田中幹也

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田中 幹也
中日ドラゴンズ #2
2024年4月20日 阪神甲子園球場
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 神奈川県愛甲郡愛川町
生年月日 (2000-11-28) 2000年11月28日(23歳)
身長
体重
166 cm
68 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 二塁手遊撃手
プロ入り 2022年 ドラフト6位
初出場 2024年3月29日
年俸 655万円(2024年)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

田中 幹也(たなか みきや、2000年11月28日 - )は、神奈川県愛甲郡愛川町出身のプロ野球選手内野手)。右投右打。中日ドラゴンズ所属。

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

愛川町立中津小学校時代は中津リバーズ、愛川町立愛川東中学校時代は相模原リトルシニアに所属[1]

高校時代は若林弘泰が監督を務める西東京の強豪・東海大学菅生高等学校でプレー。1年時より出場し、2年夏には1学年上の松本健吾や同級生の戸田懐生らとともに西東京大会の決勝で清宮幸太郎擁する早稲田実業高等部を破り甲子園大会に出場。甲子園大会ではベスト4に進出。その後のえひめ国体にも出場。甲子園大会では俊敏な守備や俊足、シュアな打撃が注目された。

高校卒業後は東都大学野球亜細亜大学に進学。1年春のリーグからベンチ入り。1年生ながら日米大学野球の日本代表に同学年かつ東都大学野球でライバルの中央大学森下翔太とともに選出された。その後も二塁手として公式戦の出場を重ね、2学年先輩で遊撃手のレギュラーであった矢野雅哉が卒業後は遊撃のレギュラーに定着し、3年春のリーグ戦においてはベストナインを獲得。しかし、この頃から体調に異変を感じていた。その後3年夏のキャンプ時にスズメバチに刺されて通院した際に、偶然国指定の難病潰瘍性大腸炎」と診断され入院[2][3]。投薬治療(対症療法)が芳しくないことから、秋に大腸全摘出の大手術を受けた。これによって2か月入院して体重も11kg減少、秋のリーグ戦も2打席のみの出場となった[3]。その後もリハビリを重ね、4年春のリーグ戦で本格的に試合復帰。2022年4月14日の第2週最終日の対國學院大學3回戦では日本大学時代の真中満と並ぶ、1試合6盗塁を決めリーグタイ記録を刻む[3]。亜細亜大学のチームとしても1試合で12盗塁を決めリーグの1試合の最多盗塁記録を更新している[3]。田中はチームの盗塁数の半分を記録し、記録更新と試合の大勝に大きく貢献している。大学の同期に青山美夏人松本晴重松凱人らがいる。

同年のドラフト会議では、中日ドラゴンズより6位指名を受け[4]、11月14日に契約金3500万円、年俸720万円で仮契約を結んだ[5]。背番号は2[6]

中日時代[編集]

2023年は、春季キャンプで一軍メンバーに抜擢され完走[7]オープン戦では、一時首位打者に浮上する活躍を見せる[8]。しかし、3月19日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦にて四球で出塁後、牽制で頭から一塁へ帰塁した際に右肩を脱臼しチームを離脱[9]。同月29日には、佐賀県内の病院で右肩鏡視下バンカート修復術という患部の手術を受けた[10]。その後はリハビリを進め、6月24日には術後初となるスローイング練習を行った[11]。9月7日から一時はノースロー調整となっていたが、16日からスローイングを再開。送球以外はプレー可能な状態であったため、約6か月ぶりの実戦復帰の運びとなり、同月20日の広島東洋カープとのウエスタン・リーグ公式戦(ナゴヤ球場)で、福田永将の代走として公式戦プロ初出場を果たした[12]。11月8日の契約更改交渉では、65万円減の推定年俸655万円でサインし、会見の場では現在の怪我の状況について、「実戦的な守備はできている。すごく順調」と説明し、翌年のレギュラー奪取を意気込んだ[13]

選手としての特徴[編集]

50m走5.9秒、大学通算48盗塁を記録した俊足が武器[5]

