今岡誠
| 千葉ロッテマリーンズ 選手兼任コーチ #2 | |
|---|---|
阪神時代(2008年6月25日、阪神鳴尾浜球場)
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| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 出身地 | 兵庫県宝塚市 |
| 生年月日 | 1974年9月11日(37歳) |
| 身長 体重 |
185cm 83kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| ポジション | 一塁手、二塁手、三塁手 |
| プロ入り | 1996年 ドラフト1位 |
| 初出場 | 1997年4月8日 |
| 年俸 | 1,500万円(2011年) |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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選手歴
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コーチ歴
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| 国際大会 | |
| 代表チーム | |
| 五輪 | 1996年 |
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この表について
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| オリンピック | ||
|---|---|---|
| 男子 野球 | ||
| 銀 | 1996 | 野球 |
今岡 誠(いまおか まこと、1974年9月11日 - )は、千葉ロッテマリーンズに所属するプロ野球選手(内野手)。兵庫県宝塚市出身。
愛称は「ゼブラくん」、「誠の救世主」、「フクちゃん」など。
夫人はネイリストでタレントの今岡梨惠。
目次 |
[編集] 来歴・人物
[編集] プロ入り前
PL学園高校3年時に第64回選抜高等学校野球大会に出場し、8強入りする。東都大学野球連盟所属の東洋大学に進学後は遊撃手として大学通算89試合出場、335打数100安打、打率.299、12本塁打、73打点を記録。ベストナインに2回選出され、同リーグの青山学院大学で同学年、同ポジションの井口忠仁と双璧ともいわれた。アトランタオリンピックでは日本生命の福留孝介も含めて3人の遊撃手が選出されたが、主に7番遊撃手井口、8番二塁手今岡、9番三塁手福留で起用され、打率.435を記録した。
1996年のプロ野球ドラフト会議で同大学初の1位指名選手として阪神を逆指名し入団。球団から背番号「4」と「7」を提示され、憧れだった真弓明信と同じ「7」を選ぶ。
[編集] 阪神時代
1年目の1997年から二塁手として一軍に出場。翌1998年には2番遊撃手としてほぼ全試合に出場し、打率.293を記録した。しかし2000年は不振に陥り、40試合の出場で打率.212に終わる。翌2001年は開幕2戦目・3戦目で本塁打を放ったが、それ以降の成績は平凡で、シーズン中盤からは守備の負担を軽くするために三塁手として起用されたものの、シーズン4本塁打にとどまった。当時の野村克也監督との不仲説・軋轢説が指摘されることもあった(スポーツニッポン#疑義が持たれた報道)。
2002年は春季キャンプからの活躍が認められ、二塁手のレギュラーを奪取。故障した赤星憲広に代わって1番打者に固定され、自己最高を更新する打率.317、15本塁打を記録する。翌2003年も1番として起用され、打率.340で首位打者のタイトルを獲得。二塁手としてゴールデングラブ賞を受賞するなど、1985年以来のリーグ優勝に貢献した。同年は得点圏打率.428を残したほか、年間初回先頭打者本塁打を7本放ち(うち5本は初球)、2試合連続で先頭打者初球本塁打も記録した。
2004年には3番打者に抜擢され、打率.306、28本塁打、83打点の好成績を挙げる。同年から阪神選手会長に就任した。
2005年、岡田彰布監督の意向により、守備の負担を軽減するため三塁手にコンバートされた。打撃では勝負強さを買われて5番打者を務めることになった。シーズンでは藤村富美男の球団記録を更新して日本プロ野球歴代3位となる147打点を残し、打点王のタイトルを獲得する活躍を見せ、リーグ優勝に貢献。同年は得点圏打率.371(打数170)、満塁打率.600(25打数15安打の49打点)、満塁本塁打4本(歴代2位タイ、セ・リーグでは西沢道夫以来55年ぶり)を記録。シーズン29本塁打のうち、実に15本塁打が得点圏で放ったものであった。また、同年の3番アンディ・シーツ、4番金本知憲、5番今岡らによるクリーンナップ3人の合計357打点は球団史上最高記録である。一方で三塁守備では不安定さが目立ち、三塁手としてリーグ3位の14失策を記録。腱鞘炎の一種である「バネ指」が影響したと言われた。シーズン終了後に選手会長を引退し、後任として赤星憲広を推薦した。
