村田善則
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| 基本情報 | |
|---|---|
| 国籍 | |
| 出身地 | 長崎県佐世保市 |
| 生年月日 | 1974年4月24日(35歳) |
| 身長 体重 |
176cm 79kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| 守備位置 | 捕手 |
| プロ入り | 1992年 ドラフト5位 |
| 初出場 | 1995年10月3日 |
| 最終出場 | 2008年10月11日対ヤクルト戦(神宮球場) |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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この表について
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村田 善則(むらた よしのり、 1974年4月24日 - )は、読売ジャイアンツに所属していた元プロ野球選手(捕手)。
目次 |
[編集] 経歴
- 佐世保実業高校で4番主将としてチームを率い、1992年の甲子園大会に出場。同年のドラフト5位で巨人に入団。1995年に一軍に初昇格。1996年はフレッシュオールスターゲーム出場。
- 1999年に1軍定着を果たすと、2000年は工藤公康とバッテリーを組み、自己最多の76試合に出場。日本シリーズ第1戦では先発マスクをかぶった。守備での評価を上げ、将来の正捕手候補として期待された。
- 2001年以降、阿部慎之助がレギュラーを取ると、以降2番手捕手として阿部をカバー。工藤との相性が良いため、工藤の先発時はスタメンで使用されることも多かった。工藤と同じく球界を代表する左腕として巨人にFA移籍した(自身と同い年同期の)野口茂樹が2006年5月15日西武ドームでの西武ライオンズとの交流戦で移籍後初登板初先発した際も先発マスクを被った。
- 2006年は星孝典や加藤健などの起用が多く、出場機会が減った。また、自身も肩の故障で6月初旬~9月中旬は出場選手登録を抹消された。再昇格後も出場機会ゼロに終わるなど、シーズン出場数は6試合だった。
- 2007年に巨人生え抜き最古参選手となったが、加藤健の台頭で終盤に一軍に呼ばれたのみであった。ファームでも若手に出場機会を譲っている。シーズン終了直後に「二軍ブルペンコーチに就任」との誤報があったが、現役続行した。
- 2008年、集大成の年と位置づけ、「気力で臨む」としたシーズンだったが、一軍出場は僅か3試合に留まり、10月3日、現役引退を表明。その後巨人の公式戦最終試合となる10月11日の神宮球場でのヤクルトスワローズ戦では7回からの途中出場でマスクをかぶり、9回には自身最後の打席に立った(対戦相手は木田優夫で結果はレフトフライ)。村田の打席終了後に球場全体からの拍手に包まれながら他の選手にベンチ前で迎えられ、高橋由伸が花束を手渡した。引退後はスコアラーに転身した。
[編集] プレースタイル
- 安定した守備に定評があった。当初は村田真一を追い落とす二番手捕手として期待され、2001年以降は阿部慎之助に続く控え捕手としてチームを支えた。
- 阿部には及ばないものの、元来は打撃も期待されており、出塁も控え捕手なりにこなしていた。
[編集] エピソード
- 1992年のドラフトで巨人に入団した選手の中で、高卒選手は村田と松井秀喜だけであり、2人は親友である。
- 妻はテレビ東京スポーツTODAYのMaster of Ceremonyを務めた元タレントの須志田しのぶ。
- 2004年の甲子園には、12歳離れた実弟が、自身と同じく主将として佐世保実業を率いて出場した。
- 城島健司は同じ中学の2年後輩にあたる。2005年5月19日、福岡Yahoo!JAPANドームでのソフトバンクホークスとの交流戦で先輩・後輩リード対決が実現、村田に軍配が上がった。
- 1999年6月8日の中日戦で左腕対策として2番レフトでスタメン起用されたことがある(その年の初スタメンでもあった)。結果は2打数1安打(途中交代)。
[編集] 年度別打撃成績
| 年度 | チーム | 背 番 号 |
試 合 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1993年 | 巨人 | 92 | 一軍出場なし | ||||||||||||||||
| 1994年 | |||||||||||||||||||
| 1995年 | 1 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | .000 | ||
| 1996年 | 56 | 一軍出場なし | |||||||||||||||||
| 1997年 | 16 | 46 | 3 | 7 | 0 | 0 | 0 | 7 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 6 | 1 | .152 | ||
| 1998年 | 2 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | .000 | ||
| 1999年 | 12 | 41 | 55 | 5 | 13 | 1 | 0 | 1 | 17 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 11 | 1 | .236 | |
| 2000年 | 76 | 153 | 14 | 41 | 6 | 0 | 3 | 56 | 13 | 0 | 0 | 5 | 0 | 11 | 27 | 4 | .268 | ||
| 2001年 | 6 | 7 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | .143 | ||
| 2002年 | 36 | 57 | 6 | 13 | 0 | 1 | 1 | 18 | 6 | 0 | 1 | 2 | 0 | 4 | 12 | 0 | .228 | ||
| 2003年 | 58 | 135 | 9 | 20 | 4 | 0 | 1 | 27 | 11 | 1 | 1 | 4 | 2 | 16 | 28 | 5 | .148 | ||
| 2004年 | 23 | 46 | 4 | 12 | 4 | 0 | 0 | 16 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 13 | 1 | .261 | ||
| 2005年 | 32 | 98 | 5 | 24 | 5 | 0 | 0 | 29 | 7 | 0 | 0 | 1 | 1 | 7 | 19 | 8 | .245 | ||
| 2006年 | 6 | 16 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 3 | 1 | .063 | ||
| 2007年 | 40 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 | |
| 2008年 | 4 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 1 | 1 | 0 | .000 | ||
| 通算成績 | 302 | 620 | 47 | 132 | 20 | 1 | 6 | 172 | 43 | 1 | 2 | 15 | 3 | 48 | 121 | 21 | .213 | ||
- 表中の太字はリーグ最高
[編集] 個人記録
- 初出場:1995年10月3日・対広島26回戦・広島市民球場
- 初安打:1997年9月4日・対阪神25回戦・東京ドーム(湯舟敏郎から)
- 初本塁打:1999年8月7日・対広島20回戦・東京ドーム(澤崎俊和から)
[編集] 背番号
[編集] 関連項目
[編集] 脚註
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