片平晋作

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片平 晋作
埼玉西武ライオンズ No.72
基本情報
国籍 日本
出身地 大阪府大阪市港区
生年月日 1949年8月5日(59歳)
身長
体重
184cm
78kg
選手情報
投球・打席 左投左打
守備位置 一塁手
プロ入り 1971年 ドラフト4位
初出場 1972年
最終出場 1989年10月18日広島戦(横浜)
経歴
Template  ウィキプロジェクト 野球選手

片平 晋作(かたひら しんさく、1949年8月5日 - )はプロ野球選手大阪府出身。旧名片平伸作。守備位置は一塁手指名打者

目次

[編集] 来歴・人物

上宮高校から東京農業大学を経て、1972年ドラフト4位で南海入団。184cmの長身で「ダンディー」というニックネームがつく。2年目の1973年に頭角を現しチームのリーグ優勝に貢献した。翌年の1974年に登録名を『伸作』から『晋作』に、背番号も22から25に変える。

1975年はわずか39試合の出場に終わるも、1976年に初の二ケタ本塁打。ところが1977年は出場試合数が44試合と激減し、本塁打0に終わる。1978年から柏原純一の日本ハムへの移籍により一塁手のレギュラーに定着、1979年にはリーグ5位の打率.325、1980年には21本塁打をマーク。

低迷する南海の中で、門田博光新井宏昌定岡智秋河埜敬幸らと共に主力打者として活躍していたが、1982年に広岡達朗監督の強い要望で山下律夫山村善則と2対2のトレードで黒田正宏と共に西武に電撃移籍。田淵幸一を指名打者に追いやり、一塁手の定位置を獲得し、1983年にゴールデングラブ賞を受賞した。1985年~1987年(大洋移籍初年度)にかけては、3年連続開幕戦本塁打もマークしている。

1986年に清原和博が入団。同じ一塁手であったため、清原との併用を余儀なくされた。その年は主に5番・指名打者として悪くない成績を残すも、自らの働き場所を求め、1987年には南海入団当時の守備コーチだった古葉竹識が監督だった大洋に移籍した。大洋では代打の切り札として活躍し、持ち味の長打を十分発揮した。

1989年は打撃コーチ兼任となり、同シーズンを最後に引退。40歳まで現役。引退後は1990年~1993年西武一軍内野守備走塁コーチ、1994年~1995年一軍打撃コーチ、1996年~1997年二軍監督を歴任。1998年からはフロントに入り、編成部長を勤め、2008年より11年ぶりに現場復帰となる二軍監督に就任。現在でも関西弁は変らず、気さくな人柄には非常に定評がある。

長男の片平大樹はミュージシャン。

[編集] エピソード

  • 読売ジャイアンツ王貞治に憧れ、一本足打法だけでなく、ユニフォームの着こなしまでそっくりそのまま真似していた。王本人が気温が高くなる時期にアンダーシャツを長袖から半袖に変えると、片平自身も一日の狂い無く半袖に変えていたくらいである。
  • 当時の野村克也監督が、打撃フォームのタイミングが狂ってスウェーになってしまうため、再三一本足打法を止めるように指導しても、全く止める気配がなかったという。
  • 江夏豊が後に、もし一本足打法に固執していなかったら、生涯通算安打数も2000本近く、通算本塁打も倍は打っていたと述べている。
  • 南海時代の1980年7月5日、大阪球場での南海 - 阪急後期2回戦で、見逃し三振に倒れストライクの判定に、当時の広瀬叔功監督が球審に暴力を振るった為、退場となったが、ネット裏の控室にいたパ・リーグ大阪事務所長から球審に「片平も暴力を振るっていた」という指摘があり、審判団の協議の結果、一塁の守りについていた片平までもが“追加退場”になった。さらに、この不可解な退場宣告により片平と球審がやりとりしてる間に、今度は新山隆史投手コーチが、球審に足で蹴ったうえに、殴りかかった為、当時球界初の3人退場劇を引き起こした。

[編集] 年度別打撃成績

年度 球団 背番号





































1972 南海 22 1 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .000 -
1973 61 156 13 42 7 0 4 61 18 0 0 0 0 11 1 6 4 .269 1
1974 25 82 200 21 53 5 0 9 85 26 0 1 0 1 22 2 19 4 .265 1
1975 39 68 3 5 0 0 0 5 2 1 0 0 0 6 2 14 1 .074 0
1976 107 341 42 84 9 3 12 135 43 1 0 1 2 19 7 31 6 .246 2
1977 44 85 2 18 3 0 0 21 3 0 0 0 0 3 0 16 2 .212 1
1978 101 290 25 71 6 0 15 122 37 0 2 0 3 15 6 29 3 .245 4
1979 123 444 56 146 20 4 16 222 68 2 4 0 3 35 4 46 11 .329(5) 10
1980 111 380 51 101 16 1 21 182 66 1 1 0 2 30 6 37 5 .266(28) 6
1981 96 283 30 77 13 0 8 114 35 0 0 0 5 15 2 33 6 .272 6
1982 西武 4 117 365 49 101 18 1 14 163 47 1 3 1 2 40 5 23 10 .277(16) 5
1983 118 370 50 103 12 1 19 174 55 1 2 0 2 39 5 13 7 .278(22) 7
1984 86 231 30 62 8 0 12 106 42 0 0 2 3 18 2 12 11 .268 2
1985 103 327 34 100 9 1 10 141 55 1 0 0 4 18 5 21 15 .306 0
1986 110 318 35 93 20 1 17 166 45 1 2 0 2 16 4 26 3 .292 1
1987 大洋 2 102 275 36 82 16 0 13 137 36 0 2 1 0 28 4 41 10 .298 3
1988 61 135 10 33 3 1 5 53 17 1 0 1 0 10 4 19 4 .244 2
1989 38 40 5 10 4 0 1 17 6 0 0 0 0 1 0 7 2 .250 0
通算成績 1503 4309 492 1181 169 13 176 1904 601 10 17 6 29 326 59 394 104 .274 51

[編集] タイトル・表彰

[編集] 背番号

  • 22(1972年~1973年)
  • 25(1974年~1981年)
  • 4(1982年~1986年)
  • 2(1987年~1989年)
  • 72(1990年~1997年、2008年~)

[編集] 関連項目

南海ホークス(現・福岡ソフトバンクホークス)
1971年ドラフト指名選手
1位:野崎恒男 / 2位:飯山正樹 / 3位:定岡智秋 / 4位:片平晋作 / 5位:鶴崎茂樹 / 6位:山本雅夫
7位:土屋明生 / 8位:慶野茂 / 9位:林正広