ライアン・ボーグルソン

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ライアン・ボーグルソン
Ryan Vogelsong
サンフランシスコ・ジャイアンツ #32
IMG 9769 Ryan Vogelsong.jpg
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 ノースカロライナ州シャーロット
生年月日 1977年7月22日(35歳)
身長
体重
191 cm
98 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1999年 ドラフト5巡目
初出場 MLB / 2000年9月2日
NPB / 2007年4月5日
年俸 $3,000,000(2012年)
経歴(括弧内は在籍年)
国際大会
代表チーム アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
WBC 2013年

ライアン・アンドリュー・ボーグルソンRyan Andrew Vogelsong, 1977年7月22日 - )は、サンフランシスコ・ジャイアンツに所属するプロ野球選手投手)。日本での登録名は「ボーグルソン」だが、NHKメジャーリーグ中継など一部メディアでは、綴りをそのまま読んで「ボーゲルソン」と表記されている。

目次

経歴 [編集]

米国時代 [編集]

アメリカ合衆国ノースカロライナ州シャーロット出身。1998年クツターウン大学からサンフランシスコ・ジャイアンツドラフト5位で指名される。2000年9月2日にメジャー昇格。

2001年7月30日、ジャイアンツのフラッグシップ・ディールによりジェイソン・シュミットジョン・バンダーウォールとの2対2の交換でアルマンド・リオスと共にピッツバーグ・パイレーツに移籍。トミー・ジョン手術のため2002年はリハビリに費やし、翌2003年はほぼマイナーで過ごした。

2004年は春季キャンプで好調を維持し、先発ローテーション5番手の座を掴んだ。しかし、シーズンに入ると不安定な投球が続き、終盤には先発ローテーションから外された。シーズン最後の5登板リリーフだったが、リリーフに限ると防御率は2.57だった[1]。シーズン通算では6勝13敗、防御率6.50という成績であった。

2005年には中継ぎとしてメジャーで投げたが、2006年はシーズンの大半をAAA級インディアナポリスで過ごす。オフに阪神タイガースが獲得を発表し、11月9日に来日して年俸8,000万円で正式契約した[2]

阪神時代 [編集]

2007年は開幕から先発ローテーション入りし、途中右肩の故障で二軍に降格したが、7月下旬には復帰して最終的には7勝6敗の成績を残した。また、投手としては打撃力のある所を見せ、4月12日の中日ドラゴンズ戦で川上憲伸からこの年の投手第1号、投球回数リーグ上位30人の中では唯一となる本塁打を放ち、インタビューで「打てる機会があればまた打っていきたい」と話した。投手としては中日ドラゴンズ戦では2勝0敗、防御率3.15、WHIP1.28と良い投球を見せ、東京ヤクルトスワローズ戦でも防御率3.18、WHIP1.69ながら4勝を挙げたものの、読売ジャイアンツ戦では3試合に登板して防御率8.31、WHIP1.69と打ち込まれ、広島東洋カープ戦には3度登板していずれも敗戦投手となるなど相性が極端で、シーズン終盤の9月には4試合に先発していずれも5回もたず降板するなど不安定な面も見せた。オフには年俸9,000万円の1年契約で契約を延長。

2008年は本人の希望で背番号を前年限りで退団したアンディ・シーツが着用していた「4」に変更。阪神で投手が「4」をつけるのは藪恵一、外国人投手としてはマット・キーオ以来だった。7月29日のヤクルト戦で石川雅規から本塁打を放ち、2年連続で相手エースから本塁打を放った。同年も先発として投げたが中盤に崩れて降板する場面が目立ち[3][4]8月に二軍降格。ボーグルソンはふて腐れて大荒れし、岡田彰布監督が説得に出向いたものの、結局はシーズンを通して3勝4敗と結果を残せなかった。

オフにはチームがFA宣言した三浦大輔の獲得に動いていたため、翌年の契約は戦力補強の結果と真弓明信新監督の意向次第となっていたが、先発投手としては長いイニングを投げられないことから戦力構想外となり[5]、12月2日に自由契約公示された。

オリックス時代 [編集]

