山井大介

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山井 大介
中日ドラゴンズ #29
CD-Daisuke-Yamai.jpg
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 大阪府豊中市
生年月日 1978年5月10日(36歳)
身長
体重
179 cm
82 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 2001年 ドラフト6巡目
初出場 2002年4月27日
年俸 1億2,000万円(2015年)
※2015年から3年契約
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

山井 大介(やまい だいすけ、1978年5月10日 - )は、中日ドラゴンズに所属するプロ野球選手投手)。

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

大阪府豊中市出身。少年時代はボーイズリーグの「箕面スカイラーク」[1]に所属。神戸弘陵学園高等学校時代には後にプロでチームメイトとなる玉野宏昌と同級生だった。その後奈良産業大学を経て、社会人野球河合楽器に入社。

2001年第72回都市対抗野球大会の準決勝で勝利を挙げるなど、同社の初優勝に貢献する。しかし同年限りで野球部が休部したため、社会人1年目だが特例措置でドラフト対象となり、2001年のドラフト中日ドラゴンズから6巡目指名を受け入団。なお、同僚の久本祐一も4巡目指名でドラゴンズに入団している。

プロ入り後[編集]

ルーキーイヤーの2002年オーバースローサイドスローを併用する変則投法で、新人ながらシーズン31試合に登板、6勝(3敗)を挙げた。

2003年は、サイドスロー固定を図ったが、逆にフォームを崩してしまいシーズン4試合の登板に終わる。しかし、ウエスタン・リーグでは最多勝を獲得。

2004年シーズン後半、オーバースローに固定して一軍に復帰、9月12日の対広島東洋カープ戦で初完封勝利を記録。西武ライオンズとの日本シリーズ第4戦で、無失点に抑えた。

2005年は一軍と二軍を行き来。序盤は先発登板が多かったものの結果を残せなかったが、後半戦では主にリリーフに回り、抜群の安定感を発揮した。

2006年、右肩の痛みから初めて一軍登板無しに終わった。同年オフ、幼馴染との結婚を発表[2]

2007年は、山本昌の不調から先発ローテーションの一角を任されるが、援護が少なく長らく勝ち星から見放されていた。また、序盤から突然崩れることも目立ち、波に乗れなかった。8月21日の対巨人戦に登板し、またも初回からピンチを招くが、1失点で切り抜けるとその後は無得点に抑え、2年ぶりとなるシーズン初勝利を挙げた[3]。その後は調子も安定し、稀にみる巨人及び阪神との三つ巴の優勝争いの中、9月には登板5試合で4勝1敗、防御率3.00の好成績を上げ、自身初のセ・リーグ月間MVPを受賞した[4]クライマックスシリーズでは第2ステージ第1戦での先発予定も右肩痛再発のため回避。北海道日本ハムファイターズとの日本シリーズでは第5戦(ナゴヤドーム)に登板し、8回まで1人も走者を出さない完全試合としたが[5]、9回に降板して、抑えの岩瀬仁紀が三者凡退で抑えたことで、レギュラーシーズン中も含めてNPB史上初の継投による完全試合を達成[6][7]。しかし、山井から岩瀬への継投を行った監督の落合博満の采配については、スポーツマスコミ、野球評論家などを中心に賛否両論が巻き起った(2007年日本シリーズにおける完全試合目前の継投)。

2008年3月2日の日本ハムとのオープン戦に右足内転筋痛を訴えて出遅れ[8]4月9日に選手登録された[9]4月17日の対読売ジャイアンツ戦に先発し、7回を1失点に抑えるも敗戦投手に[10]。しかし、2試合に登板したのみで、右ひじ痛のため出場選手登録を抹消された[11]。その後、クライマックスシリーズで再び一軍登録されるも不甲斐ないシーズンとなってしまった。

2009年、エースの川上憲伸が抜けたことにより、先発ローテの一角を担うことが期待された。しかし、開幕一軍はならなかった。4月15日に今季初の一軍昇格。4月19日の対巨人戦に登板するも2回4失点で降板した。5月8日の対巨人戦も1回3失点と振るわず、試合後二軍に降格した。その後は一軍復帰し、岩瀬仁紀の故障時に自身4年ぶりとなるセーブを記録するなど中継ぎでの登板が多くなった。クライマックスシリーズ目前の対巨人戦に先発登板したが、負け投手となり目の前で巨人優勝の胴上げを見ることになってしまった。クライマックスシリーズでの対巨人戦では中継ぎ登板し、1イニングを0に抑えた。

