片岡篤史
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| 基本情報 | |
|---|---|
| 国籍 | |
| 出身地 | 京都府久世郡久御山町 |
| 生年月日 | 1969年6月27日(40歳) |
| 身長 体重 |
188cm 92kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投左打 |
| 守備位置 | 三塁手、一塁手 |
| プロ入り | 1991年 ドラフト2位 |
| 初出場 | 1992年4月4日 西武戦 |
| 最終出場 | 2006年10月12日 中日戦 |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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この表について
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片岡 篤史(かたおか あつし、1969年6月27日 - )は、京都府久世郡久御山町出身の元プロ野球選手(内野手)。右投げ左打ちで、ポジションは三塁手・一塁手。
チーム内での愛称はツル(由来は片岡鶴太郎から)、あっちゃん。日本ハムファイターズ・阪神タイガースに所属した。血液型はB型。
引退後は野球解説者、タレントとして活動している。オフィス北野所属。
目次 |
[編集] 経歴
[編集] プロ入り前
PL学園高校時代、4番打者として1987年の甲子園で春・夏連覇を果たす。
同期に立浪和義・橋本清・野村弘ら、1学年下には宮本慎也、2学年上には清原和博・桑田真澄がいた。
卒業後は同志社大学に進学。
[編集] 日本ハム時代
1991年のドラフト2位指名で日本ハムファイターズに入団。入団の際に大学の卒業単位が不足していたが、1年留年し、1年目のシーズンオフに残存単位を取得し卒業した。1年目からレギュラーポジションを奪取し、独特の打法から繰り出されるヒットや、走り打ちと呼ばれる外角球の捌きでビッグバン打線の不動の3番打者として活躍。ホームラン数は21本が自己最多であるものの、東京ドームの2階席まで飛ばすほどの飛距離を秘めた長打もあり、最多四球を2回記録する(そのうち1回はパ・リーグ最高数)など選球眼の良さは抜群で、さらに最高出塁率のタイトルも獲得するなど、チームの柱となる存在であった。
日本ハム時代は、選手会長としてチームを引っ張る立場だった。岩本勉はテレビ番組で「マウンド上でくじけそうになったときも、片岡さんが後ろから励ましてくれて有り難かった」と話している。また、小笠原道大がまだルーキーだった頃、その才能を見抜いて熱心に指導を行い、小笠原本人も「いつも片岡さんの背中を追いかけていた」と語っている。後に小笠原がFA宣言し、日本ハムに残留するか読売ジャイアンツに移籍するか迷ったときに、最初に相談した相手は片岡であった。
1999年4月7日の西武ライオンズ戦で、プロ初先発の松坂大輔が投げた155km/hの直球に、片岡は豪快な空振りをした。後に片岡は「松坂は僕の空振りを見て自分のボールに自信がついたんだろう」と冗談交じりに語った。しかし、それ以後片岡は松坂を得意としており、2000年6月30日の西武戦で、9回裏に松坂のノーヒットノーランを阻止するヒットを打っている。打ったボールは前年空振りを喫した高めの直球であった。
[編集] 阪神時代
2001年オフにFA宣言し、阪神タイガースに入団する。このオフに結婚。夫人は当時大学4年だった。その後2児をもうける。
移籍初年度の2002年はセ・リーグのバッテリーの配球に苦しみ不振に陥ったが、翌2003年には規定打席には到達しなかったものの勝負強い打撃で復活し、阪神のリーグ優勝に貢献した。チームが優勝を決めた日の広島東洋カープ戦では、途中出場の8回裏に同点ソロホームランを放ち、9回裏にも1死1塁からライトへのヒットで1、3塁として赤星憲広によるサヨナラ勝ちを引き出した。
2004年以降は相次ぐ故障で代打での出場が多くなったものの、2005年には代打で6打席連続ヒットを記録するなど、ここぞという時の切り札として活躍し、この年のリーグ優勝に貢献した。
2006年は関本健太郎らにポジションを奪われ、さらに相次ぐ故障からホームランがわずか1本にとどまるなど打撃不振に陥り、体力的な限界からこの年をもって現役を引退した。引退試合となった10月12日の中日ドラゴンズ戦では6番サードでスタメン出場し、盟友の立浪が守るレフトを越える二塁打を放つなど2安打で有終の美を飾った。胴上げには阪神選手のほか、中日から立浪、谷繁元信、井上一樹、PL学園の後輩である福留孝介、日本ハム時代のチームメイトである奈良原浩、上田佳範も加わった[1]。引退セレモニーでは立浪が花束を贈呈し、片岡と熱く抱擁を交わした[2]。
[編集] 現役引退後
2007年に関西テレビ放送・フジテレビジョン・スポーツニッポンのプロ野球解説者に就任。関西テレビ「ぶったま!」では、阪神の一軍打撃コーチに就任した広澤克実に代わりレギュラーコメンテーターを務めている。
また日本ハムOBということで、STVアタックナイター・ファイターズスタジアム(STVラジオ)解説者として北海道のラジオでも解説を担当している。2007年9月29日の千葉マリンスタジアムでの千葉ロッテマリーンズ対北海道日本ハム戦は、日本ハムのリーグ優勝がかかっていたためSTVラジオ製作として片岡の解説で千葉から放送を行い、NRN系列で全国放送された。
