久保田智之

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久保田 智之
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基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 埼玉県比企郡吉見町
生年月日 1981年1月30日(33歳)
身長
体重
181 cm
95 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 2002年 ドラフト5巡目
初出場 2003年5月11日
年俸 3,800万円(2014年)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
国際大会
代表チーム 日本の旗 日本
WBC 2006年

久保田 智之(くぼた ともゆき、1981年1月30日 - )は、埼玉県比企郡吉見町出身の元プロ野球選手投手)。

来歴[編集]

プロ入り前[編集]

小学3年生から野球を始め小学5年生秋の新チームからレギュラーになり、主に5番・捕手だった。

その後、自分でも活躍できるだろうと進学した滑川高校でも捕手を務めていたが、監督に投手をしたいと申し出ると「エースと違う投げ方をするなら試合で使ってやる」と言われ、監督が練習中にトルネード投法で投げていたのを真似て投手も兼任するようになった。この際に野茂英雄を参考にしたことは一切なかったという[1]

高校3年時の1998年に正捕手・4番打者・2番手投手として第80回全国高等学校野球選手権大会に同校初となる出場を果たす。1回戦の対境高校戦では7回にマスクチェストプロテクターレガースを外してリリーフ登板し、背番号2を打者に見せる投法を見せ、翌日のスポーツ新聞では「滑川の大魔神」「トルネード久保田」という見出しがつけられた[1]。3回戦で後にプロでチームメイトとなる久保康友を擁する関大一高に敗れたが、計3試合6イニングを投げて無失点に抑えた。

高校卒業後は投手として誘われた[1]常磐大学人間科学部コミュニケーション学科に進学し、関甲新学生野球連盟所属の同大硬式野球部に所属。本格的に投手転向して2年時から主戦となるが、地肩の強さに頼った投げ方で連投できなかった[2]。3年時に東海大学との練習試合で153km/hを計測するなどプロから注目されるようになり、2002年春には読売ジャイアンツのキャンプに招待選手として参加。大学では同期の小野寺力と共に活躍したがリーグ戦の優勝はなく、全国・国際大会にも縁がなかった。同年秋のドラフトで阪神タイガースから5巡目で指名され入団。

プロ入り後[編集]

入団会見の席上「自分は昔から阪神ファンです。ユニフォームを着れる事が本当に嬉しいです。」と少年のようにはしゃぐ姿は好感を与えた。

入団直後の新人合同自主トレに体重超過で臨み、いきなり80万円の罰金を科されるも「活躍して倍以上にして取り返してやる」と発言し話題となる。

2003年

5月11日にプロ初登板。5月24日の対ヤクルトスワローズ戦(松山)で、福原忍の球団最速記録を塗り替える156 km/hを計測した。6月1日の対読売ジャイアンツ戦でプロ初先発し、先発投手中継ぎを兼任したが、チームがリーグ優勝を決める直前に故障して、日本シリーズでは登板機会がなかった。

2004年

開幕当初は先発として起用されたが打ち込まれた上に再度故障。復帰後は中継ぎで好投していたが、ジェフ・ウィリアムス安藤優也アテネオリンピック代表招集やジェロッド・リガンの故障離脱に伴い抑え投手に転向する。同年10月に看護師の女性と結婚(翌年9月に長女が誕生)。

2005年

ウィリアムス、藤川球児と共に『JFK』と呼ばれるリリーフトリオを形成する。5月18日同年から開始のセ・パ交流戦では対西武ライオンズ戦でシーズン5セーブ目を記録。チームが優勝を決めた9月29日の対巨人戦では胴上げ投手となった。また、同年は自身の球団最速記録を更新する157 km/hを計測した。しかし、リリーフ投手としてはやや安定感に欠け、走者を出してはギリギリのところで抑える場面が多かった。

2006年

WBC直前に負傷した黒田博樹の代替選手として日本代表に選ばれ、黒田が着ける予定だった背番号15で登録されたが登板機会はなかった。5月4日の対巨人戦では同点の延長10回表から登板するとその裏の攻撃で四球を選んで出塁し、矢野輝弘適時打で本人曰く「人生初」で、なおかつ抑えとしては珍しいサヨナラホームを踏んだ。阪神では引き続き抑えを任されたものの序盤から安定感に欠ける登板が続き、6月21日にベビーカーから落ちそうになった娘をかばって右手の甲を地面に強く打ちつけて骨折し戦線離脱。この行動はファンのみならず藤川など同僚からも「父親として当然の行動」と評されたが、当時の球団シニアディレクターだった星野仙一には「自分の商売道具である手を大事にしていない」と批判された。シーズン後半には復帰したものの打ち込まれる場面が目立ち、長期離脱があったにもかかわらず7敗した。

