山口鉄也
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| 読売ジャイアンツ #47 | |
|---|---|
| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 出身地 | 神奈川県横浜市神奈川区 |
| 生年月日 | 1983年11月11日(25歳) |
| 身長 体重 |
183cm 74kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 左投左打 |
| 守備位置 | 投手 |
| プロ入り | 2005年 育成選手ドラフト1巡目 |
| 初出場 | 2007年4月29日 |
| 年俸 | 4,500万円 |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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| 国際大会 | |
| 代表チーム | |
| WBC | 2009年 |
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この表について
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山口 鉄也(やまぐち てつや、1983年11月11日 - )は、読売ジャイアンツに所属するプロ野球選手(投手)。チーム内での愛称は「ぐっさん」。
目次 |
[編集] 来歴
横浜市立の小学校1年時から少年野球チームで野球を始める。中学校では軟式野球部に所属。3年時にはエースとして全日本少年軟式野球大会ベスト4進出。横浜商業高校3年夏にはエースとして県大会ベスト8進出。
高校卒業後は大学に進学する意向だったが、アリゾナ・ダイヤモンドバックスのスカウトから誘いを受けマイナー契約を結び、ルーキーリーグのミズーラ・オスプレイで4年間プレーしたが、シングルAにすら一度も昇格できなかった。そのため山口は日本で入団テストを受け、不合格なら野球を諦める決断をした。
2005年10月、横浜ベイスターズと東北楽天ゴールデンイーグルスの入団テストを受けるが、どちらも不合格。最後に受けた読売ジャイアンツの入団テストで合格し、同年に初めて開催された育成選手ドラフトでの指名を経て巨人に育成選手として入団。
イースタン・リーグで25試合に登板、防御率1.61の成績を残した。2006年オフにも支配下登録契約が結ばれると報道されたが、選手枠などの事情から見送られた。
2軍で5試合に登板し無失点と好投を続け、4月23日支配下登録の契約を行った。巨人で育成選手から支配下選手登録された選手は松本哲也に次いで2人目となる。4月26日には1軍昇格を果たし、4月29日に初登板、1回無失点に抑える。巨人における育成選手枠での入団選手として初の1軍公式戦出場選手となった。5月9日、甲子園での阪神戦に4番手として登板、9回に巨人が逆転し初勝利。育成選手枠出身の選手で初の勝利投手になった。その後も林昌範の故障で空いた左の中継ぎというポジションを1人で担い、優勝に貢献した。オフシーズンの契約更改では大幅昇給した。
シーズン序盤から先発陣が苦戦する中、西村健太朗・越智大祐とともに中継ぎの柱としてチームを支え、首脳陣からの信頼を得る。9月13日にはシーズン10勝を達成。最終的にシーズン通算で67登板・11勝を挙げ、リーグ連覇に大きく貢献した。全て中継ぎ登板での2桁勝利は巨人史上初。この11勝のうち、リード時の登板で同点にされ、後の打線援護で勝利投手になる、いわゆる「勝ち星泥棒」はわずか1回しかなく、「山口が抑えれば直後に打線が打つ」という抜群の勝ち運を誇った。この活躍により、新人王を獲得。
WBC日本代表に選出される。背番号は杉内俊哉が47を付けた為39に。中継ぎとして4試合に登板し、無失点に抑え日本の連覇に貢献した。オールスターゲームファン投票でセリーグ中継ぎ部門1位となり、育成枠出身選手初の球宴出場となる。
[編集] 人物
リトルリーグ時代はエースとして活躍していたが、当時の山口が投じる球は自然にシュートがかかってしまう(ナチュラルシュート)為、変化球を禁止とするリーグにおいて、上級生になってからはリーグ運営側から「ピッチャー禁止」という警告を受けた。
