斉藤宜之

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斉藤 宜之
東京ヤクルトスワローズ #54
基本情報
出身地 神奈川県藤沢市
生年月日 1976年6月10日(33歳)
身長
体重
185cm
85kg
選手情報
投球・打席 右投左打
守備位置 外野手
プロ入り 1994年 ドラフト4位
初出場 1997年4月6日
年俸 1,000万円
経歴(括弧内は在籍年)

斉藤 宜之(さいとう たかゆき、1976年6月10日 - )は、神奈川県藤沢市出身の東京ヤクルトスワローズに所属しているプロ野球選手外野手)。

目次

[編集] 略歴

[編集] プロ入り前

横浜高校時代には多村仁紀田彰一クリーンナップを組んでいた。高校通算39本塁打。そして、1994年のドラフトで巨人に4位指名されて入団。

[編集] プロ入り後

[編集] 巨人時代

1997年

初の一軍昇格。左の代打代走外野守備要員として一軍に時折昇格するも定着には至らず。ジュニアオールスターゲーム出場

2002年

チームに怪我人が相次いだこともあり、シーズン後半は5番一塁に定着。200打席超で打率3割を記録。一塁と外野を兼任。日本シリーズでは日本一を決めた第4戦で本塁打を含む3安打の活躍が評価され、優秀選手賞を獲得した。

2003年

松井秀喜(現ヤンキース)の抜けた外野をカバーし、故障した高橋由伸や不調の清水隆行(現埼玉西武ライオンズ)に替わり外野の穴に収まりかける。原辰徳に替わり就任した堀内恒夫監督も外野のレギュラーの最有力候補として斉藤の名前を挙げていたものの、堀内在任時の2004年2005年は故障が度重なり、リハビリに大半を費やしたような2年となってしまった。

2006年

久々に右投手から打率3割台を記録、李承燁のカバーとしてチームに貢献したものの、世代交代に押され出場機会自体はさらに減った。

2007年

1月30日に、東京都内で横断歩道を横断中、タクシーに接触され腰部と右膝関節の打撲を負ってしまう。シーズンでは1軍に呼ばれることはなく、2軍でも若手が優先起用され出場機会が激減。10月30日戦力外通告を受けた。 その後11月7日12球団合同トライアウトに参加する。結果はノーヒットも、直後に東京ヤクルトスワローズから契約のオファーを受けた。

[編集] 東京ヤクルト時代

11月30日自由契約が公示され、12月4日に入団会見が行われた。また、2008年1月10日放送のバース・デイにおいて戦力外通告を受けてから、トライアウトを経て東京ヤクルトと契約するまでのエピソードが取り上げられた。

[編集] エピソード

  • よく名前を「宣之」と誤記されることがある。
  • 神奈川県出身ながら、プロ入り前は阪神タイガースファンで、特に真弓明信(現阪神監督)のファンだと本人が明かしたことがある。
  • 長嶋茂雄元監督は彼と清水隆行の育成のために、イチローの育ての親とされる河村コーチを招聘している(故障が多く、斉藤に関しては失敗した)。
  • 巨人では故障と、スランプが長引く気質に泣いた。彼が巨人でレギュラーを掴みかけた頃、機関紙『月刊ジャイアンツ』に(又聞きのような形であるが)掲載されたエピソードが2つあるが、原辰徳現巨人監督の「お前は高校のときのフォームが一番良かったぞ」の一言で打撃に迷いが吹っ切れたというエピソードと、淡口2軍監督(当時)が斉藤を評して「技術は教えることは無いが、ハートが弱い」と指摘したエピソードの2つが掲載されている。
  • 2007年に打撃コーチ補佐だった伊勢孝夫(現SKワイバーンズ打撃コーチ)がマンツーマンで斉藤を指導後、「近鉄にいた頃、斉藤をいい打者と思って見ていた」「でも巨人に来たらイメージと違う。まるで別人やった」と斉藤の印象を語っている。
  • 高田監督と淡口2軍打撃コーチは、下積み時代の恩師(巨人時代の2軍監督)である。

[編集] プレースタイル

  • ミート力は巨人入団当初から定評がある。バットを忙しく動かしながら内角に覆いかぶさるように打つためか、右投手からは安定して3割台の打率を維持するが、左投手は苦手で打率1割に留まることが多い(そのため左投手との対戦の多寡でその年の打率が決まっており、一時はスイッチヒッター転向の話も出た)。
  • 守備能力は平均程度だが、外野3ポジションを均等に守り、巨人入団当初は内野手のため一塁も無難に兼任する対応力を持っている。足を故障する前は走塁能力も優れており、巨人でも慣れないセンター守備で腰痛を発症した高橋由伸に替わって、センターのレギュラーとして出場していた時期もあった。
    • 2003年には開幕前からサードの練習に取り組んでいた(適性・能力よりも、前年不調の江藤智に下からのプレッシャーをかける意味合いが強かった)。殆ど守る事は無かったものの、数試合サードでスタメン出場している。ファームでは2003年以降もまれに三塁を守っていた。

[編集] 年度別打撃成績

年度 球団

























1997年 巨人 58 32 39 1 4 1 0 0 5 1 0 1 0 0 0 0 8 3 1 .103
1998年 2 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 .000
1999年 40 32 4 9 3 0 0 12 3 1 0 2 0 1 0 3 0 1 .281
2000年 37 55 43 6 10 1 0 1 14 3 1 0 0 0 3 0 7 0 0 .233
2001年 34 17 6 2 0 0 0 2 1 0 1 0 0 2 0 2 0 0 .118
2002年 109 239 37 74 13 1 5 104 37 5 6 1 1 10 1 26 6 5 .310
2003年 109 374 48 108 16 8 11 173 52 9 7 0 2 16 1 68 6 7 .289
2004年 24 36 2 7 1 0 1 11 2 0 0 0 1 2 0 6 0 0 .194
2005年 46 108 13 26 4 1 1 35 8 1 1 0 1 2 1 11 4 2 .241
2006年 38 63 7 16 4 0 0 20 4 3 1 2 1 6 1 13 1 1 .254
2008年 ヤクルト 54 25 26 2 6 2 0 0 8 2 0 0 0 0 1 0 4 0 0 .231
通算成績 514 979 126 262 45 10 19 384 113 20 17 5 6 43 4 149 20 17 .268

[編集] 背番号

  • 94 (1995年)
  • 58 (1996年 - 1999年)
  • 37 (2000年 - 2007年)
  • 54 (2008年 - )

[編集] 関連項目