2007年

藤川が抑え投手を務め、自身はセットアッパーとして起用された。先発投手陣の不振もあってシーズン通してフル回転し、90試合に登板してシーズン最多登板数のNPB記録を更新。防御率1.75、それぞれNPB記録のシーズン46ホールド、日本新記録の55ホールドポイントを樹立。下柳剛の10勝に次ぐチーム2位の9勝を挙げ、リリーフ投手ながらチーム2位、リーグ22位の投球回数を投げ、リーグ15位の奪三振数を記録するなどプロ入り後最高の成績を残し、初タイトルとなる最優秀中継ぎ投手を獲得。オールスターゲームにも監督推薦で初出場し、7月20日の第1戦に登板して1回を三者凡退に抑え、勝利投手となった。

2008年

前年の登板過多や同年も延長を含め1試合で4回を投げたりした影響からか防御率が倍近く悪化した。特にシーズン終盤は不安定な投球が度重なり、スコット・アッチソンがセットアッパーとなった。オールスターゲームにはファン投票で選出され2度目の出場。第1戦の9回裏に登板したが、山崎武司にサヨナラ安打を打たれるなど4安打2失点で敗戦投手となった。同年も12球団最多の69試合85回1/3に登板して37ホールドポイントを挙げ、2年連続の最優秀中継ぎ投手となったものの、12月22日の契約更改では推定1000万円のダウンとなった[3]

2009年

本人の希望と新監督の真弓明信の意向もあり先発に転向する予定だったが、キャンプ中に肩の故障で離脱。7月16日の対中日ドラゴンズ戦で5年ぶりの先発となる一軍復帰登板も3回途中4失点で降板し、翌7月17日付で二軍に降格した後は一軍で登板することなくシーズンを終えた。

2010年

中継ぎとして起用されたが、5月に再調整のため2軍に降格した。復帰後は57回2/3を投げて防御率1点台、WHIP0点台と安定した成績を残し、いずれもチーム最多の71試合登板、28ホールド、34ホールドポイントを記録した。また9月2日の対横浜ベイスターズ戦では、先発時代の2004年5月4日以来6年ぶり、リリーフ転向後では初のタイムリーヒットを打った[4]

2011年

絶不調でセットアッパーとしての役割を果たせず、一軍では23試合の出場にとどまり、シーズンの大半を二軍で過ごした。

2012年

一軍に上がってもストレートの球速が130km/h台にまで落ち、かつての速球を披露することができない状態に陥り、すぐに2軍に降格。そのままシーズンを終えた。

2013年

球速が140km/h台後半まで回復。4月23日の対中日戦で1イニング8失点を喫した後は二軍暮らしだったものの、後半戦以降は貴重な中継ぎ戦力として返り咲いた。しかし、シーズンを通しての防御率はシーズン序盤の失点が響き5.57と振るわなかった。

2014年

2月に右肘を手術した影響で、一軍での登板がないまま、10月3日に今季限りでの現役引退を発表した[5]。11月6日、同じく2014年シーズン限りで引退する日高剛と共に任意引退公示された[6]

プレースタイル[編集]

高校時代よりも捻りが少ないトルネード気味のオーバースローから投げる平均球速約148km/h[7]。リリーフ時には最速157km/hを記録した[8]

人物[編集]

2007年オフにシーズン90試合登板を記念して母校の常磐大学から特別表彰を受けた際、プロ入り時に大学の卒業単位を満たしておらず自主退学していたことを明かした。大学側は卒業要件に関する規定を一部改訂、久保田を卒業生に準じる「名誉修了生」として扱うことにした。正式な卒業ではないため大卒(学士)の資格は得ていない[9]

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]





















































