交響曲第6番 (チャイコフスキー)

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交響曲第6番 (チャイコフスキー)



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交響曲第6番ロ短調 作品74は、ピョートル・チャイコフスキーが作曲した6番目の番号付き交響曲であり、最後の交響曲。『悲愴』(ひそう)という副題で知られる。

概要[編集]

チャイコフスキー最後の大作であり、その独創的な終楽章をはじめ、彼が切り開いた独自の境地が示され、19世紀後半の代表的交響曲のひとつとして高く評価される。

副題については、弟モデストが初演の翌日に自身が「悲劇的」という表題を提案したが、作曲者はこれを否定し、次に弟が口にした「悲愴」という言葉に同意したと伝えているが、これはモデストの創作である。実際は自筆譜、楽譜の出版をしていたピョートル・ユルゲンソン宛のチャイコフスキーの手紙などで、少なくとも曲が完成した9月には作曲者自身がこの題名を命名していたことが分かっている。また、初演のプログラムに副題は掲載されていないが、チャイコフスキーがユルゲンソンに初演の2日後に送った手紙で「Simphonie Pathétique」という副題をつけて出版することを指示している[1]

モデストはこの曲のテーマとしていくつかの証言を残しているが、作曲者自身は「人生について」としか語っていない。リムスキー=コルサコフの回想によれば、初演の際、演奏会の休憩中にチャイコフスキーにその点を確かめてみた時には「今は言えないな」と答えたと言う。

チャイコフスキーは26歳から52歳までの間に12回のうつ病期を経験したという。『悲愴』作曲時には過去を思い浮かべたのか、それとも当時もうつ病を患っていたのか、うつ的な精神状態を曲に反映させているのではないかという説がある。ドイツの精神科医ミューレンダールは、精神病院の入院患者に対して各種の音楽を聞かせるという実験を行なったが、悲愴を流した場合、特に内因性うつ病患者の症状が悪化し、患者によっては自殺しようとしたとのことである[要出典]

チャイコフスキー自身は、最終楽章にゆっくりとした楽章を置くなどの独創性を自ら讃え、初演後は周りの人々に「この曲は、私の全ての作品の中で最高の出来栄えだ」と語るほどの自信作だった。

作曲の経緯・初演[編集]

チャイコフスキーは1891年に着想を得た変ホ長調の交響曲(自身で『人生』というタイトルをつけていた)を途中まで書いたところで、出来ばえに満足出来ず破棄し、ピアノ協奏曲第3番に改作した(未完に終わる)。しかしこの「人生」というテーマは彼の中で引き継がれていたようで、既に名士となり多忙な生活の中、新しく交響曲を書き始める。

残されている資料によれば1893年2月17日(第3楽章)に作曲に着手した。作業は急ピッチで進められ、それから半年後の8月25日にはオーケレストレーションまで完成し、同年10月16日(グレゴリオ暦では10月28日)に作曲者自身の指揮によりサンクトペテルブルクで初演された。あまりに独創的な終楽章もあってか、初演では当惑する聴衆もいたものの、先述するようにこの曲へのチャイコフスキーの自信が揺らぐことはなかった。

しかし初演のわずか9日後、チャイコフスキーはコレラ及び肺水腫が原因で急死し、この曲は彼の最後の大作となった。

日本語における副題[編集]

副題の日本語訳に関して諸説がある。曰く、チャイコフスキーがスコアの表紙に書き込んだ副題はロシア語で「情熱的」「熱情」などを意味する "патетическая"(パテティーチェスカヤ)である故に「悲愴」は間違いである、というものであるが、チャイコフスキーはユルゲンソンへの手紙などでは一貫してフランス語で「悲愴」あるいは「悲壮」を意味する"Pathétique" (パテティーク)という副題を用いていた[2]ため、一概に誤りとは言えない。ベートーヴェン『悲愴』ソナタも、作曲者自身によって付けられた副題はフランス語の "Pathétique" である。もっとも、パテティーチェスカヤもパテティークも語源はギリシャ語の"Pathos"(パトス)であり、ニュアンスとしては関連性がある。

