由規
| 東京ヤクルトスワローズ #11 | |
|---|---|
| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 出身地 | 宮城県仙台市青葉区 |
| 生年月日 | 1989年12月5日(23歳) |
| 身長 体重 |
179 cm 80 kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投左打 |
| ポジション | 投手 |
| プロ入り | 2007年 高校生ドラフト1巡目 |
| 初出場 | 2008年8月30日 |
| 年俸 | 5,200万円(2011年) |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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この表について
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由規(よしのり、本名:佐藤 由規(さとう よしのり)、1989年12月5日 - )は、東京ヤクルトスワローズに所属するプロ野球選手(投手)。
目次 |
経歴 [編集]
プロ入り前 [編集]
宮城県仙台市出身。家庭は野球一家で、兄の佐藤史規は東北高校の控え捕手としてダルビッシュ有の球を受けていた。弟である佐藤貴規も同じ仙台育英に進学し、2010年の夏の甲子園に3番中堅手で全試合に出場。同年、ヤクルトから育成ドラフト3位として指名された。父親の佐藤均は有限会社宮城観光タクシーの代表取締役。同社のタクシーのボンネット全体及びトランクには、11 YOSHINORI が描かれている。
小学校4年生の時に、兄や両親に説得されて野球を始める。仙台市立北仙台中学校1年生だった2002年(平成14年)には、リトルリーグの仙台東リーグの一員として全国制覇。その後、仙台東は日本代表としてアジア大会を勝ち進み、世界大会に進出。初戦の対ロシア戦に先発した由規は大会10年ぶりとなるノーヒットノーランを達成し[1]、最終的にチームは決勝でアメリカ代表に1-0で惜敗し世界2位に輝いた[2]。由規の中学校には野球部があったが、シニアリーグの仙台西部に所属して野球を続け、学校内では陸上部に所属した。
2005年に仙台育英学園高等学校に進学。当時の球速は130km/hに満たず、控え三塁手だったが[3]、1年秋には140km/hを記録して注目を集めた。その後球速を伸ばし、2年夏の宮城県大会決勝戦では東北に引き分け再試合を含む24イニング374球を投げ抜き優勝。甲子園大会出場を決める。3年夏の甲子園2回戦・智弁学園高校戦の4回裏に、甲子園のスピードガンで計測された中で最速の155km/hを計測した。それまでの記録は寺原隼人(日南学園)の154km/h。最終的には2007年の日米親善試合にて自己最速の157km/hを計測。甲子園には2年夏、3年春、夏と三期連続出場し、登板5試合中4試合で二桁三振を奪っている。「熱闘甲子園」で「みちのくのプリンスK」と称された。
2007年の高校生ドラフトでは、中田翔(大阪桐蔭)、唐川侑己(成田)と並んで「高校ビッグ3」と呼ばれ、地元の楽天の他、ヤクルト・横浜・中日・巨人の5球団が1巡目で競合。抽選の結果、ヤクルトが交渉権を獲得した。ドラフト指名後の会見では、家族に対する感謝を述べた際に家族が目に入ってしまい号泣している。後にプロ入り前の激励会でも涙しており、感激に涙もろい性格といえる。そのため、一部のマスコミから「泣き虫王子」「号泣(剛球)王子(彼よりも先に当時日本ハムに所属していたダース・ローマシュ匡が呼ばれていた)」と呼ばれている。
背番号「11」にあわせた11月11日に契約金1億円、出来高5000万円、年俸1500万円(金額は推定)で仮契約。他球団で同姓同名(漢字は違う)の佐藤義則コーチがいるので、登録名は本名のみとした。
プロ入り後 [編集]
2008年、高卒ルーキーながら一軍で春季キャンプを過ごしたが、2月末に左足首痛を発症[4]。当初は軽症ということでオープン戦にも登板したが結果が出ず、開幕は二軍スタート。その後はリハビリに努め、イースタン・リーグで4月13日に初登板して1回を無安打無失点。二軍では8勝を挙げて最多勝を獲得。
8月30日の対横浜戦に一軍初登板を果たしたが、2回途中6失点で降板し、プロの洗礼を浴びた(その後チームが逆転勝ちしたため勝敗付かず)[5]。プロ入り2度目の登板となった9月6日の対巨人戦では、先発で6回を投げ、2安打3失点8奪三振の力投で一軍初勝利を挙げた[6]。なお、この試合までヤクルトは巨人に8連敗しており、由規は巨人戦の連敗を食い止める救世主となったため「巨人キラー」になると各紙が報じた。しかし、9月14日の対巨人戦では、先発で6回を投げ、4安打3失点で負け投手となり、一軍での初黒星を喫した。また、この試合では、犠牲フライでプロ初打点を挙げている[7]。プロ1年目は6試合に登板し、2勝1敗、防御率4.55に終わった。 1年目での投球回数は29回2/3で、2年目(2009年)以降の新人王受賞の権利(30回未満)を残していたが、これは、10月8日の対横浜戦で8回1失点と完投勝利目前という機会があった際に、完投では投球イニング30回を超えてしまい来季の新人王受賞権利を消失してしまうため、荒木大輔コーチから「完投と新人王どっちがいい?」と尋ねられたところ「新人王です!」と即答したためである[8]。
