山井大介
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| 中日ドラゴンズ #29 | |
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投球する山井大介(2007年)
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| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 出身地 | 大阪府豊中市 |
| 生年月日 | 1978年5月10日(31歳) |
| 身長 体重 |
177cm 81kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| 守備位置 | 投手 |
| プロ入り | 2001年 ドラフト6巡目 |
| 初出場 | 2002年4月27日 |
| 年俸 | 2400万円(2009年) |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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この表について
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山井 大介(やまい だいすけ、1978年5月10日 - )は、中日ドラゴンズに所属するプロ野球選手(投手)。
目次 |
[編集] プレースタイル
最速151km/hの直球、スラーブ気味に縦へ大きく変化するスライダー、フォークボール、シュートを投げ分ける。
[編集] 来歴
[編集] プロ入り前
大阪府豊中市出身。少年時代はボーイズリーグの「箕面スカイラーク」[1]に所属。神戸弘陵学園高等学校時代には後にプロでチームメイトとなる玉野宏昌と同級生だった。その後奈良産業大学を経て、社会人野球の河合楽器に入社。
2001年の第72回都市対抗野球大会の準決勝で勝利を挙げるなど、同社の初優勝に貢献する。しかし同年限りで野球部が休部したため、社会人1年目だが特例措置でドラフト対象となり、秋のドラフトにおいて中日ドラゴンズから6巡目指名を受け入団。なお、同僚の久本祐一も4巡目指名で入団している。
[編集] プロ入り後
ルーキーイヤーの2002年、オーバースローとサイドスローを併用する変則投法で、新人ながらシーズン31試合に登板、6勝(3敗)を挙げた。
2003年は、サイドスロー固定を図ったが、逆にフォームを崩してしまいシーズン4試合の登板に終わる。しかし、ウエスタン・リーグでは最多勝を獲得。
2004年シーズン後半、オーバースローに固定して一軍に復帰、9月12日の広島戦で初完封勝利を記録。なお、首脳陣はこの日の先発投手を長峰昌司とのじゃんけんで争わせ、パーの長峰に対してチョキを出した山井が勝った。この一件から山井は“ジャンケン男”と呼ばれている。同年の日本シリーズ第4戦において、高速スライダーを主とした投球で西武相手に無失点の快投をした。
2005年シーズン中は一軍と二軍を行き来。序盤は先発登板が多かったものの結果を残せなかったが、後半戦では主にリリーフに回り、抜群の安定感を発揮した。
2006年、右肩の痛みから初めて一軍登板無しに終わった。同年オフ、幼馴染との結婚を発表[2]。ちなみに結婚相手は、山井の父親が監督であり山井自身も所属していた少年野球チーム「大阪ドラゴンズ」のマネージャーだった。
2007年は、山本昌の不調から先発ローテーションの一角を任されるが、援護が少なく長らく勝ち星から見放されていた。また、序盤から突然崩れることも目立ち、波に乗れなかった。8月21日の対巨人戦に登板し、またも初回からピンチを招くが、1失点で切り抜けるとその後は無得点に抑え、2年ぶりとなるシーズン初勝利を挙げた。その後は調子も安定し、まれにみる巨人および阪神との三つ巴の優勝争いの中、9月には登板5試合で4勝1敗、防御率3.00の好成績を上げ、自身初のセ・リーグの月間MVPを受賞した。2007年のクライマックスシリーズでは第2ステージ第1戦での先発予定も右肩痛再発のため回避したが、日本シリーズでは第5戦に登板し、8回を完全に抑えた。先発投手の8回パーフェクトピッチングは日本シリーズの新記録(過去の最高記録は村山実(阪神)、佐々岡真司(広島)が樹立した7回1/3)である。また、9回は守護神岩瀬が三者凡退で抑え、レギュラーシーズン中も含めて史上初の継投による完全試合を達成した(ただし投手1人による完投ではないため参考記録であり、完全試合達成者には含まれない)。
2008年、前年の日本シリーズの好投もあり、活躍が期待されたがオープン戦序盤に下半身の張りを訴えて出遅れ、4月9日に選手登録された。しかし2試合に登板したのみで、右ひじ痛のため出場選手登録を抹消された。その後、クライマックスシリーズで再び1軍登録されるも不甲斐ないシーズンとなってしまった。
