三澤興一

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三澤 興一
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 埼玉県入間郡大井町(現:ふじみ野市
生年月日 1974年6月8日(37歳)
身長
体重
177cm
84kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1996年 ドラフト3位
初出場 1997年4月29日
最終出場 2005年10月8日
経歴(括弧内は在籍年)
国際大会
代表チーム 日本の旗日本
五輪 1996年
オリンピック
男子 野球
1996 野球

三澤 興一(みさわ こういち、1974年6月8日 - )は、埼玉県入間郡大井町(現:ふじみ野市)出身の元プロ野球選手投手)。

現在は読売ジャイアンツのスコアラーを務める。

目次

[編集] 経歴

[編集] プロ入り前

帝京高校では1991年春夏、1992年春夏の4期連続甲子園出場を果たす。高校通算29本塁打を記録するなど3年時はエースで4番だった。

1992年春の甲子園では4連投の末、決勝戦で東海大相模高校を3-2で破り、優勝を果たす。1992年夏の甲子園では1回戦で尽誠学園高校に0-1で敗れ、春夏連覇の夢を絶たれる。

早稲田大学では1年生の春から登板し、織田淳哉の後を継いでエースとして活躍する。リーグ通算65試合登板31勝16敗、防御率2.10、402奪三振。1995年春季と1996年春季の2回ベストナインに選ばれる。三澤以降、通算30勝投手は現れていなかったが、2007年秋に慶大加藤幹典が達成した。加藤は30勝のまま大学での登板を終えたため、通算30勝を超えた投手は同じ早稲田の後輩である斎藤佑樹2010年に31勝するまで現れなかった。東京六大学野球での奪三振数は、和田毅江川卓に次いで第3位を誇る。

1996年のアトランタオリンピックでは日本代表に選ばれ、大学生にもかかわらず、初戦のオランダ戦に先発し勝利を挙げるなど3試合に先発、1試合リリーフの合計4試合登板し、銀メダル獲得に貢献する。

同年のドラフトでは、読売ジャイアンツから3位指名を受け、入団。

[編集] プロ入り後

主に中継ぎで活躍する。時には先発することもあった。2000年には巨人の日本一に貢献している。2001年途中、玉峰伸典と共に田畑一也真木将樹との交換トレードで近鉄に移籍する。移籍してからは主にビハインドの場面で登板、ゲームを立て直して打線の奮起を促し逆転を呼び込むことが多く、7連勝する活躍でこの年の近鉄のリーグ優勝に大きく貢献する。その後も中継ぎの一角として活躍。

2004年に当時の堀内恒夫新監督たっての希望により、根市寛貴+金銭のトレードで巨人に復帰する。3勝したものの怪我もあり15試合の登板にとどまり、オフに戦力外通告を受ける。

その後のトライアウトでヤクルトに合格したが、2005年シーズン前のオフに右ふくらはぎ肉離れに見舞われ大きく出遅れ、10月にずれ込んだシーズン一軍初登板では1回6失点など過去最低の成績に終わる。2006年は一軍登板が無く、再び戦力外通告を受け退団。2度のトライアウトを経て中日ドラゴンズに合格する。2007年も一軍登板は無く、10月に3度目の戦力外通告を受ける。その直後のトライアウトには2回共参加しなかった。

2008年からは、メジャーリーグに挑戦するため、アメリカで活動した。入団テストを兼ねシカゴ・ホワイトソックスのマイナー・キャンプに参加した[1]ものの、キャンプ途中で解雇された。その後、同年6月にアメリカ独立リーグノーザンリーグゲーリー・サウスショア・レイルキャッツと契約。29試合に登板し7勝1敗6セーブ、防御率1.69、54奪三振の成績で、チームはプレーオフに進出し、プレーオフでも救援で好投し実力を十分に発揮した。冬期も、ドミニカベネズエラウィンターリーグにも出場して投球を続け、1年間を通じて故障もなくプレーした[2]

その後、アメリカロサンゼルス郊外のコンプトン市内の大学内に、無料で野球育成プログラムを提供する施設アーバン・ユース・アカデミーでメジャー球団との契約を目指して自主トレを続けていた。竹岡和宏とは共に自主トレをしていた[2]2009年5月19日にアメリカ独立リーグゴールデンベースボールリーグのロングビーチ・アーマダと契約。伊良部秀輝と同僚となった[3]

