林昌範

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林 昌範
横浜DeNAベイスターズ #24
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 千葉県船橋市
生年月日 1983年9月19日(28歳)
身長
体重
186cm
80kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 2001年 ドラフト7巡目
初出場 2003年6月28日
年俸 2,600万円(2012年)
経歴(括弧内は在籍年)

林 昌範(はやし まさのり、1983年9月19日[1] - )は、横浜DeNAベイスターズに所属するプロ野球選手投手)。

目次

[編集] 経歴

[編集] プロ入り前

千葉県船橋市出身。父親が自動車教習所を経営しているため、林は18歳で既に運転免許を取得していた。

小学生の時に飯山満シーホークスで野球を始め、船橋市立七林中学校3年時にはエースで4番を務めた。千葉県総合体育大会で2位に入り、茨城で行われた関東大会に出場した。母校の船橋市立船橋高等学校[1]は「市船」の通称で知られる千葉県有数のスポーツ校で、林は大型左腕として評価されるなか、公式戦で足に重度の骨折を負い、2001年のプロ野球ドラフト会議で他球団が指名を回避するなか、読売ジャイアンツから7巡目で指名されて入団。同ドラフトでの巨人の「隠し球」的な投手だった。背番号は96

[編集] 巨人時代

ルーキーイヤーの2002年は一軍登板なしに終わった。2003年序盤に、2軍のローテーション投手として9試合に先発し1完投・防御率3.22と、決して飛び抜けた成績では無かったが、6月28日に1軍の先発左腕投手の不足を補うため、初昇格して即先発。140キロ前後の球速ながら、今中慎二を彷彿とさせるゆったりとした球の出所の見にくいフォームを武器に相手打線を7回1安打無失点に抑え、そのままローテーションに定着する。8月14日にはプロ入り初勝利を挙げるなど15試合登板で3勝3敗・防御率3.22の成績を残した。

2004年は背番号が30となり、先発投手として25試合に登板するが、3勝9敗・防御率4.89と前年より数字を下げる。

2005年池谷公二郎の指導で投球フォームをスリークォーター気味に改造。先発ローテーション内海哲也と争ったが敗れ、中継ぎに転向すると、フォーム改造の効果も相まって平均球速が140キロ台後半まで上昇。セットアッパー、シーズン中盤以降は抑えとして安定した投球を見せ、2勝2敗18セーブ、防御率1.61の好成績を残す。この年のオフに原辰徳が監督に復帰するが、引き続きリリーフでの起用となる。

2006年、原の構想では久保裕也から林に繋ぎ、新加入の豊田清で締めることになっていたが、久保と豊田のピッチングが不安を見せる中、林は1年を通して安定した投球を続けた。しかし一方でシーズン終盤には慢性的な肘痛を訴え、時折痛み止めの注射も打っていたようである。同年オフの検査で肘に遊離軟骨を抱えている事が判明したが、クリーニング手術[2]などの外科的処置を採らずに様子を見た。オフには後輩の東野峻を伴ってグアムで自主トレを行った。

2007年、原から「岩瀬仁紀のような投手に成長して欲しい」と期待をこめて背番号を13に変更された。オープン戦終盤にチームに復帰したが、開幕直後に不調の豊田をカバーするため、4試合連続登板したのち数日ブルペンに入らないなど、持病を抱えながらの変則的な登板過多が響き、7月前後から急激に調子を落とした。オールスターゲームにファン投票で選出されて出場したものの直後に登録抹消、8月に再昇格するが1試合に登板すると肘をかばい左肩甲骨に違和感を訴え、再び登録抹消された。

同年10月のクライマックスシリーズ第2ステージにて戦線復帰。第1戦にワンポイント登板、第2戦にはイニングをまたぎ1回1/3登板。打者6人を被安打0、2奪三振、1四球に抑えている。シーズン終了後まもない同月末に肘のクリーニング手術を行った。同シーズンは持病の肘痛を抱えながらも、序盤戦で唯一の勝ちパターンで信頼できるリリーフとして、前半戦の左のセットアッパーとしてリーグ優勝に貢献。離脱した時期とチーム成績が下降した時期がほぼ一致しているが公傷と認められず、年俸微減で更改した。12月7日テレビ東京のアナウンサーだった亀井京子と結婚。2008年10月には第一子となる長女が誕生。

2008年は前年末の肘手術の影響で、キャンプインから二軍で調整。5月20日に一軍復帰したものの制球が乱れ、僅か2試合で降格した。その後、ウィルフィン・オビスポと共に二軍の守護神として起用されながら再調整を続けた。8月17日の対広島東洋カープ戦で2ヶ月ぶりに復帰し、9月10日までに7試合に登板、その全てで三振を奪い、計7.2イニングを投げ自責点2、1イニング3奪三振を含む奪三振13と素晴らしい数字を残し、球速の最高値は146キロを記録した[3]

11月14日マイケル中村工藤隆人との交換トレードで二岡智宏とともに北海道日本ハムファイターズに移籍。背番号は19に決定。

[編集] 日本ハム時代

2009年、抑え候補としても期待されたが、練習試合で打ち込まれるなど不調でファームで調整することになる。開幕は二軍で迎えたが5月に一軍昇格、5月2日に初登板。5月20日には古巣である対読売ジャイアンツ戦で移籍後初勝利を飾った。この勝利は、奇しくも巨人時代の2007年6月11日、のちに所属する対北海道日本ハムファイターズ戦以来709日振りの勝利で、のちに勝ちパターンでゲーム中盤の左のワンポイントとして使われる。

