中田亮二

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中田 亮二
JR東海
CD-Ryoji-Nakata20110908.jpg
中日ドラゴンズ時代(2011年9月8日)
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 大阪府八尾市
生年月日 1987年11月3日(27歳)
身長
体重
171 cm
107 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 一塁手
プロ入り 2009年 ドラフト3位
初出場 2010年7月20日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

中田 亮二(なかた りょうじ、1987年11月3日 - )は、JR東海硬式野球部に所属する社会人野球選手内野手)。

ニックネームは「ブーちゃん[1][2]」。体重115kg(2010年シーズン公称値)は日本人選手で1番体重のある選手とされた[3]。2011年シーズンの公称体重は104kg。

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

幼少時に3学年上の兄の影響で野球に憧れるが、小学校の野球クラブが4年生以上でないと入部できない規定だったため、小学3年生でも入部できたソフトボールクラブに入る。4年生になると野球クラブにも入部しソフトボールと掛け持ちしていた[4]。中学校は、大阪・八尾市立龍華中学校に通い野球部に所属。この時は準硬式野球で、ポジションもキャッチャーだった。

明徳義塾高等学校2年夏の第86回全国高等学校野球選手権大会横浜高校涌井秀章から本塁打を含む3安打を放ち注目を浴びる[5]。3年時の夏は松下建太らと共に県大会を突破したものの、他部員の不祥事が発覚したために大会直前にチームは出場を辞退した[6]。高校通算44本塁打。「ブーちゃん」というニックネームは同校野球部監督の馬淵史郎によって1年時に命名され、以降この名が定着することとなる。

亜細亜大学入学後はやわらかい打撃を武器に1年春からレギュラーを獲得。コンスタントに打ち続け、10月13日の東洋大学との1回戦で史上14人目のリーグ戦通算100安打を達成した。通算97試合出場、370打数103安打、打率.278、9本塁打、42打点。4年春までにベストナインに4度選ばれ、大学日本代表でも活躍した。明るい性格でチームを盛り上げ、最終学年の年は主将を務めている。打撃のテーマは『軸回転』で、ホームランよりもヒットを打ち、ベースにスライディングして得点する方がカッコいいと語っている[7]

2009年のドラフト会議中日ドラゴンズから3位として指名を受ける。

プロ入り後[編集]

2010年、7月に一軍初出場と初安打を記録したが、同年はその1安打に終わった。なおクライマックスシリーズ・ファイナルステージでは第3戦から登録され、第4戦では9回に代打で登場して四球を選び、和田一浩のサヨナラ適時打で日本シリーズ出場を決める決勝ホームを踏んだ。これは中田のプロ入り初得点でもあった。また、千葉ロッテマリーンズとの日本シリーズでは、第3戦(千葉マリンスタジアム)に6番指名打者で先発出場。このときは無安打だったものの、ナゴヤドームに戻った第6戦に代打で出場し、日本シリーズ初ヒットとなる二塁打を打った。クライマックスシリーズ終了後、中田はチームメイトとともに右翼席のファンに挨拶に向かうが、その途中「中田がジャンプをするとその衝撃でチームメイトが全員コケる」というパフォーマンスを行なった。発案したのはサヨナラ打の和田で、彼によれば「プリンス・フィルダーがサヨナラホームランを打った時にやったパフォーマンスを参考にしたもので、本当は中田がサヨナラホームランを打った時にやる予定だった」という[8]

2011年、7月29日の対広島東洋カープ戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)でプロ初先発出場し、ブライアン・バリントンからプロ初打点となるフェンス直撃の適時二塁打を放った。二軍では同僚の柳田殖生との最終戦までもつれた競争の末、リーグ首位打者は逃した。

2013年、故障に泣き、23試合の出場で打率.238、本塁打と打点はゼロに終わった。10月17日に右肘の手術を受け骨棘と遊離体などを除去した[9]

2014年10月1日に球団から戦力外通告を受ける[10]。12月2日、自由契約公示された[11]

選手としての特徴[編集]

体重が110kgを超える巨漢ながら、広角に打ち分ける打撃センスを持ち、50メートルを6.4秒、一塁到達4.14秒で走るスピード[12]も持ち合わせている。また高校時代に一週間でバック転をマスターするなど器用・身軽な一面もある(ただしプロ入り後は「ケガしちゃいけないので試してません」とのことで、現在も出来るかどうかは不明)[4]

守備では一塁手が本職だが、2012年三塁手2013年には外野手の守備練習も行っている。

本人の親曰く「亮チャンは自分の利き手がわからない」という。野球の時は右投げだが「ドッジボールのような大きな球は左のほうが投げやすい」ほか、「鉛筆は右だが包丁やはさみは左」とのこと[4]

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
2010 中日 9 9 9 0 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .111 .111 .111 .222
2011 26 50 46 1 11 1 0 0 12 2 1 0 1 0 2 0 1 12 3 .239 .286 .261 .547
2012 6 4 4 0 1 0 0 0 1 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .250 .250 .250 .500
2013 23 25 21 1 5 1 0 0 6 0 0 0 1 0 3 0 0 2 0 .238 .333 .286 .619
2014 16 22 19 2 2 2 0 0 4 0 0 0 1 0 0 0 2 4 0 .105 .190 .211 .401
通算:5年 80 110 99 4 20 4 0 0 24 3 1 0 2 0 5 0 1 19 3 .202 .248 .222 .470
  • 2014年度シーズン終了時

年度別守備成績[編集]

年度 一塁
試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率
2011 10 73 3 2 6 .974
2012 5 14 1 0 0 1.000
2013 4 14 1 0 2 1.000
2014 4 10 0 0 1 1.000
通算 23 111 5 2 9 .983
  • 2014年度シーズン終了時

記録[編集]

背番号[編集]

  • 50 (2010年 - 2014年)

登場曲[編集]

  • 『新恋愛』ET-KING(2013年~2014年)

脚注[編集]

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  1. ^ 2009年10月30日付中日スポーツ記事、同日閲覧
  2. ^ 本人も非常に気に入っており、入団会見の際に「ブーちゃんと呼んで下さい」と発言している。応援のコールでも「かっ飛ばせー、ブーちゃん!」となっているw。
  3. ^ 2011年2月16日付日刊スポーツ「2011年プロ野球選手名鑑セ・リーグ編」の中田の項
  4. ^ a b c 東京中日スポーツ・2011年8月30日付 3面
  5. ^ SPORTS COMMUNICATIONS コラム 2009年7月13日 「中田亮二 第2回~最初で最後のホームラン」
  6. ^ SPORTS COMMUNICATIONS コラム 2009年7月20日 「中田亮二 第3回~信じられない幕切れ」
  7. ^ 『アマチュア野球』第25号、日刊スポーツ出版社、2009年、雑誌66835-63、96-97項。
  8. ^ 落合竜シリーズ進出 和田MVP打/CS - Number web
  9. ^ 【中日】中田亮が右肘手術 日刊スポーツ 2013年10月18日
  10. ^ 来季の契約について中日球団公式サイト2014年10月1日配信
  11. ^ 2014年度 自由契約選手 日本野球機構オフィシャルサイト 2014年12月5日閲覧。
  12. ^ 2009年のドラフト候補たち 『アマチュア野球』第20号、日刊スポーツ出版社、2008年、雑誌66835-16、103項。

関連項目[編集]