岡崎郁

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内, 検索
岡崎 郁
読売ジャイアンツ コーチ #83
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 大分県大分市
生年月日 1961年6月7日(50歳)
身長
体重
178cm
77kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 三塁手遊撃手
プロ入り 1979年 ドラフト3位
初出場 1982年10月5日
最終出場 1996年5月8日
経歴(括弧内は在籍年)
選手歴
監督・コーチ歴
  • 読売ジャイアンツ (2006 - )

岡崎 郁(おかざき かおる、 1961年6月7日 - )は、大分県大分市出身の元プロ野球選手内野手)。

2011年からは読売ジャイアンツの一軍ヘッドコーチを務める。

目次

[編集] 来歴・人物

大分商業高校1979年に春夏連続して甲子園に出場。法政大へ進学希望だったが、同年のドラフト3位で巨人に指名され、長嶋茂雄監督の説得により入団。河埜和正篠塚利夫中畑清原辰徳などがいたため出場機会に恵まれなかった。その後、肋膜炎で療養生活を送り、1984年に練習生扱いとなる。

1985年から一軍に定着。1987年には、遊撃手としてのシーズン守備率の日本記録を打ち立てるなど、レギュラークラスの働きを見せるも、規定打席到達は果たせないでいた。しかし入団10年目の1989年、当時の監督藤田元司に勝負強いバッティングを見出され、キャンプではサードを中心にファーストもこなすなど、コンバートがなされた。オープン戦で首位打者を獲得し、開幕戦はファーストでスタメン出場。その後、中畑清のケガにより、サードに定着した。その後1992年までは、サードのレギュラーポジションを守った。親友・駒田徳広との「恐怖の6・7番コンビ」は、第2のクリーンナップとして他球団から恐れられ、1989年の日本一、1990年のリーグ優勝に貢献した。1989年からオールスターゲーム・4年連続セ・リーグ三塁手部門ファン投票選出、日本シリーズでは1989年優秀選手、1990年敢闘賞。1993年には4番打者も務めた。1995年以降は元木大介の成長、仁志敏久の入団もあり出場機会に恵まれず、1996年に現役引退。

引退後はニッポン放送野球解説者やスポーツキャスターとして活躍。

2005年ニューヨーク・ヤンキースへコーチ留学した後、2006年から巨人の二軍打撃コーチに就任した。この間、東京都千代田区三崎町焼肉店「香おる」のオーナーだった。

2008年は二軍ヘッド兼内野守備コーチを務め、2009年吉村禎章の後任として二軍監督に就任した。2010年に行われた第17回IBAFインターコンチネンタルカップの日本代表の監督も務めた。

2011年からは2010年シーズン限りで退任した伊原春樹の後任として1軍のヘッドコーチに就任した。

11月11日、翌シーズンについて一度は岡崎のヘッドコーチ留任と決まったものの、渡邉恒雄球団会長によって江川卓とすることが決まり岡崎は降格という人事が、球団代表の清武英利が渡邉を告発するという形で表面化したが、これに対し渡邉は翌12日に江川には正式には要請していないと反論。11月15日、桃井恒和オーナーが巨人キャンプ地の宮崎を訪れ、岡崎に翌季のヘッドコーチ留任を伝えている[1]。球団は江川の名前が挙がったことについて、原辰徳監督と渡邉の会談において多数出た案の中の一つだったと説明、清武はこの問題を理由として18日付で巨人におけるすべての職を解任されている(詳細は清武英利による渡邉恒雄告発問題参照)。

[編集] 詳細情報

[編集] 年度別打撃成績

















































O
P
S
1982 巨人 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- ---- ---- ----
1983 1 1 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000 .000 .000 .000
1985 96 236 198 27 53 11 0 4 76 19 2 0 4 3 30 7 1 29 5 .268 .362 .384 .746
1986 92 314 281 33 83 10 3 6 117 37 0 0 11 4 18 5 0 34 7 .295 .333 .416 .750
1987 117 359 297 40 74 17 0 0 91 14 0 1 31 2 28 0 1 61 4 .249 .314 .306 .620
1988 106 368 316 38 87 13 5 5 125 30 9 1 17 2 33 0 0 39 5 .275 .342 .396 .737
1989 127 501 444 57 119 23 1 12 180 59 4 3 5 5 43 1 4 49 8 .268 .335 .405 .740
1990 102 403 356 52 103 24 6 6 157 49 2 1 1 4 41 1 1 50 10 .289 .361 .441 .802
1991 113 452 400 44 103 13 1 5 133 44 1 2 2 5 43 4 2 56 10 .258 .329 .333 .661
1992 124 510 461 57 116 24 2 12 180 53 1 2 0 2 45 2 2 86 6 .252 .320 .390 .710
1993 70 183 165 14 35 3 0 3 47 19 1 1 0 2 15 0 1 30 5 .212 .279 .285 .564
1994 111 363 327 35 84 15 0 6 117 45 1 1 1 3 32 1 0 32 13 .257 .320 .358 .678
1995 84 259 233 23 48 6 2 3 67 14 2 2 3 0 22 1 1 37 7 .206 .277 .288 .565
1996 12 13 11 2 1 0 0 1 4 1 0 0 0 0 2 1 0 1 1 .091 .231 .364 .594
通算:14年 1156 3962 3490 422 906 159 20 63 1294 384 23 14 75 32 352 23 13 504 81 .260 .327 .371 .698

[編集] 表彰

[編集] 記録

  • 初出場:1982年10月5日、対大洋戦(後楽園) 9回より河埜和正に代わり遊撃に就く
  • 初打席:1983年8月28日、対ヤクルト戦(後楽園) 5回に香坂英典の代打。宮本賢治の前に凡退
  • 初安打:1985年4月25日、対中日戦(後楽園) 鈴木孝政から二塁打
  • 初打点:1985年4月26日、対中日戦(後楽園) 3回に郭源治から適時打
  • 初本塁打:1985年7月31日、対広島戦(広島) 7回に山根和夫からソロ
  • 1000試合出場:1994年6月21日(320人目)
  • オールスターゲーム出場:4回 (1989年 - 1992年)

[編集] 背番号

  • 45 (1980年 - 1987年)
  • 5 (1988年 - 1996年)
  • 75 (2006年 - 2008年)
  • 83 (2009年 - )

[編集] 関連情報

[編集] 出演番組

[編集] 関連項目

[編集] 脚注

[ヘルプ]
  1. ^ 朝日新聞 2011年11月16日
個人用ツール
名前空間

変種
操作
案内
ヘルプ
ツールボックス
他の言語