ただし、「悲愴」と「悲壮」はまた意味を異にする(前者は「悲しくも痛ましい」、後者は「悲しくも勇ましい」)ため、フランス語から日本語「悲愴」への翻訳もまた単純に誤りとも正しいとも言えないところである。

いずれにしても、命名した時にはチャイコフスキー本人はあくまでもこの曲のイメージのみで発想したもので、死ぬ気や遺言などとして作曲したつもりもまったくなかった[3]

曲の構成[編集]

4つの楽章からなるが、その配列は原則とは異なっていて「急 - 舞 - 舞 - 緩」という独創的な構成による。

第1楽章の序奏における上行する3音(E - Fis - G)が、作品全体に循環動機として使われている。これは、そのままの形で登場するだけでなく、第1楽章の第2主題や、終楽章の第1主題・第2主題において逆行形で登場し、旋律主題を導き出すのに使われている。

演奏時間は約46分。(名曲解説全集:音楽之友社による)

第1楽章[編集]

Adagio - Allegro non troppo - Andante - Moderato mosso - Andante - Moderato assai - Allegro vivo - Andante come prima - Andante mosso

序奏付きソナタ形式ロ短調

本人が語ったようなレクイエム的な暗さで序奏部が始まる。序奏部は主部の第1主題に基づいたものである。やがて第1主題が弦(ヴィオラチェロの合奏だが、両パートの奏者の半分のみでどこか弱弱しい)によって現れる。この部分は彼のリズムに関する天才性がうかがえる。木管と弦の間で第1主題が行き来しながら発展した後、休止を挟んで第2主題部へ入る。提示部の第2主題部はそれだけで3部形式の構造を取っており、その第1句は五音音階による民族的なものであるが、甘美で切ない印象を与える。3連符を巧みに使ったやはり淋しい主題の第2句をはさみ、再び第1句が戻り、pppppp という極端な弱音指定で、静かに提示部が終わる。

打って変わってffの全合奏でいきなり始まる展開部はアレグロ・ヴィーヴォで強烈で劇的な展開を示す。第1主題を中心に扱い、その上に第2主題第1句の音階を重ねていきクライマックスを形成していく。一端静まると、弦に第1主題の断片が現れ再現部を導入し、第1主題がトゥッティで厳しく再現される。再現部に入っても展開部の劇的な楽想は維持されたままで、木管と弦が第1主題の変奏を競り合いながら、そのままクライマックスの頂点に達する。ここで苦悩を強めた絶望的な経過部が押しとどめる様に寄せてきて、第1主題に基づいた全曲のクライマックスとも言うべき部分となり、ティンパニ・ロールが轟く中、トロンボーンにより強烈な嘆きが示される。やがてロ長調で第2主題が現れるが再現は第1句のみで、そのまま儚いコーダが現れるがもはや気分を壊さず、全てを諦観したような雰囲気の中で曲は結ばれる。

演奏時間は16分から17分(ムラヴィンスキーマゼールネーメ・ヤルヴィ等)のものから25分以上(チェリビダッケ)のものまであるが、ほとんどの演奏が18分から20分である。

第2楽章[編集]

Allegro con grazia

複合三部形式ニ長調

4分の5拍子という混合拍子によるワルツスラブの音楽によく見られる拍子で、優雅でありながらも不安定な暗さと慰めのようなメロディーが交差する。中間部はロ短調に転調し、一層暗さに支配され、終楽章のフィナーレと同様の主題が現れる。

演奏時間は8分から9分程度。

第3楽章[編集]

Allegro molto vivace

スケルツォ行進曲(A-B-A-B)、ト長調

12/8拍子のスケルツォ的な楽想の中から4/4拍子の行進曲が次第に力強く現れ、最後は力強く高揚して終わる。弟のモデストは、彼の音楽の発展史を描いていると語っている。

演奏時間は8分から10分。

第4楽章[編集]

