平田良介
| 中日ドラゴンズ #40 | |
|---|---|
2009年3月31日、ナゴヤ球場にて
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| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 出身地 | 大阪府大阪市城東区 |
| 生年月日 | 1988年3月23日(25歳) |
| 身長 体重 |
177 cm 88 kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| ポジション | 外野手 |
| プロ入り | 2005年 高校生ドラフト1巡目 |
| 初出場 | 2006年8月26日 |
| 年俸 | 2,900万円(2013年) |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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この表について
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平田 良介(ひらた りょうすけ、1988年3月23日 - )は、中日ドラゴンズに所属するプロ野球選手(外野手)。
目次 |
経歴 [編集]
プロ入り前 [編集]
小学1年から「関目ジュニアスター」で野球を始め、中学時代はボーイズリーグ「大阪北」を経て、「大阪都島」に所属。 大阪桐蔭高では1年夏から6番でレギュラー、秋から4番を任され、落合博満ばりの神主打法で高校通算70本塁打を放つ。高校時代は辻内崇伸と同期で、2学年後輩に中田翔がいた。平田、辻内に加えて近大附の鶴直人、履正社の岡田貴弘らの4人は「浪速の四天王」とも呼ばれ、全員がドラフトの目玉として注目された。
2005年の夏の甲子園大会準々決勝・東北戦で、PL学園・清原和博以来の1試合3本塁打で球史にその名を刻んだ。甲子園通算5本塁打は史上4位。その後、延長戦の末敗れた準決勝の駒大苫小牧戦で最後のバッターとなった。
高校生ドラフトで中日ドラゴンズに1巡目指名される。平田を含む「浪速の四天王」は4人とも1巡目指名でプロ入りした。
9月頃にアジアAAA選手権における韓国戦で右肩を亜脱臼したため手術する予定だったが、予想以上に右肩の状態が良化したのを受け回避する事が決まった。2006年1月9日に中日ドラゴンズ選手寮に入所。2006年シーズンはリハビリに励むこととなった。
プロ入り後 [編集]
2006年、8月26日に初の一軍昇格を果たし、同日の横浜戦(ナゴヤドーム)の9回裏に英智に替わる代打でプロ初出場を果たすも、木塚敦志の前に三塁ゴロに倒れた。
2007年は、10月4日にプロ初スタメン出場。延長11回裏の満塁の場面で死球を受け、思わぬ形でプロ初打点を挙げる。10月6日の対ヤクルト戦で、プロ初安打を放つ。翌7日の対横浜戦では3安打を放ち、初の猛打賞を記録。終盤の活躍とセンターの堅実な守備が買われてクライマックスシリーズにおいては全試合スタメンで起用される。日本シリーズでもホーム試合ではスタメン起用され、第3戦では安打を放ち、第5戦においては相手先発投手のダルビッシュ有から犠飛を打ち、この試合唯一の打点をあげた。なおこの試合に1-0で勝ち、この打点は日本一を決める決勝点となった。この犠飛はストレートを打ったのだが「スライダーを投げられていたら打てなかった」と後日、語っている。日本シリーズでの活躍が認められて12月の球団主催によるハワイへの優勝旅行にも参加する予定だったが出発前日の練習中に足を捻挫し、急遽参加を取りやめた。
2008年の春季キャンプは前述の足の捻挫もあって二軍スタートだったものの、第4クールで一軍に合流。森野将彦が故障で離脱したこともあり、ほとんどのオープン戦にセンターでスタメン出場。森野の代わりとして開幕スタメン入りも確実視されたが、森野が開幕までに回復し、またオープン戦での不本意な成績も相まって、開幕一軍入りとはならなかった。5月16日、森野の怪我による離脱で、二軍で83打数15安打、打率.181、2本塁打と、調子が上がらない中、このシーズン初の一軍昇格、その日の対横浜戦で即スタメン起用された。しかし目立った活躍は見られず5月26日に二軍に降格した。6月11日に再昇格。9月7日、対横浜戦の9回裏一死の場面に代打で登場し、横山道哉から一軍でのプロ初本塁打を放つ。これが同時にサヨナラの殊勲打となった[1]。その後もシーズン終了まで一軍に定着。主に代打で起用された。シーズン終了後の秋季キャンプでは故障離脱してしまい、春季キャンプの二軍スタートが決まる。
