山井大介

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山井 大介
中日ドラゴンズ #29
CD-Daisuke-Yamai.jpg
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 大阪府豊中市
生年月日 1978年5月10日(33歳)
身長
体重
179cm
82kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 2001年 ドラフト6巡目
初出場 2002年4月27日
年俸 3,600万円(2012年)
経歴(括弧内は在籍年)

山井 大介(やまい だいすけ、1978年5月10日 - )は、中日ドラゴンズに所属するプロ野球選手投手)。

目次

[編集] 来歴

[編集] プロ入り前

大阪府豊中市出身。少年時代はボーイズリーグの「箕面スカイラーク」[1]に所属。神戸弘陵学園高等学校時代には後にプロでチームメイトとなる玉野宏昌と同級生だった。その後奈良産業大学を経て、社会人野球河合楽器に入社。

2001年第72回都市対抗野球大会の準決勝で勝利を挙げるなど、同社の初優勝に貢献する。しかし同年限りで野球部が休部したため、社会人1年目だが特例措置でドラフト対象となり、2001年のドラフト中日ドラゴンズから6巡目指名を受け入団。なお、同僚の久本祐一も4巡目指名でドラゴンズに入団している。

[編集] プロ入り後

ルーキーイヤーの2002年オーバースローサイドスローを併用する変則投法で、新人ながらシーズン31試合に登板、6勝(3敗)を挙げた。

2003年は、サイドスロー固定を図ったが、逆にフォームを崩してしまいシーズン4試合の登板に終わる。しかし、ウエスタン・リーグでは最多勝を獲得。

2004年シーズン後半、オーバースローに固定して一軍に復帰、9月12日広島戦で初完封勝利を記録。なお、首脳陣はこの日の先発投手を長峰昌司とのじゃんけんで争わせ、パーの長峰に対してチョキを出した山井が勝った。この一件から山井は“ジャンケン男”と呼ばれている。同年の日本シリーズ第4戦において、高速スライダーを主とした投球で西武相手に無失点の快投をした。

2005年は一軍と二軍を行き来。序盤は先発登板が多かったものの結果を残せなかったが、後半戦では主にリリーフに回り、抜群の安定感を発揮した。

2006年、右肩の痛みから初めて一軍登板無しに終わった。同年オフ、幼馴染との結婚を発表[2]。ちなみに結婚相手は、山井の父親が監督であり山井自身も所属していた少年野球チーム「大阪ドラゴンズ」のマネージャーだった。

2007年は、山本昌の不調から先発ローテーションの一角を任されるが、援護が少なく長らく勝ち星から見放されていた。また、序盤から突然崩れることも目立ち、波に乗れなかった。8月21日の対巨人戦に登板し、またも初回からピンチを招くが、1失点で切り抜けるとその後は無得点に抑え、2年ぶりとなるシーズン初勝利を挙げた。その後は調子も安定し、稀にみる巨人及び阪神との三つ巴の優勝争いの中、9月には登板5試合で4勝1敗、防御率3.00の好成績を上げ、自身初のセ・リーグ月間MVPを受賞した。クライマックスシリーズでは第2ステージ第1戦での先発予定も右肩痛再発のため回避。日本シリーズでは第5戦に登板し、8回を完全に抑えた。先発投手の8回パーフェクトピッチングは日本シリーズの新記録(過去の最高記録は村山実(阪神)、佐々岡真司(広島)が樹立した7回1/3)である。また、9回に降板して、守護神の岩瀬仁紀が登板して三者凡退で抑えたことで、レギュラーシーズン中も含めて史上初の継投による完全試合を達成(先発投手1人で1試合投げ切る事が条件になる為、公式には完全試合とは記録されていない)。しかし、山井から岩瀬への継投を行った落合監督の采配については、スポーツマスコミ、野球評論家などを中心に賛否両論が巻き起った(2007年日本シリーズにおける完全試合目前の継投)。

