西本智実
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西本 智実(にしもと ともみ、1970年4月22日- )は大阪府大阪市出身の女性指揮者。
目次 |
人物
- 日本でのオーケストラのリハーサルでは、演奏者を「ヴァイオリンさん」「ホルンさん」というように「楽器名」+「さん」で呼ぶ。
年譜
- 1994年、大阪音楽大学作曲学科作曲専攻を卒業[1]。
- 1996年、ロシア国立サンクトペテルブルク音楽院オペラ・シンフォニー指揮科留学[1]。「西本の経歴に係る『週刊朝日』の報道」で詳述。
- 1998年、文化庁芸術インターンシップ研修員となる[2]。
- 同年、「出光音楽賞」受賞[3]。
- 2000年、大阪市「咲くやこの花賞」(音楽部門)受賞[4]。
- 2002年1月、「ロシア国立交響楽団の首席指揮者に就任」と朝日新聞(1月18日付大阪本社版夕刊)などの日本の各メディアで報じられたが、誤報であった。正しくは、民間オーケストラ「ロシア・ボリショイ交響楽団ミレニウム」の首席指揮者に就任したもの。[2]「西本の経歴に係る『週刊朝日』の報道」で詳述。西本が2002年1月から2年ほどロシア・ボリショイ交響楽団ミレニウムの首席指揮者を務めたのは事実だが[2]、「西本智実公式サイト プロフィール(2012年3月6日現在、Web魚拓)」には記載されていない。
- 2004年 、チャイコフスキー記念財団・ロシア交響楽団の芸術監督 兼 首席指揮者に就任(2007年まで)[1]。
- 同年 ムソルグスキー=ミハイロフスキー記念サンクトペテルブルク国立アカデミックオペラバレエ劇場 (旧レニングラード国立歌劇場)の首席客演指揮者に就任(2006年まで)。ロシアの国立オペラ・バレエ劇場の指揮者ポストに東洋人指揮者が就任することは史上初であった。[5]
- 同年、ニューズウィーク日本版の「世界が尊敬する日本人100人(10月20日号)」に選ばれる[2]。
- 2005年、プラハ・プロムズ音楽祭で指揮[1]。
- 2006年、チャイコフスキー記念財団・ロシア交響楽団の来日公演(5月-6月)で、チャイコフスキーの未完成の交響曲「ジーズニ」(ロシア人作曲家が補作)を指揮(日本初演)[2]。母校である大阪府立今宮高等学校の創立100周年記念式典で大阪フィルハーモニー交響楽団を指揮[6]。「スプリット国際音楽祭」、「ドブロヴニク国際音楽祭」で指揮[1]。ハンガリー国立歌劇場来日公演で指揮[1]。
- 2007年、ダボス会議を主催する世界経済フォーラムの「ヤング・グローバル・リーダー」に就任。2012年3月6日現在も在任。[1]
- 同年、リンツ・ブルックナー管弦楽団の定期演奏会を指揮[1]。モンテカルロ・フィルハーモニー管弦楽団をモナコで指揮[1]。モスクワ市立ロシアフィルを指揮[1]。プラハ国立歌劇場来日公演で指揮[1]。
- 2008年、モンテカルロ・フィルハーモニー管弦楽団の来日公演を指揮[1]。ブダペスト・フィルのシーズン最初の定期演奏会を指揮[1]。
- 2009年、リトアニア室内管弦楽団の来日公演を指揮[1]。プラハ国立歌劇場で指揮[1]。ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団の来日公演で指揮[1]。ルーマニア国立ジョルジュ・エネスコフィルを指揮[1]。
- 2009年度ベストドレッサー賞(スポーツ・芸能部門)を受賞[7]。
- 2010年、ロシア国立交響楽団の首席客演指揮者に就任(2011年まで)[1]。
- 2010年 8月23日-25日、ラトビア共和国の首都リガでラトビア国立交響楽団を指揮し、ミッシャ・マイスキーと共演[8]。11月、同楽団の日本公演を指揮[9]。
- 2010年、en:American Symphony Orchestraを、ロサンゼルス、オレンジカウンティ、ニューヨークのカーネギーホールの計3ヶ所で指揮[10]。11月12-13日、米国でen:Westchester Philharmonicを指揮[11]。
