藤川俊介

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俊介 (藤川 俊介)
阪神タイガース #68
Tigers shunsuke.JPG
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 福岡県嘉穂郡桂川町
生年月日 1987年8月17日(27歳)
身長
体重
177 cm
72 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手
プロ入り 2009年 ドラフト5位
初出場 2010年3月26日
年俸 2,800万円(2014年)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

藤川 俊介(ふじかわ しゅんすけ、1987年8月17日 - )は、阪神タイガースに所属するプロ野球選手外野手)。

2011年から登録名俊介にしている。

来歴・人物[編集]

アマチュア時代[編集]

福岡県の桂川小1年のときに「桂川スターキッズ」で軟式野球を始める。桂川中学校時代は硬式の「西日本スコーピオンズ」に所属。

広島の広陵高校に進み、第75回選抜高等学校野球大会を制したチームで1年(2003年)夏から一塁手のレギュラーとして活躍。広島大会では4番も打ち、第85回全国高等学校野球選手権大会に出場するが、2回戦で岩国高校に敗れる。2年(2004年)春は中堅手投手第76回選抜高等学校野球大会に出場したが、1回戦で東邦高校に敗退。高校通算25本塁打。高校の2学年先輩に白濱裕太西村健太朗、1学年先輩に上本博紀、1学年後輩に吉川光夫、2学年後輩に野村祐輔土生翔平小林誠司がいる。

その後関西学生リーグ近畿大学に進学し、1年からレギュラーとなる。1年秋(外野手)、2年春(三塁手)、3年春(外野手)、4年春(外野手)・秋(外野手)と、計5度のベストナインを受賞。また3年春にはMVPを受賞。リーグ通算77試合出場、288打数95安打打率.330、7本塁打、45打点、26盗塁。大学の同期には荒木貴裕がいる。

2009年、この年のドラフトで3位以上の指名でなければ入社するという条件で社会人野球東邦ガスより内定を得た。近大側ではこれを12球団に通知し[1]、それを受けて数球団がドラフトでの指名を回避する中、編成トップにまで事情が伝わっていなかった[2]阪神から5位指名を受けた藤川本人も困惑し、体重が5 kg減るほどの心労を重ねた[3]が、最終的には幼い頃からの夢であったプロ入りに傾き、大学・阪神球団も交えた話し合いの結果、12月9日に東邦ガスからプロ入りの正式な許可を得て阪神への入団が決定。同期入団の選手たちより遅れて同14日に単独で入団会見を行った。同日、阪神の坂井信也オーナーから「迷惑をかけてしまって、申し訳ない」と謝罪を受けた[4]

プロ入り後[編集]

2010年、同じく新人の二神一人藤原正典両投手とともに一軍春季キャンプに抜擢された。藤原がキャンプ終盤に、二神もオープン戦期間中に怪我で脱落する中、藤川は「実戦向き」と評価されたこともあって[5]新人として唯一開幕一軍メンバーに残った。3月26日の横浜ベイスターズとの開幕戦において9回表に桜井広大に代わり、ライトの守備に就きつき初出場を果たす。5月2日の対読売ジャイアンツ戦でプロ初安打となる三塁打、自身の23歳の誕生日となった8月17日の対横浜戦でプロ初本塁打を放った。シーズン中盤以降はスターティングメンバーでの起用も多くなり、シーズンを通して出場選手登録を外れることなく、124試合に出場した。この年は、チームに同姓の藤川球児がいるため、スコアボード上などでは名前が藤川俊と表記されていた(藤川球児#表記名について参照)が、球団からの勧めもあり、翌2011年から登録名を「俊介」とすることになった[6]

2011年は開幕スタメン出場を果たした。4月15日の対中日ドラゴンズ戦(ナゴヤドーム)において4回表にシーズン第1号本塁打を放ったが、その後8回表2死、金本知憲が代打に立った場面で一塁走者の藤川は盗塁失敗、金本の打席が未完了のままチェンジとなり、次イニング金本の打順に小林宏を入れて金本を守備につかせなかったので、公認野球規則10・23(c)により金本の連続試合出場記録が1766(衣笠祥雄の2215に次ぐ日本プロ野球第2位)で途切れる結果になった[7]。高校の先輩にあたる金本の記録を止める一因となったことについて、俊介は「申し訳ないの一言です」とコメントしている[8]。開幕序盤はチーム上位の打率を記録したが、徐々に成績が下降し、6月29日にプロ入り後初めて一軍登録を抹消された。その後も柴田講平の活躍もありスタメン出場は激減し、昨年同様に代走や守備固めでの途中出場が多くなった。

