小田幸平
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| 中日ドラゴンズ #52 | |
|---|---|
| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 出身地 | 兵庫県高砂市 |
| 生年月日 | 1977年3月15日(32歳) |
| 身長 体重 |
180cm 84kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| 守備位置 | 捕手 |
| プロ入り | 1997年 ドラフト4位 |
| 初出場 | 1998年10月1日広島戦(広島) |
| 年俸 | 3100万円(2009年) |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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この表について
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小田 幸平(おだ こうへい、1977年3月15日 - )は、中日ドラゴンズに所属しているプロ野球選手(捕手)。
愛称は「ODA」(オーディーエー)等(中日の私設応援団から呼ばれているもので中日スポーツでも紹介されていた。また、ベンチ内のメンバーを記入するホワイトボードにも「ODA」と書かれている)。
目次 |
[編集] 来歴
[編集] プロ入り前
兵庫・市川高校では甲子園に出場することはなく、卒業後は社会人野球の三菱重工神戸でプレーする。
その後、1997年のドラフトで読売ジャイアンツから4位指名されて入団。眼鏡を掛けたトボけた風貌と鉄砲肩が売り物だったことから、入団時は「古田二世」の異名をとり、即戦力として期待された。
[編集] 巨人時代
実際に守備は即戦力級であり、ルーキーイヤーの1998年から毎年一軍での出場機会を得る。しかし打撃に難があり、3番手以降の捕手という評価に止まり、一軍で定着出来ないシーズンがしばらく続く。
1999年は、開幕こそ一軍であったが、開幕直後の横浜戦で村田真一の負傷退場に伴い守備に就いたものの、先発のガルベスのリズムを狂わせ、最大9点あった点差をひっくり返されて逆転負けして即二軍落ちとなり、10月まで昇格できなかった。
2004年、プロ7年目で初ホームランを放った。課題であった打撃に成長が見られたこの年以降、出場機会が増えていく。
2005年には、正捕手の阿部慎之助、2番手であった村田善則に次ぐ巨人の3番手捕手として出場することが多かった。結果、巨人在籍時で最多となる31試合に出場した。
12月13日、FA宣言して巨人に移籍した野口茂樹の人的補償として、中日に移籍。 落合博満監督に、「なぜ彼がプロテクトされなかったのか不思議だ。彼ほどの選手をドラフトで取ろうとすれば、1億円の契約金が必要だ」「人的補償で残っているとは思わなかった。これが最大の補強だ」と言わせ獲得を即決させた。
[編集] 中日時代
2006年、移籍して間もなく正捕手である谷繁元信がWBCへの出場で戦列を離れたため、オープン戦ではほぼスタメンで出場。打撃はともかく、守備とリードがとても良いと評価された。シーズンが開幕すると谷繁の体力の衰えや打撃面での極度の不調などもあり、主に移動後での1戦目や交流戦等で先発起用された。また、山本昌との相性の良さから、同投手の先発時はスタメンで起用されることが多かった。結果、2番手捕手として一軍に定着し、谷繁の後継者として期待される存在となる。
11月の契約更改では1300万円増の3600万円でサインした。本人は満足できる数字を残したシーズンではなかったが、谷繁の控え捕手として働いたことやムードメーカーとしてベンチからチームを盛り上げたことが高く評価された。
2007年、背番号が40から26へと変更される。これについて落合監督は「26を小田、28を(ドラフト希望枠で入団した)田中大輔に付けさせ、26、27(谷繁)、28で正捕手を争えばいい」と話していた。シーズンでの起用形態は昨年とほぼ同じだが、山本昌の不調もあり、出場機会は若干減少した。
同年オフに視力矯正の為にレーシック手術を受け、視力が回復したことにより以後は眼鏡なしでのプレーとなる。
2008年、付けていた背番号26を大学・社会人ドラフト1巡目で名城大学から入団した山内壮馬が付ける事になり、背番号が28に変更された。