2009年は、前述の通り春季キャンプは二軍スタートとなった。一軍に合流することなくキャンプは終了し教育リーグに向かうことになったが、3月17日の阪神との練習試合で一軍に合流。プロ4年目にして初の開幕一軍入りを果たす。藤井淳志、小池正晃、新人の野本圭と外野のポジションを争うことになると思われたが、シーズンが始まると代打でも結果が残せず、4月15日に二軍に降格した。その後8月に一度登録されるが、勝負所での併殺打や三振を繰り返し、9月に再び抹消された。最終的には前年の59試合出場を下回る42試合にとどまるが、打率.271・2本塁打・9打点を記録した。
2010年は、新人の大島洋平や2年目の野本などとの競争に勝てず大半を二軍で過ごし、日本シリーズでも活躍できずに終わった。オフに背番号を8を大島が付けることになったため、西川明の退団で空き番号になっていた40に変更。
2011年は開幕こそ二軍も5月5日に一軍昇格。18日のロッテ戦では同点ホームラン、22日の楽天戦では自身初の4安打を記録。 6月4日の西武戦では9回裏の同点打に加え、延長11回裏に2008年以来、自身2本目となるサヨナラホームランを放った。さらに、その翌日(6月5日)には、9回裏に2日連続のサヨナラホームランを放った。個人の2試合連続サヨナラ本塁打は西武時代の2002年松井稼頭央以来8人目。セ・リーグでは1988年のダグ・デシンセイ以来23年ぶり。中日では初の出来事である[2][3]。また、前述の活躍もあり6月の月間MVPを初受賞。チームの野手としても2009年6月の和田一浩以来2年ぶりの受賞となった。10月19日のヤクルト戦ではプロ入り後初めて4番打者を務めた。中盤にやや調子を落とし1か月以上ホームランが出ない時期もありスタメンを外れる試合も増えたが、完全に一軍に定着。113試合に出場し、打率.255、11本塁打、38打点をあげる。守備でもリーグトップの守備率1.000、リーグ3位の8補殺を記録するなど、チームのリーグ連覇に大きく貢献し、攻守ともに飛躍を遂げたシーズンとなった。
2012年は初の開幕スタメンに名を連ね3月30日の開幕戦ではチーム第1号のホームランを記録[4]。主に7番を打っていたがその後、森野将彦の故障で3番を打っていた。しかし5月にぎっくり腰を患い二軍落ちを経験した。最終的には本塁打は前年と同じく11本だったものの、安定感を欠き打率.216と低迷し、出場試合数も前年より減った。
プレースタイル [編集]
高校通算70本塁打を記録した長打力に加え、強肩も備える。長距離打者であるが足は比較的早い。その神主打法は独特の美しさを持ち、「燃えよドラゴンズ!」2006では「ときめく平田のあの構え」と歌われている。ただし2011年の春季キャンプには当時監督の落合博満と打撃コーチの石嶺和彦の指導により打法を改造している[5]。目深にヘルメットを被るのもトレードマークである。
落合からはドラフト時に「この年のドラフトで俺が認めたのは平田だけ。そういう選手がいない年だってある。あれだけ振れる選手はそうはいない。鍛えれば俺以上の打者になる」と高く評価され[6]、守備についても「ドラゴンズの外野守備でいちばんうまい」と賛辞を送られている[7]。
人物 [編集]
大の漫画好きで、少年漫画だけでなく少女漫画も読む。大阪市の実家には約900冊のコレクションがあるほど。その中から『ドカベン』『涼風』をはじめ、手放せない愛読書を約200冊厳選して寮に持参した。
またかなりのゲーマーでもあり、特に『みんなのGOLF』『ウイニングイレブン』『実況パワフルプロ野球』シリーズはかなりやりこんでいる。『ウイニングイレブン』ではネット対戦で全国151位、『実況パワフルプロ野球』では同じく30位台まで上昇したことがあるという(いずれも本人の自己申告による)。『ウイニングイレブン』では「弱いチームで勝つ方がポイントがたまりやすい」という理由から主にFCコペンハーゲンでプレイしており、フォーメーションは守備重視の「6-3-1」をよく使う[5]。