オリックス時代

2009年オリックス・バファローズと契約。先発が充実しているチーム状況からリリーフでの起用、ロングリリーフでの起用も多かった。4月は試合の登板で8試合の登板で防御率1.93の成績を残す。しかし5月から調子を崩し、6月にセ・パ交流戦で2度先発を務めたが、いずれも試合を作れず敗戦投手となり、6月4日の阪神戦では投手の福原忍に適時打を浴びる有様だった。5月と6月は防御率9.80と打ち込まれ、交流戦終了後に登録抹消。8月下旬に再登録され、9月20日の北海道日本ハムファイターズ戦でようやく移籍後初勝利をあげた。8月の復帰後は13試合の登板で防御率1.08と好投したように、好調時は手がつけられない投球を披露した一方で突如制球を乱すケースも多く、11月17日に退団が決まった[6]。オリックスを自由契約になった後、日本でのプレー続行を希望しウェーバー公示されたが獲得に乗り出す球団はなく、フィラデルフィア・フィリーズとマイナー契約を結ぶ。

米国復帰 [編集]

2010年は、フィリーズ傘下の3Aでプレーしていたが7月15日に解雇され、28日にロサンゼルス・エンゼルスとマイナー契約を結ぶ。移籍前と同じく3Aでプレーしていたが、シーズン終了後に解雇されFAとなる。2010年の3Aでの通算成績は、3勝8敗、防御率4.81に終わり、投球内容も95.1回で107被安打・66四死球、WHIPは1.77という乱調ぶりでメジャー昇格はならなかった。

2011年はサンフランシスコ・ジャイアンツとマイナー契約を結びスプリングトレーニングに招待選手として参加。3Aでは開幕から2試合好投し、バリー・ジトの故障で4月17日にメジャー昇格を果たして、4年ぶりのメジャー復帰となった。5月14日のシカゴ・カブス戦で7回途中の降雨コールドながらメジャー初完封を記録した[7]。前半戦を6勝1敗、防御率2.07、WHIP1.19と安定した内容で折り返し、オールスターゲームにも監督推薦で選出[8]。2011年時点で日本球団を経由してメジャーのオールスターゲームに選出されたのは、阪神に在籍したセシル・フィルダー、広島に在籍したアルフォンソ・ソリアーノとボーグルソンの3人のみであり投手では初のことであった。後半戦は7勝6敗、防御率3.26、WHIP1.31とやや安定感を欠いたが、最終的にリーグ4位の防御率2.70、チーム最多タイの13勝の成績を残した。

2012年の1月11日に2年契約(3年目は球団オプション)を結び契約を延長。同年はシーズン開幕当初から安定感のある投球を続け、7月までに19試合に登板して18試合でQS(クオリティ・スタート)、8勝5敗、防御率2.22を記録していた。夏以降やや打ち込まれる試合が続いたが、終盤に持ち直してリーグ11位の防御率3.37、前年を上回る14勝の成績を残した。

ポストシーズンでも好調を維持し、ナショナルリーグ地区シリーズのレッズ戦で5回1失点で勝利に貢献、続くカージナルスとのリーグ優勝決定戦では第2戦と第6戦に登板していずれも7回1失点で勝ち投手となった。さらにタイガースとのワールドシリーズ第3戦に登板し、5回2/3を投げて無失点に抑え、勝利投手となった。こうして、ポストシーズンでは4試合に登板し最多タイの3勝、防御率は複数試合に先発した投手中最高の1.09を記録し、ワールドシリーズ優勝の立役者の一人となった。

2013年には第3回WBCアメリカ代表に選出された。[9]

プレースタイル [編集]

平均球速91.6mph(約147km/h)、最速95mph(約153km/h)の速球(フォーシーム、ツーシーム)とカーブスライダーチェンジアップを投げる[10][11]

来日した際は最速160km/h、常時150km/hの速球を投げるという触れ込みだった[2]が、来日前年の2006年の速球の平均球速は91.2mph(約146.7 km/h)となっていた[要出典]日本では概ね140km/h台中盤の球速にとどまっていた[要出典]

人物 [編集]

愛称は「ボギー」で、応援団やファンからはこの愛称でコールされていた。メジャー復帰後もジャイアンツの本拠地AT&Tパークでは、好投時に「ボギー」コールが沸き起こる。

妻のニコール・ボーグルソンは元モデル歌手で、2007年春からサンテレビ限定の阪神甲子園球場のCM(「甲子園に駐車場はありまへん」)でトーマス・オマリーと共演していた。

阪神時代を「序盤で調子が悪いとすぐ交代させられたり、外国人ということで常に好結果を期待されるのが大変だった」と振り返る一方で、日本の好打者と対戦し制球力を磨いたことが、アメリカに帰国後に成功した要因だと分析している。また阪神でチームメイトだった下柳剛を「疲れていても練習熱心」と尊敬し、帰国後も連絡を取り合っている。

