西宮神社

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西宮神社
Nishinomiya-jinja01s4592.jpg
本殿
所在地 兵庫県西宮市社家町1番17号
位置 北緯34度44分8.5秒
東経135度20分4.6秒
座標: 北緯34度44分8.5秒 東経135度20分4.6秒
主祭神 西宮大神(蛭子命
社格 県社・別表神社
本殿の様式 春日造
札所等 神仏霊場巡拝の道67番(兵庫2番)
例祭 9月22日
主な神事 十日戎
おこしや祭
誓文祭
地図
西宮神社の位置(兵庫県内)
西宮神社
西宮神社
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拝殿

西宮神社(にしのみやじんじゃ)は、兵庫県西宮市にある神社である。日本に約3500社ある、えびす神社の総本社(名称:「えびす宮総本社」)である。地元では「西宮のえべっさん」と呼ばれる。なお、戎信仰については、えびすを蛭子と同一視する説の他にもいくつかの説が存在する[1]

祭神[編集]

祭神の蛭児命は伊弉諾岐命伊弉諾美命との間に生まれた最初の子である。しかし不具であったため葦の舟に入れて流され、子の数には数えられなかった。ここまでは記紀神話に書かれている内容であり、その後の蛭児命がどうなったかは書かれていない。当社の社伝では、蛭児命は西宮に漂着し、「夷三郎殿」と称されて海を司る神として祀られたという。

歴史[編集]

起源[編集]

創建時期は不明だが、延喜式内社の「大国主西神社」に同定する説がある。現在、境内末社の大国主西神社が式内社とされているが、後述のように西宮神社自体を本来の式内大国主西神社とする説もある。だが延喜式神名帳では菟原郡となっており、西宮神社がある武庫郡ではなく、西宮神社にせよ現在の大国主西神社にせよ、式内社とするには一致しない。ただし武庫郡と菟原郡の境界は西宮神社の約200m西側を流れる夙川でありこの河道の変遷により古代は菟原郡に所属したとする説もある。

式内大国主西神社との関係がいずれとしても、平安時代には廣田神社の境外摂社であり「浜の南宮」または「南宮社」という名であった。廣田神社と神祇伯の白川伯王家との関係から頻繁に白川家の参詣を受けており、既に篤く信仰されていたことが記録に残っている。

平安時代末期、廣田神社の摂社として「夷」の名が初めて文献にあらわれるようになる。そのためこの頃から戎信仰が興ったとの説がある(同時期の梁塵秘抄にも、諏訪大社南宮大社敢国神社と共に、廣田神社末社が南宮とされている)。この南宮が現在の西宮神社のことであり、廣田神社の境外摂社である「南宮神社」が現在でも西宮神社の境内にあるのはその名残りである。

名称[編集]

「西宮」という名称の起源について以下のように諸説ある。

  1. えびす神を最初に祀ったと伝わる鳴尾[2]や古代の先進地域である津門から見て「西の方の宮」という説
  2. 京都から見て貴族の崇敬篤き廣田神社を含む神社群を指して「西宮」と称していたが、戎信仰の隆盛と共に戎社を「西宮」と限定して呼ぶに至ったという説
  3. 「西宮」とは上述の延喜式内社の大国主西神社の事を指すとの説

中世・近世[編集]

神人として人形繰りの芸能集団「傀儡師」が境内の北隣に居住しており、全国を巡回し、えびす神の人形繰りを行って神徳を説いたことにより、えびす信仰が全国に広まった。境内に祀られる百太夫神は傀儡師の神である。中世に商業機構が発展すると、海・漁業の神としてだけでなく、商売の神としても信仰されるようになった。

江戸時代には、徳川家綱により本殿が再建され、また、全国に頒布していたえびす神の神像札の版権を幕府から得て、隆盛した。

近代以降[編集]

明治3年、西宮神社は『摂津志』などの記載により「大国主西神社」と改称した(現在のえびす神は大国主であるとする説も古代からあった)。明治7年6月、大国主西神社(現・西宮神社は)県社に列格した。この頃、境内末社の大己貴社を大国主西神社であるとする説が挙がり、教部省は同年8月に大国主西神社(現・西宮神社)の県社指定を取り消した上で、同年11月、大国主西神社を西宮神社に、大己貴社を大国主西神社に改称して、共に県社に指定した。西宮神社からは大己貴社は元々不動堂であって本来の式内社・大国主西神社ではなく今回の改称は誤った説に基づくもの[3]と上申したが教部省からは(本来の大国主西神社の所在が判明するまでという条件付きではあったが)上申は拒否された。戦後も改称問題は放置され、そのまま現在に至っている。

