田上秀則

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田上 秀則
福岡ソフトバンクホークス #70
HAWKS-No70-Hidenori.Tanoue.JPG
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 大阪府大阪市住之江区
生年月日 1980年3月20日(31歳)
身長
体重
178cm
83kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 捕手一塁手
プロ入り 2001年 ドラフト3巡目
初出場 2002年10月8日
年俸 3,000万円(2012年)
経歴(括弧内は在籍年)

田上 秀則(たのうえ ひでのり、1980年3月20日 - )は、福岡ソフトバンクホークスに所属するプロ野球選手捕手)。

目次

[編集] 経歴

[編集] プロ入り前

敷津浦小学校時代に野球を始め、住之江中学校進学後は黒田一博が監督を務めていたボーイズリーグ・オール住之江に入団。大阪産業大学附属高校を経て入学した九州共立大学では、山村路直新垣渚ら大学球界を代表する投手の球を受けてきた。大学2年時には明治神宮野球大会で優勝。打者としても大学最後のシーズンでリーグ新となる9本塁打を打ち、その年のドラフト中日ドラゴンズに3巡目で指名され入団。背番号9を与えられ、大型捕手と期待された。

[編集] プロ入り後

2年目の2003年には13本塁打を放ちウエスタン・リーグ本塁打王を獲得。2004年には監督に就任したばかりの落合博満から「右の4番候補」の一人として期待された。しかし、4年間で1軍出場13試合、2安打と結果を残せず、2005年オフに戦力外通告を受けた。

その後、城島健司FA宣言したため捕手の補強を目指していた福岡ソフトバンクホークスの入団テストに合格。 2006年5月末、得点力不足に喘ぐチーム事情のため一軍昇格。6月1日横浜戦でスタメン出場し、三浦大輔からプロ初本塁打を放つ。その後は1軍での守備経験の少なさから、主に打力を買われての指名打者や代打での出場となった。捕手6試合、一塁手1試合、三塁手2試合を守ったが、それ以外は全て指名打者での出場。1番大村直之、2番川崎宗則、4番松中信彦ら左打者が上位打線に固定されていたため、スタメンの際は主に3番を打った。一時期、三塁手への転向も検討されたが、小久保裕紀の復帰や田上本人の希望もあり、引き続き捕手で登録されている。

2007年、自己最多の9本塁打を放ち、捕手として78試合に出場するなど出場機会が増加。シーズン中に行われた、監督の王貞治の提案によるチーム内でのホームラン競争で、50スイング中22本の柵越を放ち優勝を飾った。

2008年、前年に続いて開幕1軍入り。3月24日ロッテ戦では生涯初のサヨナラヒットを放った。この日は開幕初スタメンで、先制打、同点打、サヨナラ打を一人で放ち、チームの開幕5連勝に貢献した。しかし、4月30日西武戦での守備中に、本塁に突入した中島裕之と交錯した際、左足首を捻挫し、戦線を離脱。9月2日に一軍復帰を果たすが、ホークス移籍後最少の出場試合数に終わった。

2009年、5月から正捕手に定着。5月14日のロッテ戦で荻野忠寛からプロ入り初のサヨナラ本塁打を放った。この時、前の打者長谷川勇也も本塁打を放っており、同点本塁打、サヨナラ本塁打の2者連続本塁打となった。6月6日の広島戦でマツダスタジアムの新幹線防護ネットに突き刺さる球場初の場外本塁打を放った(推定140m)。7月、監督推薦によりオールスター戦に初出場。主に下位打線での起用ながら本塁打を量産し、9月3日のオリックス戦で第20号の本塁打を放った。10月11日のシーズン最終戦で球団通算7500本目となる第26号の本塁打を放った。ホークスの捕手で20本塁打・80打点を記録したのは城島以来4年ぶり。初めて規定打席に到達し、チーム最多、パ・リーグ4位の26本塁打、同じホークスの小久保に次いで、松中と並ぶリーグ9位の80打点を記録。パ・リーグのベストナインに選出された。この年には3歳年上の女性と結婚している。