W
H
I
P
2003 阪神 26 10 0 0 0 5 5 0 -- .500 383 89.1 89 5 27 2 6 100 2 0 35 31 3.12 1.30
2004 28 6 1 0 1 4 4 4 -- .500 298 69.0 71 10 19 2 1 69 2 0 33 31 4.04 1.30
2005 68 0 0 0 0 5 4 27 3 .556 330 80.2 73 8 15 2 2 97 5 0 20 19 2.12 1.09
2006 47 0 0 0 0 5 7 16 2 .417 221 50.0 58 4 19 1 1 57 5 0 26 22 3.96 1.54
2007 90 0 0 0 0 9 3 0 46 .750 448 108.0 97 6 32 2 0 101 4 0 26 21 1.75 1.19
2008 69 0 0 0 0 6 3 0 31 .667 373 85.1 87 8 34 2 2 75 8 0 34 30 3.16 1.42
2009 1 1 0 0 0 0 1 0 0 .000 15 2.1 7 0 2 0 0 3 0 0 4 4 15.43 3.86
2010 71 0 0 0 0 6 3 0 28 .667 329 81.2 72 11 17 1 0 68 6 0 37 29 3.20 1.09
2011 23 0 0 0 0 1 2 0 6 .333 97 21.2 27 2 9 1 0 26 3 0 13 13 5.40 1.66
2012 4 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 13 3.0 3 0 1 0 0 2 0 0 2 2 6.00 1.33
2013 17 0 0 0 0 0 2 0 1 .000 94 21.0 17 2 13 1 1 14 0 0 15 13 5.57 1.48
通算:11年 444 17 1 0 1 41 34 47 117 .547 2601 612.0 601 56 188 14 13 612 35 0 245 215 3.16 1.31
  • 各年度の太字はリーグ最高、赤太字はNPB記録

タイトル[編集]

記録[編集]

投手記録
  • 初登板:2003年5月11日、対横浜ベイスターズ9回戦(横浜スタジアム)、9回裏に3番手で救援登板・完了、1回無失点
  • 初奪三振:同上、9回裏に古木克明から見逃し三振
  • 初先発:2003年6月1日、対読売ジャイアンツ12回戦(東京ドーム)、6回1失点
  • 初勝利:2003年6月15日、対読売ジャイアンツ14回戦(阪神甲子園球場)、10回表に3番手で救援登板・完了、1回無失点
  • 初先発勝利:2003年7月30日、対横浜ベイスターズ19回戦(阪神甲子園球場)、6回2/3を2失点
  • 初完投勝利:2004年5月4日、対広島東洋カープ4回戦(広島市民球場)、9回1失点
  • 初セーブ:2004年8月28日、対広島東洋カープ22回戦(阪神甲子園球場)、8回表に2番手で救援登板・完了、2回無失点
  • 初ホールド:2005年6月5日、対千葉ロッテマリーンズ6回戦(阪神甲子園球場)、9回表に2番手で救援登板、3回無失点
打撃記録
  • 初安打:2003年8月12日、対横浜ベイスターズ21回戦(札幌ドーム)、2回表にクリス・ホルトから中前安打
  • 初打点:2004年5月4日、対広島東洋カープ4回戦(広島市民球場)、2回表に大竹寛から中前適時打
その他の記録
  • シーズン最多登板記録:90試合(2007年)

背番号[編集]

  • 30 (2003年 - 2014年)

登場曲[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c 「まわり道で得たそれぞれの収穫」『スポーツ・ヤア!』」2003年7月25日&8月7日号、角川書店、2003年、雑誌25401-8/7、42-45ページ
  2. ^ 「フォトメモリーズ 久保田智之」『週刊ベースボール』」2008年5月12日号、ベースボール・マガジン社、2009年
  3. ^ デイリースポーツ ダウンやて~?久保田無念の一発サイン
  4. ^ 阪神・久保田、6年ぶり適時打!(SANSPO.COM)
  5. ^ 阪神・久保田引退会見 12年間のプロ生活「幸せだった」スポーツニッポン2014年10月3日配信
  6. ^ 2014年度 任意引退選手 日本野球機構オフィシャルサイト 2014年11月6日閲覧。
  7. ^ 『2011プロ野球オール写真選手名鑑』 日本スポーツ企画出版社、2011年、184頁。ISBN 978-4-930942-98-2
  8. ^ “リーソップ157キロ!岡田監督うなった”. nikkansports.com. (2008年7月24日). http://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20080724-387595.html 
  9. ^ “久保田“名誉卒業”常磐大の修了生に”. 日刊スポーツ. (2007年12月22日). http://osaka.nikkansports.com/baseball/professional/tigers/p-ot-tp0-20071222-298518.html 2011年1月20日閲覧。 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]