十日えびす[編集]

毎年1月10日前後の3日間で行われる十日えびす(戎)では、開門神事福男選び、大マグロの奉納、有馬温泉献湯式などの行事とともに、800軒を越える屋台が軒を連ね、開催三日間で百万人を超える参拝者で賑わう。

日程[編集]

  • 1月9日 - 宵えびす 有馬温泉献湯式 宵宮祭
  • 1月10日 - 本えびす 十日えびす大祭 開門神事福男選び
  • 1月11日 - 残り福

福男選び[編集]

正式には「十日戎開門神事福男選び」と呼ばれる。

起源[編集]

西宮神社周辺では古くから1月9日夜「忌(居)篭り」と呼ばれる、家からの外出を禁ずる風習(その間に"えべっさん"が市中を廻られる)がある。神社では1月10日午前4時から十日えびす大祭が執り行われ午前6時ごろに終わると同時に門が開かれ、忌篭りの状態が解かれた後、氏子たちが一斉に家から神社まで駆け抜ける。この風習が福男選びのルーツとされる。神社側によれば、1940年(昭和15年)以降は当時の新聞の戦意高揚記事と関連して、その年の一番福に褒美としてお守りやお供え物を授けたりしたため記録があるが、それ以前のはっきりとした記録はなく、さらに大正時代以前となると、郷土史研究家等が収集した資料によっても記録はほとんどないという。

内容[編集]

南宮神社前の天秤カーブ

当日は未明から多数の人が表大門の前に集合し、午前6時の開門と共に230メートル先の本殿を目指して駆け出す。そして3着までにゴールした人間(待ち構えている神主に抱きつく事が条件になる)が、その年の福男となる。なお、福男といいながらこの祭事は男女混合であり、老若男女を問わず走る事が出来る。しかし、女性の一番福は未だに出現していない。参加者は毎年2000人以上で、特に2009年以降は約6000人が参加している。コースには3箇所のカーブ(天秤・楠両コーナー等)と本殿に駆け上がる木の坂(スリップ坂)が大きな障害としてあり、毎年のテレビ取材ではこの4箇所を中心に大小のカメラを設置している。猛スピードで駆け抜ける為カーブや最後の坂で転倒する者もおり、上手くスピードを制御出来た者が一番福〜三番福の栄誉を獲得出来るといえる。

三番福までの賞品は以下の通り。

  • 一番福:認定書、木彫りのえびす様(大)・副賞 えべっさんのお米1俵(60kg分)・日本酒菰樽4斗(72分)、ヱビスビール1年分、特製法被
  • 二番福:認定書、木彫りのえびす様(小)・副賞 えべっさんのお米1俵(60kg分)、ヱビスビール半年分、特製法被
  • 三番福:認定書、黄金のえびす様大黒様・副賞 八喜鯛、ヱビスビール3ヶ月分、特製法被

2008年(平成20年)からは福男法被、2011年(平成23年)からはヱビスビールが新たに加えられた。また開門前に待っている先着5000名には、開門神事参拝証が授与される。

福男選びは、新聞をはじめ、1997年(平成9年)に「おはようクジラ」(TBS)で初めて実況生中継されたり「ブロードキャスター」(TBS)で特集を組まれるなどテレビニュースになっていたが、扱いはそれほど大きくなかった。しかし2004年(平成16年)に大阪市消防署員による妨害が問題となり、規定が改正(後述)されてから、新春恒例の全国ニュースとして、各テレビ局(主にキー局並びに関西地方局)の報道・情報番組でも大きく取り上げられる様になり、中には午前6時に合わせて福男選びの実況生中継を恒例的に行なう朝の情報番組(「みのもんたの朝ズバッ!」2006年 - 2008、2011年・2013年、「やじうまプラス」2007年・2008年、「おはようコールABC」2007年・2008年、「ズームイン!!サタデー」2009年)、「ズームイン!!SUPER」2011年)、「めざましテレビ」2011年)なども出てきた。

歴史[編集]

1946年(昭和21年)から3年間は、前年に神社が空襲で焼失したため中断。

1965年(昭和40年)に場所取りを巡って乱闘が発生したため自粛。

1966年(昭和41年)と1967年(昭和42年)も、同様に自粛。

1968年(昭和43年)より再開。

1985年(昭和60年)には門を押す参拝者の熱気により5分前に開門してしまったが、そのまま有効となる。

2004年(平成16年)には大阪市中央消防署の署員が一番福となったが、後日この男性が同僚とともに他の参加者を妨害したことがマスコミやネット上で話題になり、同僚達が妨害を認め謝罪し、一番福を返上(繰上げはなし)する騒動になった(本人からの謝罪は一切なかった)[4]。なお、この消防署員は同僚を数日前より門前に配し、後ろへの参加者には自前のくじを引かせていた[5]