Finale. Adagio lamentoso - Andante - Andante non tanto

  • 後述するように、本人の決定稿における速度指定は Andante lamentoso
ソナタ形式的な構成を持つ複合三部形式、ロ短調

冒頭の主題は第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンが主旋律を1音ごとに交互に弾くという独創的なオーケストレーションが行われており、第2ヴァイオリンが右側に配置される両翼配置の場合、旋律が交互にステレオ効果で聴こえてくる音響上の試みである。なお、再現部では第1ヴァイオリンにのみ任され、提示部のためらいがちな性格を排除しているのも興味深い。音楽は次第に高潮し、情熱的なクライマックスを形作り、その後ピアニッシモでタムタムがなり、再現部の後は次第に諦観的となり、やがて曲は消えるように終わる。

演奏時間は9分から11分。晩年のレナード・バーンスタインニューヨーク・フィルハーモニックを指揮した盤のように、17分以上かけている非常に遅い演奏もある。

第4楽章について[編集]

速度設定[編集]

1980年代後半になって自筆稿の研究が行われ、第4楽章の発想記号が元々「アンダンテ・ラメントーソ」と書かれており、そのアンダンテがペンで塗り潰されて「アダージョ」と書き換えられていることが判明した。

さらに筆跡を調べた結果、「アンダンテ・ラメントーソ」は作曲者チャイコフスキーの手によるものだが、「アダージョ」に書き換えた筆跡は本人のものではなく、チャイコフスキーの死の13日後、この曲が再演された際に指揮をしたエドゥアルド・ナープラヴニークのものであった。他にも多数の発想記号がナープラヴニークの手によって追加されていたことも判明している。

ただし、チャイコフスキーの友人であるナープラヴニーク[4]のこの加筆を、単に改竄と断じることは難しい。なぜなら、作曲者自身が指揮を行った初演のプログラムでも、第4楽章については「アダージョ・ラメントーソ」と書かれており、チャイコフスキーが変更を承知していた、またはチャイコフスキーが練習などで思い立って変更したものをナープラヴニークが後で変更・追加した可能性も指摘されている。なお1993年に刊行されたショット社の新校訂版では、校訂報告として「チャイコフスキー自身が確認済みだったピアノ編曲版の楽譜の表記と、これらの追加は基本的にほぼ同一で矛盾していない。従ってこれらはオーセンティックなものである」との判断で、発想記号などは以前のままになっている。また近年の同曲のCDでは、この楽章の表記を「Adagio lamentoso - Andante」と、アンダンテも付け足しで記しているものが多いが、これは出版譜における16小節および37小節からのアンダンテを示したものである。

どちらにしても、ナープラヴニークによる加筆などが残されたまま出版社に渡され、またチャイコフスキーも作曲中に甥のダヴィドフへ「終楽章は長く延びたアダージョになるだろう」と手紙で語っていたこともあって、自筆譜の研究が行われるまでこういった経緯が判明することはなかった。

アンダンテ・ラメントーゾの終楽章での世界初録音をしたウラジミール・フェドセーエフは、フレージングからしてアンダンテで演奏すべきであると指摘し「チャイコフスキーは深い「感傷」より、あっさりとした「感情」を表現したかったのでは」と述べている(これは、題名を決める際に「悲劇的」ではなく「悲愴」を採用したことも伏線となっている)。また、ピアニスト兼指揮者のミハイル・プレトニョフは、「音楽の流れからすると、アンダンテの方が自然である」と述べている。

アンダンテ終楽章の「悲愴」の初演は1990年4月4日プレトニョフが、海外初演は同年10月にフェドセーエフミュンヘンフランクフルトで行っている。アンダンテ終楽章での日本初演は、チャイコフスキー没後100年の1993年6月20日ザ・シンフォニーホールで、同じくフェドセーエフが行っている。日本初演のコンサートは、『悲愴』初演時のプログラムを限りなく再現したコンサート(『悲愴』、ピアノ協奏曲第1番(ピアノ:タチアナ・ニコラーエワ)、モーツァルト:オペラ『イドメネオ』のバレエ音楽など)であった。