メジャー復帰後も日本のプロ野球を気にしており、2日に1回はインターネットで情報収集しているという。

詳細情報 [編集]

年度別投手成績 [編集]





















































W
H
I
P
2000 SF 4 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 24 6.0 4 0 2 0 0 6 0 0 0 0 0.00 1.00
2001 13 0 0 0 0 0 3 0 0 .000 130 28.2 29 5 14 0 2 17 2 0 21 18 5.65 1.50
PIT 2 2 0 0 0 0 2 0 0 .000 34 6.0 10 1 6 1 0 7 0 0 10 8 12.00 2.67
'01計 15 2 0 0 0 0 5 0 0 .000 164 34.2 39 6 20 1 2 24 2 0 31 26 6.75 1.70
2003 6 5 0 0 0 2 2 0 0 .500 108 22.0 30 1 9 3 2 15 1 0 19 16 6.55 1.77
2004 31 26 0 0 0 6 13 0 0 .316 610 133.0 148 22 67 7 10 92 3 0 97 96 6.50 1.62
2005 44 0 0 0 0 2 2 0 1 .500 369 81.1 82 5 40 1 8 52 7 0 43 40 4.43 1.50
2006 20 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 178 38.0 44 2 16 2 7 27 4 1 27 27 6.39 1.58
2007 阪神 20 20 0 0 0 7 6 0 0 .538 464 106.2 113 17 41 0 6 91 1 1 52 49 4.13 1.44
2008 12 12 0 0 0 3 4 0 0 .429 271 65.1 65 3 19 0 6 50 1 0 31 29 3.99 1.29
2009 オリックス 30 2 0 0 0 1 4 0 4 .200 181 41.2 39 4 16 0 4 56 1 0 26 21 4.54 1.32
2011 SF 30 28 1 1 0 13 7 0 0 .650 752 179.2 164 15 61 6 5 139 1 1 62 54 2.71 1.25
2012 31 31 0 0 0 14 9 0 0 .609 788 189.2 171 17 62 7 8 158 3 0 76 71 3.37 1.23
MLB:8年 181 92 1 1 0 37 38 0 1 .493 2993 684.1 682 68 277 27 42 513 21 2 355 330 4.34 1.40
NPB:3年 62 34 0 0 0 11 14 0 4 .440 916 213.2 217 24 76 0 16 197 3 1 109 99 4.17 1.37
  • 2012年度シーズン終了時

記録 [編集]

MLB
NPB投手記録
NPB打撃記録
  • 初安打・初本塁打・初打点:2007年4月12日、対中日ドラゴンズ3回戦(阪神甲子園球場)、2回裏に川上憲伸から左越2ラン

背番号 [編集]

  • 51 (2000年)
  • 32 (2001年 - 同年途中、2011年 - )
  • 14 (2001年途中 - 同年途中)
  • 28 (2001年途中 - 同年終了)
  • 22 (2003年 - 2006年)
  • 36 (2007年)
  • 4 (2008年)
  • 12 (2009年)
  • 49 (2010年)

脚注 [編集]

  1. ^ Scout.com: Ryan Vogelsong Profile”. 2008年2月2日閲覧。
  2. ^ a b 阪神がボーグルソン獲得 最速160キロの右腕 共同通信、2011年6月6日閲覧。
  3. ^ 阪神・ボーグルソン『いつも六回病』でKO サンケイスポーツ、2008年7月23日。
  4. ^ ボーグル「5回病」に岡田監督サジ投げた 日刊スポーツ、2008年8月28日。
  5. ^ ボーグルソン来季構想外…このまま退団も スポーツニッポン、2008年11月8日。
  6. ^ フェルナンデス&ボーグルソン退団 スポーツニッポン、2009年11月17日。
  7. ^ 元阪神ボーグルソン、恵みの雨でメジャー初完封 スポーツニッポン、2011年5月16日。
  8. ^ 元阪神のボーゲルソン米球宴初選出 スポーツニッポン、2011年7月4日。
  9. ^ USABaseball.com: News: Team USA final roster for WBC announced
  10. ^ Ryan Vogelsong Pitch FxFanGraphs
  11. ^ MLB投手白書 主要250投手ピッチ・アナリシス/先発投手編 主要143先発投手 持ち球一覧/球種別平均球速 『月刊スラッガー』2012年2月号、日本スポーツ企画出版社、雑誌15509-2、頁。

関連項目 [編集]

外部リンク [編集]