2010年4月6日の対横浜ベイスターズ戦で3年ぶりの勝利投手となる。7月16日の広島戦では6年ぶりの完封を飾り、この試合以降でプロ野球新記録となる「チーム5試合連続完封」を記録することとなった。また8月18日の対巨人戦(ナゴヤドーム)で、巨人打線を8回終了時まで無安打に抑えていたが、9回の先頭打者坂本勇人に初被安打・初失点となる本塁打を打たれ、直後に岩瀬に交代した(試合は3対1で中日が勝利)。その後のヒーローインタビューでは2007年日本シリーズにおける完全試合目前の継投を受け、「やっぱり8回までしか持ちませんでした」と自虐的にコメントした。肩、ひじに疲れのたまりにくいフォームに改造し、かつての決め球である落差のあるスライダーとも決別、直球、フォークに新スライダーとカーブを組み合わせるスタイルにモデルチェンジしたことが要因とされる(週刊ベースボール中日ドラゴンズ優勝記念号より)。巨人戦に相性がよく4試合に登板し3勝0敗防御率2.73だった。

2011年吉見一起チェンの故障によりシーズン前は開幕投手候補と言われたが、右肘の違和感で開幕一軍を逃し、その後は左足首の骨折もありシーズン終盤まで一軍に定着できなかった。8月に一軍昇格して以降は先発で3勝を挙げた。福岡ソフトバンクホークスとの日本シリーズでは第4戦では1点ビハインドの場面でリリーフ登板し、2回を無安打無四球に抑えた。両チーム3勝3敗で迎えた第7戦で先発したが、3回途中1失点で敗戦投手となっている。

2012年、監督の高木守道と投手コーチの権藤博の思案もあって中継ぎから始まった。4月17日の巨人戦から4試合連続で先発(シーズン合計は5試合に先発)した他、5月8日の対広島戦ではロングリリーフも務めた。中盤からは浅尾拓也が肩痛、岩瀬が成績不振で登録を抹消されて8月2日からセットアッパーと抑えを務めた。1年で先発、中継ぎ、ロングリリーフ、抑えと1人4役をこなし、初めてシーズンを通して1軍に帯同。自己最高の56試合登板、防御率1.43、15セーブ、13ホールドを記録し、クライマックスシリーズでも浅尾、田島慎二と共にセットアッパー及び抑え投手として貢献した。前年まで中日の投手コーチだった森繁和からは「環境が変わったのが大きいのではないか」「本当に嬉しいし、誇りに思う」と賞賛された[12]

2013年第3回WBC日本代表候補に選出されるが、ボールに対応できず[13]最終メンバーの28人には選ばれなかった。開幕当初は中継ぎだったものの、4月19日の対DeNA戦でサヨナラ本塁打を打たれるなどあり、4月下旬には2軍降格、5月下旬に先発として1軍に復帰。6月28日、対横浜DeNAベイスターズ戦(横浜スタジアム)で、NPB史上77人目(88度目)のノーヒットノーランを達成。3奪三振、4与四球でスコアは9対0[14]

2014年9月6日の対阪神戦(ナゴヤドーム)で7イニングを6安打2失点で、自身初の10勝目を挙げた。なお、36歳で初めて10勝を記録したのはNPB史上最年長記録となった[15]。この年は13勝で[[最多勝]、最高勝率の二冠を獲得した。

選手としての特徴[編集]

平均球速143km/h[16]スライダーシュートなど投げるボールは全て高水準にある一方、制球に難があるようである[17]

人物[編集]

父は地元・大阪府豊中市の「大阪ドラゴンズ少年野球団」の団長・総監督を務めている[18]

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]





















































W
H
I
P
2002 中日 31 15 0 0 0 6 3 0 -- .667 372 84.2 92 7 34 1 7 68 8 0 40 37 3.93 1.49
2003 4 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 27 5.2 11 0 1 0 0 3 0 0 5 3 4.76 2.12
2004 8 4 1 1 0 2 1 0 -- .667 117 27.0 29 4 16 0 0 31 1 0 10 10 3.33 1.67
2005 27 15 0 0 0 3 5 1 2 .375 440 106.2 102 14 31 0 5 90 3 1 53 49 4.13 1.25
2007 14 13 1 0 0 6 4 0 0 .600 353 83.0 75 6 32 3 1 56 1 0 36 31 3.36 1.29
2008 2 1 0 0 0 0 1 0 0 .000 30 9.0 5 1 0 0 0 10 0 0 1 1 1.00 0.56
2009 17 6 0 0 0 0 4 2 2 .000 170 36.2 42 6 20 0 2 29 6 0 29 26 6.38 1.69
2010 19 18 1 1 0 7 4 0 1 .636 464 110.1 105 10 39 2 5 84 5 0 49 46 3.75 1.31
2011 10 8 0 0 0 3 3 0 1 .500 203 45.2 51 3 18 1 1 35 1 0 24 22 4.34 1.51
2012 56 5 0 0 0 4 3 15 13 .571 385 101.0 71 3 23 1 2 80 3 0 20 16 1.43 0.93
2013 23 16 1 1 0 5 6 0 1 .455 434 97.2 105 11 44 4 4 63 0 0 48 45 4.15 1.53
2014 27 27 1 1 0 13 5 0 0 .722 716 173.2 156 13 66 1 4 103 1 0 64 62 3.21 1.27
通算:12年 238 128 5 4 0 49 39 18 20 .557 3711 881 844 78 324 13 31 652 29 1 379 348 3.56 1.33
  • 2014年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

