佐伯貴弘

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佐伯 貴弘
YB-Takahiro-Saeki.jpg
横浜時代(2009年4月30日阪神甲子園球場)
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 大阪府大阪市東成区
生年月日 1970年4月18日(41歳)
身長
体重
186cm
90kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 一塁手外野手
プロ入り 1992年 ドラフト2位
初出場 1993年5月23日
経歴(括弧内は在籍年)

佐伯 貴弘(さえき たかひろ、1970年4月18日 - )は、大阪府大阪市東成区出身のプロ野球選手内野手)。

目次

[編集] 来歴・人物

[編集] プロ入り前

中学時代はボーイズリーグの大阪東ジャガーズに所属。尽誠学園高校時代は二年時に第69回全国高等学校野球選手権大会に出場。一学年上の伊良部秀輝とは寮で同室だった。大阪商業大学時代には二度の三冠王を獲得している。また通算12本塁打で当時の関西六大学野球連盟の最多本塁打記録を持っていた。

1992年ドラフト会議横浜ベイスターズから2位指名を受けて入団。横浜はこの年に「ホエールズ」から改称したため、「ベイスターズ」としては初のドラフト指名選手の一人となった。背番号は26

[編集] 横浜時代

同期入団(年齢は佐伯が4歳年上)の松井秀喜ゴジラと呼ばれていたのに対しメカゴジラと呼ばれていた。

1993年5月23日の対広島東洋カープ戦に代打で初出場。1995年1996年オールスターゲームに2年連続出場している。

1995年のオールスターゲームでは成績が良くなかった時にファン投票で選出され(横浜スタジアムで開催されるのを受けての組織票が投票された)、辞退を考えていたものの「お前を純粋に見たいと思って入れた人もいる。出ろ」と言われて出場を決意した。この時こう言った相手は当時巨人に在籍し、2011年中日移籍時に監督だった落合博満で 、この件以来落合を尊敬している(週刊ベースボールより)。2011年に1年で中日に戦力外通告を受けた際にも「最高の1年だった」と発言している。

1997年ビル・セルビーとの兼用により出場機会に恵まれず、打率.260、4本塁打という成績に終わる。この年の契約更改では提示された金額に納得が出来ず保留。その際「相手が標準語では話が弾まない、大阪弁の人を用意してほしい」と発言し、2度目の交渉時に球団が大阪弁の職員を用意。その職員が「これでどないや?」と尋ねると、前回と同じ金額で更改した。

1998年は移籍してきた中根仁との併用でマシンガン打線の一員として活躍、リーグ優勝・日本一に貢献。7月15日巨人戦で槙原寛己との打席でライトフライとなった際、槙原のモーションがボークをとられたためアウトが取り消しとなった。その仕切り直しの打席で3ラン本塁打を打った。この試合は当初、7-0で巨人の一方的な展開であったが、この本塁打で12-12の同点となり、この日のサヨナラ勝利を呼び込むきっかけとなった。

2001年に背番号を10に変更。3回目のオールスター出場、140試合フル出場を果たし、2桁盗塁も決めている。

2004年は夏場以降調子を上げていき、最終的にリーグ3位の打率.322を記録するなど自己最高の成績を残した。7月16日の対広島戦でジョン・ベイルから遊撃内野安打で1000本安打達成。9月3日の対ヤクルトスワローズ戦で鎌田祐哉から通算100本塁打を達成。日米野球ではフランシスコ・ロドリゲスから日本人選手では全試合で唯一人本塁打を放った。しかし、シーズン終了後にFA権行使をした場合、球団としては引き止めないという話を球団からされ、当初は「涙が出るくらい悲しかった」と言い「もうこの球団には残れない」という主旨の話をした。だが、翌年から新しく監督の就任が決まっていた牛島和彦が引き止めて残留した。同年の契約更改ではたくさんの人に来て欲しいということから、入場料を安くして欲しいという条件も提示したこともある。

2005年タイロン・ウッズの代替として獲得したケビン・ウィットがインフルエンザで欠場したため、新監督の牛島より開幕から4番に指名される。ウィット復帰後もウィットの打撃不振により、結果的に4番として全試合出場を果たした。