- 2011年、オリンパスホール八王子エグゼクティブプロデューサーに就任[1]。
西本の経歴に係る『週刊朝日』の報道
『週刊朝日』 2006年8月4日号に「美貌の女性指揮者西本智実の 『虚飾』」という記事が掲載された(44-53頁)。この記事で、西本が(当時)公表していた事項についての疑問が、ロシアでの現地取材を踏まえて指摘された。
『週刊朝日』の記事によると、2006年当時に西本が公表していた事項は下記の通りであった。
1) 2000年に大阪市「咲くやこの花賞」を受賞した際に紹介された西本の経歴。
- 「大阪音楽大学作曲科を卒業後、96年にロシア国立サンクトペテルブルク音楽院のオペラ・シンフォニー指揮科研究課程に留学。イリア・ムーシン教授らに師事。同時にロシア国立キーロフ・マリインスキー劇場に席を置き、指揮研究員として約90公演のオペラ、バレエの副指揮を務める。97年、同音楽院を最優秀の成績で修了。98年、再びマリインスキー劇場の招聘をうけ、指揮者スタッフの一人として正式に契約。ドイツ公演にも起用される」
2) 02年1月に「指揮者の西本智実が11日、ロシア国立ボリショイ交響楽団の首席指揮者に任命された(朝日新聞 02年1月18日付 大阪本社版夕刊)」などと、日本の多くのメディアが報じた。同じく02年1月に放映された「民放の人気ドキュメンタリー番組」で、
-
- 番組は、西本氏がモスクワにある「ロシア国立ボリショイ交響楽団」の「首席指揮者のいす」をかけてコンサートをすることになり、見事その座を射止めるという感動のストーリーになっている。番組の中には、西本氏がサンクトペテルブルクを訪れて「恩師」故イリヤ・ムーシンの墓を参るシーンがある。ムーシンは、西本氏が留学していたサンクトペテルブルク音楽院の元教授で、世界的指揮者を多く育てた人物だ。ここでナレーションが入る。
- <恩師に彼女は、ロシアへ戻ってきたこと、そしてモスクワで大きなステージに上がることを知らせるため、ここへやってきたのだ>
- そして次に場面はモスクワに戻る。コンサート前日、西本氏は氷上が明るくなり、カメラの前でこう話す。
- 「ムーシン先生が夢に出てきた。ほんと心強いです」
- 譜面を覚えたり、リハーサルでロシア人の楽団員と息が合わずに戸惑ったりしながら準備を進め、運命のコンサートでチャイコフスキー交響曲第6番「悲愴」を指揮。会場を埋め尽くしたロシア人観客から大喝采を浴びる。直後、楽団のディレクターが、彼女にこう告げる。
- 「あなたを首席指揮者に任命します」
- 任命の文書を手渡された西本氏は、
- 「これから、始まりだと思っています」
- と話し、番組は劇的な幕切れとなる。
- 番組は、西本氏がモスクワにある「ロシア国立ボリショイ交響楽団」の「首席指揮者のいす」をかけてコンサートをすることになり、見事その座を射止めるという感動のストーリーになっている。番組の中には、西本氏がサンクトペテルブルクを訪れて「恩師」故イリヤ・ムーシンの墓を参るシーンがある。ムーシンは、西本氏が留学していたサンクトペテルブルク音楽院の元教授で、世界的指揮者を多く育てた人物だ。ここでナレーションが入る。
- ※以上の番組内容についての記述は、『週刊朝日』 の記事に掲載された通り。
3) 西本は、99年、「聖スタニスラフ勲章」を受章した。キングレコードから出ているCDの解説書には「ロシア国民からの強い支持があって」と受賞理由の説明がある。
『週刊朝日』の記事では、ロシアなどでの取材結果が、下記のように述べられていた。
- ロシア国立サンクトペテルブルク音楽院への留学、最優秀の成績での修了。
- 同音楽院留学生課を訪ねると、西本は確かに96年9月から97年6月まで在籍していたというが、本科(5年制)の学生ではなく、「スタジオール」と呼ばれる研修生だった。
- 同音楽院留学生課によると「スタジオールは、定期、卒業試験はいっさいない。在籍証明だけで成績もない」。
