白仁田寛和

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白仁田 寛和
阪神タイガース #64
HT-Hirokazu-Shiranita.jpg
2009年7月19日 阪神甲子園球場
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 福岡県糸島郡志摩町(現:糸島市
生年月日 1985年10月2日(26歳)
身長
体重
189cm
80kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 2007年 大学生・社会人ドラフト1巡目
初出場 2011年10月23日
年俸 900万円(2011年)[1]
経歴(括弧内は在籍年)

白仁田 寛和(しらにた ひろかず、1985年10月2日 - )は、阪神タイガースに所属するプロ野球選手投手)。福岡県糸島郡志摩町(現:糸島市)出身。

目次

[編集] 経歴

[編集] プロ入り前

可也小4年で捕手として野球を始め、志摩中2年時に投手に転向。糸島高ではドラフト候補にもなるが、肘を痛めプロ入りを見送った。高校時代の同級生にAKB48篠田麻里子がいる。福岡大学スポーツ科学部スポーツ科学科へ進学し、九州六大学リーグで通算18勝、通算防御率1.81を記録した。しかし、4年時の秋は「右肩肩峰下滑液胞炎」というケガのため登板できずリハビリの日々を送った。

2007年ドラフトで、阪神から大学・社会人1巡目指名を受け入団。阪神は当初大場翔太の指名を狙ったものの抽選で外しており、白仁田は大場の外れ1位ではあったが、長身の即戦力投手として期待されていた[2]

[編集] プロ入り後

2008年の自主トレにて、投手に対して辛口な評価をする小山正明はブルペンで投げ込む白仁田を見て「フォームが良い」と評価した。また、在阪マスコミからは同期入団の黒田祐輔と合わせ、名字の「白」と「黒」から「虎のオセロ」と命名され先発ローテーション入りを期待されていた。しかし、一軍に上がることはなかった。

2009年のシーズンは投球フォームの固定に苦しみ、一軍登板はなかった。二軍のウエスタン・リーグでも4試合の登板に留まり、1勝1敗・防御率16.62であった[3]。10月6日より宮崎県で開幕したフェニックスリーグに参加。10月15日の対埼玉西武ライオンズ戦で、9回を7安打3失点の内容でプロ入り後初の完投勝利を果たした[4]

2010年も一軍登録なし。ウエスタン・リーグでは10試合に登板し、1勝4敗・防御率5.73であった。7月18日の対福岡ソフトバンクホークス戦で頭部に打球を受け、リハビリを行い、8月18日まで登板ができなかった。このシーズンも首脳陣の評価は高かったが実戦では結果が出ず、遠山奬志から「ブルペンではもっと良い。それが試合で出せるようになれば」と叱咤激励されている[5]

2011年は、ウエスタン・リーグで10試合に登板し、3勝2敗防御率5.93であった。10月23日の対広島戦で3番手としてプロ初登板。先頭打者(安部友裕)をエラーで出塁させるも後続を断ち、1回を無失点に抑えた。

[編集] プレースタイル

189cmの長身から繰り出す140km/h台後半の直球のほか、スライダーフォークボールも投げる[6]。一方で制球にばらつきがあるのが課題[7]

[編集] 詳細情報

[編集] 年度別投手成績





















































W
H
I
P
2011 阪神 2 0 0 0 0 0 0 0 1 ---- 7 1.1 1 0 0 0 0 1 0 0 0 0 0.00 0.75
通算:1年 2 0 0 0 0 0 0 0 1 ---- 7 1.1 1 0 0 0 0 1 0 0 0 0 0.00 0.75
  • 2011年度シーズン終了時

[編集] 記録

  • 初登板:2011年10月23日、対広島東洋カープ23回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)、7回裏から3番手として救援登板、1回無失点
  • 初奪三振:同上、7回裏に東出輝裕から
  • 初ホールド:2011年10月24日、対広島東洋カープ24回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)、8回裏から4番手で救援登板、1/3回無失点

[編集] 背番号

  • 47 (2008年 - 2010年)
  • 64 (2011年 - )

[編集] 登場曲

[編集] 脚注

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[編集] 関連項目

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