2006年の春季キャンプでは低打率に終わった前年の反省から、「当てること(安打を打つこと)を目標にすれば、自然に打点も付いてくる。大事なのは当てること」と打撃フォームの改造に着手。しかし、バネ指がさらに悪化して打率は2割前後に低迷する。開幕から5番を任され続けたものの調子は上向かず、6月17日のオリックス・バファローズ戦で死球を受けて右手首を挫傷したこともあり、バネ指の手術に踏み切った。9月17日の中日ドラゴンズ戦に代打で復帰したが、手術後のため送球ができなかったこともあり、復帰後はスタメンでの出場はなかった。
2007年も開幕から5番に座り前半戦は打率3割前後をキープするも、2005年とは逆に走者がいない場面では4割を超える出塁率を記録したが得点圏で打てず、前半戦は17打点にとどまった。7月25日に一軍登録を抹消され、9月27日に再昇格。5番三塁手の定位置に戻り、6試合で7打点を挙げた。同年のオリンピック・アジア予選の第一次候補選手(5月8日発表)に名を連ね、星野仙一日本代表監督に右のキーマンとして期待されていたが、10月12日に発表された最終候補選手では選考から漏れた。
2008年のキャンプでは、本塁打増産を目指して前年オフから始めた加圧トレーニングなどによる筋力強化に取り組んだ。FAで加入した新井貴浩との守備位置争いが注目されたが、岡田監督は早いうちから新井を一塁手、今岡を三塁手で起用する方針を明言。5番三塁手で開幕を迎えた。しかし、打率1割台前半と低迷して守備も失策やミスが目立ったことから、5月25日に一軍登録を抹消された。9月11日に一軍に再昇格して3番三塁手に復帰すると9月だけで5本塁打を放ったが、シーズン序盤の低打率を巻き返すことはできず、関本賢太郎やアーロム・バルディリスにスタメンを譲ることもあった。同年のクライマックスシリーズでは代打で1打席しか出番を得られず、成績も低迷した。
2009年は背水の陣で挑む覚悟と前年にコメントし、真弓明信監督も今岡の復活に期待をこめて新井を三塁手にコンバートし、一塁手で今岡を使えるように配慮した采配を振った。しかし、結局不振から脱却できずに打率1割前半と低迷、出場の機会を失った。9月1日に複数のメディアが引退、もしくは来季の戦力構想外と報じた[1]。同年10月に阪神を退団。11月11日に行われた12球団合同トライアウトに参加した。
[編集] ロッテ時代
2010年は前年のトライアウトでロッテが興味を示したのを受けて、2月1日からの春季キャンプにテスト生として参加。2月3日に球団から合格が発表された。背番号はボビー・バレンタイン前監督が付けていた「2」で、年俸は推定1500万円[2]。開幕一軍を勝ち取り、代打やDHで起用された。交流戦の時期に一時二軍にも落ちたが、秋口に復帰し勝てばCS出場が決まるシーズン最終戦で2安打を放ち、気迫のヘッドスライディングでの生還を見せるなど活躍。CS第2ステージ初戦では先制の口火を切る二塁打を放ち、4戦目では移籍後初本塁打を放ち、5戦目では5年ぶりに犠打を決めるなど大一番での強さを見せた。
2012年シーズンから、選手兼任で打撃守備コーチに就任[3]。
[編集] プレースタイル
バットコントロールが巧みで三振が少ない悪球打ちで、初球から積極的に打つ傾向にあり、苦手なコースも少なく左右に打ち分けることもできるマルチな打者[4]。2003年シーズンの打撃を見たランディ・バースは左肘に遊びを持たせたフォームが対応力を増し、ボールの芯にミートする率を高めていると分析し[5]、147打点を記録した2005年には得点圏打率.370を記録し、特に三塁に走者を置いた際には.643と驚異的な数字を残した勝負強さも持ち味[4]。
一方、走塁面では足が遅く併殺打も多い。また、気持ちを前面に出すタイプではなく[4]、その性格が野村監督をして「やる気がない」と誤解せしめる結果になったこともある[要出典]。
入団当初は遊撃手で、和田豊の現役晩年からは二塁手、2005年からは膝蓋靱帯炎に配慮して三塁手にコンバートされた。かつてはチーム屈指の強肩を誇り、守備の動きも悪くはなかったものの、送球が浮く場面を見せるなどスローイングに難があり、守備範囲も広くはなかった[4]。2009年は真弓監督の意向で新井が三塁手に再コンバートされたため一塁手としてシーズンに臨んだが、不振で守る機会は殆どなかった。
[編集] 詳細情報
[編集] 年度別打撃成績
| 年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1997 | 阪神 | 98 | 279 | 252 | 18 | 63 | 11 | 1 | 2 | 82 | 20 | 1 | 0 | 13 | 0 | 11 | 0 | 3 | 48 | 3 | .250 | .289 | .325 | .614 |
| 1998 | 133 | 524 | 471 | 48 | 138 | 20 | 3 | 7 | 185 | 44 | 4 | 4 | 27 | 4 | 22 | 0 | 0 | 54 | 15 | .293 | .322 | .393 | .715 | |
| 1999 | 128 | 503 | 457 | 36 | 115 | 11 | 1 | 6 | 146 | 39 | 4 | 9 | 11 | 1 | 32 | 3 | 2 | 55 | 12 | .252 | .303 | .319 | .622 | |
| 2000 | 40 | 124 | 113 | 8 | 24 | 5 | 0 | 2 | 32 | 2 | 0 | 2 | 4 | 0 | 7 | 0 | 0 | 19 | 9 | .212 | .258 | .283 | .541 | |