- スタジオールは月単位で学費を払えば、好きな期間、好きなクラスを受講でき、音楽学校の卒業証明さえあれば、誰でも入学できるというものだった。
- イリヤ・ムーシンへの師事。
- ムーシンの弟子で、94年からロシア国立サンクトペテルブルク音楽院で留学生の指導をしたレオニード・コルチュマル、ミハイル・ククシキンら同音楽院関係者は下記のように語った。
- 「当時、ムーシンの授業は誰でも受けられたが、ニシモトの名前は聞いたことがなかった」
- ロシア国立マリインスキー劇場に籍を置き、指揮研究員として約90公演のオペラ、バレエの副指揮を務める。97年、同音楽院を最優秀の成績で修了。98年、再びマリインスキー劇場の招聘をうけ、指揮者スタッフの一人として正式に契約。ドイツ公演にも起用される。
- マリインスキー劇場公報課によると、「在籍者のすべてのリストを調べたが、ニシモト・トモミという日本人がスタッフとして働き、契約した事実はない」。
- ロシア留学時代の西本を知っているという、マリインスキー劇場の演出家のイリーナ・コシェーレヴァは、「トモミがうちの劇場で指揮者として仕事をしたという話は聞いたことがない。音楽院の留学生は劇場見学を許されていたので、その話の間違いではないか」と驚きを隠さなかった。
- 「試験コンサート」を大成功させて、「ロシア国立ボリショイ交響楽団」の首席指揮者に就任。
- 「当時地元にいた現地スタッフ(『週刊朝日』 の記事の表現通り)」によると、
- 「番組を見ると、西本さんがコンサートの前にムーシンさんの墓参りに行ったことになってますが、事実とは違います。墓参りに行ったのはコンサート後。西本さんはそれを口止めしていました」。
- 西本が02年当時に所属していた音楽事務所の社長によると、
- 「そもそもあのコンサートは、西本が 『自分のコネで、サンクトペテルブルクにある交響楽団を指揮することが決まった』 と言い出して始まった。私自身、西本が所属するレコード会社と一緒に、その楽団とのCD録音の準備を始めた。ところが、西本が 『予定していた交響楽団がダメになった』と言い出した。急遽、別な楽団を探し、私の知人の紹介で、モスクワの 『ボリショイ交響楽団』なる楽団から、録音演奏の権利をカネで買っただけ。それが、私の知らない所で、楽団の首席指揮者の『試験のためのコンサート」をやるという話になり、西本のツテでテレビの取材が決まった」。
- (『試験のためのコンサート』 の終了後、楽団のディレクターが西本に 『あなたを当団の首席指揮者に任命します』 と告げ 『首席指揮者任命書』 を渡すシーンについては)
- 「おかしなことをやるな、と違和感を感じた。外国のオーケストラは、通常は、事前に指揮者と契約書を交わす。年に何回指揮をするか、ギャラはいくらかなど、何も話をしないで 『任命』 だけ先にやるなんてあり得ない」。
- 「当時の別のスタッフ(『週刊朝日』 の記事の表現通り)」によると、西本がこの楽団の首席指揮者に就任する件は、西本が「私が日本でスポンサーを集めるのでまかせてほしい」と熱心に売り込んで実現した話だった。当時、ロシアのオーケストラはどこも経営難だったので事務局長が飛びついた。西本の首席指揮者就任は「試験のコンサート」の本番前からほぼ決まっていた。
- 「試験のためのコンサート」のホール代、楽団の出演料などの経費は、全てキングレコードが負担した。客席を埋めたロシア人聴衆も、地元で招待券をバラまいて動員した。「試験のためのコンサート」のパンフレットには、キングレコードの社名がスポンサーとして大きく掲載されていた。
- 西本とキングレコードの担当者は、「首席指揮者任命書」をもらうと、「すぐに知らせないとニュースにならない」と、日本に慌てて電話をかけ続けていた。これが、朝日新聞をはじめとする日本各メディアの「快挙報道」になった。