2008年、前年の日本シリーズの好投もあり、活躍が期待されたがオープン戦序盤に下半身の張りを訴えて出遅れ、4月9日に選手登録された。しかし2試合に登板したのみで、右ひじ痛のため出場選手登録を抹消された。その後、クライマックスシリーズで再び一軍登録されるも不甲斐ないシーズンとなってしまった。

2009年、エースの川上憲伸が抜けたことにより、先発ローテの一角を担うことが期待された。しかし、開幕一軍はならなかった。4月15日に今季初の一軍昇格。4月19日の対巨人戦に登板するも2回4失点で降板した。5月8日の対巨人戦も1回3失点と振るわず、試合後二軍に降格した。その後は一軍復帰し、岩瀬仁紀の故障時に自身4年ぶりとなるセーブを記録するなど中継ぎでの登板が多くなった。クライマックスシリーズ目前の巨人戦に先発登板,負け投手となり目の前で巨人優勝の胴上げを見ることになってしまった。クライマックスシリーズでの巨人戦では中継ぎ登板し、1イニングを0に抑えた。

2010年4月6日横浜戦で3年ぶりの勝利投手となる。7月16日の広島戦では6年ぶりの完封を飾り、この試合以降でプロ野球新記録となる「チーム5試合連続完封」を記録することとなった。また8月18日の巨人戦(ナゴヤドーム)で、巨人打線を8回終了時まで無安打に抑えていたが、9回の先頭打者坂本勇人に初被安打・初失点となる本塁打を打たれ、直後に岩瀬に交代した(試合は3-1で中日が勝利)。その後のヒーローインタビューでは2007年日本シリーズにおける完全試合目前の継投を受け、「やっぱり8回までしか持ちませんでした」と自虐的にコメントした。肩、ひじに疲れのたまりにくいフォームに改造し、かつての決め球である落差のあるスライダーとも決別、直球、フォークに新スライダーとカーブを組み合わせるスタイルにモデルチェンジしたことが要因とされる(週刊ベースボール中日ドラゴンズ優勝記念号より)。巨人戦に相性がよく4試合に登板し3勝0敗防御率2.73だった。

2011年吉見一起チェン・ウェインの故障によりシーズン前は開幕投手候補と言われたが、右肘の違和感で開幕一軍を逃し、その後は左足首の骨折もありシーズン終盤まで一軍に定着できなかった。8月に一軍昇格して以降は先発で3勝を挙げた。ソフトバンクとの日本シリーズでは第4戦では1点ビハインドの場面でリリーフ登板し、2回をパーフェクトに抑えた。しかし、両チーム3勝3敗で迎えた第7戦では先発を任されたが、3回途中1失点で敗戦投手となってしまった。

[編集] プレースタイル

平均球速143km/h[3]、最速151km/hのストレート、縦へ変化するスライダーフォークボールシュートを投げ分ける。

先発としては長い回を無失点に抑える試合もあれば、同じチーム相手に序盤で大量失点を喫して降板する等、安定した投球をできないのが課題の一つである。

[編集] 人物

乱視を矯正するためのサングラスを着用している風貌がウルトラセブンにそっくりなため、ネット上ではそれがそのまま愛称となっている。また、投手ではあるが打席に入る時の音楽が『ウルトラセブンのうた』(~2006年、2010年~)ただし3打席目以降にこの登場曲が使用される。一時期は『勇者ライディーン』のテーマだった。父は地元の北海道札幌市の「ほっかいドうラゴンズ少年野球団」の団長・総監督を務めている[4]

関西出身とあって、幼い頃から大の阪神ファンであり、社会人時代まで阪神タイガースの法被を着て応援に行くほどの熱狂振りであったことを公言している。

かつて中日の監督を務めた落合博満からの評価は非常に高い。落合はあまり選手を褒めないが、「あれだけのものを持っているのだから」と発言している。また、シーズン前には山井の名を挙げ、「2ヶ月でも3ヶ月でもいいからやってほしい」とも発言している。また、「やっぱり山井だね」とも言わしめた。