シーズン当初は控えであったが、5月に谷繁が故障で離脱すると先発マスクを被ることが増えたが、谷繁以上の信頼を得ることはできず、山本昌とのバッテリーも谷繁に奪われてしまい、チャンスが活かせず、課題が残る結果に終わった。それでも、移籍後最多となる41試合に出場し、オフの契約更改では増額を得た。
しかし、秋季キャンプでは両足痛で途中離脱。さらに、背番号28をドラフト5巡目で明治大学から入団した岩田慎司が付けることになり、52に変更され、中日移籍してから4年連続で背番号を変更することとなった。
2009年は、シーズン開始直後に谷繁が怪我で離脱し、先発マスクの機会を得るが、4月18日の試合で逆転負けを喫した際に、落合監督からリードの悪さを指摘され[1]、その翌日以降、昨年北海道日本ハムファイターズを戦力外となって移籍してきた小山桂司に先発マスクを譲る事となる。谷繁が復帰するまでは主に岩瀬仁紀が登板する際に出場するなど終盤の守備固めでの出場が多かったが、谷繁の1軍復帰と同時に2軍落ちする事となったが、まもなく復帰。しかし、起用としては第3の捕手となっているが、程なくして再び2軍落ちした。
[編集] 人物・エピソード
サインを書くときは自身のトレードマークである眼鏡のマークを左側に必ず入れている。
妻はフリーアナウンサーの石井江奈。彼女との間に一男をもうけている。
とても陽気な性格ということもあってか、試合前には選手たちを笑わせてリラックスさせることなどに徹している。また監督コーチ・チームメイトからの信頼も厚い。川上憲伸(アトランタ・ブレーブス)は自身のブログでこのことに触れている。2006年のセ・リーグ優勝のビールかけの時にはセーラー服にヅラを被るという奇抜な格好で登場した。本人曰く、桜塚やっくんの物真似だという[2]。さらに翌2007年の日本シリーズ制覇の際も白いドレスにヅラという女装で現れたがこれはIKKOの物真似であったというが、あまりにも似ていなかった。
一般的なタブロイド誌やバラエティを通した野球視聴者には清原和博を中心に元木大介や福井敬治などとともに「清原軍団子分その3」もしくは清原の”舎弟”などといった“配役”を当てられているメガネのキャッチャーである。実像は岡島秀樹とともに、大先輩の桑田真澄の自主トレに毎年必ず同行している選手であり、自身研究熱心な桑田が打者研究の熱心さに舌を巻き、同僚の川相昌弘が守備を絶賛した選手である。
基本的には打撃は期待されておらず、試合前に首脳陣から「打撃練習せんでいい」と言われたこともあった。その反面、キャッチングの技術、強肩及びスローイングの早さ、さらにブロックといった守備面では非常に定評がある。
中日移籍後からは、ナゴヤドームで打席に入った際に長渕剛の『CLOSE YOUR EYES』が流れた。ビジターでは私設応援団がトランペットでこの曲を演奏した。ファンが掛け声を交えながら「O, D, A」の三文字を両手を使って表現する応援スタイルが定着した。長渕剛ファンで、コンサートでは清原和博に連れられて長渕の楽屋を訪れたこともある。『CLOSE~』の使用許可は長渕本人から承諾を得ている。
中日では特に佐藤充と仲が良い。
小田が中日に移籍後、巨人は阿部の控え捕手が不安定となり、翌3月に急遽北海道日本ハムファイターズから實松一成をトレードで獲得したが、打撃難で一軍に定着できず、2008年シーズン途中に横浜ベイスターズから鶴岡一成を同じくトレードで獲得し、現在は安定している。
[編集] 年度別打撃成績
| 年度 | 球団 | 背番号 | 試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1998 | 巨人 | 46 | 2 | 4 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | .000 |
| 1999 | 5 | 12 | 12 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 2 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | .167 | ||
| 2000 | 2 | 3 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | .000 | ||
| 2001 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 | ||
| 2002 | 7 | 7 | 5 | 1 | 2 | 1 | 1 | 0 | 5 | 3 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | .400 | ||