横浜出身であり、幼いころは熱狂的な横浜ファンでアンチ巨人だった。プロテストを受ける際は、投手陣の戦力が不足しているチームを狙って横浜、東北楽天を選んだもののいずれも不合格となり、「どうせなら、最後は強いところを受けよう」と、記念受験感覚で巨人の入団テストを受けたところ合格を果たした。当時2軍監督だった吉村禎章が、「スライダーを伸ばせば1軍の左の中継ぎとして使える」と原辰徳監督に強力に推薦したことが合格の決め手となったという。しかし清武英利球団代表によると、2軍投手コーチの小谷正勝が入団テストで山口が1球だけ投げたキレのよいチェンジアップシュートを見て可能性を感じ、育成枠での獲得を進言したとのこと。
育成契約出身の中で、1軍で完全な定位置をつかんだ初めての選手であり、育成選手初の新人王獲得という実績、さらにプロ入り以前の波乱に富んだ経歴から「育成の星」という言葉でしばしば評される。清武英利の球団代表就任後、従来の大型補強路線から若手育成路線への転換を推し進めている巨人にあっては、坂本勇人や越智大祐らとともに、「巨人の若手育成の象徴」と目されることも多い。
同期であり、左右の中継ぎ2本柱を形成する越智とは仲が良く、練習ではパートナーを組んでしばしばじゃれ合っているほか、プライベートでもよく一緒に遊ぶという。2009年には、スポーツ報知で越智とのコンビ名を募集され「風神・雷神」と決定された。なお、山口は「疾風スライダー」を操る「風神」という設定である。
[編集] プレースタイル
- リーチの長い腕から放たれる、140km/h台後半~最速149km/hのストレート・ツーシームとキレのあるスライダーを左打者の外角へ集める。 2008年はWHIPが1.00を切るなど制球も抜群である。
- 2007年に1軍昇格後にはシンカーを習得(チェンジアップだとも言われる)、他にカーブを投げることもある。
- 長い腕を活かした、左打者の「背中から来る」ようなクロスファイヤー投法は威力十分だが、右打者に対しては制球に苦しむ傾向があり、2007年は左打者に対するワンポイント起用が多かった。2008年は、前年から右打者対策として習得していたシンカーの制球が良くなったこともあって左右の差をほとんど苦にしなくなり、2イニング以上のロングリリーフを任される機会も増えている。
- 2009年は右打者対策としてシュートを習得し、更に投球の幅を広げている。
[編集] 年度別投手成績
| 年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2007 | 巨人 | 32 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 2 | 1.000 | 114 | 25.1 | 24 | 2 | 15 | 2 | 2 | 21 | 3 | 1 | 14 | 11 | 3.91 | 1.54 |
| 2008 | 67 | 0 | 0 | 0 | 0 | 11 | 2 | 2 | 23 | .846 | 293 | 73.2 | 61 | 3 | 12 | 1 | 3 | 69 | 4 | 0 | 20 | 19 | 2.32 | 0.99 | |
| 通算:2年 | 99 | 0 | 0 | 0 | 0 | 13 | 2 | 2 | 25 | .867 | 407 | 99.0 | 85 | 5 | 27 | 3 | 5 | 90 | 7 | 1 | 34 | 30 | 2.73 | 1.13 | |
- 2008年度シーズン終了時
[編集] タイトル・表彰
- 新人王(2008年)
- 東京ドームMVP特別賞(2008年)
- ゴールデン・ルーキー賞(2008年)
[編集] 個人記録
- 初登板:2007年4月29日、対東京ヤクルトスワローズ5回戦(神宮球場)
- 初勝利:2007年5月9日、対阪神タイガース8回戦(阪神甲子園球場)
- 初セーブ:2008年4月22日、対横浜ベイスターズ3回戦(宇都宮清原球場)
[編集] 背番号
- 102 (2006年 - 2007年途中)
- 99 (2007年途中 - 2007年シーズン終了)
- 47 (2008年 - )
[編集] 関連項目
[編集] 脚注
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