1歳年上の妻がいる。経緯は2007年秋ごろから接する機会があり、そこから3年間の交際を経て2010年5月に婚姻届を提出した。同年12月には長男が誕生している。
2009年の自主トレで、同じ大阪桐蔭高校出身の千葉ロッテマリーンズ(当時)の西岡剛、北海道日本ハムファイターズの中田翔とトリオ「好奇心」結成。この時に中田が「開幕一軍」という目標を書こうとしたところ、開幕の字を度忘れした。平田はマスコミの質疑に西岡とまったく同じ答えを出して照れた。また、自主トレの数日前に西岡がクイズ!ヘキサゴンIIで「おバカキャラ」と位置づけされたのを踏まえて、「西岡さんはおバカキャラというか天然なんで…。羞恥心じゃなく好奇心でいきますよ」ここから好奇心が結成した(ちなみに3人の共通点はいずれも高校時代4番を担い、高卒でプロに入り、さらにドラフト1位指名で入団している)。
CBC『サンデードラゴンズ』内の「優子の野球相談室」で小倉優子から平田りんというあだ名をつけられている。
ヒーローインタビューで度々名言を残している。2008年、プロ初ホームランがサヨナラ打になった際のヒーローインタビューで締めに「えー、首位と点差は離れてますけど…あっ、ちゃう、何やったっけ…あ、ゲーム差は離れてますけど」と言い間違えてしまった。また、2011年の2戦連続サヨナラホームランの時には、6月4日は「明日はデーゲームですので、お酒は控えるようにして下さい」と、5日は「明日はナイターです。お酒をたんまり飲める、時間があります。しっかり飲んで、明日の6時プレイボールまでにお酒を抜いて応援して下さい」と、2日連続で「酒ネタ」を披露した。この「酒ネタ」は、その後のヒーローインタビューで、中日の他の選手(佐伯貴弘、小田幸平、小池正晃)にも使われた。
詳細情報 [編集]
年度別打撃成績 [編集]
| 年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2006 | 中日 | 2 | 2 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 |
| 2007 | 3 | 13 | 12 | 1 | 4 | 0 | 0 | 0 | 4 | 3 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 4 | 0 | .333 | .385 | .333 | .718 | |
| 2008 | 59 | 111 | 97 | 9 | 26 | 3 | 0 | 1 | 32 | 9 | 0 | 1 | 5 | 2 | 6 | 0 | 1 | 25 | 4 | .268 | .311 | .330 | .641 | |
| 2009 | 42 | 95 | 85 | 13 | 23 | 7 | 3 | 2 | 42 | 9 | 0 | 0 | 0 | 1 | 8 | 0 | 1 | 19 | 2 | .271 | .337 | .494 | .831 | |
| 2010 | 6 | 12 | 12 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 0 | .083 | .083 | .083 | .167 | |
| 2011 | 113 | 376 | 330 | 39 | 84 | 15 | 6 | 11 | 144 | 38 | 1 | 2 | 7 | 0 | 38 | 0 | 1 | 72 | 10 | .255 | .333 | .436 | .769 | |
| 2012 | 91 | 301 | 269 | 28 | 58 | 4 | 1 | 11 | 97 | 32 | 1 | 0 | 1 | 2 | 28 | 1 | 1 | 59 | 9 | .216 | .290 | .361 | .651 | |
| 通算:7年 | 316 | 910 | 807 | 90 | 196 | 29 | 10 | 25 | 320 | 91 | 2 | 4 | 13 | 5 | 80 | 1 | 5 | 184 | 25 | .243 | .313 | .397 | .710 | |
