野村祐輔
| 広島東洋カープ #19 | |
|---|---|
2012年2月16日、日南市天福球場にて
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| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 出身地 | 岡山県倉敷市 |
| 生年月日 | 1989年6月24日(23歳) |
| 身長 体重 |
177 cm 78 kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| ポジション | 投手 |
| プロ入り | 2011年 ドラフト1位 |
| 初出場 | 2012年4月1日 |
| 年俸 | 4,000万円(2013年) |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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この表について
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野村 祐輔(のむら ゆうすけ、1989年6月24日 - )は、広島東洋カープに所属するプロ野球選手(投手)。
目次 |
経歴[編集]
プロ入り前[編集]
小・中学校時代[編集]
岡山県倉敷市出身。小学校1年生の時に軟式野球を始め、6年生の時に県大会準優勝[1]。中学時代は地元の硬式少年野球チーム・倉敷ビガーズに入り、主に2番手投手として活躍。西日本大会で優勝する[1]。3年時には地元の強豪高校への進学が決まりかけていたが、その年の9月に広陵高校の練習見学に行き、練習風景や先輩の選手を見て広陵進学を決意した[2]。
高校時代[編集]
広陵高校へ進学後、1年生の時からベンチ入り。3年の春のセンバツでは1回戦で唐川侑己を擁する成田高校と対戦し延長戦を制するなどベスト8に進出した[1]。3年の夏の甲子園では1回戦で第86回、第87回、第88回と夏の甲子園3年連続決勝進出中の駒大苫小牧に逆転勝ち、準々決勝では熊代聖人を擁する今治西、準決勝では同年の春夏連覇を目指していた田中健二朗を擁する常葉学園菊川に勝利。この勝利で、「夏の甲子園3年連続決勝進出阻止」と「春夏連覇阻止」という2つの記録を達成した。決勝の佐賀北戦では7回まで被安打1に抑えながら、8回裏に2被安打と2四球で1点を返された後、副島浩史に逆転満塁本塁打を打たれ、準優勝に終わった[1]。試合終了後、グラウンドでは一切涙を流さなかったが、宿舎で行われた監督の中井哲之の会見中に隣で突然泣き崩れ号泣したという[3]。同大会では、46回を投げて被安打43三振47四死球9自責点13、打者としては主に8番で起用され21打数10安打5打点だった。高校の2学年先輩には藤川俊介、1学年先輩に吉川光夫、同級生に土生翔平、1学年後輩に中田廉、上本崇司がいた。
大学時代[編集]
明治大学商学部[4]に進学、硬式野球部入部後は1年春から登板。1年秋では34回2/3を投げ自責点0(失点1)。1964年春の江尻亮以来44年振りとなるリーグ史上5人目の「シーズン防御率0.00」を達成し、最優秀防御率に輝いた。2年春は4勝を挙げるものの、第7週の法政大学2回戦で今井諒にサヨナラ本塁打を打たれて3位に終わった。3年秋は5勝を挙げ、防御率1.30で自身2度目の最優秀防御率に輝いた[1]。11月22日には大学日本代表としてU-26のNPB選抜戦に出場し、1回を無失点に抑えた。4年春には史上14人目の通算300奪三振を達成。秋には東京六大学史上7人目の30勝300奪三振を達成。初のベストナインに選出された。2011年明治神宮野球大会では、決勝戦の愛知学院大学戦で被安打4ながら打者27人で抑え無四球完封する[5]など、3試合連続完封勝利の大会新記録で明大5回目の優勝に貢献し、野球人生で初の日本一になった。東京六大学通算30勝12敗。奪三振数は歴代単独7位の358(2012年4月現在)。菅野智之(東海大)、藤岡貴裕(東洋大)とともに「大学ビッグ3」と呼ばれ注目される[6]。