2009年、エースの川上憲伸(現アトランタ・ブレーブス)が抜けたことにより、先発ローテの一角を担うことが期待された。しかし、開幕一軍はならなかった。4月15日に今季初の一軍昇格。4月19日の対巨人戦に登板するも2回4失点で降板した。
[編集] 人物
乱視を矯正するためのサングラスを着用している風貌がウルトラセブンにそっくりなため、ネット上ではそれがそのまま愛称となっている。また、投手ではあるが打席に入る時の音楽がウルトラセブンのテーマだった(2006年まで)。現在のテーマは『勇者ライディーン』である。父は地元の大阪府豊中市の「大阪ドラゴンズ少年野球団」の団長・総監督を務めている[3]。
関西出身とあって、幼い頃から大の阪神ファンであり、社会人時代まで阪神タイガースの法被を着て応援に行くほどの熱狂振りであったことを公言している。ちなみに2008年10月現在、プロ入りしてから対阪神戦では1勝もしておらず、セ・リーグ球団との対戦では唯一勝ち星を挙げていない対戦球団である。
[編集] 完全試合で日本一寸前の投手交代
2007年、日本ハムとの日本シリーズで、中日の3勝1敗で迎えた第5戦に先発登板した山井は、8回までパーフェクトピッチングという快投を見せていた。最終回を3人で抑えれば、日本シリーズ優勝をシリーズ史上初の完全試合で決めるという可能性があったが、9回表、球場の中日ファンから山井の続投を望む山井コールが湧き起こっていた中、落合監督は、ストッパー岩瀬仁紀への継投策を取った。この落合監督の采配に対して賛否両論が巻き起こった。
[編集] 詳細情報
[編集] 年度別投手成績
| 年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2002 | 中日 | 31 | 15 | 0 | 0 | 0 | 6 | 3 | 0 | -- | .667 | 372 | 84.2 | 92 | 7 | 34 | 1 | 7 | 68 | 8 | 0 | 40 | 37 | 3.93 | 1.49 |
| 2003 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 27 | 5.2 | 11 | 0 | 1 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | 5 | 3 | 4.76 | 2.12 | |
| 2004 | 8 | 4 | 1 | 1 | 0 | 2 | 1 | 0 | -- | .667 | 117 | 27.0 | 29 | 4 | 16 | 0 | 0 | 31 | 1 | 0 | 10 | 10 | 3.33 | 1.67 | |
| 2005 | 27 | 15 | 0 | 0 | 0 | 3 | 5 | 1 | 2 | .375 | 440 | 106.2 | 102 | 14 | 31 | 0 | 5 | 90 | 3 | 1 | 53 | 49 | 4.13 | 1.25 | |
| 2007 | 14 | 13 | 1 | 0 | 0 | 6 | 4 | 0 | 0 | .600 | 353 | 83.0 | 75 | 6 | 32 | 3 | 1 | 56 | 1 | 0 | 36 | 31 | 3.36 | 1.29 | |
| 2008 | 2 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | .000 | 30 | 9.0 | 5 | 1 | 0 | 0 | 0 | 10 | 0 | 0 | 1 | 1 | 1.00 | 0.56 | |
| 通算:6年 | 86 | 48 | 2 | 1 | 0 | 17 | 14 | 1 | 2 | .548 | 1339 | 316.0 | 314 | 32 | 114 | 4 | 13 | 258 | 13 | 1 | 145 | 131 | 3.73 | 1.35 | |
- 2008年度シーズン終了時
- 各年度の太字はリーグ最高
[編集] 背番号
- 29(2002年 - )
[編集] タイトル・表彰・記録
- 月間MVP:1回(2007年9月)
- 日本シリーズ優秀選手:1回(2007年)
- 日本シリーズ個人投手最多連続無走者記録:24人(2007年11月1日、第5戦)
- 日本シリーズ個人投手先発連続無走者新記録:24人(2007年11月1日、第5戦)
- 日本シリーズ個人投手先発最多投球回無安打新記録:8回(2007年11月1日、第5戦)
[編集] 脚注
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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