| 2003 | 11 | 14 | 13 | 2 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 4 | 0 | .077 | ||
| 2004 | 24 | 67 | 62 | 6 | 16 | 3 | 0 | 1 | 22 | 6 | 0 | 0 | 2 | 0 | 2 | 1 | 12 | 2 | .258 | ||
| 2005 | 31 | 66 | 62 | 4 | 13 | 2 | 0 | 0 | 15 | 5 | 0 | 1 | 3 | 0 | 0 | 1 | 17 | 1 | .210 | ||
| 2006 | 中日 | 40 | 33 | 42 | 38 | 1 | 6 | 3 | 0 | 0 | 9 | 2 | 0 | 0 | 3 | 0 | 1 | 0 | 13 | 2 | .158 |
| 2007 | 26 | 27 | 42 | 36 | 1 | 7 | 1 | 0 | 0 | 8 | 1 | 0 | 0 | 3 | 1 | 1 | 1 | 8 | 0 | .194 | |
| 2008 | 28 | 41 | 72 | 61 | 4 | 12 | 1 | 0 | 0 | 13 | 0 | 0 | 2 | 1 | 4 | 0 | 1 | 2 | 2 | .188 | |
| 2009 | 52 | ||||||||||||||||||||
| 通算成績 | 187 | 329 | 296 | 19 | 59 | 11 | 1 | 1 | 75 | 19 | 0 | 3 | 14 | 5 | 4 | 4 | 62 | 7 | .199 | ||
- 初出場/初打席 1998年10月1日広島戦(広島) 6回より柳沢に代わり出場/7回佐々岡の前に三邪飛
- 初安打 1999年4月9日横浜戦(横浜) 5回福盛から中前安打
- 初打点 1999年10月10日横浜戦(横浜) 5回戸叶から2点適時打
- 初本塁打 2004年7月7日横浜戦(東京D) 5回セドリックから左越2ラン
[編集] 年度別守備成績
| 年度 | 捕手 | ||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 捕逸 | 守備率 | 企図数 | 許盗塁 | 盗塁刺 | 阻止率 | |
| 1998 | 2 | 6 | 1 | 1 | 0 | 0 | .875 | 1 | 1 | 0 | .000 |
| 1999 | 5 | 30 | 3 | 0 | 1 | 2 | 1.000 | 6 | 5 | 1 | .167 |
| 2000 | 2 | 11 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | 1 | 1 | 0 | .000 |
| 2001 | 4 | 2 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | 2 | 1 | 1 | .500 |
| 2002 | 6 | 16 | 1 | 1 | 0 | 0 | .944 | 2 | 1 | 1 | .500 |
| 2003 | 11 | 34 | 6 | 0 | 2 | 1 | 1.000 | 4 | 2 | 2 | .500 |
| 2004 | 23 | 146 | 12 | 2 | 1 | 2 | .988 | 15 | 10 | 5 | .333 |
| 2005 | 27 | 116 | 8 | 3 | 1 | 0 | .976 | 7 | 4 | 3 | .429 |
| 2006 | 32 | 94 | 9 | 1 | 2 | 3 | .990 | 9 | 6 | 3 | .333 |
| 2007 | 26 | 107 | 7 | 1 | 0 | 0 | .991 | 10 | 6 | 4 | .400 |
| 2008 | 41 | 179 | 19 | 2 | 3 | 1 | .990 | 13 | 6 | 7 | .538 |
| 通算 | 179 | 741 | 67 | 11 | 10 | 9 | .985 | 70 | 43 | 27 | .386 |
[編集] 背番号
[編集] 関連項目
[編集] 脚注
- ^ 落合監督はこの敗戦のコメントについて、「明日のスタメンを見れば分かるよ」と言い、その日のオーダーに小田が外されていた。
- ^ 2006年10月21日ズームイン!!サタデーより
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