2011年のドラフト会議では広島東洋カープから1位指名を受け、学生野球の全日程が終了した11月29日に球団と初交渉を行い、契約金1億円、年俸1500万円で入団が決定した[7]。背番号は「19」。
プロ入り後[編集]
2012年4月8日、DeNA戦でプロ初勝利を挙げた[8]。 4月29日、ヤクルト戦で8回を投げて被安打1と好投し2勝目を挙げ、初の本拠地お立ち台となった。 その後、背中の張りを訴えて途中降板する試合もあったが、勝ち星を積み重ねて前半戦で7勝(3敗)を挙げた。これらの活躍により、新人ながら監督推薦によるオールスター選出を掴みとり、第2戦では6回から中継ぎとして登板、3回無失点と好投して敢闘賞に選ばれた[9]。最終的には9勝(11敗)と澤崎俊和以来となるチームの新人2桁勝利にはならなかったが、防御率は1.98と、セ・リーグの新人投手としては1966年の堀内恒夫(巨人)以来、46年ぶり5人目となる防御率1点台を記録し[10][11]、新人王に選ばれた。また同年のパ・リーグ新人王に選ばれた益田直也とともに、初の平成生まれの新人王となった[11]。余談だがこの受賞は、2008年から2011年まで4年連続して巨人がセ・リーグ新人王を獲得していたが、巨人からの5年連続新人王選出を阻止することとなり、またしても2007年の夏の甲子園以来、「連続記録阻止」となった。
2013年は開幕から連敗し、4月17日に右肩関節唇損傷でプロ入り後初めて二軍落ちしたが、フォームの修正を行い、5月17日のオリックス戦でプロ初完投勝利を挙げた[12]。
選手としての特徴[編集]
スリークォーターから平均球速約139km/h[13]、最速149km/h(プロ入り後の最速は147km/h)のストレートとカットボールに近い高速スライダーを武器にし、他にもチェンジアップ、カーブを投げ分ける[14]。
下半身主体のフォームで制球が良く[15]、プロのスカウトからは「洞察力、観察力、なんといっても対応力が素晴らしいのでしょう。プロで10年もやってるようなうまさがある」と評される[16]。
人物[編集]
周囲からはマイペースと言われるが、負けず嫌いで勝負では何でも負けたくないという[17]。両親は「幼い頃からとても変わっている子どもで、自分が決めたことは貫き、人に流されない子でした」と言っている[18]。
ピッチャーとしては精神面とキレ、コントロールを大事にしているといい、澤村拓一からウエイトトレーニングを薦められたことがあるが、「自分は『しなり』で投げるタイプなので、筋肉を硬くしたら終わり」との理由でウエイトトレーニングは一切やらないという[14]。
趣味は映画鑑賞[15]と風呂。登板日の前日は1時間近く寮の大浴場に浸かり、プライベートで温泉旅行も楽しんでいるという[14]。
もともと左利きであったが、2歳の時に祖父に初めて買って貰ったグローブが右利き用で右投げで野球を教えてくれたため、右投右打になった。箸は左手で持ち、字は右手で書く。
詳細情報[編集]
年度別投手成績[編集]
| 年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2012 | 広島 | 27 | 27 | 0 | 0 | 0 | 9 | 11 | 0 | 0 | .450 | 704 | 172.2 | 143 | 6 | 52 | 0 | 2 | 103 | 3 | 2 | 46 | 38 | 1.98 | 1.13 |
| 通算:1年 | 27 | 27 | 0 | 0 | 0 | 9 | 11 | 0 | 0 | .450 | 704 | 172.2 | 143 | 6 | 52 | 0 | 2 | 103 | 3 | 2 | 46 | 38 | 1.98 | 1.13 | |
- 2012年度シーズン終了時
表彰[編集]
- 新人王 (2012年)
- オールスターゲーム敢闘選手賞:1回 (2012年第2戦)
- 日本プロスポーツ大賞最高新人賞(2012年)
記録[編集]
- 投手記録
- 初登板・初先発:2012年4月1日、対中日ドラゴンズ3回戦(ナゴヤドーム)、6回1失点
- 初奪三振:同上、1回裏に荒木雅博を見逃し三振
- 初勝利・初先発勝利:2012年4月8日、対横浜DeNAベイスターズ3回戦(横浜スタジアム)、8回無失点