2012年は打率が2割を切る深刻な打撃不振に陥り、二軍落ちすることもあった。この年はシーズンを通して代走・守備固めとしての出場が殆どだった。オフには西岡剛の入団に伴い背番号が変更になり、一時は40への変更が球団からアナウンスされていたが[9]、本人の希望で68になった[10]。なお、2012年をもって藤川球児が渡米退団した後も登録名はそのままである。

2013年は、大和柴田講平らの離脱により、119試合出場し、打席数、安打打率盗塁出塁率OPSなど多くの打撃指標で自己ベストの成績を叩き出した。

2014年も主に代走・守備固めとして出場。8月12日の対巨人戦(東京ドーム)では杉内俊哉から3年ぶりの本塁打を放つ[11]も、打率.206と低調な成績に終わった。

プレースタイル[編集]

高校時代に内外野ともに守った経験のあるユーティリティープレイヤー[12]。50 m走5秒96の俊足[13]で、外野の守備範囲も広い[14]

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
2010 阪神 124 183 161 32 41 12 2 1 60 10 5 1 13 0 9 3 0 32 2 .255 .294 .373 .667
2011 108 205 190 20 46 6 2 1 59 9 5 3 6 0 9 0 0 28 2 .242 .276 .311 .587
2012 82 74 65 10 12 0 0 0 12 4 1 1 6 1 2 0 0 14 1 .185 .206 .185 .391
2013 119 216 192 28 56 7 2 0 67 9 8 5 16 0 8 0 0 19 2 .292 .320 .349 .669
2014 87 119 102 13 21 4 0 1 28 6 2 1 6 0 10 1 1 12 3 .206 .283 .275 .558
通算:5年 520 797 710 105 176 29 6 3 226 38 21 11 47 1 38 4 1 105 10 .248 .287 .318 .605
  • 2014年度シーズン終了時

年度別守備成績[編集]


外野
試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率
2010 118 112 3 0 0 1.000
2011 105 82 3 1 1 .988
2012 66 40 2 0 0 1.000
2013 104 103 1 0 0 1.000
2014 76 70 0 1 0 .986
通算 469 407 9 2 1 .995
  • 2014年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

記録[編集]

背番号[編集]

  • 7 (2010年 - 2012年)
  • 68 (2013年 - )

登録名[編集]

  • 藤川 俊介 (ふじかわ しゅんすけ、2010年)
  • 俊介 (しゅんすけ、2011年 - )

登場曲[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 「阪神、入団難色の近大・藤川と話し合いへ」サンケイスポーツ、2009年11月1日。
  2. ^ 阪神、ドラ5の近大・藤川に謝罪 デイリースポーツ、2009年10月31日。
  3. ^ ドラ5・藤川「赤星さんに近づけるよう頑張りたい」 スポーツニッポン、2009年12月12日。
  4. ^ 「阪神・坂井オーナー、大型補強に満足げ」サンケイスポーツ、2009年12月15日。
  5. ^ 藤川俊が開幕1軍へ、林は2軍 日刊スポーツ、2010年3月16日。
  6. ^ 藤川俊、登録名「俊介」でGG賞狙う デイリースポーツ、2010年11月10日。
  7. ^ 金本「笑えたよ」ルールの盲点、連続試合出場歴代2位でストップ…阪神 スポーツ報知、2011年4月16日。
  8. ^ 朝日新聞、2011年4月16日。
  9. ^ 俊介選手の背番号変更について 阪神タイガース 2012年11月20日
  10. ^ 【阪神】俊介 7→40辞退し68で再出発 nikkansports.com 2012年11月26日
  11. ^ 阪神・俊介、でかした大仕事!1215日ぶりのびっくり弾!! - サンケイスポーツ(2014年8月13日)
  12. ^ 西武は2位以降で近大・藤川を指名へ デイリースポーツ、2009年10月28日。
  13. ^ ドラ5・藤川俊介、球団新人盗塁記録の更新に意欲 スポーツニッポン、2009年12月30日。
  14. ^ 氏原英明「「斎藤世代」だけじゃない!!ドラフトの目玉はPLの吉川大幾。」、Number Web, 2010年6月23日。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]