大谷昭宏とは一緒のマンションに住んでいたことがあるらしい[5]

2010年10月、漫才師オール巨人の長男であるタレントでプロゴルファーの南出仁寛が山井の妹と結婚することが発表された。

[編集] 詳細情報

[編集] 年度別投手成績





















































W
H
I
P
2002 中日 31 15 0 0 0 6 3 0 -- .667 372 84.2 92 7 34 1 7 68 8 0 40 37 3.93 1.49
2003 4 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 27 5.2 11 0 1 0 0 3 0 0 5 3 4.76 2.12
2004 8 4 1 1 0 2 1 0 -- .667 117 27.0 29 4 16 0 0 31 1 0 10 10 3.33 1.67
2005 27 15 0 0 0 3 5 1 2 .375 440 106.2 102 14 31 0 5 90 3 1 53 49 4.13 1.25
2007 14 13 1 0 0 6 4 0 0 .600 353 83.0 75 6 32 3 1 56 1 0 36 31 3.36 1.29
2008 2 1 0 0 0 0 1 0 0 .000 30 9.0 5 1 0 0 0 10 0 0 1 1 1.00 0.56
2009 17 6 0 0 0 0 4 2 2 .000 170 36.2 42 6 20 0 2 29 6 0 29 26 6.38 1.69
2010 19 18 1 1 0 7 4 0 1 .636 464 110.1 105 10 39 2 5 84 5 0 49 46 3.75 1.31
2011 10 8 0 0 0 3 3 0 1 .500 203 45.2 51 3 18 1 1 35 1 0 24 22 4.34 1.51
通算:9年 132 80 3 2 0 27 25 3 6 .519 2176 508.2 512 51 191 7 21 406 25 1 247 225 3.98 1.38
  • 2011年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

[編集] タイトル

  • ウエスタンリーグ最多勝:2回 (2003年、2009年)
  • ウエスタンリーグ最優秀防御率:1回 (2009年)

[編集] 表彰

[編集] 記録

初記録(投手記録)
  • 初登板 2002年4月27日、対広島東洋カープ5回戦(ナゴヤドーム)、4回表に2番手で救援登板、1回無失点
  • 初奪三振:同上、4回表に西山秀二から
  • 初先発・初勝利:2002年5月8日、対読売ジャイアンツ8回戦(ナゴヤドーム)、5回1/3無失点
  • 初完投勝利・初完封勝利:2004年9月12日、対広島東洋カープ26回戦(ナゴヤドーム)
  • 初セーブ:2005年8月9日、対阪神タイガース13回戦(ナゴヤドーム)、6回表に3番手で救援登板・完了、4回無失点
  • 初ホールド:2005年8月31日、対阪神タイガース16回戦(阪神甲子園球場)、8回裏に5番手で救援登板、1回無失点
初記録(打撃記録)
日本シリーズ記録
  • 日本シリーズ個人投手最多連続無走者記録:24人
  • 日本シリーズ個人投手先発連続無走者新記録:24人
  • 日本シリーズ個人投手先発最多投球回無安打新記録:8回

※いずれも2007年11月1日、対北海道日本ハムファイターズ第5戦(ナゴヤドーム)で記録。

[編集] 背番号

  • 29 (2002年 - )

[編集] 脚注

  1. ^ 日本少年野球連盟出身選手
  2. ^ 中日スポーツ』2006年12月11日付 3面[1]
  3. ^ 『2011プロ野球オール写真選手名鑑』 日本スポーツ企画出版社、2011年、183頁。ISBN 978-4-930942-98-2
  4. ^ [2](「大阪ドラゴンズ少年野球団」)
  5. ^ 2010年7月17日放送のドラゴンズHOTスタジオより。

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

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