- 初完投勝利:2013年5月17日、対オリックス・バファローズ1回戦(呉市二河野球場)、9回1失点9奪三振
- 打撃記録
- 初安打:2012年4月22日、対中日ドラゴンズ6回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)、5回裏に山本昌から中前安打
- 初打点:2012年5月31日、対埼玉西武ライオンズ2回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)、6回裏に大石達也から右翼線適時二塁打
- その他記録
- オールスターゲーム出場:1回 (2012年)
背番号[編集]
- 19 (2012年 - )
登場曲[編集]
- 「fanfare」Mr.Children(2012年~2013年4月3日)
- 「ブラック・オア・ホワイト」マイケル・ジャクソン(2013年5月10日)
- 「奏逢 ~Bank Bandのテーマ~」 Bank Band(2013年6月9日~)
脚注[編集]
- ^ a b c d e 「覚悟 野村祐輔」、『週刊ベースボール』2011年11月21日号、ベースボール・マガジン社、 17-21頁、 雑誌20442-11/21。
- ^ 日刊スポーツ、2007年8月23日
- ^ 中国新聞、2011年11月2日「ドラ1・野村祐輔物語 特別編」
- ^ “ズームアップ -meidai sports- <485>「エースとして、100周年を最高の形に」 硬式野球部 野村祐輔”. 明治大学広報 (2010年10月1日). 2012年10月31日閲覧。
- ^ “悲運のエース返上だ!明大・野村 4安打完封で日本一”. スポーツニッポン. (2011年11月28日) 2011年11月30日閲覧。
- ^ “G菅野、野村超え宣言!10勝&防御率1点台”. SANSPO.COM (産経新聞社): p. 2. (2012年11月22日) 2012年11月22日閲覧。
- ^ “ドラ1野村と契約 背番号19、開幕ローテ目標”. 中国新聞. (2011年11月30日) 2013年2月3日閲覧。
- ^ “ルーキー野村プロ初勝利!制球力抜群!広島首位に”. スポーツニッポン (2012年4月8日). 2013年2月3日閲覧。
- ^ “広島・野村、敢闘賞!「89年組」も凄い”. サンケイスポーツ (2012年7月22日). 2012年7月22日閲覧。
- ^ “10勝ならずもアッパレ!野村 46年ぶり新人防御率1点台”. スポーツニッポン (2012年10月8日). 2012年10月8日閲覧。
- ^ a b “新人王は広島・野村とロッテ・益田に決定 初の平成生まれ新人王”. Sponichi Annex. (2012年11月20日) 2012年11月20日閲覧。
- ^ “広島・野村祐プロ初完投星!初の交流戦開幕3連勝で3位浮上”. デイリースポーツ online (デイリースポーツ). (2013年5月18日) 2013年5月19日閲覧。
- ^ 『2013 プロ野球オール写真選手名鑑』 日本スポーツ企画出版社、2013年、59頁。ISBN 978-4-905411-11-6。
- ^ a b c 『アマチュア野球 vol.30』 日刊スポーツ出版社、2010年、12-15頁。ISBN 978-4-8172-5509-9。
- ^ a b 『アマチュア野球 vol.31』 日刊スポーツ出版社、2011年、12-14、17頁。ISBN 978-4-8172-5513-6。
- ^ エリート「精密機械」の内部構造『野球小僧』2011年10月号、白夜書房、雑誌18801-10、74-81頁。
- ^ 「新人スペシャルインタビュー 野村祐輔」、『週刊ベースボール』2012年5月14日号、ベースボール・マガジン社、 8-12頁、 雑誌20442-5/14。
- ^ 『広島アスリートマガジン』2011年12月号、サンフィールド、2011年、雑誌80381-12、14-17頁。
外部リンク[編集]
- 個人年度別成績 【野村祐輔 (広島東洋カープ)】 - 日本野球機構オフィシャルサイト
- 野村祐輔オフィシャルブログ
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