日本フィルハーモニー交響楽団

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日本フィルハーモニー交響楽団(にほんフィルハーモニーこうきょうがくだん、:The Japan Philharmonic Orchestra)は、日本オーケストラ。略称は日本フィルまたは日フィル日本オーケストラ連盟正会員。

1956年創立。1985年からは自主運営の財団法人となり、「市民とともに歩むオーケストラ」、「人・音楽・自然」をテーマとして、東京都を中心に年間約160回の公演を行っている。2006年に創立50周年を迎えた。

目次

[編集] 指揮者・コンサートマスター

[編集] 歴代常任指揮者

  • 渡邉暁雄
常任指揮者、音楽監督、創立指揮者として密接に関わりをもつ。
芸術顧問兼首席指揮者として活動中財団解散の憂き目に遭い、昭和天皇に直訴し、財界の支援を受けて三分の一の団員を率い新日本フィルハーモニー交響楽団を創設し分離独立した。
首席指揮者、常任指揮者、首席客演指揮者、音楽監督として密接な関わりを持ち、渡邉暁雄亡き後の精神的な支柱となっている。2010年4月から桂冠指揮者。
2008年9月より首席指揮者。就任1期目の3年間、年2回のペースで東京定期演奏会に出演、プロコフィエフの全交響曲の演奏を行う。2011年9月より2017年8月まで5年間の任期延長が発表された。2011/12シーズンのテーマはラフマニノフ。

