する成東高校に敗れベスト4。1989年ドラフト外ヤクルトスワローズに入団。高校通算11本塁打

[編集] ヤクルト時代

同期入団の古田敦也に次ぐ2番手捕手で、1994年に故障した古田の代役としてレギュラーを務めた以外は控えだった。

当時の野村克也監督にリード面などを叩き込まれ、自身も毎日試合後に野村が行う講義を熱心に聴き、腕が痛くなる程ノートに写すなど積極的にその技術を取り込もうとした。その甲斐あって野球解説者によっては「リードは古田以上」と評されるようになり、後に日本ハムファイターズで成功するきっかけともなった。

[編集] 日本ハム時代

1998年の開幕直前に城石憲之との交換トレードで日本ハムに移籍し、すぐに正捕手の座を獲得。

2000年にはチームが優勝争いする中で自身も打率.298を残し、「ビッグバン打線の恐怖の8番」と言われた。同年は松井稼頭央と同数の、捕手としては珍しいリーグ最多三塁打(11本)を放ち、得点圏打率もリーグトップを記録した。しかし、リード面では評価が低く打者を追い込んでから本塁打を打たれるケースが目立ち、後に實松一成にポジションを奪われる。2002年オフに坪井智哉とのトレードで阪神タイガースに移籍。

[編集] 阪神時代

移籍初年度の2003年矢野輝弘に次ぐ控え捕手として優勝に貢献したが、出場機会は激減してしまい成績も大きく下降した。当時の星野仙一監督は「矢野と同じぐらいの力を持つ捕手はいざと言う時に効く。(金本知憲ら有力選手を獲得した中で)野口が一番の補強」と語っており、野口の強気のリードに刺激された矢野は好成績を残したが、野口当人は矢野が故障した時期と、たまに試合終盤に出場する他には出場機会がほとんど無かった。

2004年岡田彰布新監督が矢野で捕手を一本化し一軍捕手を矢野と野口の2枚体制としたため、出場機会はさらに減少した。しかし、同年初のスタメンだった10月4日広島東洋カープ戦では井川慶をリードしてノーヒットノーラン達成に貢献した。オフにFA権を行使したが、獲得を表明する球団は現れず阪神と2年契約を結んでの残留となった。

2005年も2番手捕手としてチームに貢献したが、正捕手の矢野が好調だったために出番は相変わらず極端に少なかった。翌2006年には岡田監督が年齢的に矢野のフル出場は難しいと考え、野口の出場機会を増やす事を明言。特に井川が登板する試合では前述のノーヒットノーランなど相性の良さを買われてスタメン出場が多かった。

2007年は若手の狩野恵輔と新人の清水誉に押し出される形で開幕二軍スタートとなり、古巣の日本ハムやヤクルト時代の恩師である野村が監督の東北楽天ゴールデンイーグルスへのトレード話も持ち上がったが、固辞したことが後に新聞で報じられた。5月に一軍昇格し、セ・パ交流戦時に故障した矢野、一軍の壁に当たった狩野の穴を埋める活躍をした。矢野の復帰後は、二軍でコンビを組んでいた上園啓史が先発する試合を中心にスタメン出場した。打撃好調で規定打席不足ながら打率.351、出塁率.398を記録した。

2008年は前年の上園とのコンビもあって「若い投手を頼む」と言われスタート。前半戦は上園、岩田稔ライアン・ボーグルソンらが先発する試合でスタメン出場し、矢野が北京五輪代表として離脱中は正捕手を務めたが、矢野の復帰後は出場機会が減少した。また、前年に好成績を残した打撃は不振で守備でも捕逸が目立ったが、岩田の台頭に大きな役割を果たした。同年に再取得したFA権をオフに行使し、相川亮二のFA移籍に伴い捕手の補強を目指していた横浜ベイスターズが獲得の意思を表明。12月4日に2年契約で合意した。

[編集] 横浜時代

2009年は、開幕戦こそスタメン出場だったが、相次ぐパスボールや10回以上にも渡る許盗塁など、キャンプ中に右肩を故障した影響や、年齢による体力の衰えからか結果を出すことができなかった。チームの不振も重なり、新人の細山田武史が正捕手に抜擢され、野口は4月後半には控えに回ることとなった。開幕からしばらく野口、細山田、斉藤俊雄の捕手3人制が採られていたが、野口は5月14日に二軍落ちとなり、以降一軍再昇格はならないままシーズンを終えた。二軍では代打や指名打者での出場が多く、捕手としては17試合に出場したのみであった。また、横浜投手陣との相性が悪く、投手陣が野口と組む場合と細山田と組む場合では、防御率が3点近く違っていた。結局この年の一軍出場は17試合のみに終わったが、2年契約を結んでいたため年俸を維持したまま横浜に残留した。

2010年は、オープン戦には出場するが、パスボールや許盗塁が目立ちアピールできなかった。武山真吾が正捕手となったため、開幕戦は選手登録を外れ二軍スタートとなった。6月18日には一軍に上がったが代打起用のみ(2打数無安打)で一度もマスクを被ることなく、7月17日には出場選手登録を抹消[1]9月15日に球団より来季構想に入っていないと通告され[2]、10月4日には正式に戦力外通告を受けた。11月10日12球団合同トライアウト1回目に参加しものの、獲得する球団は無く現役引退を決断した。

[編集] 引退後

引退後は東京都内で子ども向けの野球教室を運営し、ヘッドコーチを務めている[3]

