斉藤宜之

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斉藤 宜之
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 神奈川県藤沢市
生年月日 (1976-06-10) 1976年6月10日(47歳)
身長
体重
185 cm
85 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 外野手一塁手三塁手
プロ入り 1994年 ドラフト4位
初出場 1997年4月6日
最終出場 2008年8月25日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴
  • 東京ヤクルトスワローズ (2015 - 2016)

斉藤 宜之(さいとう たかゆき、1976年6月10日 - )は、神奈川県藤沢市出身の元プロ野球選手外野手、右投左打)・コーチ

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

中本牧リトルシニア出身[1]横浜高校時代には甲子園に3度出場(選抜2回、選手権1回)[1]多村仁紀田彰一クリーンナップを組んでいた。高校通算39本塁打渡辺元智監督は在学中、「指導歴30年の中で3本の指に入る選手である」と言わしめるほどの活躍。高校の1学年先輩には高橋光信がいた。1994年のドラフト巨人に4位指名されて入団[1]

巨人時代[編集]

1997年

オープン戦から活躍し初の1軍昇格[1]。左の代打代走外野守備要員として一軍に時折昇格するも定着には至らず。ジュニアオールスターゲーム出場。

2002年

チームに怪我人が相次いだこともあり、シーズン後半は5番ファーストに定着。200打席超で打率3割を記録。ファーストと外野を兼任。日本シリーズでは日本一を決めた第4戦で本塁打を含む3安打の活躍が評価されたが、第2戦で3安打をマークしていた松井秀喜の打率を上回っていた為に、優秀選手賞を獲得した。

2003年

この年ヤンキースに移籍した松井秀喜の抜けた外野をカバーし、故障した高橋由伸や不調の清水隆行に代わり外野の穴に収まりかける。また、この頃から三塁手としても出場するようになる。

2004年

この年就任した堀内恒夫監督からレギュラー候補に挙げられるが、故障で24試合の出場にとどまった。

2005年

46試合の出場にとどまったが、100打席を超えた。

2006年

久々に右投手から打率3割台を記録、李承燁のカバーとしてチームに貢献したものの、世代交代に押され出場機会自体はさらに減った。

2007年

1月30日に、東京都内で横断歩道を横断中、タクシーに接触され腰部と右膝関節の打撲を負ってしまう。シーズンでは1軍に呼ばれることはなく、2軍でも若手が優先起用され出場機会が激減。10月30日に戦力外通告を受けた。

その後11月7日の12球団合同トライアウトに参加する。結果はノーヒットも、直後に東京ヤクルトスワローズから契約のオファーを受けた。11月30日に自由契約が公示され、12月4日に入団会見が行われた。また、2008年1月10日放送のバース・デイにおいて、戦力外通告を受けてからトライアウトを経てヤクルトと契約するまでのエピソードが取り上げられた。

ヤクルト時代[編集]

2008年

1軍で25試合出場したが芳しい成績は残せなかった。

2009年

1軍出場なく、10月1日再び戦力外通告を受ける。11月24日、現役を引退し、スカウトとして残留することが発表された。

引退後[編集]

2010年 - 2014年

スカウトとしての5年間で小川泰弘杉浦稔大西浦直亨を担当した[2]

2015年 - 2016年

二軍打撃コーチに異動し、2年間務めた。

2017年

再度3年ぶりにスカウトに復帰。

選手としての特徴・人物[編集]

現役時代はセンス抜群と評された高い打撃力と俊足で「巨人のイチロー」の異名を持っていた[3][4]。巨人OBの青田昇は生前「巨人の将来四番を打つのは松井ではなく、斉藤かもしれん」と発言するほど高く評価していた。しかし、度重なる故障に悩まされ、レギュラー定着とはならなかった[5]

ヤクルト時代を振り返り、斉藤は「指導者と選手、選手間でも投手と野手の距離が近いチームだった。色々と勉強させてもらって自分の野球の幅も広がったし、幼少期の頃のように純粋に野球が楽しいと思えるようになった」と語っている[5]

スカウトに転身後は、目星をつけた選手の試合での様子だけでなく、練習態度も見ている。また、自身が現役時代、故障に苦しんだ時期は気分の浮き沈みが激しくなり、練習にムラが出ていたことから「才能だけに頼らず、壁にぶつかった時に乗り越える力があるか。練習を怠らず、どんな状況でもいつも通りのプレーできるか」を重要視している[5]

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
1997 巨人 32 39 39 1 4 1 0 0 5 1 0 1 0 0 0 0 0 8 3 .103 .103 .128 .231
1998 2 2 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .000 .000 .000 .000
1999 40 35 32 4 9 3 0 0 12 3 1 0 2 0 1 0 0 3 0 .281 .303 .375 .678
2000 55 46 43 6 10 1 0 1 14 3 1 0 0 0 3 0 0 7 0 .233 .283 .326 .608
2001 34 19 17 6 2 0 0 0 2 1 0 1 0 0 2 0 0 2 0 .118 .211 .118 .328
2002 109 252 239 37 74 13 1 5 104 37 5 6 1 1 10 0 1 26 6 .310 .339 .435 .774
2003 109 393 374 48 108 16 8 11 173 52 9 7 0 2 16 1 1 68 6 .289 .318 .463 .781
2004 24 39 36 2 7 1 0 1 11 2 0 0 0 1 2 0 0 6 0 .194 .231 .306 .536
2005 46 112 108 13 26 4 1 1 35 8 1 1 0 1 2 0 1 11 4 .241 .259 .324 .583
2006 38 73 63 7 16 4 0 0 20 4 3 1 2 1 6 0 1 13 1 .254 .324 .317 .641
2008 ヤクルト 25 27 26 2 6 2 0 0 8 2 0 0 0 0 1 0 0 4 0 .231 .259 .308 .567
通算:11年 514 1037 979 126 262 45 10 19 384 113 20 17 5 6 43 1 4 149 20 .268 .299 .392 .692

表彰[編集]

記録[編集]

背番号[編集]

  • 94 (1995年)
  • 58 (1996年 - 1999年)
  • 37 (2000年 - 2007年)
  • 54 (2008年 - 2009年)
  • 83 (2015年 - 2016年)

脚注[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]