タイトル[編集]

表彰[編集]

記録[編集]

背番号[編集]

  • 29 (2002年 - )

打席時テーマ曲[編集]

  • 「ウルトラセブンのうた」(第3打席以降)(~2013年)
  • 「GO」DEEP(2013年シーズン途中)
  • 「ガッチャマンの歌」TAKEISHI(2014年~)

脚注[編集]

  1. ^ 日本少年野球連盟出身選手
  2. ^ 中日スポーツ』2006年12月11日付 3面[1]
  3. ^ “山井、2年ぶり白星 「あきらめずに良かった」”. CHUNICHI web (中日スポーツ). (2007年8月22日). http://www.chunichi.co.jp/chuspo/hold/dragons/news/2007/200708/CK2007082202042834.html 2013年5月11日閲覧。 
  4. ^ “山井、月間MVP 9月4勝 感激初受賞”. CHUNICHI web (中日スポーツ). (2007年10月3日). http://www.chunichi.co.jp/chuspo/hold/dragons/news/2007/200710/CK2007100302053404.html 2013年5月11日閲覧。 
  5. ^ “山井にナゴヤ心酔! 圧投24アウト”. CHUNICHI web (中日スポーツ). (2007年11月2日). http://www.chunichi.co.jp/chuspo/hold/dragons/news/2007/200711/CK2007110202061152.html 2013年5月11日閲覧。 
  6. ^ 先発投手1人で1試合投げ切る事が条件になる為、公式には完全試合とは記録されていない
  7. ^ “完全!!オレ竜日本一 53年ぶり悲願”. CHUNICHI web (中日スポーツ). (2007年11月2日). http://www.chunichi.co.jp/chuspo/hold/dragons/news/2007/200711/CK2007110202061155.html 2013年5月11日閲覧。 
  8. ^ “山井、開幕ローテ無理しない 下半身違和感なし!!”. CHUNICHI Web (中日スポーツ). (2008年3月15日). http://www.chunichi.co.jp/chuspo/hold/dragons/news/2008/200803/CK2008031502095480.html 2013年5月13日閲覧。 
  9. ^ “山井、完全復活 金本斬り2イニング3K”. CHUNICHI Web (中日スポーツ). (2008年4月10日). http://www.chunichi.co.jp/chuspo/hold/dragons/news/2008/200804/CK2008041002102679.html 2013年5月13日閲覧。 
  10. ^ “山井、上出来の先発復帰 7イニング1失点”. CHUNICHI Web (中日スポーツ). (2008年4月18日). http://www.chunichi.co.jp/chuspo/hold/dragons/news/2008/200804/CK2008041802004487.html 2013年5月13日閲覧。 
  11. ^ “山井が右ひじ痛で抹消”. CHUNICHI Web (中日スポーツ). (2008年4月26日). http://www.chunichi.co.jp/chuspo/hold/dragons/news/2008/200804/CK2008042602006657.html 2013年5月13日閲覧。 
  12. ^ 『週刊ベースボール』2012年10月29日号 森繁和の投手考察第29回
  13. ^ “山井ボロボロ…3四死球の大荒れ”. SANSPO.COM. (2013年2月20日). http://www.sanspo.com/baseball/news/20130218/dra13021805050000-n1.html 2013年2月20日閲覧。 
  14. ^ 山井 あきらめていた7年越しノーヒッター「あの山井とは別人ですから」スポーツニッポン2013年6月28日配信
  15. ^ 中日山井、史上最年長36歳で初の2桁10勝ニッカンスポーツ2014年9月6日配信
  16. ^ 『2011プロ野球オール写真選手名鑑』 日本スポーツ企画出版社、2011年、183頁。ISBN 978-4-930942-98-2
  17. ^ 小関順二 『プロ野球スカウティングレポート2014』 廣済堂出版2014年、370頁。ISBN 978-4-331-51810-6
  18. ^ [2](「大阪ドラゴンズ少年野球団」)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]