松山竜平
| 広島東洋カープ #37 | |
|---|---|
2008年6月27日(阪神甲子園球場)
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| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 出身地 | 鹿児島県曽於郡大崎町 |
| 生年月日 | 1985年9月18日(26歳) |
| 身長 体重 |
176cm 94kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投左打 |
| ポジション | 外野手、一塁手、三塁手 |
| プロ入り | 2007年 大学生・社会人ドラフト4巡目 |
| 初出場 | 2008年4月24日 |
| 年俸 | 1,100万円(2012年) |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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この表について
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松山 竜平(まつやま りゅうへい、1985年9月18日 - )は、広島東洋カープに所属するプロ野球選手(外野手)。背番号は37。
目次 |
[編集] 経歴
鹿児島県大崎町出身。小学3年生の時にソフトボールを始め、中学時代は硬式野球部に入部し、鹿屋中央高校では1年生からエースで4番だった。九州国際大に進学し、1年春から出場。2007年6月の全日本大学野球選手権大会では、2回戦に早大の斎藤佑樹から二塁打を放ち注目された。4年間で首位打者2回、本塁打王1回、打点王3回に輝き、通算安打は122本で、九州六大学リーグの新記録を作る。大学通算打率.412、通算三振数は18(1試合平均0.24個)。2007年11月19日のプロ野球大学生・社会人ドラフト会議で広島東洋カープに4巡目で指名された。同年11月26日に契約金5000万円、年俸1000万円(推定)で仮契約。
[編集] プロ入り後
1年目の2008年は開幕一軍を逃したものの、ウエスタン・リーグ開幕からチームの中軸として好調をキープし、4月24日に一軍昇格。代打による2打席のみで二軍に降格したが、その直後二軍ではチームの4番に定着。疲れや守備練習に時間を割くこともあって調子を落とすこともあったが、ウエスタン・リーグの打点王を獲得。安打もリーグ最多を記録した。課題の守備は将来を睨んで三塁の練習をしているが、ウエスタン・リーグの試合では主に一塁を守る機会が多かった。これまでやっていた外野は2試合のみの出場だった。
2年目の2009年は春季キャンプの途中に肉離れでリタイア。4月に二軍に合流すると5月にはウエスタン・リーグの月間MVPを受賞する活躍を見せたが、その後の不調が響いて一軍出場は無かった。守備では三塁の守備に就く機会が前年の5試合から33試合に増えている。
2010年は主に一塁手としてウエスタン・リーグの試合に出場。昨年に続き一軍出場は無かった。
[編集] 人物
- 小学校3年の時にソフトボールスポーツ少年団の監督の勧めで左打ちに転向した。その監督が福留孝介を育てた新留勝郎監督である。ちなみに、当時は捕手だった。
- 高校3年の時の練習が実を結び、同年春には100mだった遠投が夏には123mにまで伸ばし、苦手だった50m走の記録も春の6秒5から夏には6秒まで伸ばしている。(詳細は外部リンク中国新聞の記事を参照)
- 同期で阪神のドラフト1位で指名された福岡大の白仁田寛和投手とは、九州六大学野球のリーグ戦で対戦したライバル。
- 大学時代のニックネームはアンパンマン。3年生の時に先輩から付けられた。この愛称の由来は容姿だけでなく、チームがピンチに陥ったとき必ずバットで救ってきた事から付けられた。プロに入団しても「アンパンマンで僕の名前を覚えてくれるなら喜んで呼ばれたい。」とファンに呼びかけた。
- ドラフト指名を受け、直後の会見では牛を売って学費を出してくれた祖父に感謝の意を述べながら感極まって大粒の涙を流した。
- 入団会見の際、背番号37について「永久欠番にします。何年先のことになるか分からないですけどね」登録名に関しても「最初は松山でいって、活躍してから“竜平”にできればいい」と語っている。
- 2010年11月、大学時代に知り合った広島県出身の女性と結婚を発表[1]。すでに同年より、同居生活を送っており、12月12日(この日は自身の入団会見の日にあたる)に入籍。2011年2月には第一子が産まれる予定であることを明かした。
[編集] 詳細情報
[編集] 年度別打撃成績
| 年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2008 | 広島 | 2 | 2 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 |
| 2011 | 68 | 204 | 196 | 15 | 53 | 6 | 1 | 3 | 70 | 19 | 0 | 1 | 0 | 0 | 8 | 0 | 0 | 20 | 5 | .270 | .299 | .357 | .656 | |
| 通算:2年 | 70 | 206 | 198 | 15 | 53 | 6 | 1 | 3 | 70 | 19 | 0 | 1 | 0 | 0 | 8 | 0 | 0 | 21 | 5 | .268 | .296 | .354 | .650 | |
- 2011年度シーズン終了時
[編集] 年度別守備成績
| 年 度 |
外野 | |||||
|---|---|---|---|---|---|---|
| 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | |
| 2011 | 50 | 67 | 0 | 1 | 0 | .985 |
| 通算 | 50 | 67 | 0 | 1 | 0 | .985 |
- 2011年度シーズン終了時
[編集] 記録
- 初出場:2008年4月24日、対東京ヤクルトスワローズ3回戦(広島市民球場)、6回裏に大竹寛の代打として出場
- 初打席:同上、6回裏に萩原淳から二塁ゴロ
- 初安打:2011年5月26日、対埼玉西武ライオンズ2回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)、8回裏に牧田和久から左前安打
- 初先発出場:2011年5月31日、対東北楽天ゴールデンイーグルス3回戦(日本製紙クリネックススタジアム宮城)、9番・指名打者として先発出場
- 初本塁打・初打点:2011年6月9日、対埼玉西武ライオンズ3回戦(西武ドーム)、6回表に涌井秀章から右越2ラン
[編集] 背番号
- 37 (2008年 - )
[編集] 脚注
- ^ “コイのアンパンマン”松山が結婚! - デイリースポーツ、2010年11月25日
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- ルーキーの挑戦 松山竜平外野手 中国新聞 2008年1月17日
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