2008年2月4日より広瀬哲朗の後任としてスポーツワイド Fの炎〜SPORT HOKKAIDO〜(北海道文化放送)の解説者となる。これは片岡の北海道で初のレギュラー番組である。
[編集] 出演番組
- スポーツワイド Fの炎〜SPORT HOKKAIDO〜(北海道文化放送)
- BASEBALL SPECIAL~野球道~(フジテレビ・関西テレビ。※関西テレビローカル中継では「プロ野球中継」のタイトル。)
- STVアタックナイター・ファイターズスタジアム(STVラジオ)
- ぶったま!(関西テレビ)
[編集] 年度別成績
[編集] 打撃成績
| 年 度 |
球 団 |
背 番 号 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
失 策 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1992 | 日本ハム | 38 | 125 | 486 | 431 | 44 | 125 | 17 | 3 | 10 | 178 | 53 | 5 | 3 | 18 | 2 | 33 | 2 | 93 | 3 | .290 | 14 |
| 1993 | 8 | 124 | 503 | 425 | 55 | 122 | 29 | 2 | 8 | 179 | 39 | 4 | 6 | 11 | 2 | 63 | 2 | 102 | 7 | .287 | 10 | |
| 1994 | 99 | 382 | 334 | 38 | 73 | 11 | 0 | 11 | 117 | 41 | 3 | 3 | 0 | 2 | 45 | 1 | 90 | 5 | .219 | 6 | ||
| 1995 | 106 | 421 | 357 | 40 | 80 | 12 | 2 | 6 | 114 | 39 | 1 | 2 | 6 | 1 | 55 | 2 | 83 | 3 | .224 | 6 | ||
| 1996 | 115 | 489 | 416 | 60 | 131 | 20 | 3 | 15 | 202 | 51 | 3 | 3 | 6 | 1 | 65 | 1 | 70 | 7 | .315 | 3 | ||
| 1997 | 135 | 600 | 514 | 67 | 147 | 28 | 2 | 17 | 230 | 67 | 3 | 3 | 0 | 3 | 81 | 2 | 77 | 9 | .286 | 5 | ||
| 1998 | 133 | 584 | 466 | 89 | 140 | 26 | 1 | 17 | 219 | 83 | 2 | 0 | 0 | 4 | 113 | 1 | 93 | 8 | .300 | 12 | ||
| 1999 | 115 | 489 | 423 | 59 | 116 | 19 | 4 | 15 | 188 | 63 | 1 | 1 | 0 | 4 | 61 | 1 | 90 | 8 | .274 | 5 | ||
| 2000 | 135 | 621 | 510 | 92 | 148 | 32 | 2 | 21 | 247 | 97 | 9 | 3 | 0 | 7 | 101 | 3 | 80 | 14 | .290 | 12 | ||
| 2001 | 106 | 463 | 401 | 57 | 102 | 18 | 1 | 16 | 170 | 62 | 1 | 2 | 0 | 4 | 57 | 1 | 62 | 8 | .254 | 9 | ||
| 2002 | 阪神 | 120 | 489 | 425 | 45 | 97 | 17 | 0 | 11 | 147 | 46 | 2 | 0 | 3 | 4 | 53 | 4 | 110 | 7 | .228 | 7 | |
| 2003 | 110 | 373 | 334 | 48 | 99 | 31 | 0 | 12 | 166 | 55 | 1 | 1 | 1 | 1 | 35 | 2 | 86 | 3 | .296 | 3 | ||
| 2004 | 46 | 106 | 88 | 8 | 18 | 5 | 0 | 3 | 32 | 7 | 0 | 0 | 0 | 0 | 16 | 2 | 24 | 0 | .205 | 2 | ||
| 2005 | 50 | 73 | 57 | 8 | 12 | 1 | 0 | 1 | 16 | 7 | 0 | 0 | 0 | 1 | 15 | 0 | 17 | 0 | .211 | 0 | ||
| 2006 | 50 | 101 | 91 | 4 | 15 | 3 | 0 | 1 | 21 | 7 | 0 | 0 | 1 | 1 | 7 | 1 | 22 | 1 | .165 | 4 | ||
| 通算:15年 | 1569 | 6180 | 5272 | 714 | 1425 | 269 | 20 | 164 | 2226 | 717 | 35 | 27 | 46 | 37 | 800 | 25 | 1099 | 83 | .270 | 98 | ||
- 各年度の太字はリーグ最高
[編集] 守備成績
| 年度 | 三塁 | 一塁 | 二塁 | |||||||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | |
| 1992 | 125 | 100 | 257 | 14 | 17 | .962 | - | 3 | 2 | 4 | 0 | 1 | 1.000 | |||||
| 1993 | 124 | 97 | 224 | 10 | 13 | .970 | - | - | ||||||||||
| 1994 | 99 | 63 | 176 | 6 | 13 | .976 | - | - | ||||||||||
| 1995 | - | 97 | 823 | 57 | 6 | 79 | .993 | - | ||||||||||
| 1996 | 18 | 4 | 14 | 1 | 0 | .947 | 110 | 924 | 66 | 2 | 78 | .998 | - | |||||
| 1997 | 133 | 114 | 293 | 5 | 30 | .988 | 7 | 29 | 3 | 0 | 0 | 1.000 | - | |||||
| 1998 | 132 | 118 | 280 | 12 | 27 | .971 | 2 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | - | |||||
| 1999 | 95 | 83 | 180 | 5 | 17 | .981 | - | - | ||||||||||
| 2000 | 135 | 129 | 237 | 12 | 26 | .968 | - | - | ||||||||||
| 2001 | 102 | 84 | 184 | 9 | 13 | .968 | - | - | ||||||||||
| 2002 | 114 | 64 | 217 | 7 | 13 | .976 | 16 | 73 | 2 | 0 | 5 | 1.000 | - | |||||
| 2003 | 99 | 60 | 131 | 3 | 10 | .985 | 11 | 37 | 3 | 0 | 0 | 1.000 | - | |||||
| 2004 | 28 | 8 | 36 | 2 | 2 | .957 | - | - | ||||||||||
| 2005 | 2 | 1 | 1 | 0 | 0 | 1.000 | 10 | 53 | 4 | 0 | 4 | 1.000 | - | |||||
| 2006 | 32 | 9 | 41 | 4 | 2 | .926 | 3 | 6 | 0 | 0 | 1 | 1.000 | - | |||||
| 通算 | 1238 | 934 | 2271 | 90 | 183 | .973 | 256 | 1946 | 135 | 8 | 167 | .996 | 3 | 2 | 4 | 0 | 1 | 1.000 |
[編集] タイトル・表彰・記録
[編集] タイトル・表彰
- 最高出塁率 1回(1998年)
- ベストナイン 2回(1996年一塁手部門、1998年三塁手部門)
- ゴールデングラブ賞 3回(1996年一塁手部門、1997年~1998年三塁手部門)
- オールスターゲーム出場 6回(1993年、1997年~2000年、2002年)
[編集] 記録
- 初出場・初先発出場:1992年4月4日、対西武ライオンズ1回戦(西武ライオンズ球場)、7番・三塁手として先発出場
- 初安打:同上、7回表に工藤公康から右前安打
- 初打点:1992年4月8日、対近鉄バファローズ2回戦(藤井寺球場)、3回表に江坂政明から
- 初本塁打:1992年4月9日、対近鉄バファローズ3回戦(藤井寺球場)、7回表に入来智から右越2ラン
- 初盗塁:1992年5月24日、対西武ライオンズ8回戦(東京ドーム)、2回裏に二盗
- 100本塁打:2000年4月2日、対西武ライオンズ2回戦(西武ドーム)、7回表に土肥義弘から
- 1000試合:2000年5月31日、対福岡ダイエーホークス11回戦(東京ドーム)、3番・三塁手として先発出場
- 1000本安打:2000年6月13日、対大阪近鉄バファローズ12回戦(大阪ドーム)、9回表にユウキから
- 150本塁打:2003年4月29日、対読売ジャイアンツ4回戦(阪神甲子園球場)、2回裏に桑田真澄から
- 1500試合:2005年8月13日、対読売ジャイアンツ14回戦(東京ドーム)、5回表に杉山直久の代打として出場
- 最多四球 2回(1998年、2000年) ※1998年に記録した113四球はパリーグ史上最高数。
[編集] 応援歌
日本ハム時代の応援歌は、古屋英夫のテーマ曲が流用されたものであった。また、ファンファーレから始まる曲となっており、阪神移籍後もこのファンファーレのみ引き継がれた。
そして、阪神ファンの応援団により「右投げ左打ち、実家は檜風呂 リフォーム リフォーム 片岡篤史」という歌詞が付け加えられた(2003年3月発売のアルバムCD「阪神タイガース 選手別応援歌 2003」の歌詞カードにも掲載された)。
だが、本人は「実家は檜風呂ではなくて、サウナが檜製である」と言っており、しばらくこの応援歌が気になって打席に集中できなかった為、2003年シーズンオフの契約更改のときに「実家は檜風呂というファンファーレをやめてほしい」との申請をした。よって応援団も翌2004年から片岡のファンファーレを自粛した。
[編集] 関連項目
[編集] 脚注
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