2006年も引き続き開幕から4番を任されるが極度の打撃不振で打率が2割前後に低迷。それでも4番での起用が続き「四番佐伯」とコールされると、「対戦相手のファンから拍手が起こる」という事態まで発生した。4月28日の対広島戦では決勝点となる逆転3ランを放ちお立ち台に立ったが、それまでの打撃不振から涙を流す一幕もあった。その後も打撃不振は続き、結局6月になってからは成長を見せていた村田修一に4番の座を明け渡した。 8月23日の対巨人戦で9回表の同点、一死満塁の状況からバックホーム体制を敷いているにも関わらず、ファーストゴロで先に一塁を踏みに行き、その間に三塁走者の鈴木尚広が生還。決勝点を与えてしまう。この試合の実況を担当していた松下賢次に「どうしたんだ佐伯、何のための前進守備だ!」と言われてしまった(本塁に投げる理由についてはフォースプレイも参照のこと)。このように守備でも精彩を欠く場面が目立った。9月7日の対広島戦で、延長10回・2アウト満塁の場面で佐伯に打順が回ってくるが、カウント1-2からファールを打った際に捕手の石原慶幸のミットが佐伯のバットに当たった為、打撃妨害となり31年ぶりとなる「サヨナラ打撃妨害」で勝利するという珍事があった。佐伯は満面の笑みで選手達とハイタッチを交わす中、その時テレビ中継では「ヒーローは、佐伯じゃなくて佐伯のこのバット!」と実況されていた。

2007年は初心に返るという意味合いを兼ねて背番号を入団時の26に変更。一塁は吉村裕基が固定されたため、開幕はベンチからのスタートになった。しかし他の選手の不振もあり3年ぶりに外野でスタメン起用されると好調な打撃を見せ5番に定着。他球団の多くが外国人選手に依存する中、村田・吉村と共にチームの中軸を保った。本来の当てにいく打撃を取り戻したことで三振が半減、2年振りの規定打席と2桁本塁打、3年ぶりの3割到達となった。

2008年は開幕戦から5番・一塁手で出場するが不振に陥り、好調の内川聖一にポジションを明け渡した。代打での打率は.304を記録し、中盤からは代打の切り札的存在として活躍。意表を突くバントヒットも幾度か成功させるなど代打要員として新たな境地を築いた1年だったが、オフの契約更改では70%ダウンの年俸3000万で更改となった。会見では「税金のこともあるし、これからは缶コーヒー1本買うのにも気をつけなくてはいけない」という冗談を発した。

2009年ダン・ジョンソンが一塁で起用されていたため、前年に続いて主に代打の切り札として使われていたが、ジョンソンの不振により交流戦以降は一塁で出ることが多くなった。7月15日には3年ぶりの盗塁をホームスチールで飾り、横浜の2年ぶりの4連勝を演出した。8月9日の対中日戦では中田賢一から通算150本塁打を達成。惜しくも規定打席には届かなかったが、代打の切り札から5番一塁のレギュラーに復帰して2年ぶりの100試合出場・2桁本塁打を記録した。

2010年は10試合の出場に留まり、9月10日に球団側から戦力外通告を受けた。直後に韓国球団からコーチ兼任で契約の打診はあったがそれを断り[1]11月12日中日ドラゴンズが獲得を発表した。背番号はプロ入り後初の一桁である7

[編集] 中日時代

2011年はシーズン当初は代打のみで不振が続いていたが、5月20日の対埼玉西武ライオンズ戦で移籍後初のスタメン出場を果たし、逆転2点適時打を含む4安打を打ちチームの逆転勝利に貢献した。41歳としての4安打は球団史上初の記録であった[2]。また、この年には球団の三塁打及び本塁打[3]の最年長記録を更新した。その後は二度の二軍落ちを味わうも10月15日の対巨人戦では移籍後初の本塁打を放った。しかし、10月29日、球団から二度目の戦力外通告を受けたと発表され、11月11日に正式に発表された。その後も福岡ソフトバンクとの日本シリーズ終了まではチームに帯同し、横浜時代以来13年ぶりとなる日本シリーズ出場を含め、ポストシーズンゲーム計4試合で代打出場した。

