栗山巧
| 埼玉西武ライオンズ #1 | |
|---|---|
2011年8月30日、こまちスタジアムにて
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| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 出身地 | 兵庫県神戸市西区 |
| 生年月日 | 1983年9月3日(29歳) |
| 身長 体重 |
177 cm 85 kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投左打 |
| ポジション | 外野手 |
| プロ入り | 2001年 ドラフト4巡目 |
| 初出場 | 2004年9月24日 |
| 年俸 | 2億円+出来高(2013年) |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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この表について
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栗山 巧(くりやま たくみ、1983年9月3日 - )は、埼玉西武ライオンズに所属するプロ野球選手(外野手)。愛称はクリ、栗坊、クリボーなど。
目次 |
経歴[編集]
プロ入り前[編集]
兵庫県神戸市西区出身。神戸市立小寺小学校時代は神戸市少年団リーグの小寺に所属し、武内晋一と同リーグだった。神戸市立太山寺中学校時代はヤングリーグの「神戸ドラゴンズ」に所属し、チームの一年後輩には坂口智隆がいた[1]。育英高校に進学し、2年時には3番左翼手として第72回選抜高等学校野球大会、第82回全国高等学校野球選手権大会に春夏連続出場。春は開会式直後の1回戦で國學院栃木高校と対戦し初戦敗退。夏は大会第1試合となる1回戦で田村彰啓を擁する秋田商業高校と対戦して勝利するも、準決勝で中村一生・山田憲らを擁する東海大浦安高校に敗れた。自身は5試合で打率.348、9打点を記録。3年夏は兵庫大会5回戦敗退。高校通算47本塁打。
2001年のドラフト会議において、西武ライオンズから4巡目指名を受け入団。西武についての印象を聞かれ「ずっと強いチーム、憧れていた」と答えている。
プロ入り後[編集]
2002年から積極的に二軍で起用され、イースタン・リーグで51試合に出場。
2003年は二軍で打率.274、出塁率.359、7本塁打を記録。フレッシュオールスターゲームに選出されスタメンフルイニング出場した。
2004年は二軍で打率3割、11本塁打を記録し優秀選手を受賞。西武にとってレギュラーシーズ最終戦となった9月24日の大阪近鉄バファローズ戦(大阪ドーム)でスタメン9番・レフトで一軍初出場・初安打を記録した。また、この試合はこの年限りでオリックスと合併した大阪近鉄バファローズにとって本拠地最終戦でもあった。
2005年は3・4月に打率3割を記録して一軍に定着し、セ・パ交流戦でも5本塁打を放つなど、84試合に出場して打率.297、出塁率.357を記録した。
2006年は8月1日の対千葉ロッテマリーンズ戦で空振りした際に右手首を痛め、直後に小林雅英から満塁本塁打を放ったが、翌日に有鈎骨の骨折と判明し戦線離脱。シーズン終盤に一軍に復帰した。オフにはフェニックス・リーグに参加。同年のセ・パ交流戦では上原浩治から「センスが素晴らしいから」という理由で「ライバル宣言」された。
2007年は初めて100試合以上に出場。チーム2位の45四球を選んで出塁率.380、得点圏打率.324を記録し、チームトップの勝利打点10を挙げた。
2008年、5月4日の対ロッテ戦で一塁手のフリオ・ズレータが弾いた栗山の打球を、二塁手のホセ・オーティズがグラブを投げて止め、公認野球規則に則り安全進塁権を3つ与えられ三塁打となった。これについて栗山は「ルール知りませんでした」、黒江透修ヘッドコーチは「40年以上の野球人生で見たことがない」と発言した。同年は2番に固定され自己最多の138試合に出場、4月は打率.250前後だったが、その後はシーズン通して好調を維持し、初めて規定打席に到達して打率.317、チーム3位の49四球、同2位の出塁率.376、得点圏打率.325、72打点を記録し、クリーンナップの前に出塁すると同時に下位打線から1番打者までに溜めた走者を返す役割も果たした。初タイトルとなる最多安打を獲得した他、22犠打、17盗塁と小技足技も向上してリーグ優勝に貢献し、ベストナインにも選出された。