[編集] 沿革

  • 1956年6月22日、文化放送の専属オーケストラとして創立。楽団創設の中心となった渡邉暁雄が初代常任指揮者に就任。
  • 1957年4月4日、第1回定期演奏会を日比谷公会堂にて開催。シベリウス交響曲第2番ほかを演奏。
  • 1958年、ジャン・フルネ指揮によってドビュッシーの「ペレアスとメリザンド」の日本初演。同年日本フィルシリーズ第1作、矢代秋雄交響曲」初演。
  • 1959年、フジテレビジョンとも専属契約を結ぶ。
  • 1961年、定期演奏会の会場を東京文化会館に移行(1989年まで同会場にて開催)。
  • 1962年、渡邉暁雄の指揮によって日本コロムビアにシベリウス交響曲全集を録音。世界初のステレオ録音による全集として高い評価を得る。同年、シャルル・ミュンシュを客演に招いてベートーヴェン交響曲第9番を演奏。
  • 1963年、3月29日にシューマン交響曲第2番ハ長調』を、4月12日にバルトーク中国の不思議な役人』(演奏会形式)を、何れも東京文化会館に於いてモーリス・ル・ルー指揮により日本初演
  • 1964年、アメリカ及びカナダで初の海外公演。以降、ヨーロッパ(4回)、オランダエストニア(2002年、日本のオーケストラとして初)、ハワイ(2004年)と計8回の海外公演。
  • 1972年3月、フジテレビと文化放送が楽団に対して放送契約の打ち切りを通告。6月30日をもって財団法人が解散し、新日本フィルハーモニー交響楽団と分裂。三分の一の団員が新日本フィルへ、三分の二の団員がそのまま留まって「日フィル争議」が始まる。
  • 1973年、支援団体として日本フィルハーモニー協会が発足。5月8日、第1回横浜定期演奏会を県立音楽堂にて開催。11月から12月にかけ、チェコの名指揮者ヴァーツラフ・スメターチェクが客演。12月の「第9」公演で日本フィルハーモニー協会合唱団が設立される。
  • 1975年1月、第1回九州公演。4月、横浜定期演奏会の会場を神奈川県民ホールに移行(1998年まで同会場にて開催)。8月、第1回夏休み親子コンサート。
  • 1976年、第1回北海道公演。
  • 1981年、創立25周年を迎える。シベリウスの交響曲全集を再録音。日活映画「炎の第5楽章」封切。日本フィルハーモニー協会よりコントラファゴットが贈呈される。以降、同協会による大型楽器贈呈運動により、ハープ、5弦コントラバスなどが贈呈されている。
  • 1984年、フジテレビと文化放送が2億3千万円の解決金を支払い、日フィル労組が財団解散を承認して和解。一連の運動に多大な功績のあった指揮者の渡邉暁雄に対し創立指揮者の称号を贈呈。
  • 1985年1月、自主運営による財団法人として再出発。同年秋、分裂後初の海外公演(ヨーロッパ)を行なう。
  • 1989年5月、現在のシンボルマークを導入、「人、音楽、自然」を楽団のテーマとする。9月、東京定期演奏会の会場をサントリーホールに移行、木・金2日連続公演を実施。同会場での定期演奏会実施は在京オーケストラ初の快挙となった。
  • 1990年6月22日、創立指揮者・音楽監督であった渡邉暁雄が死去。これに伴い、10月に首席指揮者小林研一郎を常任指揮者とした。
  • 1991年1月、第1回サンデー・コンサート(東京芸術劇場)を開催。7月第1回どりーむコンサート(府中の森芸術劇場)を開催。
  • 1996年、文化庁「アーツプラン21」(芸術創造特別支援事業)の初の対象団体として選ばれる。11月ヴァレリー・ゲルギエフが東京定期演奏会に客演。リヒャルト・シュトラウスの楽劇『サロメ』を上演。マリインスキー劇場を代表する歌手たちによる公演を行う。12月、事務局を杉並区に移転。以降、杉並区との友好関係を深める。
  • 1998年、譚盾オペラ『マルコ・ポーロ』の演奏会形式による世界初演(作曲家自身の指揮による)。9月、横浜定期演奏会の会場を横浜みなとみらいホールに移行。
  • 1999年、東京定期演奏会の登場指揮者によるトークイベント「マエストロ・サロン」を開催。8月、「ピティナ・ピアノ・コンペティション」に「日本フィル賞」を制定。受賞者にサンデー・コンサートでの共演の機会が与えられる。
  • 2000年、9月第1回大宮定期演奏会(現・さいたま定期演奏会)を大宮ソニックシティにて開催。インターネットによるチケット予約システム「かえるくん」を導入。
  • 2000年、2002年、ミュージック・ペンクラブ賞日本人アーティスト最優秀コンサート・パフォーマンス賞受賞。
  • 2001年6月、創立45周年記念事業として、ネーメ・ヤルヴィ指揮によってシベリウスの交響曲全曲演奏会。
  • 2004年2月、小林研一郎が音楽監督に就任(2007年3月まで)。
  • 2006年3月、ルカーチ・エルヴィンに名誉指揮者の称号を贈呈。ルカーチは1975年の初登場から30年に渡り定期的に日本フィルと共演していた。
  • 2006年6月、杉並公会堂リニューアルオープン。新しい本拠地として演奏会を開催するほか、練習にも使用するようになる。9月2日、創立50周年記念演奏会(サントリーホール)。
  • 2006年11月、ジェームズ・ロッホランに名誉指揮者の称号を贈呈。ロッホランは1980年以来26年に渡り定期的に日本フィルと共演していた。
  • 2007年3月より半年間、サントリーホールの改修工事のため、東京定期演奏会の会場を東京オペラシティコンサートホール・タケミツメモリアルに移動(7月までの5回10公演)。
  • 2007年9月より東京定期演奏会の会場をサントリーホールに戻す。同時に、年間会員券を9月スタートの「秋・春」、開催日程を金・土2日連続公演に変更。
  • 2008年9月より3年間アレクサンドル・ラザレフを首席指揮者に招聘。さらに2017年8月までの任期延長が発表された。
  • 2009年9月よりピエタリ・インキネンを首席客演指揮者に迎える。
  • 2010年2月、九州公演35周年
  • 2010年4月、小林研一郎が桂冠指揮者に就任。
  • 2011年3月、第39回香港芸術祭へ参加。アレクサンドル・ラザレフ指揮、プロコフィエフほか。

[編集] 日本フィル・シリーズ

「日本フィル・シリーズ」は、日本フィル創立期の1958年より始められた邦人作品の委嘱シリーズ。演奏会での初演を前提とした、日本の音楽史上でも例のない委嘱制度となっている。日本の代表的な大家から新人に至るまでの幅広い作曲家が選ばれ、古典的なものから前衛まで、作品の傾向も多岐にわたる。

第1作、矢代秋雄の『交響曲』以来、現在まで39作(第8作は欠番)が財産として残されている。第40作は野平一郎の『オーケストラのための「トリプティーク」』で2006年7月13日に沼尻竜典の指揮によって初演された。