[編集] 詳細情報

[編集] 年度別打撃成績

















































O
P
S
1993 横浜 55 146 131 5 26 4 1 2 38 12 1 2 1 0 12 1 2 27 2 .198 .276 .290 .566
1994 107 318 283 31 73 20 0 11 126 44 3 0 0 2 30 1 3 59 7 .258 .333 .445 .779
1995 103 246 212 27 56 17 1 7 96 29 0 1 2 2 29 2 1 45 1 .264 .352 .453 .805
1996 114 438 390 49 113 23 5 6 164 59 3 4 6 7 33 3 2 55 11 .290 .343 .421 .763
1997 106 303 265 20 69 12 1 4 95 25 6 2 5 2 29 1 2 62 5 .260 .336 .358 .694
1998 108 341 304 44 88 20 2 9 139 55 1 2 2 2 31 1 2 54 2 .289 .357 .457 .814
1999 112 401 363 49 112 17 1 10 161 53 1 2 0 3 34 1 1 49 7 .309 .367 .444 .810
2000 122 486 440 46 114 23 0 6 155 52 2 2 1 1 41 3 3 69 7 .259 .326 .352 .678
2001 140 555 490 58 148 18 2 14 212 73 11 7 12 3 46 1 4 73 12 .302 .365 .433 .797
2002 62 225 209 15 62 11 0 2 79 23 4 2 3 1 11 1 1 36 6 .297 .333 .378 .711
2003 104 287 268 24 73 12 1 11 120 41 1 3 0 2 14 0 3 64 1 .272 .314 .448 .761
2004 127 511 463 63 149 16 2 19 226 57 2 4 3 3 39 0 3 100 12 .322 .376 .488 .864
2005 146 640 578 74 157 28 2 19 246 88 5 3 0 2 57 1 3 119 18 .272 .339 .426 .765
2006 86 343 307 25 69 13 0 5 97 37 1 2 2 1 27 1 5 78 6 .225 .297 .316 .613
2007 125 447 404 49 122 25 3 16 201 67 0 1 4 2 34 0 3 54 8 .302 .359 .498 .856
2008 90 208 186 14 50 11 0 2 67 19 0 0 7 1 13 0 1 30 2 .269 .318 .360 .679
2009 114 402 361 32 93 16 0 12 145 55 1 1 0 3 35 0 3 90 9 .258 .326 .402 .728
2010 10 10 9 0 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 1 0 0 0 0 .111 .200 .111 .311
2011 中日 64 118 109 4 22 4 1 1 31 6 0 0 3 0 5 0 1 22 3 .202 .243 .284 .528
通算:19年 1895 6425 5772 629 1597 290 22 156 2399 795 42 38 51 37 521 17 43 1086 119 .277 .339 .416 .755
  • 2011年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

[編集] 年度別守備成績


一塁 外野
試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率
1993 3 10 1 0 3 1.000 46 44 0 2 0 .957
1994 - 87 106 2 4 0 .964
1995 - 58 80 1 2 0 .976
1996 - 105 184 5 2 2 .990
1997 - 81 125 4 0 0 1.000
1998 - 87 154 1 4 0 .975
1999 6 53 4 0 2 1.000 94 165 7 1 2 .994
2000 66 519 33 6 42 .989 60 94 4 1 1 .990
2001 114 724 51 6 64 .992 59 90 2 0 0 1.000
2002 55 415 40 5 26 .989 -
2003 47 227 14 1 19 .996 47 55 0 0 0 1.000
2004 53 131 8 1 10 .993 106 140 4 2 0 .986
2005 146 1272 72 6 111 .996 -
2006 82 702 28 4 62 .995 -
2007 7 49 5 0 1 1.000 91 122 4 2 0 .984
2008 30 222 14 2 18 .992 17 20 1 0 0 1.000
2009 99 835 63 9 69 .990 -
2011 22 167 14 1 17 .995 -
通算 730 5326 347 41 444 .993 938 1379 35 20 5 .986
  • 2011年度シーズン終了時
  • 2010年は守備機会なし

[編集] 入場曲

「PRIDE ~君がくれたもの~」ET-KING(2011年)

[編集] 表彰

[編集] 記録

初記録
節目の記録
その他の記録

[編集] 背番号

  • 26 (1993年 - 2000年、2007年 - 2010年)
  • 10 (2001年 - 2006年)
  • 7 (2011年)

[編集] 脚注

  1. ^ 佐伯、万感「すべてが思い出」 - 2010年11月14日
  2. ^ 中日ミラクル逆転!主役は「41歳のおっさん」 スポーツニッポン 2011年5月21日付記事。1試合4安打は自身として2007年以来である。
  3. ^ 代打としてはこの本塁打のみに終わった。

[編集] 関連項目

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