2009年はオープン戦で55打数22安打、打率.400で首位打者になるなど好調だったが、開幕直後は21打席連続無安打を経験するなど、レギュラーでの起用が続いたが5月終了時点で打率.220と不振に陥った。6月には18試合中9試合でマルチヒットを放ち、交流戦チームトップの打率.333を記録して復調したが、シーズン終盤は再び不調となり、更に新型インフルエンザに感染した。同年は自己最多を更新する140試合に出場し、打率.267、リーグ9位の106三振などは前年より悪化したが、サウスポーに対して打率.350、リーグ4位の6三塁打、同9位の18盗塁を記録し、外野守備ではリーグトップの守備率.997、同3位の8補殺を記録した。
2010年はケガ人が続出する球団事情から自身初の3・4番を打つこともあった。5月5日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦ではヒーローインタビューに応じた際、試合前に行われた「選手がスタンドにボールを投げ入れる」ファンサービス企画で大人が我先に取りに行くことについて、「未来のプロ野球選手を目指す子供達が怪我をしてしまう可能性があるし、彼らに夢を与えると言う意味でも、大人のお客さんは子供たちに譲ってあげてください」と苦言を呈した。シーズン序盤から調子を維持し続け、チーム唯一で外野手としては球団史上初の144試合フルイニング出場を果たし、2年ぶりの3割超となる打率.310に、共に自己記録を更新する出塁率.400、74打点を記録。2度目となるベストナイン選出に加え、ゴールデングラブ賞を初受賞した。12月21日、兼ねてから交際していた3歳年上の一般人女性と同月14日に入籍したことが公表された[2]。
2011年は2番打者・5番打者として起用されていたが、片岡易之が故障で離脱した7月以降は1番打者として起用され[3]、好不調の波が激しかったチームにおいて安定した打撃で貢献した。2年連続で全試合フルイニング出場を達成したが、ケガの影響から9月8日の対千葉ロッテ18回戦より従来の中堅から左翼の守備に回り、その後シーズン終了まで左翼手として起用された。打撃面では前述の通りシーズンを通して好調を維持し、打率は内川聖一が怪我から復帰するまでリーグトップを続け、最終的にはリーグ5位で2年連続の打率3割超を達成、得点圏打率は両リーグトップの.380を記録した。また5月6日の対楽天2回戦では田中将大から球団通算8000号本塁打となる決勝2点本塁打を放った[4]。11月には右ひじの遊離軟骨除去手術を受けた[3]。
2012年は2番、1番で起用されたが、8月21日の対福岡ソフトバンクホークス16回戦で左前腕に死球を受け、途中交代。連続試合フルイニング出場も、パ・リーグ歴代2位の390試合で途切れた[5]。シーズンリーグ8位の打率.289、リーグ3位の出塁率.378を記録。
プレースタイル[編集]
手元までボールを呼び込みバットを振り切る打撃を持ち味とし[6]、打順は主に2番を務めるが、チーム状況によっては1、3、4、5番もこなし、2007年から2010年までの通算の得点圏打率が.324と得点機に強い。選球眼も良く、2009年を除き例年.350~.400の出塁率を安定して記録している他、投手に球数を費やさせる能力に優れる[7]。
走塁面では一塁到達まで3.90秒と全力疾走を怠らず[8]、盗塁に関しても「20個以上走れたら(盗塁できたら)、『アイツは走れる』というイメージがつくと思うので狙っていきたい」と高い意欲を持つ[9]。
一軍定着当初は左翼手や指名打者として起用され、打撃に比べて守備走塁面が課題とされていたが、2009年途中から「いつかは守りたい」と同年の開幕前に話していた[10]中堅手に定着。2009年には守備力の指標の1つとされるレンジファクターと刺殺でリーグトップの数値を記録した[11]。しかし、ゴールデングラブ賞を初受賞した2010年はリーグ3位の守備率.994を記録したものの、守備イニング500以上の選手の中でワースト4位のUZR-5.2と落ち込んだ[12]。また肩が弱く、ランナーを刺すことはほとんどないが、守備範囲そのものは広い。2011年途中から故障の影響もあって再び左翼手で起用され、2012年には守備イニング500以上の左翼手で両リーグ2位のUZR13.9を記録した[13]。
人物[編集]