日本フィルシリーズ作品リスト
通算 作曲家 作品名 初演年月日 初演会場 指揮者 ソリスト
第1作 矢代秋雄 交響曲 1958年6月9日(第9回定期演奏会) 日比谷公会堂 渡邉暁雄
第2作 間宮芳生 ヴァイオリン協奏曲 1959年6月24日(第16回定期演奏会) 日比谷公会堂 渡邉暁雄 松田洋子(Vn)
第3作 入野義朗 交響曲 1959年12月8日(第20回定期演奏会) 日比谷公会堂 渡邉暁雄
第4作 三善晃 交響三章 1960年10月14日(第26回定期演奏会) 日比谷公会堂 渡邉暁雄
第5作 柴田南雄 シンフォニア 1960年12月12日(第28回定期演奏会) 日比谷公会堂 渡邉暁雄
第6作 武満徹 樹の曲 1961年5月22日(第33回定期演奏会) 日比谷公会堂 渡邉暁雄
第7作 別宮貞雄 交響曲第1番 1962年1月18日(第39回定期演奏会) 東京文化会館 渡邉暁雄
第8作 欠番
第9作 黛敏郎 弦楽のためのエッセー 1963年1月30日(第57回定期演奏会) 東京文化会館 渡邉暁雄
第10作 山本直純 和楽器とオーケストラのためのカプリチオ 1963年6月27日(第67回定期演奏会) 東京文化会館 渡邉暁雄
第11作 清瀬保二 日本の素描 1964年1月28日(第77回定期演奏会) 東京文化会館 渡邉暁雄
第12作 高田三郎 宮沢賢治詩による「無声慟哭」 1964年3月27日(第81回定期演奏会) 東京文化会館 渡邉暁雄 三觜晶子(Sp)、栗林義信(Br)、横森久(ナレーター)、東京混声合唱団
第13作 安部幸明 シンフォニエッタ 1965年1月14日(第92回定期演奏会) 東京文化会館 渡邉暁雄
第14作 松村禎三 交響曲 1965年6月15日(第102回定期演奏会) 東京文化会館 渡邉暁雄
第15作 諸井誠 カインの幻影 1966年1月28日(第113回定期演奏会) 東京文化会館 渡邉暁雄
第16作 間宮芳生 二重合奏協奏曲 1966年6月14日(第122回定期演奏会) 東京文化会館 渡邉暁雄
第17作 野田暉行 交響曲 1966年12月8日(第130回定期演奏会) 東京文化会館 渡邉暁雄
第18作 芥川也寸志 オスティナート・シンフォニカ 1967年5月25日(第141回定期演奏会) 東京文化会館 渡邉暁雄
第19作 戸田邦雄 六つの楽器と管弦楽のための合奏協奏曲 1968年1月25日(第153回定期演奏会) 東京文化会館 渡邉暁雄
第20作 小倉朗 交響曲 1968年6月13日(第162回定期演奏会) 東京文化会館 渡邉暁雄
第21作 高橋悠治 「オルフィカ」 1969年5月28日(第181回定期演奏会) 東京文化会館 小澤征爾
第22作 篠原眞 オーケストラのための「ヴィジョンⅡ」 1970年6月11日(第202回定期演奏会) 東京文化会館 小澤征爾
第23作 石井眞木 遭遇Ⅱ番―雅楽とオーケストラのための 1971年6月23日(第223回定期演奏会) 日比谷公会堂 小澤征爾
第24作 林光 ウィンズ 1974年6月25日(第263回定期演奏会) 東京文化会館 渡邉暁雄
第25作 広瀬量平 管弦楽のための「クリマ」 1976年11月15日(第286回定期演奏会) 東京文化会館 渡邉暁雄
第26作 外山雄三 「花をささげる」 1977年1月22日(第288回定期演奏会) 東京文化会館 外山雄三 成田絵智子(Ms)
第27作 小山清茂 管弦楽のための鄙歌第2番 1978年6月8日(第303回定期演奏会) 東京文化会館 渡邉暁雄
第28作 池辺晋一郎 トライアス―シンフォニーⅡ 1979年7月4日(第314回定期演奏会) 東京文化会館 渡邉暁雄
第29作 吉田進 「縄文」 1982年4月9日(第47回定期演奏会) 神奈川県民ホール 渡邉暁雄
第30作 松村禎三 チェロ協奏曲 1984年2月27日(第360回定期演奏会) 東京文化会館 渡邉暁雄 安田謙一郎(Vc)
第31作 吉松隆 鳥たちの時代 1986年5月24日(第382回定期演奏会) 東京文化会館 井上道義
第32作 細川俊夫 フルート協奏曲「ペル・ソナーレ」 1988年5月26日(第401回定期演奏会) 東京文化会館 大友直人 ピエール=イヴ・アルトー(Fl)
第33作 牧野謙 PHASES 1989年12月14,15日(第416回定期演奏会) サントリーホール 小林研一郎
第34作 吉松隆 トロンボーン協奏曲「オリオン・マシーン」 1993年4月15,16日(第449回定期演奏会) サントリーホール 外山雄三 箱山芳樹(Tb)
第35作 三善晃 管弦楽のための「霧の果実」 1997年1月16,17日(第487回定期演奏会) サントリーホール 広上淳一
第36作 湯浅譲二 内触覚的宇宙Ⅴ-オーケストラのための 2002年1月17,18日(第537回定期演奏会) サントリーホール 尾高忠明
第37作 西村朗 交響曲第3番「内なる光」 2003年7月10,11日(第552回定期演奏会) サントリーホール 沼尻竜典
第38作 猿谷紀郎 「潦の雫」 2004年10月21,22日(第564回定期演奏会) サントリーホール 下野竜也
第39作 北爪道夫 「様々な距離」 2005年6月2,3日(第570回定期演奏会) サントリーホール 沼尻竜典
第40作 野平一郎 オーケストラのための「トリプティーク」 2006年7月13,14日(第582回定期演奏会) サントリーホール 沼尻竜典

