安部友裕
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| 広島東洋カープ #60 | |
|---|---|
| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 出身地 | 福岡県北九州市小倉北区 |
| 生年月日 | 1989年6月24日(22歳) |
| 身長 体重 |
180cm 80kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投左打 |
| ポジション | 内野手 |
| プロ入り | 2007年 高校生ドラフト1巡目 |
| 初出場 | 2011年6月6日 |
| 年俸 | 650万円(2012年) |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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この表について
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安部 友裕(あべ ともひろ、1989年6月24日 - )は、広島東洋カープに所属するプロ野球選手(内野手)。福岡県北九州市出身。
目次 |
[編集] 来歴
小学校2年から野球を始め、中学では小倉バディーズに所属し、2年の時に俊足を活かす為、左打ちに転向した。
福岡工大城東高に進学すると、2年時にレギュラーを獲得するも夏の甲子園では怪我でベンチ入りに留まった。3年の夏の県大会は足の故障で1回戦はベースコーチを務め、2回戦から不慣れな外野を守るもその2回戦でチームは敗れた。全国的には無名ながら高校屈指の内野手として評価され、12球団すべてのチームから調査書が届いた。
2007年10月3日の高校生ドラフト会議で、唐川侑己の抽選に外れた広島東洋カープに1巡目指名を受けた。11月11日に契約金7000万円、年俸600万円(推定)で仮契約。背番号は60。
プロ1年目の2008年はファームで49試合に出場。打撃は打率2割とやや苦戦したが、盗塁9個、犠打10個を記録した。守備も二軍内野守備・走塁コーチだった岡義朗からの指導と練習で成長を見せ、フェニックス・リーグでは全試合スタメン、秋季キャンプでも主力選手中心の日南組に抜擢された。
2011年6月6日、代打として一軍初出場を果たした。
[編集] 人物・プレースタイル
走攻守三拍子揃った大型内野手。高校通算39本塁打、遠投110m、50m5秒8。高校時代の監督からは真面目で素直な性格と評されている[1]。
[編集] 詳細情報
[編集] 年度別打撃成績
| 年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2011 | 広島 | 8 | 20 | 20 | 3 | 3 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 6 | 0 | .150 | .150 | .150 | .300 |
| 通算:1年 | 8 | 20 | 20 | 3 | 3 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 6 | 0 | .150 | .150 | .150 | .300 | |
- 2011年度シーズン終了時
[編集] 記録
- 初出場:2011年6月6日、対福岡ソフトバンクホークス4回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)、8回裏に青木高広の代打で出場
- 初打席:同上、8回裏に大場翔太から空振り三振
- 初先発出場:2011年6月11日、対千葉ロッテマリーンズ3回戦(千葉マリンスタジアム)、9番・三塁手として先発出場
- 初安打:同上、9回表に渡辺俊介から左前安打
[編集] 背番号
- 60 (2008年 - )
[編集] 脚注
- ^ “安部友裕内野手 - ルーキーの挑戦”. 中国新聞. 2010年4月14日閲覧。
[編集] 関連項目
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