- 2012年度シーズン終了時
年度別守備成績 [編集]
| 年 度 |
外野 | |||||
|---|---|---|---|---|---|---|
| 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | |
| 2007 | 3 | 3 | 0 | 0 | 0 | 1.000 |
| 2008 | 35 | 39 | 1 | 1 | 0 | .976 |
| 2009 | 28 | 41 | 0 | 0 | 0 | 1.000 |
| 2010 | 3 | 3 | 0 | 0 | 0 | 1.000 |
| 2011 | 109 | 181 | 8 | 0 | 1 | 1.000 |
| 2012 | 87 | 175 | 4 | 0 | 0 | .982 |
| 通算 | 265 | 442 | 13 | 1 | 1 | .997 |
- 2012年度シーズン終了時
- 各年度の太字はリーグ最高
表彰 [編集]
- 月間MVP:1回(2011年6月)
記録 [編集]
- 初出場:2006年8月26日、対横浜ベイスターズ12回戦(ナゴヤドーム)、9回裏に英智の代打として出場
- 初打席:同上、9回裏に木塚敦志の前に三ゴロ
- 初先発出場:2007年10月4日、対広島東洋カープ24回戦(ナゴヤドーム)、7番・中堅手として先発出場
- 初打点:同上、11回裏に林昌樹から押し出し死球
- 初安打:2007年10月6日、対東京ヤクルトスワローズ24回戦(明治神宮野球場)、1回表に松井光介から右前2点適時打
- 初本塁打:2008年9月7日、対横浜ベイスターズ17回戦(ナゴヤドーム)、9回裏に浅尾拓也の代打として出場、横山道哉から右越サヨナラソロ
- 初盗塁:2011年8月18日、対読売ジャイアンツ12回戦(ナゴヤドーム)、7回裏に二盗(投手:ジョナサン・アルバラデホ、捕手:阿部慎之助)
- その他の記録
- 2試合連続サヨナラ本塁打 ※史上8人目(セ・リーグ史上6人目・プロ野球タイ記録、2002年松井稼頭央(西武)以来)
- 2011年6月4日、対埼玉西武ライオンズ4回戦(ナゴヤドーム)、11回裏に野上亮磨から中越ソロ
- 2011年6月5日、対千葉ロッテマリーンズ3回戦(ナゴヤドーム)、9回裏に薮田安彦から右越ソロ
背番号 [編集]
- 8 (2006年 - 2010年)
- 40 (2011年 - )
登場曲 [編集]
- 『Dear Mama feat.小田和正』LGYankees(2010年)
- 『ココロのちず』BOYSTYLE(奇数打席)『FAITH』Ruppina(偶数打席)(2011年〜2012年途中まで)
- 『Alright!!』Superfly(2012年途中~)
脚注 [編集]
- ^ “平田劇弾!プロ1号が代打サヨナラ本塁打”. スポニチSponichi Annex (スポーツニッポン). (2008年9月8日) 2013年4月16日閲覧。
- ^ “平田2戦連続サヨナラ弾「違う歓声を感じた」”. スポニチSponichi Annex (スポーツニッポン). (2011年6月6日) 2013年4月14日閲覧。
- ^ 【中日】平田2戦連続サヨナラ弾 - 2011年6月5日,日刊スポーツ
- ^ “平田 7回に特大弾!幸先良いスタート”. スポニチSponichi Annex (スポーツニッポン). (2012年3月30日) 2013年4月12日閲覧。
- ^ a b 東京中日スポーツ・2011年6月14日付 3面「旬撃 竜戦士を直撃」
- ^ 中日・平田良介「6年目の覚醒」
- ^ “落合「中日のタブー暴露」講演会を実況中継(2)「選手の性格で指導を変えた」” (日本語). アサ芸+. 2012年2月2日閲覧。
関連項目 [編集]
- 大阪府出身の人物一覧
- 中日ドラゴンズの選手一覧
- 辻内崇伸 - 高校の同期
- 中田翔 - 高校の2学年後輩
外部リンク [編集]
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