守備では、小柄な体格を生かした俊敏なプレーを見せ、的確なポジショニングと打球反応の良さで好守を連発する[14]

人物[編集]

  • 目標とする選手に大学の先輩である井端弘和を挙げており[5]、動きを参考にしている選手には菊池涼介を挙げている[15]
  • 東海大菅生高校時代の愛称は小柄な体ですばしっこく動き回る姿から監督の若林弘泰らからは親しみを込めて「サル」と呼ばれていた[3][15]。大学ではその軽快な守備と走塁から「忍者」と呼ばれている[14]
  • 田中の父は東海大学付属相模高等学校の野球部出身で1985年には主将も務めている。田中の父の1学年先輩が後に田中の恩師ともなる若林であった。

詳細情報[編集]

記録[編集]

初記録

背番号[編集]

  • 2(2023年 - )

代表歴[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 田中 幹也」『野球日本代表 侍ジャパンオフィシャルサイト』。2022年4月15日閲覧
  2. ^ 亜大・田中幹也 難病乗り越えNPB入り目指す「リハビリ続ければ野球問題ない」」『デイリースポーツ』2022年1月10日。2022年4月15日閲覧
  3. ^ a b c d e 【東都大学野球】亜大・田中幹也「野球が楽しい」大病克服し最多タイ1試合6盗塁「盗塁は度胸」」『日刊スポーツ』2022年4月14日。2022年4月15日閲覧
  4. ^ 川村咲平「難病乗り越えた“忍者” 亜大・田中幹也、中日が6位指名」『毎日新聞』2022年10月20日。2022年10月20日閲覧
  5. ^ a b c 【中日】ドラフト6位指名の亜大・田中幹也が仮契約 「何かの縁」目標は大学の先輩・井端弘和さん」中日スポーツ、2022年11月14日。2022年11月16日閲覧
  6. ^ 【中日】中日が新入団選手発表 ドラフト1位の仲地礼亜は背番号31 村松開人は5、田中幹也が2」スポーツ報知、2022年12月1日。2022年12月1日閲覧
  7. ^ 【中日】ドラ6・田中幹也、沖縄キャンプ最終戦で精彩欠き反省「全てのレベルが低い。練習するしか…」」中日スポーツ、2023年2月26日。2023年7月15日閲覧
  8. ^ 【中日】ドラ6田中幹也がオープン戦首位打者浮上で開幕スタメン有力「チームに必要な存在になりたい」」スポーツ報知、2023年3月13日。2023年7月15日閲覧
  9. ^ 『右肩脱臼』中日ドラ6の田中幹也は離脱へ…OP戦好調も開幕ピンチ」中日スポーツ、2023年3月20日。2023年7月15日閲覧
  10. ^ 田中幹也が右肩を手術 長期離脱は確実 佐賀県内の病院で「右肩鏡視下バンカート修復術」【中日】」中日スポーツ、2023年3月30日。2023年7月15日閲覧
  11. ^ 田中幹也、右肩手術後初のスローイング練習 「痛みもなく投げられた」60球【中日】」『中日スポーツ』2023年6月24日。2023年9月20日閲覧
  12. ^ 田中幹也が約6カ月ぶり実戦復帰で公式戦プロ初出場 代走で生還し初得点もマーク【中日2軍】」『中日スポーツ』2023年9月20日。2023年9月20日閲覧
  13. ^ 中日・田中幹也、65万円ダウンでサイン 1年目はリハビリ「レギュラーつかみ取りたい」 契約更改交渉スタート」『中日スポーツ』2023年11月8日。2023年11月8日閲覧
  14. ^ a b 亜細亜大学・田中幹也 難病乗り越えた「忍者」、狙うはリーグ最多の盗塁記録」『4years.』2022年6月3日。2023年8月23日閲覧
  15. ^ a b 菊地高弘「なぜそこにいる? 東海大菅生は神出鬼没の「忍者」がショートを守る」『web Sportiva』2017年8月18日、4頁。2022年4月15日閲覧

関連項目[編集]

外部リンク[編集]