少年時代からプロ野球選手になるのが夢で、当時はオリックス・ブルーウェーブのファンクラブにも加入しイチローのサインボールを持っている[14]。
打席に入るときの登場曲はクレイジーケンバンドの「あ、やるときゃやらなきゃダメなのよ。」である。
2007年に放送されたプロ野球界の力自慢を競う企画「握力王」では、ラミレス、ガイエル、カブレラ等の外国人の数字を「大したことない」と一蹴し、80.7kgを出して優勝した。[15]しかし2010年に「プロ野球界で最も握力の強い選手」としてめざましテレビの取材を受け、実際に計測していた際に、その場を通りかかった高山久に目の前で自身の記録を約3kg更新された。[16]
詳細情報[編集]
年度別打撃成績[編集]
| 年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2004 | 西武 | 1 | 3 | 3 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | .333 | .333 | .333 | .667 |
| 2005 | 84 | 316 | 286 | 45 | 85 | 11 | 2 | 10 | 130 | 28 | 1 | 0 | 2 | 1 | 24 | 1 | 3 | 59 | 4 | .297 | .357 | .455 | .811 | |
| 2006 | 63 | 164 | 142 | 18 | 38 | 8 | 1 | 2 | 54 | 22 | 3 | 1 | 4 | 0 | 16 | 0 | 2 | 32 | 2 | .268 | .350 | .380 | .730 | |
| 2007 | 112 | 362 | 302 | 39 | 84 | 18 | 2 | 5 | 121 | 29 | 8 | 3 | 9 | 1 | 45 | 2 | 5 | 53 | 8 | .278 | .380 | .401 | .780 | |
| 2008 | 138 | 612 | 527 | 76 | 167 | 31 | 3 | 11 | 237 | 72 | 17 | 8 | 22 | 8 | 49 | 0 | 6 | 61 | 8 | .317 | .376 | .450 | .826 | |
| 2009 | 140 | 643 | 569 | 78 | 152 | 24 | 6 | 12 | 224 | 57 | 18 | 5 | 8 | 3 | 53 | 0 | 10 | 106 | 9 | .267 | .339 | .394 | .732 | |
| 2010 | 144 | 660 | 554 | 77 | 172 | 35 | 2 | 4 | 223 | 74 | 14 | 5 | 18 | 3 | 80 | 1 | 5 | 69 | 7 | .310 | .400 | .403 | .803 | |
| 2011 | 144 | 653 | 557 | 87 | 171 | 30 | 2 | 3 | 214 | 60 | 6 | 2 | 9 | 6 | 73 | 0 | 8 | 90 | 17 | .307 | .391 | .384 | .776 | |
| 2012 | 103 | 467 | 394 | 57 | 114 | 17 | 1 | 2 | 139 | 33 | 3 | 1 | 12 | 3 | 52 | 0 | 6 | 62 | 4 | .289 | .378 | .353 | .731 | |
| 通算:9年 | 929 | 3880 | 3334 | 477 | 984 | 174 | 19 | 49 | 1343 | 375 | 70 | 25 | 84 | 25 | 392 | 4 | 45 | 533 | 59 | .295 | .374 | .403 | .780 | |
- 2012年度シーズン終了時
- 各年度の太字はリーグ最高
年度別守備成績[編集]
| 年 度 |
外野 | |||||
|---|---|---|---|---|---|---|
| 試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 |
|
| 2004 | 1 | 6 | 0 | 0 | 0 | 1.00 |
| 2005 | 77 | 130 | 0 | 4 | 0 | .970 |
| 2006 | 25 | 34 | 1 | 0 | 1 | 1.00 |