2010年は春季キャンプに先発に挑戦するも怪我などを理由に前年どおり中継ぎとしての登板となった[4]。前半戦は失点する場面が目立った上故障にも苦しんだ。しかし8月に登録されて以降の自責点はわずか1だった。最終的に主にワンポイントで起用され、防御率2.64の成績を残し、WHIPは1を切った。しかし、登板数、投球回数が前年度よりも10以上少なくなった。9月2日、第2子となる長男が誕生した。

2011年は前年よりさらに登板数が減少し、1軍デビューしてからワーストとなる5試合の登板に終わった。11月17日菊地和正と共に戦力外通告を受け退団した[5]12月11日、同じく日ハムを戦力外となった菊地和正と共に横浜DeNAベイスターズの入団が発表された。背番号は24に決定した。

[編集] プレースタイル

長身から繰り出す140km/h台後半のストレートに、スライダーフォークボールを投げ分ける。右打者へのクロスファイアも武器の一つとしている。

アウトを取るたびガッツポーズを決めるように、闘志を前面に押し出して投げる投手である。

2005年以降リリーフ投手として実績を重ね、巨人時代から日本ハム時代前半はクローザー候補に名乗りを上げている。

[編集] 人物

ジャイアンツ時代に、NHK教育テレビピタゴラスイッチ」のアルゴリズム体操に、同僚である内海哲也木佐貫洋久保裕也とともに登場。その映像は、林本人がファイターズへ移籍した後の放送でも不定期に流れることがあった。

趣味の一つにジグソーパズルがあり、500ピースを1日で完成させるほどである[6]

[編集] 詳細情報

[編集] 年度別投手成績





















































W
H
I
P
2003 巨人 15 11 0 0 0 3 3 0 -- .500 316 72.2 73 10 25 1 5 87 1 0 28 26 3.22 1.35
2004 25 17 0 0 0 3 9 0 -- .250 483 106.2 117 14 49 3 6 91 5 0 65 58 4.89 1.56
2005 54 0 0 0 0 2 2 18 15 .500 280 67.0 45 6 35 5 2 67 6 1 13 12 1.61 1.19
2006 62 0 0 0 0 4 4 0 20 .500 227 56.1 45 4 16 2 2 54 3 0 22 18 2.88 1.08
2007 41 0 0 0 0 2 1 3 13 .667 157 38.1 34 6 9 3 0 42 1 0 14 14 3.29 1.12
2008 11 0 0 0 0 0 0 0 1 ---- 62 10.2 15 3 12 0 1 14 2 0 12 8 6.75 2.53
2009 日本ハム 46 0 0 0 0 3 2 0 9 .600 197 46.0 35 3 25 3 3 42 4 0 17 17 3.33 1.30
2010 36 0 0 0 0 2 2 0 14 .500 123 30.2 20 3 9 1 0 25 0 0 12 9 2.64 0.95
2011 5 0 0 0 0 0 0 0 2 ---- 22 4.0 10 0 3 0 0 2 0 0 6 6 13.50 3.25
通算:9年 295 28 0 0 0 19 23 21 74 .452 1867 432.1 394 49 183 18 19 424 22 1 189 168 3.50 1.33
  • 2011年度シーズン終了時

[編集] 記録

投手記録
  • 初登板・初先発:2003年6月28日、対中日ドラゴンズ13回戦(ナゴヤドーム)、7回無失点
  • 初奪三振:同上、1回裏に福留孝介から
  • 初勝利・初先発勝利:2003年8月14日、対中日ドラゴンズ23回戦(ナゴヤドーム)、8回0/3を1失点
  • 初ホールド:2005年4月5日、対横浜ベイスターズ1回戦(横浜スタジアム)、9回裏に3番手で救援登板、2回無失点
  • 初セーブ:2005年4月9日、対中日ドラゴンズ2回戦(東京ドーム)、9回表2死に5番手で救援登板・完了、1/3回無失点
打撃記録

[編集] 背番号

  • 96 (2002年 - 2003年)
  • 30 (2004年 - 2006年)
  • 13 (2007年 - 2008年)
  • 19 (2009年 - 2011年)
  • 24 (2012年 - )

[編集] 関連項目

[編集] 脚注

  1. ^ a b c 『プロ野球カラー名鑑 2008』 ベースボール・マガジン社、2008年、11頁。ISBN 978-4-583-61526-4
  2. ^ 内視鏡による遊離軟骨摘出手術、骨棘除去手術。
  3. ^ ただし速球は制球が利かず、高い奪三振率は時速130キロ台の速球を「見せ球」に変化球で奪ったものであった。球数が増えたことで四球・エラーからの失点も増加しており、無失点に抑えた試合は7試合中3試合となっている。
  4. ^ 北海道日本ハムファイターズ チーム情報 2010春季キャンプ情報 春季キャンプ動画 寒い中でも、選手は熱く!!
  5. ^ 選手退団のお知らせ”. 北海道日本ハムファイターズ公式サイト (2011年11月17日). 2011年11月18日閲覧。
  6. ^ 林昌範 オフィシャルブログ おはよー

[編集] 外部リンク

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