2005年(平成17年)前年の事件の影響で、この年以降事前の場所取りを禁止し、神事の為閉門される10日午前0時集合の参加者でくじ(門前有志の開門神事保存会主催)を行い、前列108人(12人9列)のスタート位置を決める方式を取るようになった。

2007年(平成19年)スタート位置決めの不正を防止するためにくじ引き当選者の顔写真を撮影して開門前に照合するという報道[要出典]が一部でなされたものの、神事である関係で実際には行われなかった。

2009年(平成21年)くじが神社公認の開門神事講社主催となる。この年、1番で拝殿に入ろうとした参拝者が転倒するも直ぐに体勢を立て直し、前後数名と共になだれ込んだ結果、ご神縁により1番福を確保する神主に抱き留められ1番福となった。

2010年(平成22年)門前前列の場所割りが先着1500人で行われ、最前列108名と次に続く200名が抽選で選ばれた。

2011年(平成23年)本殿復興50年記念事業の一環として参道脇に祈祷殿が新設され、参道の石畳みが約1メートル東へ敷き直された為、社務所前の曲がり角の角度がやや鋭角になったことが話題になる。場所割り抽選は昨年に続き1月9日深夜12時から南門前にて先着1500人で行われ、最前列108名と次に続く150名が抽選で選ばれた。鋭角になった社務所前の曲がり角は露店が撤去され道幅が広がった結果、安全性が高まった。またこの年から参道中央の楠に安全対策のラバーが巻かれるようになった。

招福大まぐろ奉納[編集]

奉納大まぐろに硬貨を貼り付ける参拝者

神戸市東部卸売市場(神戸市東部水産物卸売協同組合、大水、神港魚類)が大漁を願い、1970年(昭和45年)から毎年1月8日開催の「招福大まぐろ奉納式」で大マグロ(体長約3メートル、重量約300kg、刺身約1500人分)を奉納している。十日えびすの期間中は「招福マグロ」として拝殿に飾られ、多くの参拝者が凍ったマグロの頭や背中などに硬貨を貼り付け、うまく張り付けばお金が身に付くということで、商売繁盛や金運などの願いを掛けて参拝している。なお、十日えびす終了後は解体され、関係者の手で刺身などにして食されている。

有馬温泉献湯式[編集]

有馬温泉の商売繁盛を願う献湯式で毎年1月9日に有馬温泉から金泉を樽で西宮神社に運び、その温泉湯文字を奉納する行事で、1995年(平成7年)からはじまった、献湯式では湯女に扮した芸妓湯もみ太鼓のお囃子にあわせて湯もみ(木の板で温泉をかき回して湯温を下げる)を行い、その温泉と湯文字を神前に奉納している。奉納された金泉に1円玉を浮かべて拝むと福を招くとされている。

文化財[編集]

重要文化財(国指定)
  • 大練塀 - 室町時代初期再建、全長247m、日本最古の築地塀、日本三練塀の一つ
  • 表大門 - 安土桃山時代(慶長9年)再建
県指定文化財
  • 社叢
市指定文化財
  • 銅鐘
旧国宝(国指定)
  • 本殿 - 8月6日の空襲で焼失した。

交通[編集]

なお、十日えびすの時期には、阪急電鉄伊丹線伊丹駅・JR神戸線西宮駅・阪急神戸線西宮北口駅から臨時バスが運行される。

周辺[編集]

脚注[編集]

  1. ^ えびすの項目参照。
  2. ^ 『鳴尾村誌 1885-1951』 鳴尾村誌編纂委員会、西宮市鳴尾区有財産管理委員会、2005年、70-71頁。
  3. ^ 西宮神社の上申によると大己貴社の沿革は概略以下の通り。元々は表大門の外に不動堂と称していた建物がありこれが享保20年(1735年)に大己貴神・少彦名神を祀る大己貴社に改められた。現在の境内末社・大国主西神社のある場所はそれとは別に本地阿弥陀堂があった場所だが取り払いの議が起こり享和2年(1802年)に取り壊された。文化元年(1804年)、大己貴社をその本地阿弥陀堂の跡地に便宜的に遷座して末社とした。これが現在の境内末社・大国主西神社である。
  4. ^ なお、この時の二番福だった男性は2008年(平成20年)に一番福になった。
  5. ^ この事は門付近にいた他の参加者とその時の場所取り画像(電気ポットなどを無断で使用した)で立証された。

参考文献[編集]

  • 西宮神社編 『西宮神社』 学生社、平成15年(2003年)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]