林威助
| 阪神タイガース #31 | |
|---|---|
2009年7月15日、阪神鳴尾浜球場にて
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| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 出身地 | 台湾省台中市 |
| 生年月日 | 1979年1月22日(34歳) |
| 身長 体重 |
178 cm 80 kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 左投左打 |
| ポジション | 外野手、一塁手 |
| プロ入り | 2002年 ドラフト7巡目 |
| 初出場 | 2004年10月10日 |
| 年俸 | 2,600万円(2012年) |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
| 国際大会 | |
| 代表チーム | |
| 五輪 | 2004年 |
| WBC | 2006年、2009年 |
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この表について
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林 威助(リン・ウェイツゥ、英文表記:Lin Weichu[1], 1979年1月22日 - )は、台湾の台中市出身のプロ野球選手(外野手、内野手)。左投げ左打ち。阪神タイガースに所属している。
中華民国(台湾)国籍だが、日本の高校・大学に通っていたため、NPBの規定で日本人登録選手の扱いとなっている[2]。
目次 |
経歴 [編集]
プロ入り前 [編集]
台湾台中市出身。幼い頃にテレビで見た日本野球に憧れ、小学生時から野球を始める[3]。台中の中学校(中山國民中學)在学時から、台湾ではその非凡な野球センスが話題となっていた。中学卒業後に日本への野球留学の誘いを受け、父の体調を慮って一旦は断ったが、翌年再び勧誘され、日本の文化に触れたい好奇心もあって[3]1996年に柳川高校へ入学した。同級生に田中瑞季がいる[3]。
入学当時はほとんど日本語が分からず、また台湾での中学時代に比べるとはるかに厳しく辛い練習のため「台湾に帰りたい」と思ったこともあったが、2年夏には福岡大会で決勝に進出し、小椋真介を擁する福岡工大付高校に敗れたものの準優勝。しかし入学が2年遅れだったため、3年時は日本高等学校野球連盟で定められている年齢制限を超え公式戦に出場できなかった。甲子園出場という目標を失い、台湾に帰ることを考えたが、日本でプロ選手になることに目標を切り替え、木製バットを使用するなど高校卒業後を見据えた練習に入った。高校通算47本塁打を放っているが、以上のような理由から高校1・2年の2年間での記録である[3]。
1999年に関西学生野球連盟所属の近畿大学へ進学し、入学直後の春季リーグ戦から右翼手のレギュラーとなり首位打者とベストナインを獲得する。その後は不調に陥り3年時は膝の故障で主に代打で出場し、4年時はその故障をおして3番左翼手でスタメンに復帰、春季リーグ戦後のリーグ選抜に名を連ねたほか、秋季リーグ戦では2度目のベストナインに選ばれた。秋に行われた2002年度ドラフト会議で阪神タイガースから7巡目指名を受け入団。
プロ入り後 [編集]
2003年は故障の癒えていない膝のリハビリに専念し[3]、一軍・二軍戦ともに公式戦出場はなかった。
2004年10月11日に公式戦初スタメン・初安打・初打点を記録。
2005年は機会は少なかったが主に代打で出場し、優勝決定後にはスタメン出場の機会も巡ってくるようになり初本塁打を記録。二軍のウエスタン・リーグではチーム2位の打率.318、10本塁打を記録した。
2006年はWBC台湾代表に選出される。シーズンに入ると代打として起用され、セ・パ交流戦では指名打者でのスタメン出場も数試合あった。また、同年に記録した5本塁打のうち、計3本を大阪ドームで放つなど同球場との相性が良かった。
2007年も開幕から代打での出場が主だったが、4月下旬に濱中治が怪我で離脱して以降はレギュラーに定着。アンディ・シーツの不振により3番に入ることが多く、林 (Lin) の L と4番を打つ金本知憲のニックネーム「アニキ」(Aniki) の A を掛けた「LA砲」を形成した。6月10日の対福岡ソフトバンクホークス戦では祖国の英雄でもある相手監督の王貞治の前で、プロ入り初のサヨナラ安打となる本塁打を放った。交流戦後はシーツの不振に加えて桜井広大の台頭もあり、一塁手としてのスタメン出場も多くあった。しかし、5月13日の対東京ヤクルトスワローズ戦でオーバーランした一塁へ帰塁した際に右肩を痛めながら[3]、「せっかくつかんだチャンスを逃したくない」と正田耕三打撃コーチ(当時)に訴えて強行出場を続けた悪影響[4]により8月下旬に登録抹消。9月27日に一軍復帰するも規定打席には4打席不足したが、それでも打率.292を記録。中でも15本塁打と58打点は、いずれも金本に次いでチーム2位だった。それまで「プロの世界でレギュラーとして試合に出るようになるまでは、台湾の家族を試合に招待しない」と決めていたが、この年になって来日12年目で初めて家族を日本に招くことができた。しかし、「右肩肩峰下滑液胞炎」と診断された[5]右肩の回復が思わしくないため、同年オフに台湾で開催されたアジア選手権大会の台湾代表を辞退。12月に手術を受けた[3]。