- 西本とキングレコードが日本のメディアに伝えた「ロシア国立ボリショイ交響楽団」は、「国立」ではなく、単なる民間オーケストラ「ロシア・ボリショイ交響楽団ミレニウム」だった。94年に結成されたが、休眠中であったのを、01年に名称変更してにわかに復活させたものだった。「試験のためのコンサート」のパンフレットには、「ロシア・ボリショイ交響楽団ミレニウム」と明記されていた。西本は、『週刊朝日』 の直接の取材に対し「現地の日本人コーディネーターが 『国立』 と誤訳したせいで、被害を被った」と答えている(後述)。
- ロシア・ボリショイ交響楽団ミレニウムは、02年9月に、大手企業の協賛を得て、西本が指揮する日本公演を行ったが、1千万円を超える赤字が出て、西本の知人らが赤字を補填した。西本は「来年以降、またミレニウムの公演をやって赤字を取り返す」と話していたが、再来日は実現しなかった。
- 02年当時、ロシア・ボリショイ交響楽団ミレニウムに所属していたロシア人弦楽器奏者は下記のように語った。
- 「ニシモトが『首席』になってから他のオケとの掛け持ちはダメだという条件がついた。迷ったが、月給(約700ドル)を保証すると約束したので専属契約した。日本公演があった翌年の夏ごろにはロシア人事務局長が『日本からお金が入ったが、銀行でおろせない』と言いだし、不払いが始まった」
- 給料不払いについて、西本が楽団員を集めて涙を流して謝罪したこともあった。この時点でほとんどの団員が辞めたが、西本を信じてロシア・ボリショイ交響楽団ミレニウムに残った打楽器奏者は下記のように語った。
- 「結局、04年1月、キングレコードがニシモトのCD録音のために開いたニューイヤーコンサートが最後だった。僕も参加したが、もらえたのはわずかな額(約100ドル)。また演奏会をやるといって引き留められたが、限界だった。未払いの6ヶ月分の給与はいまだにもらっていない。ロシアじゃ泣き寝入りはよくあること。訴えてもどうしようもないので、移籍先を自分で探した。楽団は自然消滅さ」
- 西本は、雑誌 『日経WOMAN』 06年7月号の対談記事で、下記の旨を説明している。
- 「ロシア・ボリショイ交響楽団ミレニウムには、日本円にして億単位の借金があったので、まずはそれを返すことから再建が始まった。2年くらいでほぼ返した。悔しいのは、最終的には他楽団との合併という形になってしまったこと。財政的には助かったが、そのために団員を解雇しなくてはならず、辛かった」
- キングレコードが、05年に発売した西本のDVDの解説では、下記のように説明されている。
- 「メンバーの大半が、ロシア・ナショナル交響楽団に移籍、吸収合併というかたちになった。(西本は)首席指揮者として円満解決に尽力奮闘した」
- ロシア人の元楽団員の一人に、このような日本での説明について伝えると、怒りをあらわにして、下記のように語った。
- 「円満解決?ありえない。いまだに給料を貰っていない。借金があったという話も聞いたことがない。ニシモトや事務局は何もしてくれなかった。みな、自分のツテやオーディションで、いろんな楽団に散っていったんだ」
- ロシア国民からの強い支持で「聖スタニスラフ勲章」を受章。
- 大阪府にある某企業の経営者が、個人的に西本に授与したもの。「聖スタニスラフ勲章」の事務局総裁はポーランド人で、某企業経営者は、当時、勲章1個につき15万円を支払って授与する権利を与えられていたという。某企業経営者は下記のように語った。
- 「勲章は20個ぐらいまとめて買ったので、ほしいという人にバラまいてました。ロシア国民の支持でもらったって?そりゃ、違う。この勲章はロシアでほとんど知られていない。ワシがあげた。大阪市内のホテルで授与式をよくやりましたが、カネがかかるので、西本さんには会社で渡したと思う。今はカネが続かなくなったんで勲章は休業中です」
『週刊朝日』の記事では、西本への直接取材の結果も掲載されている。※西本への質問、西本のコメントは、カッコ内を含め、『週刊朝日』の記事に掲載された通り。
- まず、経歴の話から聞いた。
- (西本)「マリインスキー劇場に籍を置き、働いたことはありません。ただし、アシスタントはやった。(経歴の間違いは)単なるミスです。私にとって経歴は問題じゃない。それで賞を取ったわけでもない」
- なぜ、違う経歴を書いたのか?
