大須賀允
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
| 基本情報 | |
|---|---|
| 国籍 | |
| 出身地 | 栃木県足利市 |
| 生年月日 | 1980年3月8日(31歳) |
| 身長 体重 |
186cm 86kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| ポジション | 内野手 |
| プロ入り | 2001年 ドラフト6巡目 |
| 初出場 | 2002年8月20日 |
| 最終出場 | 2007年6月20日 |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
|
|
|
この表について
|
|
大須賀 允(おおすが まこと、1980年3月8日 - )は、栃木県足利市出身の元プロ野球選手(内野手)。
目次 |
[編集] 来歴
前橋工業2年夏と3年夏に甲子園に出場してともにベスト4。3年夏は準々決勝で三上真司、東出輝裕を擁する敦賀気比に延長10回サヨナラで勝利。準決勝で川口知哉の平安に敗退。
2004年には一軍の試合に出場し、東京ドームで坂元弥太郎からプロ初ホームランを放つも、その後は一軍出場の無いまま、2006年10月2日巨人より戦力外通告を受けた。その後広島の入団テストに合格し入団。
2007年は自身初の開幕一軍メンバーに入り、16試合に出場したが、打率は.150と低迷した。
2008年は一軍出場が無く、10月に球団より戦力外通告を受ける。現役続行を希望し同年の12球団合同トライアウトに参加するも、獲得する球団は現れず現役引退を決意。
今後は、パソコンを勉強し、野球に関する事業を始める予定と語った[1]。
2009年1月、元プロ野球選手の小早川幸二が代表取締役を務める通信企業会社「K-アシスト」に入社した[2]。
[編集] 人物
広島時代は、移籍に伴い妻子を東京に残して単身赴任生活をしていた。
[編集] 詳細情報
[編集] 年度別打撃成績
| 年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2002 | 巨人 | 1 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 |
| 2004 | 17 | 6 | 6 | 3 | 2 | 1 | 0 | 1 | 6 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | .333 | .333 | 1.000 | 1.333 | |
| 2007 | 広島 | 16 | 23 | 20 | 2 | 3 | 0 | 0 | 0 | 3 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 1 | 6 | 0 | .150 | .261 | .150 | .411 |
| 通算:3年 | 34 | 30 | 27 | 5 | 5 | 1 | 0 | 1 | 9 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 1 | 9 | 0 | .185 | .267 | .333 | .600 | |
[編集] 記録
- 初出場:2002年8月20日、対横浜ベイスターズ19回戦(東京ドーム)、4回裏に宮崎一彰の代打として出場
- 初打席:同上、4回裏に稲嶺茂夫から一塁ゴロ
- 初先発出場:2004年4月25日、対阪神タイガース6回戦(阪神甲子園球場)、8番・遊撃手で先発出場
- 初安打・初打点:同上、2回表に下柳剛から左越先制適時二塁打
- 初本塁打:2004年5月16日、対ヤクルトスワローズ8回戦(東京ドーム)、8回裏に坂元弥太郎から左越ソロ
[編集] 背番号
- 53 (2002年 - 2006年)
- 52 (2007年 - 2008年)
[編集] 脚注
- ^ “パソコン勉強し野球に関する事業開始へ(広島 大須賀允内野手)”. デイリースポーツ (2008年12月28日). 2011年5月18日閲覧。
- ^ “元巨人、広島・大須賀允「(株)K-アシスト」/引退後記”. 日刊スポーツ (2010年9月23日). 2011年5月18日閲覧。
[編集] 関連項目
|
|||||