2009年は先発ローテーションの一角として開幕を一軍で迎え、開幕二戦目の4月4日、対阪神戦で先発登板し勝利を挙げる。10代の投手が開幕カードで勝利を挙げるのは球団では金田正一以来52年ぶりとなった。4月26日の対横浜戦では、プロ入り後最速となる157km/hを計測。しかし、シーズン前半は試合中に指の豆が潰れるなどのアクシデントにも見舞われ、一軍と二軍を行き来した。シーズン後半では5勝にとどまりチームで唯一の二桁敗戦を喫した。オールスターゲームに監督推薦で初選出。しかし、選出直後に指の豆を潰して投球ができなかったことからオールスターには第2戦で代走に起用されるにとどまった。また、2009年度より森永製菓のウイダーサポート選手となっている。
2010年も開幕一軍入りし、開幕二戦目(対巨人2回戦)に登板し8回1失点の好投で初勝利を挙げる。その後は序盤に大量失点する試合が続き4連敗を喫し二軍降格した。交流戦の対オリックス戦(スカイマークスタジアム)で一軍復帰、その後は安定した投球を続ける。10月4日にまたしてもマメで登録抹消されるものの、最終的には自身初の規定投球回数に達し、12勝(9敗)、プロ入り初完封も記録しプロ入り3年目で飛躍した年となった。また、7月29日にこれまでの自己最速となる158km/hを計測、更に同年8月26日の神宮球場での対横浜戦の5回、ターメル・スレッジの打席で投じた5球目が日本人最速となる161km/hを計測し、日本人投手として初めて160km/hの壁を破ったかに見えたが[9]、テレビ中継(フジテレビONE)では152km/hと表示されており、信憑性は極めて低いものである[10]。
2011年も開幕ローテーション入り。交流戦中にわき腹を痛めて離脱したもののオールスターゲームにファン投票で選出された。小川監督からは後半戦のキーマンと期待されたが、9月に右肩の張りで再度離脱。結果的にはチームの期待を裏切る形でシーズンを終えた。東日本大震災では地元及び実家が被災した。家族は無事だったが、仙台育英高校時代にバッテリーを組み、家族ぐるみの付き合いだった石巻市在住で1年先輩の斎藤泉が行方不明となり、4月27日に遺体で発見された。当日にその事を知った由規は直後の巨人戦に勝利し、林昌勇から譲り受けたウィニングボールを先輩に渡す事を表明した[11]。9月に、右肩痛を発症した。
2012年は左すね剥離骨折も加わり、プロ入り後初の1軍登板ゼロに終わった。
2013年、4月11日に右肩のクリーニング手術を受けたと発表した。実戦復帰まで約半年の予定で、今季中の復帰は絶望と発表された[12]。
プレースタイル・人物 [編集]
少し肘の下がり気味なスリークォーターに近いフォームから投げる平均球速149km/h[13]、最速161km/hのストレートを投じる。スタミナがあり、試合終盤であっても150km/h台の直球を投げることが出来る。変化球はキレの良いスライダーを中心に、フォークボール、カット・ファスト・ボール、140km/h前後で落ちるチェンジアップ、カーブを投げる。2010年秋季キャンプよりシュート系のツーシームを習得中。武器であるスライダーも、120km/h前後・130km/h前後のものと、140km/h近いもの(カットボール)を状況に応じてこれらの球種を使い分けている。
球威のあるストレートを武器にしており被本塁打が少なく奪三振が多い。反面四球や暴投が多く制球力を課題にしている。2009年から移籍してきた相川亮二からも球威を認められる反面、与四球の多い制球の不安定さを危惧されていた。(高校時代から)そこでその年の交流戦を終えた頃に、他球団のエース級投手の映像もチェックしてみるよう勧められた事がある。それまで自分の投球映像を、ただ確認していただけの由規には西武・涌井秀章の頭のブレの少なさから目線を崩さない力感の少ないフォームと、力いっぱい速い球を投げようとして頭や目線が大きく動く自分のフォームとの違いを認識できたのは新鮮な試みであった。また相川にも一緒に観てもらった事で、映像を注意深く観察する大事さを教えられている[14]。 投手としては比較的珍しい右投げ左打ちである。これは生来、左利きであるが、兄のおさがりのグローブを使っていたため右投げとなったものである。左でも遠投60mを投げることが出来る。
指にマメができやすい体質で、プロ入り後は何度もマメの影響で登録抹消されている。
漫画『ストライプブルー』に、主人公の兄(ヤクルトの抑え投手)と親しいという設定で、実名で登場している。
詳細情報 [編集]
年度別投手成績 [編集]
