佐藤祥万

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佐藤 祥万
北海道日本ハムファイターズ #62
20130407 Shoma Sato, pitcher of the Yokohama DeNA BayStars, at Meiji Jingu Stadium.JPG
DeNA時代(2013年4月7日、明治神宮野球場)
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 栃木県日光市
生年月日 1989年8月18日(25歳)
身長
体重
172 cm
74 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 2007年 高校生ドラフト4巡目
初出場 2008年4月9日
年俸 770万円(2014年)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

佐藤 祥万(さとう しょうま、1989年8月18日 - )は、北海道日本ハムファイターズに所属するプロ野球選手投手)。

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

小学3年生の時に少年野球の所野ブラックパンサーズで野球を始める。最初は外野手だったが、監督に出した年賀状にピッチャーをやりたいと書いて、以来ポジションは投手一筋[1]。日光東中では軟式野球部に所属し、4番打者兼投手として栃木県大会に出場。進学した文星芸大附高校では1年生の夏季県大会からベンチ入り。

2年次の夏季県大会では背番号10の2番手投手として出場。4回戦では宇都宮清陵を相手に5回参考記録ながら完全試合を達成。チームを甲子園出場に導いた。第88回全国高等学校野球選手権大会では初戦でダース・ローマシュ匡上田剛史を擁する関西に逆転勝ち。しかし続く今治西との2回戦では3-12という大敗を喫する。

新チームでは結成当初からエースナンバーを堅守。2年連続での夏の甲子園となった第89回全国高等学校野球選手権大会では、調子が良い時には投球と同時に野球帽が頭部から落下することが話題になった。3回戦まで進出するも、2年連続で熊代聖人擁する今治西の前に敗れた。奇しくも当日は佐藤の誕生日であり、勝利で花を添えることはできなかった。しかし、打者の内角を鋭く突く切れのある速球と多彩な変化球、マウンド度胸の良さが一気に関係者の注目を集め、同年の全日本高校選抜の代表メンバーに選出される。

2007年10月3日ドラフト会議(高校生ドラフト)横浜ベイスターズから4巡目指名を受け、10月26日に契約金3500万円・年俸480万円の条件で正式に入団契約を交わした。

横浜・DeNA時代[編集]

佐藤の投球フォーム
(2011年4月3日 チャリティーマッチ:阪神戦)

2008年3月、一軍キャンプに合流。オープン戦に登板するなど、佐藤由規中田翔ら高卒ルーキーが相次いで二軍落ちする中、開幕一軍の期待もあったが、最終的には二軍スタートとなる。4月8日小林太志とともに一軍登録され、翌9日にプロ初登板。高校時代を大幅に上回る145km/hを計測した。小林もこの日が初登板であった。その後は中継ぎ中心でローテの谷間に先発という起用をされた。5月8日ヤクルト戦でプロ初先発を務めたが、セ・リーグ記録タイとなる1試合死球4の内容で、プロ初先発初勝利とはならなかった。6月に先発で2試合連続でKOされたのを受け二軍落ちし、そのままシーズンを終えた。

2009年は二軍で8試合の登板。一軍出場はなかった。

2010年は2年ぶりに一軍出場を果たし、中継ぎで8試合に登板。また、シーズンオフには台湾で開催された第17回IBAFインターコンチネンタルカップの日本代表に選ばれた。

2011年も中継ぎとして10試合に登板、プロ初ホールドも記録した。

2012年に女優の吉村紗耶香との入籍を発表。契約更改を行い、昨年度の3%減の730万でサインした。

日本ハム時代[編集]

2013年11月15日加藤政義との交換トレードで北海道日本ハムファイターズへ移籍することが発表された[2]

プレースタイル・人物[編集]

  • マウンドでは常に強気な姿勢を保ち感情を露にするタイプで、投球の際には帽子が脱げることもある。涙もろい一面もあり、高校2年次夏季の関西高校戦では、自身の乱調により敗退寸前まで追い込まれながらチームメイトが驚異的な粘りで逆転サヨナラ勝ちを収め、選手整列の際に号泣した。またその後に敗退した時はチームで最も悔しさを表情に出した。プロ入り後も対巨人戦で阿部慎之助に本塁打を浴びた後やプロ初先発試合での4与死球での降板後にベンチ裏で悔し涙を流す一幕もあった。
  • プロ入り後にフォーム改造が多く、それが伸び悩みの原因になっていると工藤公康から指摘されている[3]
  • 絶叫マシンが苦手。2007年日米親善高校野球大会の代表メンバーとして遠征中、カリフォルニアのディズニーランドでチームメイトらとジェットコースターに乗るのを嫌がる様子が記録されている。
  • 2007年12月の入団会見で、自分を「ハマの○○」と喩えるならという質問に、日光出身なので「ハマの世界遺産」でお願いしますと答えた。
  • オープン戦で二軍落ちを宣告された際、ロッカールームで悔し泣きしたという。この時工藤公康から激励された。
  • 左投であるが、筆記具は右手で持つ。
  • 投げる時に左足を擦る癖があり、通常のシューズではすぐ穴が空いてしまうため、キャッチボールには耐久性のある特注シューズを使用している。またピッチングやランニング、ノックで違うシューズを使い分けている。
  • 2011年4月27日の対中日ドラゴンズ5回戦で落合英二以来2人目の0球降板を記録した。(コール後に雨天コールド)
  • 2012年2月17日の春季キャンプ中、筒香嘉智の打撃投手をしていた際、筒香の左足首に死球を当て全治6週間以上の怪我(骨挫傷)を負わせた。

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]





















































W
H
I
P
2008 横浜
DeNA
16 3 0 0 0 0 1 0 0 .000 122 28.2 27 7 6 0 5 16 0 0 14 13 4.08 1.17
2010 8 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 23 5.2 4 0 0 0 2 4 0 0 2 2 3.18 0.71
2011 10 0 0 0 0 0 0 0 3 ---- 18 4.0 4 0 3 0 0 4 0 0 2 2 4.50 1.75
2012 6 0 0 0 0 0 0 0 1 .000 31 7.0 9 1 3 0 0 4 0 0 5 5 6.43 1.71
2013 8 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 32 7.1 8 0 5 0 0 3 0 0 1 1 1.23 1.77
通算:5年 48 3 0 0 0 0 1 0 4 .000 226 52.2 52 8 17 0 7 31 0 0 24 23 3.93 1.31
  • 2013年度シーズン終了時
  • 横浜(横浜ベイスターズ)は、2012年にDeNA(横浜DeNAベイスターズ)に球団名を変更

記録[編集]

背番号[編集]

  • 60 (2008年 - 2013年)
  • 62 (2014年 - )

脚注[編集]

  1. ^ 雑誌「週刊ベースボール」(ベースボールマガジン社刊)2008年6月23日号63-65ページ『Let's Talk about Baseball 佐藤祥万』
  2. ^ 佐藤祥万選手と北海道日本ハム・加藤政義選手のトレードについて横浜球団2013年11月15日配信
  3. ^ 工藤氏 投球フォームはいじらない「自信もなくす」”. スポニチ Sponichi Annex (2011年11月30日). 2012年5月15日閲覧。
  4. ^ a b 神奈川新聞、2008年4月10日。
  5. ^ 神奈川新聞、2008年5月09日。
  6. ^ 神奈川新聞、2011年4月13日。

関連項目[編集]