2010年4月に現役を引退し、同年6月には巨人のスコアラーになることが明らかになった[4]

[編集] 人物

松井秀喜と親友で、高校時代はいたる所で会っていたという。2年時の明治神宮大会決勝戦で松井の星稜と戦った際には、松井相手に4四球(内2つは敬遠)をするも、他の打者に打たれたため8-13で敗れて準優勝となる。3年時の第74回選手権大会では『対戦するなら決勝でやりたいね』とお互い語り合っていたという。自分たちの夢は叶わなかったが、3年後の第77回選手権大会にてお互いの母校が決勝で対戦することになった。

1投球ごとに舌なめずりをする癖がある。

日曜日の朝の情報系番組『ザ・サンデー』において、質実剛健キャラの石井浩郎川上憲伸に対抗し、ゆるキャラの「前略・三沢興一です」のコーナーがあった(そのテーマ曲も「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」をコミカルにアレンジした曲だった)。巨人から戦力外通告を受け、「前略・三沢興一です」のコーナーが以後放送されなくなる。

[編集] 詳細情報

[編集] 年度別投手成績





















































W
H
I
P
1997 巨人 35 0 0 0 0 3 4 2 -- .429 253 57.1 53 7 32 0 3 46 2 0 31 29 4.55 1.48
1998 43 7 0 0 0 3 5 3 -- .375 358 82.0 87 7 37 3 2 53 2 0 43 35 3.84 1.51
1999 36 8 0 0 0 5 3 0 -- .625 334 79.1 79 10 20 1 4 56 2 0 37 35 3.97 1.25
2000 41 2 0 0 0 1 1 1 -- .500 268 65.2 64 6 14 3 3 38 3 0 17 17 2.33 1.19
2001 2 1 0 0 0 0 1 0 -- .000 20 3.0 9 0 2 0 1 1 0 0 6 6 18.00 3.67
近鉄 21 0 0 0 0 7 0 0 -- 1.000 143 33.2 31 4 9 0 0 25 0 0 17 15 4.01 1.19
'01計 23 1 0 0 0 7 1 0 -- .875 163 36.2 40 4 11 0 1 26 0 0 23 21 5.15 1.39
2002 53 0 0 0 0 4 2 0 -- .667 251 59.2 62 7 14 2 2 43 0 0 29 28 4.22 1.27
2003 48 0 0 0 0 2 2 0 -- .500 186 42.2 44 8 18 2 0 26 2 0 20 16 3.38 1.45
2004 巨人 15 0 0 0 0 3 0 0 -- 1.000 80 19.2 22 3 4 1 1 17 0 0 10 10 4.58 1.32
2005 ヤクルト 2 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 14 2.0 8 1 0 0 0 1 0 0 6 6 27.00 4.00
通算:9年 296 18 0 0 0 28 18 6 0 .609 1907 445.0 459 53 150 12 16 306 11 0 216 197 3.98 1.37

[編集] 記録

  • 初登板:1997年4月29日、対阪神タイガース5回戦(東京ドーム)、9回表に救援登板・完了、1回無失点
  • 初奪三振:1997年4月30日、対阪神タイガース6回戦(東京ドーム)、4回表にフィル・ハイアットから
  • 初セーブ:1997年5月27日、対広島東洋カープ7回戦(福岡ドーム
  • 初勝利:1997年6月15日、対広島東洋カープ13回戦(東京ドーム)、6回表より救援登板、3回2失点
  • 初先発・初先発勝利:1998年8月16日、対阪神タイガース20回戦(東京ドーム)、6回2失点

[編集] 背番号

  • 31 (1997年 - 2001年途中)
  • 26 (2001年途中 - 2003年)
  • 25 (2004年)
  • 12 (2005年)
  • 38 (2006年)
  • 70 (2007年)

[編集] 脚注

  1. ^ 元中日三沢がWソックスのテスト生、nikkansports.com、2008年3月4日。
  2. ^ a b アメリカでチャンスを探す日本人たち。、Number Web、2009年2月5日。
  3. ^ 元巨人三沢 伊良部と同じ独立リーグ入団、デイリースポーツonline。
  4. ^ 元巨人、三沢氏がスコアラーに転身、sanspo.com、2010年6月15日。

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

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