| 年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2008 | ヤクルト | 6 | 5 | 0 | 0 | 0 | 2 | 1 | 0 | 0 | .667 | 118 | 29.2 | 21 | 4 | 8 | 0 | 2 | 28 | 3 | 0 | 16 | 15 | 4.55 | 0.98 |
| 2009 | 22 | 21 | 0 | 0 | 0 | 5 | 10 | 0 | 0 | .333 | 520 | 120.0 | 109 | 9 | 57 | 0 | 5 | 91 | 5 | 0 | 61 | 47 | 3.50 | 1.38 | |
| 2010 | 25 | 25 | 2 | 1 | 0 | 12 | 9 | 0 | 0 | .571 | 724 | 167.2 | 158 | 11 | 74 | 4 | 8 | 149 | 8 | 0 | 78 | 67 | 3.60 | 1.38 | |
| 2011 | 15 | 15 | 3 | 1 | 0 | 7 | 6 | 0 | 0 | .538 | 425 | 100.2 | 84 | 6 | 41 | 1 | 8 | 83 | 5 | 0 | 34 | 32 | 2.86 | 1.24 | |
| 通算:4年 | 68 | 66 | 5 | 2 | 0 | 26 | 26 | 0 | 0 | .500 | 1787 | 419.0 | 372 | 30 | 180 | 5 | 23 | 351 | 21 | 0 | 189 | 161 | 3.46 | 1.32 | |
- 2012年度シーズン終了時
- 各年度の太字はリーグ最高
タイトル [編集]
- イースタン・リーグ最多勝利(2008年)
記録 [編集]
- 投手成績
- 初登板・初先発:2008年8月30日、対横浜ベイスターズ19回戦(横浜スタジアム)、1回2/3を6失点(自責点5)
- 初奪三振:同上、1回裏に内川聖一から空振り三振
- 初勝利・初先発勝利:2008年9月6日、対読売ジャイアンツ19回戦(明治神宮野球場)、6回3失点
- 初完投勝利:2010年7月29日、対広島東洋カープ13回戦(明治神宮野球場)、9回3失点
- 初完封勝利:2010年8月5日、対中日ドラゴンズ16回戦(明治神宮野球場)
- 打撃成績
- 初打点:2008年9月14日、対読売ジャイアンツ22回戦(東京ドーム)、5回表に高橋尚成から左犠飛
- 初安打:2010年7月4日、対中日ドラゴンズ11回戦(秋田県立野球場)、2回裏に中田賢一から左前2点適時打
- その他の記録
- オールスターゲーム出場:2回(2009年、2011年)
背番号 [編集]
- 11 (2008年 - )
登録名 [編集]
- 由規(よしのり)(2008年 - )
脚注 [編集]
- ^ 佐藤由ノーヒッター、加藤連弾で仙台東が初戦圧勝(財団法人全日本リトル野球協会)
- ^ 仙台東無念! 米国・五大湖に敗れ世界一ならず(財団法人全日本リトル野球協会)
- ^ 球団公式サイト2008年1月30日の記事による。
- ^ サンケイスポーツ3月2日付などによる。
- ^ “由規 デビュー戦洗礼の2回6失点KO”. スポニチSponichi Annex (スポーツニッポン). (2012年8月31日) 2013年4月14日閲覧。
- ^ “由規 笑顔のプロ初勝利!5回1死まで完全”. スポニチSponichi Annex (スポーツニッポン). (2008年9月7日) 2013年4月14日閲覧。
- ^ “由規 粘投6回3失点に初打点も初黒星”. スポニチSponichi Annex (スポーツニッポン). (2008年9月15日) 2013年4月14日閲覧。
- ^ “由規2勝目!完投よりも来季新人王選んだ”. スポニチSponichi Annex (スポーツニッポン). (2008年10月9日) 2013年4月14日閲覧。
- ^ “ヤクルト・由規、日本人最速の161キロ!”. サンケイスポーツ. (2010年8月26日) 2010年8月27日閲覧。
- ^ “ヤクルト由規が日本選手最速の161キロ” (日本語). 朝日新聞. (2010年8月26日) 2010年8月27日閲覧。
- ^ “由規、亡き先輩にウイニングボール届ける”. スポーツニッポン. (2013年4月29日) 2013年4月8日閲覧。
- ^ “由規が右肩クリーニング手術終了、全治6カ月で今季絶望”. スポニチSponichi Annex. (2013年4月11日) 2013年4月11日閲覧。
- ^ 『2011プロ野球オール写真選手名鑑』 日本スポーツ企画出版社、2011年、183頁。ISBN 978-4-930942-98-2。
- ^ NHK「情熱大陸」 - 2009年9月20日分より
関連項目 [編集]
外部リンク [編集]
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