| 2001 | 123 | 453 | 400 | 36 | 107 | 15 | 0 | 4 | 134 | 40 | 3 | 1 | 20 | 1 | 29 | 1 | 3 | 60 | 16 | .268 | .321 | .335 | .656 | |
| 2002 | 122 | 548 | 505 | 46 | 160 | 40 | 0 | 15 | 245 | 56 | 0 | 1 | 10 | 2 | 28 | 6 | 3 | 62 | 8 | .317 | .355 | .485 | .840 | |
| 2003 | 120 | 526 | 485 | 67 | 165 | 35 | 1 | 12 | 238 | 72 | 1 | 2 | 4 | 7 | 28 | 6 | 2 | 52 | 9 | .340 | .374 | .491 | .865 | |
| 2004 | 138 | 632 | 572 | 87 | 175 | 29 | 0 | 28 | 288 | 83 | 0 | 2 | 4 | 4 | 48 | 1 | 4 | 68 | 21 | .306 | .361 | .504 | .865 | |
| 2005 | 146 | 630 | 559 | 71 | 156 | 26 | 2 | 29 | 273 | 147 | 1 | 1 | 0 | 9 | 57 | 2 | 5 | 88 | 21 | .279 | .346 | .488 | .834 | |
| 2006 | 59 | 218 | 204 | 16 | 45 | 3 | 2 | 7 | 73 | 29 | 2 | 0 | 0 | 4 | 7 | 0 | 3 | 42 | 13 | .221 | .252 | .358 | .610 | |
| 2007 | 85 | 345 | 323 | 23 | 90 | 8 | 0 | 4 | 110 | 24 | 0 | 1 | 0 | 1 | 19 | 2 | 2 | 50 | 7 | .279 | .322 | .341 | .663 | |
| 2008 | 55 | 186 | 169 | 15 | 29 | 3 | 0 | 7 | 53 | 29 | 0 | 0 | 0 | 3 | 13 | 0 | 1 | 38 | 5 | .172 | .231 | .314 | .545 | |
| 2009 | 23 | 30 | 30 | 0 | 4 | 2 | 0 | 0 | 6 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 8 | 1 | .133 | .133 | .200 | .333 | |
| 2010 | ロッテ | 26 | 45 | 44 | 3 | 10 | 2 | 0 | 0 | 12 | 6 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 3 | 4 | .227 | .244 | .273 | .517 |
| 2011 | 13 | 26 | 23 | 2 | 3 | 1 | 0 | 0 | 4 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | 2 | 0 | 0 | 3 | 0 | .130 | .200 | .174 | .374 | |
| 通算:15年 | 1309 | 5069 | 4607 | 476 | 1284 | 211 | 10 | 122 | 1881 | 594 | 17 | 22 | 94 | 36 | 304 | 21 | 28 | 647 | 144 | .279 | .325 | .408 | .733 | |
- 2011年度シーズン終了時
- 各年度の太字はリーグ最高
[編集] 年度別守備成績
| 年 度 |
一塁 | 二塁 | 三塁 | 遊撃 | ||||||||||||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | |
| 1997 | 1 | 9 | 1 | 0 | 1 | 1.000 | 60 | 100 | 148 | 5 | 32 | .980 | 26 | 9 | 32 | 1 | 5 | .976 | 5 | 5 | 9 | 1 | 3 | .933 |
| 1998 | - | 10 | 6 | 12 | 0 | 5 | 1.000 | - | 126 | 217 | 363 | 15 | 82 | .975 | ||||||||||
| 1999 | - | 21 | 44 | 61 | 1 | 16 | .991 | - | 110 | 195 | 324 | 10 | 71 | .981 | ||||||||||
| 2000 | - | 28 | 54 | 70 | 1 | 14 | .992 | 7 | 1 | 7 | 0 | 0 | 1.000 | 16 | 12 | 33 | 0 | 7 | 1.000 | |||||
| 2001 | - | 64 | 124 | 172 | 3 | 27 | .990 | 71 | 43 | 77 | 3 | 8 | .976 | 8 | 7 | 16 | 1 | 4 | .958 | |||||