- (西本)「私が自分で書いて提出するんですか?コンクールじゃないですから」(『週刊朝日』の取材時に、西本と同席した、2006年現在の西本の「個人事務所」のマネージャーは、「当時の事務所に聞いてほしい」と主張した)
- では、勲章は?
- (西本)「授与式はイギリスであり、行きました。勲章をくれと私が言ってもらったものではない。詳しくはわかりません。(ロシア国民が支持したという受章理由は)正確には、ロシアで行ったコンサートを評価されたという意味。CDに書いたのはレコード会社の責任」
- テレビ番組に「虚偽」があると指摘されている。
- (西本)「墓参りに行ったのはコンサートの後です。でも、それを口止めしたことはない。ああいうふうに番組で編集されて、私も腹が立った。ムーシン先生の夢は本当に見てます。リハーサルの間、ロシア人事務局長が私に指揮者就任の件など、さまざまなことを口頭でまくし立てたので紙に書いてくださいとお願いしたことはあります。でも、カメラの前でやろうと言ったことはない」
- ボリショイ交響楽団ミレニウムを「国立」と間違えた件については?
- (西本)「現地の日本人コーディネーターが 『国立』 と誤訳したせいで、被害を被った」
- ミレニウムは、半年も給料未払いなのに「円満解決」と言えるのか?
- (西本)「お金をもらってないのに円満はないですよね。そう書いたのはキングレコードですから、そちらで聞いてください。キングが録音費用をオケに支払うのが遅れ、私が団員から責められたこともあった。他のオケとの吸収合併の話は確かに当時、ありましたが、(合併先の)オケも財政難に陥り、最終的にうまくいかなかった。ロシアだけではなく、こういうことはよくある。ミレニウムは自然消滅しましたが、私だってお金もらっていないんです。いわばみんな、被害者です」
- では、なぜ正直に事実を公表しないのか?
- (西本)「日本でそんなこと公表しても仕方ないでしょう。お金を払ってくれるわけでもないしね」
『週刊朝日』の記事に掲載された関係者の談話。
- キングレコードの談話[注釈 2]
- 「事務所と西本さんご本人には経歴もすべて確認してもらっています。彼女は表現者なので、常識人とは異なりますから…」
- 西本が02年当時に所属していた音楽事務所の社長の談話
- 「ロシアの経歴までは調べられず、西本本人が持ってきたものを使いました。ただ、マリインスキー劇場の件は内心、『おかしいな』 と思った。西本は同劇場で仕事をしていたので、首席指揮者のゲルギエフ氏(イリヤ・ムーシンの弟子で世界的巨匠[2])は兄弟子だとマスコミにも話していましたが、ゲルギエフ氏が来日したときに知人のツテでこっそり確認してもらったら、本人は全然、彼女を知らないと言っている。西本に問いただすと怒りだした。マリインスキー劇場で指揮をしたというなら、それを証明するプログラムなどを持ってこいと西本に言ったこともありますが、結局、持ってこれなかった。西本は自己演出を繰り返して大きくなった。業界ではまれな例です」
作品・出版物
CD
- 「ロミオとジュリエット」(2000年4月11~13日録音) チャイコフスキーおよびプロコフィエフの同名作品
- チャイコフスキー「交響曲第6番~悲愴~」(2002年1月5日~10日録音)
- バレエ音楽「白鳥の湖/くるみ割り人形」(2002年1月5日~10日録音)
- 「革命&1812」(2003年1月28日~2月2日録音)
- 「BOLERO」(2003年1月28日~2月2日録音)
- 「ニューイヤーコンサート2004 イン・モスクワ」(2004年1月2日ライブ録音)
- 「ドヴォルザーク 交響曲第9番「新世界より」」(2008年3月28日~30日録音)
- 「チャイコフスキー:バレエ音楽「くるみ割り人形」作品71(全曲)」(2008年8月18日~20日録音)
- 「イン・コンサート」
- 「ベートーヴェン交響曲第7番」
- 「マーラー交響曲第5番」