[編集] プレースタイル

ヤクルト時代、監督の野村克也は古田に対して「欠点を徹底的に攻める」リード、野口に対しては「投手に優しい」リードと評した。

日本ハム時代や阪神移籍直後には、時折外野手一塁手として出場することもあった。過去に最多三塁打を記録した足はベテランになっても50m走で6秒台前半を記録するなど目立った衰えが見られず、稀に代走起用されることもあった。

[編集] 詳細情報

[編集] 年度別打撃成績

















































O
P
S
1991 ヤクルト 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- ---- ---- ----
1994 63 156 141 8 38 5 1 0 45 10 3 1 3 1 9 1 2 25 4 .270 .320 .319 .639
1995 18 9 9 3 2 1 0 1 6 5 0 0 0 0 0 0 0 2 0 .222 .222 .667 .889
1996 11 29 25 1 4 1 0 0 5 1 0 1 0 1 3 0 0 8 2 .160 .241 .200 .441
1997 16 9 9 3 3 2 0 0 5 2 2 0 0 0 0 0 0 3 0 .333 .333 .556 .889
1998 日本ハム 109 312 268 37 63 14 3 10 113 34 6 3 15 5 21 0 3 61 3 .235 .293 .422 .715
1999 130 420 391 33 94 22 1 7 139 46 5 4 11 2 13 2 3 75 11 .240 .269 .355 .624
2000 134 510 459 54 137 31 11 9 217 76 5 6 17 5 28 3 1 57 12 .298 .337 .473 .809
2001 99 298 275 20 63 13 2 6 98 36 2 3 6 1 14 0 2 46 5 .229 .271 .356 .627
2002 103 320 291 28 66 9 2 5 94 31 3 1 9 4 14 2 2 65 4 .227 .264 .323 .587
2003 阪神 59 116 107 9 29 4 3 1 42 5 1 0 1 1 5 0 2 29 2 .271 .313 .393 .706
2004 24 34 31 2 7 0 0 0 7 2 2 0 0 1 2 0 0 8 0 .226 .265 .226 .491
2005 18 32 31 2 5 2 0 0 7 1 0 0 0 0 1 0 0 11 0 .161 .188 .226 .413
2006 16 21 20 1 3 0 0 0 3 0 0 0 0 0 0 0 1 4 2 .150 .190 .150 .340
2007 36 106 94 13 33 9 1 2 50 11 1 1 3 1 5 1 3 24 1 .351 .398 .532 .930
2008 55 167 141 10 27 5 0 1 35 9 0 1 7 1 16 0 2 35 4 .191 .281 .248 .529
2009 横浜 17 44 38 4 8 2 1 0 12 3 0 0 2 0 4 0 0 13 1 .211 .286 .316 .602
2010 2 2 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .000 .000 .000 .000
通算:18年 911 2585 2332 228 582 120 25 42 878 272 30 21 74 23 135 9 21 467 51 .250 .294 .377 .671
  • 各年度の太字はリーグ最高

[編集] 年度別守備成績

年度 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 捕逸 守備率 企図数 許盗塁 盗塁刺 阻止率
1991 1 1 0 0 0 0 1.000 1 1 0 .000
1994 61 316 27 0 2 5 1.000 28 17 11 .393
1995 14 14 0 0 0 1 1.000 4 4 0 .000
1996 10 53 3 0 0 2 1.000 10 9 1 .100
1997 4 9 1 1 0 0 .909 1 0 1 1.000
1998 107 488 49 4 9 8 .993 57 33 24 .421
1999 129 687 62 5 10 6 .993 80 56 24 .300
2000 134 817 64 5 11 7 .994 78 45 33 .423
2001 91 509 37 1 4 2 .998 45 30 15 .333
2002 91 525 31 2 4 1 .996 51 42 9 .176
2003 47 217 8 1 0 1 .996 23 20 3 .130
2004 9 35 1 0 0 2 1.000 0 0 0 -
2005 18 101 3 0 0 1 1.000 6 5 1 .167
2006 15 56 2 0 1 1 1.000 5 4 1 .200
2007 33 234 11 0 1 4 1.000 19 15 4 .211
2008 55 274 23 4 3 4 .987
2009 17 81 2 1 0 2 .988
通算 836 4417 324 24 45 47 .995 408 281 127 .311
年度 一塁 外野
試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率
1997 1 1 0 0 0 1.000 3 1 0 0 0 1.000
2001 - 2 3 0 0 0 1.000
2002 - 11 15 0 0 0 1.000
2003 4 3 0 0 1 1.000 6 3 0 0 0 1.000
2004 6 3 1 1 0 .800 3 0 0 0 0 -
通算 11 7 1 1 1 .889 25 22 0 0 0 1.000

[編集] 記録

初記録
その他の記録
  • オールスターゲーム出場:2回(1998年、2000年)
  • パ・リーグ最多三塁打:1回(2000年)
  • パ・リーグ得点圏打率1位:1回(2000年)

[編集] 背番号

  • 67 (1990年 - 1994年)
  • 38 (1995年 - 1996年)
  • 28 (1997年)
  • 54 (1998年 - 2002年)
  • 27 (2003年 - 2004年)
  • 2 (2005年 - 2008年)
  • 5 (2009年 - 2010年)

[編集] 脚注

  1. ^ “横浜“粛清の嵐”…野口も来季構想外” (日本語). スポーツニッポン. (2010年9月16日). http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2010/09/16/08.html 2010年9月16日閲覧。 
  2. ^ “横浜の野口、退団へ=プロ野球” (日本語). 時事通信. (2010年9月16日). http://www.jiji.com/jc/c?g=spo_30&k=2010091600718 2010年9月16日閲覧。 
  3. ^ Oaks Baseball Club - Coach”. OAKS Baseball Club. 2011年12月8日閲覧。

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

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