| 2002 | - | 121 | 200 | 349 | 6 | 68 | .978 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | - | ||||||||||
| 2003 | - | 119 | 191 | 305 | 7 | 59 | .986 | - | - | |||||||||||||||
| 2004 | - | 130 | 269 | 362 | 7 | 72 | .978 | 10 | 6 | 12 | 0 | 0 | 1.000 | - | ||||||||||
| 2005 | - | - | 146 | 87 | 233 | 14 | 20 | .958 | - | |||||||||||||||
| 2006 | - | - | 49 | 32 | 72 | 5 | 7 | .954 | - | |||||||||||||||
| 2007 | - | - | 85 | 39 | 122 | 5 | 17 | .970 | - | |||||||||||||||
| 2008 | - | - | 44 | 16 | 50 | 5 | 6 | .930 | - | |||||||||||||||
| 2009 | 3 | 19 | 1 | 0 | 3 | 1.000 | - | - | - | |||||||||||||||
| 2011 | 2 | 13 | 0 | 0 | 1 | 1.000 | - | - | - | |||||||||||||||
| 通算 | 6 | 41 | 2 | 0 | 5 | 1.000 | 553 | 988 | 1479 | 30 | 293 | .988 | 439 | 234 | 605 | 33 | 63 | .962 | 265 | 436 | 745 | 27 | 167 | .978 |
- 2011年度シーズン終了時
- 各年度の太字はリーグ最高
[編集] タイトル
[編集] 表彰
- ベストナイン:3回 (2002年、2003年、2005年)
- ゴールデングラブ賞:1回 (2003年)
- 月間MVP:3回 (2002年4月、2003年7月、2005年9月)
- 最優秀JCB・MEP賞:1回 (2005年)
[編集] 記録
- 初記録
- 初出場:1997年4月8日、対横浜ベイスターズ1回戦(横浜スタジアム)、9回裏に和田豊に代わって二塁手として出場
- 初安打:1997年4月9日、対横浜ベイスターズ2回戦(横浜スタジアム)、8回表に米正秀から左翼線二塁打
- 初先発出場:1997年4月17日、対中日ドラゴンズ3回戦(阪神甲子園球場)、7番・二塁手として先発出場
- 初打点:1997年5月31日、対読売ジャイアンツ10回戦(阪神甲子園球場)、1回裏に宮本和知から左前適時打
- 初本塁打:1997年8月3日、対読売ジャイアンツ19回戦(阪神甲子園球場)、8回裏に斎藤雅樹からソロ
- 節目の記録
- 1000本安打:2005年5月25日、対オリックス・バファローズ2回戦(阪神甲子園球場)、6回裏に川越英隆から左越2ラン ※史上231人目
- 1000試合:2005年8月2日、対横浜ベイスターズ13回戦(横浜スタジアム)、5番・三塁手として先発出場 ※史上406人目
- 100本塁打:2005年9月11日、対広島東洋カープ19回戦(阪神甲子園球場)、4回裏に広池浩司から中越2ラン ※史上242人目
- その他の記録
- シーズン打点:147(2005年)※歴代3位、阪神タイガース球団記録
- シーズン初回先頭打者初球本塁打:5本 (2003年)※歴代1位
- オールスターゲーム出場:5回 (1998年、2002年 - 2005年)
- オールスターゲームファン投票年間得票数:1,588,712票(2003年)※史上最多
[編集] 背番号
- 7 (1997年 - 2009年)
- 2 (2010年 - )
[編集] 登場曲
- Get Down-Back Street Boys(2007年~)
[編集] 関連情報
[編集] CM出演
上新電機(赤星憲広・矢野燿大・藤川球児と共演、2003年 - 2008年)、(藤川・鳥谷敬・新井貴浩に交代、2009年 -)
ハウス食品「六甲のおいしい水」(2004年 - )、(矢野と共演、2006年 -)
[編集] 脚注
- ^ “阪神今岡今季限りで引退、打撃低迷で決意”. 日刊スポーツ (2009年9月1日). 2011年12月3日閲覧。
- ^ “ロッテ、今岡と契約 1年契約、年俸1500万円”. 朝日新聞 (2011年2月5日). 2011年2月5日閲覧。
- ^ “2012年度のコーチングスタッフのお知らせ”. 千葉ロッテマリーンズ・オフィシャルサイト (2011年11月27日). 2011年12月3日閲覧。
- ^ a b c d 小関順二、泉直樹、荒井太郎 『プロ野球スカウティングレポート2006』 アスペクトムック、2006年、220-221頁。ISBN 978-4-7572-1246-1。
- ^ 「ランディ・バースが語る星野阪神の謎」『スポーツ・ヤア!』2003年7月25日&8月7日号、角川書店、2003年、雑誌25401-8/7、28-32頁
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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