- 「チャイコフスキー交響曲第5番」
- 「リムスキー=コルサコフ交響組曲シェエラザード」
DVD
- 「ボレロ 火の鳥&展覧会の絵」(2003年5月15日収録)
- 「New Year Moscow 2004」(2004年1月2日収録)
- 西本智実指揮 チェコ・ナショナル交響楽団「幻想交響曲」(2005年8月6日収録)
- 『チャイコフスキー未完成交響曲「ジーズニ」』(2006年6月5日収録)
- 『チャイコフスキー:交響曲第5番&第6番「悲愴」』(2006年6月5日~6日収録)
- 『西本智実の新世界交響曲:ライヴ・イン・ブダペスト』(2008年10月21日ハンガリー国立歌劇場にて収録)
書籍
- 公演プログラム写真集『西本智実・31歳の新星~日本とロシアと~』(2002年10月1日)
- 著者:伊東雨音、撮影:塩澤秀樹
- 『西本智実 私の中のロシア』(2004年12月20日)
- 編著:伊東雨音、写真:中島正之
テレビ出演
トーク番組
CM
- ミーレジャパン(2002年)
- IBM(スチル)(2002年)
- 公共広告機構(現:ACジャパン) 関西活性化「指揮者篇」(2002年)
- 日立製作所(2004年 - 2007年3月)
- 阪神百貨店(スチル)(2005年)
- スズキ「SX4」(2007年)
- 大和証券(2007年)
関連項目
注釈
- ^ 年譜からは、「西本智実公式サイト 『プロフィール』 (2012年3月6日現在、Web魚拓)」に記載のない事項は除去した。公式サイトのプロフィールには時系列データがないため、各事項の時期については、「西本智実公式サイト 『プロフィール』 (2012年3月6日現在、Web魚拓)」を出典表示している事項は、2012年3月6日より前の「年譜」に記載されていた時期のままとした。
- ^ 2012年現在も、西本とキングレコードは契約を継続しており、2012年4月11日にキングレコードから西本の演奏を収録したブルーレイディスクが発売[13]。
出典
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s 西本智実公式サイト 『プロフィール』 (2012年3月6日現在、Web魚拓)
- ^ a b c d e f 「美貌の女性指揮者西本智実の 『虚飾』」 『週刊朝日』 2006年8月4日号、44-51頁。
- ^ 出光興産株式会社公式サイト 『出光音楽賞歴代受賞者』
- ^ 大阪市-ゆとりとみどり振興局-文化部-文化振興担当「咲くやこの花賞」公式サイト 『咲くやこの花賞 これまでの受賞者』
- ^ 「コジマ・コンサートマネジメント」公式サイト 2004年9月28日(Web魚拓)
- ^ 大阪府立今宮高校同窓会「自彊会」公式サイト 『創立100周年記念式典』(Web魚拓)
- ^ 一般社団法人日本メンズファッション協会公式サイト 『ベストドレッサー賞受賞者』
- ^ 株式会社サモンプロモーション 『西本智実指揮/ミッシャ・マイスキー/ラトビア国立交響楽団 in リガ』(Web魚拓)
- ^ 株式会社サモンプロモーション 『西本智実指揮 with ミッシャ・マイスキー ラトビア国立交響楽団 日本ツアー・レポート』(Web魚拓)
- ^ 株式会社サモンプロモーション 『西本智実指揮 with スミ・ジョー U.S.A TOUR』(Web魚拓)
- ^ 「Westchester Magazine's Guide to Fall 2011 Events and Activities in Westchester County, NY」(Web魚拓)
- ^ 毎日放送 『情熱大陸』 「西本智実-指揮者 2002/1/27 ON AIR」(Internet Archive)
- ^ キングレコード公式サイト 『チャイコフスキー:交響曲第5番、第6番「悲愴」/西本智実/発売日:2012/04/11』(Web魚拓)