第30作は創立25周年記念委嘱作品、第35作は創立40周年記念委嘱作品、第36作は創立45周年記念委嘱作品

[編集] 日フィル争議

日本フィルは1956年に文化放送が設立した後、財団法人となり、フジテレビと文化放送の放送料によって運営されてきたが、1972年6月に両社はオーケストラの解散と楽団員全員の解雇を通告、放送料を打ち切り、財団も解散した。表向きの解散理由として、オーケストラの運営に多額の資金が必要なことが示されたが、その背景には1971年5月、日本フィルハーモニー交響楽団労働組合が結成され、同年12月には同労組が日本の音楽史上で初の全面ストライキをたたかったことがあった。

楽団員のおよそ3分の2はオーケストラと労働組合にとどまり、自主的な演奏活動によって運営資金の確保を図りつつ、解雇を不当として東京地方裁判所へ提訴、解決を求めた。その一方で、当時の首席指揮者であった小澤征爾を中心とする元団員によって新日本フィルハーモニー交響楽団が設立されている。

初代常任指揮者の渡邉暁雄は1969年にスイスに移住する際に日本フィルを離れたが、争議中の1978年に復帰、以後もオーケストラの精神的支柱として活動した。演奏活動が全国的に展開され、音楽家や音楽愛好家・聴衆の広範な支援を受けて争議が繰り広げられた結果、1984年3月16日、「フジテレビ・文化放送両社は労組側に2億3000万円の解決金を支払う」、「日本フィル労組はフジテレビ構内の書記局を明け渡す」ことなどで和解が成立した。渡邉暁雄は争議解決の1984年4月、日本フィルから「創立指揮者」の称号を贈られた。

[編集] 争議の影響

争議を題材にして今崎暁巳が『友よ!未来をうたえ/日本フィルハーモニー物語』(「正」1975年、「続」1977年)を出版。これを原作として、映画『日本フィルハーモニー物語・炎の第五楽章』(1981年日活)が製作された(監督・脚本:神山征二郎、音楽:林光、指揮:渡邉暁雄、演奏:日本フィルハーモニー交響楽団、出演:風間杜夫田中裕子ほか)。

また、12年の長期にわたった「日フィル争議」は音楽家の権利意識の向上につながり、争議の過程で全国的職能組織の日本音楽家ユニオンが結成されている。

争議の詳細については外山雄三中村敬三『オーケストラは市民とともに―日本フィル物語』(岩波書店)にまとめられている。

[編集] 「市民とともに歩むオーケストラ」

「市民とともに歩むオーケストラ」のスローガンは、こうした争議の経験から生まれた。


精力的に展開された自主的な演奏活動から、北海道から九州に至る日本各地での公演活動が定着している。

地域の音楽振興として、1994年に東京都杉並区と友好提携を結び、「市民のためのアウトリーチ活動」をはじめとした交流プログラムを実施している。

[編集] 関連書籍

  • 日本フィルハーモニー協会編著『日本フィル物語』音楽之友社、1985年

[編集] 外部リンク

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