アンダンテ終楽章の録音はフェドセーエフが数回おこなっているが、いずれも10分から11分の間である。フェドセーエフの「アンダンテ」は、実際のところはムラヴィンスキーマルティノンカラヤンショルティアバドらの「アダージョ」に比べて1分から2分ほど遅い。SPレコード時代のもの(例えばメンゲルベルクの2種の録音など)のものに関しても演奏時間が少し速い傾向にあるが、SP盤に収めるためにスピードを速めて演奏している場合があるので、一概に同列には論じがたい。

記号について[編集]

テンポ以外でも、記号に関しても差異がみられる。ただし、テンポの場合同様にチャイコフスキー自身が記号の改訂にも承知していた可能性がある。

第4楽章における、出版譜と自筆譜の記号の差異(冒頭のテンポ表示は省略)
小節 出版譜 自筆譜
楽章冒頭 四分音符=54 なし
12 rallentando なし
16 Andante. 四分音符=69 なし
20~22 Adagio poco meno che prima 四分音符=60 なし
37 Andante 四分音符=76 なし
43 poco animando なし
46 ritenuto なし
47 Tempo I なし
51 poco animando poco animando(ヴァイオリンⅰにのみ)
54 ritenuto rit.(ヴァイオリンⅰにのみ)
55 Tempo I なし
59 poco animando poco animando(ヴァイオリンⅰにのみ)
61 ritenuto rit.(ヴァイオリンⅰにのみ)
62 Tempo I なし
67 Animando なし
73 Piu mosso 四分音符=96 Un poco stringendo
77 stringendo Un poco stringendo
79 Vivace なし
82 Andante 四分音符=76 Tempo I
90 Andante non tanto 四分音符=60 なし
109 stringendo molto stringendo
116 Moderato assai 四分音符=88 なし
121 incalzando なし

楽器構成[編集]

編成表
木管 金管
Fl. 3(3番はピッコロ持ち替え) Hr. 4 Timp. Vn.1
Ob. 2 Trp. 2 バスドラム,シンバル,タムタム(任意) Vn.2
Cl. 2 Trb. 3 Va.
Fg. 2 Tub. 1 Vc.
Cb.

一般に、第1楽章の一部(160小節の後半)で、ファゴットの代わりに作曲者の指定のないバスクラリネットを(クラリネット奏者が持ち替えて)使用することが行われる[5]。この部分に pppppp という極端な強弱記号が付されていて、ファゴットでは十分なピアニッシシシシシモが得られないと考えられること、同小節前半までのクラリネットの旋律を受け継ぐ形となっていることが理由とされる[5]。ただし、チャイコフスキーはこの曲でも見せているようにオーケストレーションの手腕に卓越しており、また前作の『くるみ割り人形』などでは効果的にバスクラリネットを使用していることなどから、ここであえてバスクラリネットを使わなかったことには理由があるのではないかという考えも成り立つ。一説には、バスクラリネットよりファゴットのほうが効果的だと作曲者自身が判断したためという。現在、楽器の音色を優先させるか、強弱を優先させるかは指揮者によって異なる。

脚注[編集]

  1. ^ 神崎正英 音楽雑記帖 - チャイコフスキー《悲愴》のタイトル
  2. ^ 当時のロシアの知識人にとって、フランス語は教養の一環として当然学ぶものであり、チャイコフスキーも例外ではない。
  3. ^ 『新チャイコフスキー考』NHK出版 1993年刊
  4. ^ 指揮者としてチャイコフスキーの作品を何度も取り上げたナープラヴニークは作曲家でもあり、彼の作品には様々なアドバイスを送っている。この『悲愴』についても、プログラムに題名が載っていなかった初演の時点で知っていたほど親しかった。
  5. ^ a b Norman Del Mar (1983). Anatomy of the Orchestra. University of California Press. p. 180. ISBN 978-0520050624. 

参考文献[編集]

  • 一柳冨美子『チャイコフスキー・交響曲第6番ロ短調「悲愴」OP.74(自筆譜による世界初録音):ライナーノーツ』ビクター音楽産業、1991年
  • 伊藤恵子著『チャイコフスキー』音楽之友社(2005年)
  • 森田稔著『新チャイコフスキー考』NHK出版(1993年)