2008年は前年受けた手術のリハビリなどの影響から、シーズン初出場は5月29日の対千葉ロッテマリーンズ戦であった。この試合は6回裏1死2塁の場面で代打として登場、一塁線を抜ける適時二塁打を放ち、復帰戦を自らの一打で祝った[4]。この後、一時は今岡誠の不調で日替わりだった5番に定着して3割超の打率を維持していたが、7月8日の対読売ジャイアンツ戦で左膝靭帯を痛めて離脱[6]し、北京オリンピックの台湾代表を辞退。8月に復帰したが、シーズン成績は打率.249, 2本塁打だった。
2009年は再びWBC台湾代表に選出されたが、敗退したアジア予選で調子を崩し、一軍登録されたのは5月8日であった。その後も不振が続いて前年を下回る56試合の出場に留まり、打率.208, 3本塁打、11打点に終わった。
2010年の沖縄における春季キャンプでは、この年に打撃コーチに就任した片岡篤史の親友である立浪和義からも臨時指導を受けている[7]。シーズンでは熾烈な外野手争いの中で出場機会はさほど多くなかったが、得点圏打率.412を記録した。
2011年は打撃不振に陥り、63試合に出場するも打率は1割台と結果を残せなかった。
2012年は出場機会に恵まれず、僅か6試合で7打数1安打の成績に終わった。
プレースタイル [編集]
バリー・ボンズを参考にした打撃フォームが特徴。同じく台湾出身で阪神にも在籍していた大豊泰昭を目標としている。
直球に強い選手であり、スイングスピードが150 km/h以上であればプロでも一流と言われる[8]ところ、林は大学時代に168 km/hを計測していた[9]。
前述2008年の復帰戦代打でのブライアン・シコースキーとの対戦で、150 km/hの直球を警戒しつつ初球のチェンジアップに対応した一打には、「あないして対応できるんやからな」と岡田彰布監督(当時)から評価されている[4]。一方、前述の立浪からは「力があっても無駄な動きをしているところがある。もっと打てる選手。外からバットが出やすいようだ」と評されている[7]。
打撃への高評価に対し、守備・走塁への評価は芳しくない。2006年までは試合途中で代打起用された後に守備へは滅多に就かず、中村豊など守備固めの選手が入ることがほとんどだった。
一塁手として出場することもあったが、右肩のケガからの復帰後は一塁起用を見送られている。また、2007年の右肩と2008年の左膝のケガ(二塁走者として牽制帰塁した際に負傷[6])は、いずれも走塁時のものである。
プロ野球選手としては大きな体ではないが、握力は90 kgを計測する[10]。
人物 [編集]
座右の銘は「一球撃命」。勝負を決める一打を放つという意味[3]。
来日した当初は苦手だった日本語も、長い日本暮らしのおかげで流暢であり、インタビューも日本語で受け答えする。。『デイリースポーツ』の携帯サイトでコラムを連載したこともある。逆に母語である台湾國語はやや忘れかけており、2006年にWBC台湾代表となった際は台湾チームのメンバーや現地記者との会話が一苦労だったという。
『中国語ジャーナル』2007年8月号(アルク社)では林について特集が組まれ、表紙に載った[11]。また、付録のCDには林へのインタビューが収録されており、普段はほとんど耳にする機会のない林の中国語(台湾國語)を聴くことができる。
林が台湾出身であることを知らないアナウンサー・他球団ファンなどには、「はやし いすけ」と読まれてしまうことがあった。WBCの試合では、実況の日本テレビアナウンサー船越雅史に終始「リン・ウエンツ」と間違われていた。
詳細情報 [編集]
年度別打撃成績 [編集]
| 年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2004 | 阪神 | 3 | 7 | 7 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | 2 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 0 | .143 | .143 | .286 | .429 |
| 2005 | 8 | 14 | 12 | 3 | 5 | 0 | 0 | 1 | 8 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 1 | 0 | .417 | .500 | .667 | 1.167 | |
| 2006 | 67 | 82 | 76 | 12 | 23 | 4 | 1 | 5 | 44 | 13 | 0 | 0 | 0 | 0 | 6 | 1 | 0 | 24 | 0 | .303 | .354 | .579 | .933 | |
| 2007 | 115 | 442 | 418 | 51 | 122 | 17 | 3 | 15 | 190 | 58 | 1 | 0 | 0 | 4 | 20 | 1 | 0 | 89 | 5 | .292 | .321 | .455 | .776 | |
| 2008 | 66 | 189 | 177 | 17 | 44 | 6 | 2 | 2 | 60 | 13 | 1 | 0 | 0 | 1 | 10 | 0 | 1 | 31 | 4 | .249 | .291 | .339 | .630 | |