2010年は開幕から極度の不振で、4月には山崎勝己に正捕手の座を奪われ二軍落ちも経験した。その後、6月20日に山崎が半月板損傷の怪我を負ったことからスタメンに復帰し、打撃面では復調の兆しも見られたが、守備面ではキャッチング、スロ-イングのまずさなどを露呈する結果となった。8月下旬に山崎が復帰すると再びスタメン出場は激減。杉内俊哉とのコンビで最優秀バッテリー賞は獲得したものの、前年を下回る84試合の出場にとどまり、盗塁阻止率は規定出場数(シーズン試合数の半数)を満たした捕手としては2000年の礒部公一が記録した.109を上回りプロ野球史上ワーストとなる.069を記録。打率、本塁打、打点も前年より落ち込んだ。

2011年は開幕2軍スタートとなる。5月21日に一軍へ昇格するが、7月14日の楽天戦で左肩を負傷。左肩亜脱臼と診断され、7月15日に出場選手登録を抹消された。10月中旬に左肩関節腱板縫合の手術を受け、ホークスに移籍して最小の14試合の出場に留まった。

[編集] プレースタイル

広角に長打の打てる打撃が持ち味で、広い福岡ドームでも逆方向へのホームランをしばしば放つ。左投手に滅法強く、特に2007年は対左投手で打率.405、本塁打6本の成績を記録した。代打起用でも好成績を残している。三振は多いが、バントは得意と繊細な面も併せ持つ。

[編集] 人物

中日時代は打撃を生かすために一塁手にコンバートする案が度々浮上していた。

ホークスへのテスト入団に際して、同じ強打の捕手である清水清人との争いだったが、「年齢が若い」という理由で田上が合格となった。しかし田上は早生まれであるため清水とは同学年である。プロ野球人生の中でこの入団テストが一番印象深いといい、「僕の場合これがプロ野球の人生の原点と言っても過言じゃないですよ」と語っている。

2006年の田上の部屋には、当時入院していた王貞治監督からファックスで送られたホセ・フェルナンデスのフォロースルーの写真が貼ってあり、打撃の参考にしていたという[1]

ヒーローインタビューで褒められると、「たまたまです」の一言だけで返すことが多く、口数が少ないと思われているが、本人は「お立ち台では緊張してしまう」と語っている。

[編集] 詳細情報

[編集] 年度別打撃成績

















































O
P
S
2002 中日 3 6 6 0 1 0 0 0 1 1 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .167 .167 .167 .333
2003 8 9 9 1 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 3 0 .111 .111 .111 .222
2004 2 3 3 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 2 0 .000 .000 .000 .000
2006 ソフトバンク 62 217 198 14 56 11 0 3 76 31 0 1 9 4 6 0 0 33 8 .283 .298 .384 .682
2007 91 274 258 22 68 10 1 9 107 26 0 1 2 1 11 2 2 58 8 .264 .298 .415 .713
2008 52 152 144 19 38 8 1 4 60 13 0 0 2 1 4 1 1 32 5 .264 .287 .417 .703
2009 138 520 463 47 116 16 1 26 212 80 0 2 18 5 29 3 5 122 12 .251 .299 .458 .757
2010 84 255 232 19 47 11 0 7 79 25 0 0 11 1 10 0 1 61 6 .203 .238 .341 .578
2011 14 38 37 2 8 2 0 1 13 4 0 0 0 0 1 0 0 18 0 .216 .237 .351 .588
通算:9年 454 1474 1350 124 335 58 3 50 549 180 0 4 42 12 61 6 9 330 39 .248 .283 .407 .690
  • 2011年度シーズン終了時

[編集] 表彰

[編集] 記録

[編集] 背番号

  • 9 (2002年 - 2003年)
  • 56 (2004年 - 2005年)
  • 70 (2006年 - )

[編集] 関連情報

[編集] CM

[編集] TVドラマ

[編集] 脚注

  1. ^ ニュース バックナンバー 2006 | 福岡ソフトバンクホークス・オフィシャルサイト

[編集] 関連項目

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