| 2007 | 68 | 119 | 6 | 0 | 0 | 1.00 |
| 2008 | 127 | 245 | 6 | 5 | 0 | .980 |
| 2009 | 140 | 291 | 8 | 1 | 1 | .980 |
| 2010 | 144 | 316 | 5 | 2 | 1 | .994 |
| 2011 | 144 | 283 | 2 | 1 | 0 | .997 |
| 通算 | 725 | 1422 | 28 | 13 | 3 | .991 |
- 2011年度シーズン終了時
タイトル[編集]
- 最多安打:1回(2008年)
表彰[編集]
- ベストナイン:3回(外野手部門:2008年、2010年 - 2011年)
- ゴールデングラブ賞:1回(外野手部門:2010年)
- 月間MVP:1回 (2013年3・4月)
- JA全農Go・Go賞:1回(最多二・三塁打賞:2008年8月)
記録[編集]
- 初出場・初先発出場:2004年9月24日、対大阪近鉄バファローズ27回戦(大阪ドーム)、9番・左翼手で先発出場
- 初打席:同上、2回表に高村祐から二塁ゴロ
- 初安打:同上、7回表に小池秀郎から右前安打
- 初打点:2005年4月12日、対北海道日本ハムファイターズ5回戦(インボイスSEIBUドーム)、4回裏に江尻慎太郎から左中間へ2点適時二塁打
- 初本塁打:2005年4月13日、対北海道日本ハムファイターズ6回戦(インボイスSEIBUドーム)、3回裏に鎌倉健から右越ソロ
- 初盗塁:2005年5月21日、対横浜ベイスターズ2回戦(横浜スタジアム)、3回表に二盗(投手:土肥義弘、捕手:相川亮二)
- 節目の記録
- 1000本安打:2013年4月16日、対オリックス・バファローズ4回戦(西武ドーム)、3回裏に東野峻から左前適時打 ※史上271人目
背番号[編集]
- 52 (2002年 - 2007年)
- 1 (2008年 - )
登場曲[編集]
関連情報[編集]
DVD[編集]
- 栗山 巧 華麗なる若獅子、背番号1 (PCBE-53189 2011年4月29日発売、販売元:ポニーキャニオン、発売元:ジェイ・スポーツ・ブロードキャスティング)
脚注[編集]
- ^ 卒部生紹介 | 神戸ドラゴンズ(中学硬式野球チーム 神戸市)
- ^ 栗山結婚 3歳上「ムーミンのミイ似」 日刊スポーツ 2010-12-21閲覧
- ^ a b 「2012 NEW TEAMLEADER INTERVIEW 栗山巧」『週刊ベースボール』2012年2月6日号、ベースボール・マガジン社、2011年、雑誌20441-2/6, 8-11頁。
- ^ 【西武】栗山がマー君打ち!球団8000号 日刊スポーツ 2011年5月6日
- ^ 栗山骨折、シーズン絶望 日刊スポーツ 2012年8月22日
- ^ 小関順二、西尾典文、石川哲也、場野守泰 『プロ野球スカウティングレポート2011』 廣済堂出版、2011年、72-73頁。ISBN 978-4-331-51519-8。
- ^ 西武・栗山選手の一番起用は良い選択?SMR Baseball Lab
- ^ 小関順二、西尾典文、泉直樹 『プロ野球スカウティングレポート2010』 アスペクトムック、2010年、383頁。ISBN 978-4-7572-1744-7。
- ^ L Magazineより。
- ^ 週刊ベースボールより。
- ^ Number web コラム ベースボール・ダンディ
- ^ Baseball Lab守備評価~Center FielderSMR Baseball Lab
- ^ 岡田友輔、道作、三宅博人、morithy、蛭川皓平、高多薪吾、Student、水島仁 『プロ野球を統計学と客観分析で考える セイバーメトリクス・レポート2』 水曜社、2013年、75頁。ISBN 978-4-88065-319-8。
- ^ 栗山巧「野球少年が描いた夢」ヤングレオの雄叫び2007~荒波を乗り越えろ~第8回 (sportsnavi.comより)
- ^ http://www.youtube.com/watch?v=kI9d2sOYbvg
- ^ 2010年3月18日放映分
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
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