| 2009 | 56 | 102 | 96 | 4 | 20 | 3 | 1 | 3 | 34 | 11 | 1 | 0 | 0 | 0 | 6 | 0 | 0 | 16 | 2 | .208 | .255 | .354 | .609 | |
| 2010 | 69 | 144 | 135 | 13 | 39 | 10 | 1 | 4 | 63 | 22 | 1 | 0 | 0 | 2 | 6 | 1 | 1 | 24 | 2 | .289 | .319 | .467 | .786 | |
| 2011 | 63 | 92 | 90 | 2 | 15 | 3 | 0 | 1 | 21 | 5 | 1 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | 14 | 2 | .167 | .174 | .233 | .407 | |
| 2012 | 6 | 7 | 7 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | .143 | .143 | .143 | .286 | |
| 通算:9年 | 453 | 1079 | 1018 | 102 | 270 | 44 | 8 | 31 | 423 | 125 | 5 | 0 | 0 | 8 | 51 | 3 | 2 | 204 | 15 | .265 | .299 | .416 | .717 | |
- 2012年度シーズン終了時
年度別守備成績 [編集]
| 年 度 |
一塁 | 外野 | ||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | |
| 2004 | - | 2 | 2 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | |||||
| 2005 | - | 3 | 3 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | |||||
| 2006 | 6 | 24 | 2 | 0 | 5 | 1.000 | 5 | 8 | 0 | 0 | 0 | 1.000 |
| 2007 | 48 | 389 | 28 | 2 | 26 | .995 | 64 | 99 | 0 | 0 | 0 | 1.000 |
| 2008 | - | 43 | 57 | 1 | 0 | 0 | 1.000 | |||||
| 2009 | - | 18 | 25 | 0 | 1 | 0 | .962 | |||||
| 2010 | - | 40 | 44 | 0 | 2 | 0 | .957 | |||||
| 2011 | - | 23 | 22 | 0 | 2 | 0 | .917 | |||||
| 通算 | 54 | 413 | 30 | 2 | 31 | .996 | 198 | 260 | 1 | 5 | 0 | .981 |
記録 [編集]
- 初出場:2004年10月10日、対読売ジャイアンツ28回戦(阪神甲子園球場)、6回裏に桟原将司の代打として出場
- 初打席:同上、6回裏に真田裕貴の前に中飛
- 初先発出場:2004年10月11日、対東京ヤクルトスワローズ28回戦(明治神宮野球場)、7番・右翼手として先発出場
- 初安打・初打点:同上、1回表に藤井秀悟から適時二塁打
- 初本塁打:2005年10月4日、対横浜ベイスターズ21回戦(阪神甲子園球場)、4回裏に三浦大輔から右越ソロ
- 初盗塁:2007年6月16日、対千葉ロッテマリーンズ3回戦(千葉マリンスタジアム)、4回表に二盗(投手:清水直行、捕手:里崎智也)
背番号 [編集]
- 38 (2003年 - 2005年)
- 31 (2006年 - )
登場曲 [編集]
- 「Have a Nice Day」- Bon Jovi(? - 2009年)
- 「New Divide」- Linkin park(2010年 - )
脚注 [編集]
- ^ 阪神タイガース公式サイトの選手紹介では、かつてはピン音表記に従い「Weizhu」となっていたが、現在ではウェード式による「Weichu」の記載になっている。
- ^ Q&A-2010年7月10日閲覧。
- ^ a b c d e f g h 「1球に命を懸ける天才アーチスト 林威助」『週刊ベースボール』2009年8月17日号、ベースボール・マガジン社、2009年、雑誌20443-8/17, 35-39頁。
- ^ a b c 「『ただいま』即撃!林が炎の初球一振り」 デイリースポーツ、2008年5月30日。[リンク切れ]
- ^ 「林 ギプス取れた!!GW明け復帰宣言」 デイリースポーツ、2008年1月13日。[リンク切れ]
- ^ a b 「林、左ひざ負傷…途中交代で病院直行」 デイリースポーツ、2008年7月9日。[リンク切れ]
- ^ a b 「林に『PL道場』立浪氏が“友情指導”」 デイリースポーツ、2010年2月8日。
- ^ 虎・関川C、スイング速度150キロ目指せ! SANSPO.COM 2011年11月4日
- ^ 新庄を超える男・糸井嘉男。その異常なパワーとセンスの原点。 プロ野球コラム
- ^ 2010年『猛虎ファイル』でのインタビューより
- ^ osaka.nikkansports.com [リンク切れ]
関連項目 [編集]
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