中村剛也

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中村 剛也
埼玉西武ライオンズ #60
中村の三塁守備(2008年)
基本情報
国籍 日本
出身地 大阪府大東市
生年月日 1983年8月15日(25歳)
身長
体重
175cm
102kg
選手情報
投球・打席 右投右打
守備位置 三塁手一塁手
プロ入り 2001年 ドラフト2巡目
初出場 2003年9月28日
年俸 7,000万円(2009年)
経歴(括弧内は在籍年)

中村 剛也(なかむら たけや、1983年8月15日 - )は、埼玉西武ライオンズ所属のプロ野球選手内野手)。妻は元タレントの村上麻里恵

愛称は「おかわり君」。

目次

[編集] 経歴

高校時代は大阪桐蔭高校の4番打者として活躍、高校時代の通算本塁打83本は中田翔大島裕行についで史上3位。3年夏は歴代2位となる大阪府予選6本塁打を放った(1位は福留孝介の7本)。「浪速のカブレラ」と呼ばれドラフトの目玉となり、2001年ライオンズに入団。持ち味の長打力で、力任せではなく柔軟なバットコントロールで本塁打を量産している。

[編集] プロでの経歴

2002年
二軍で満塁本塁打3本を含む7本塁打を打った。
2003年
二軍で22本塁打を打ち、イースタン・リーグ本塁打王を獲得。しかし打率は規定打席到達者中ワースト2位の.249で、三振数はリーグワーストだった。9月28日日本ハム戦でアレックス・カブレラに代わって4番に座り一軍初出場、初打席で初安打となる二塁打を放ち、初打点も記録した。
2004年
指名打者代打として28試合に出場し、プロ初本塁打を放ったが、三振が多く粗い打撃が目立った。二軍では二年連続20本塁打を記録した。
2005年
5月5日の対日本ハム戦(インボイスSEIBUドーム)で4打数4安打2本塁打の活躍、初のお立ち台にあがった。
ホセ・フェルナンデス指名打者に追いやり、三塁手のレギュラーとなった。セ・パ交流試合では12球団最多の12本塁打を放ち優秀選手賞(日本生命賞)を受賞。三塁手のレギュラーに定着して一気に80試合に出場し、自己最多の22本塁打を打った。長打率は6割を越えた。
2006年
ホセ・フェルナンデス楽天へ移籍し、三塁手のレギュラーを獲得する最大のチャンスとなった。オープン戦で本塁打王になる活躍で、5番三塁手で開幕試合にスタメン出場した。
自己最多の100試合に出場したが、本塁打は半減し9本に終わった。
三塁手のポジションを石井義人平尾博嗣らと争う結果となり、特に左投手が先発するときはサードのスタメンは平尾博嗣になるのが恒例となってしまった。またチャンスに打てなかった(得点圏打率.205)。
2007年
8番三塁手で2年連続の開幕スタメン。打撃不振で5月に二軍落ちしたが、6月に復帰。
三塁手のレギュラーで起用され続けたが打撃が上向くことはなく、レギュラー定着以降最低の成績に終わった。アレックス・カブレラの守備難から一塁手でも10試合にスタメン起用された。
2008年
守備では主に捕球における不安定さが目立ち、リーグ最多の22失策を記録。打撃では打率は昨年よりわずかに上回ったものリーグワースト3位、得点圏打率も.231と勝負弱さも課題となった。三振は162個とリーグ最多で、シーズン記録としては歴代7位、日本人右打者では最多(2008年終了時)。
しかしこの年から打撃コーチに就任した大久保博元からミートポイントを前にするようアドバイスされ、三振の多さと引き替えに本塁打を量産。「西武」日本人選手の本塁打記録(43本、秋山幸二田淵幸一)、25歳の本塁打記録(44本、大杉勝男岩村明憲)を塗り替える46本塁打、自身初としては、規定打席本塁打王、100打点(101打点、リーグ3位)、サヨナラ本塁打、オールスターゲーム出場(三塁手、ファン投票1位)。
埼玉西武の日本人選手で年間40本以上の本塁打を放ったのは1987年の秋山幸二以来21年ぶり。同球団での達成経験者としては、田淵、秋山に次いで3人目。また、日本プロ野球において、初の規定打席到達で年間40本以上の本塁打を記録したのは1985年の秋山幸二、2004年多村仁に次ぎ日本人選手では3人目となった。
日本シリーズでは、3安打3本塁打7打点。アジアシリーズの予選、天津ライオンズ戦では東京ドームの三階席まで飛ばす特大ホームランを放っている。
2009年
5月13日の対オリックス戦で通算100号本塁打を達成。

[編集] エピソード

  • 愛称の「おかわり君」は、先輩に好きな言葉は?と聞かれ「おかわり」と答え、またキャンプの声出しでも「好きな言葉は『おかわり』です」とアピールしたことから。一部テレビ中継では座右の銘として「おかわり」と紹介された。スポーツニュースでも「おかわりホームラン」「打点おかわり」のような使われ方をしている。
  • ある番組で、昼食を終えた中村に局が用意した中華丼を出し、本当に”おかわり”するのか、という試みが行われた。しかし中村は「初めから聞いてなかったし、さっきおかわりしたから」と一口しか口にせず、すげない対応であっけなく終わった。
  • 埼玉西武の応援では通常、選手にその試合2本目の本塁打を期待する場合「○○、○○もう一本」とコールするが、中村に対しては「おかわり、おかわりもう一杯」とコールし、大飯のイラストのプラカードも存在する。1本本塁打が出た後は、応援歌での「GO! GO! Let's Go 中村」の部分も「おかわり、おかわりもう一杯」に変わる。
  • チームメートからは「さんぺい」と呼ばれる(芸人の三瓶に似ていることから)。
  • 高校時代は大阪桐蔭高校の1年後輩である西岡剛より足が速いと言われていた。見かけによらず50m走は6秒3と俊足であり、かつての苫篠誠治コーチは、「打撃センスはともかく、走塁のセンスには非常にずば抜けているものがある」「走塁に興味を持てば、球界を代表するものを持っている」と評価している。実際2008年には右打者でありながらリーグ5位の4三塁打を記録するなどその走塁センスを発揮した。しかし本人はあまり興味がないせいか、盗塁には積極的ではない。
  • 2006年シーズンの目標として「3割30本3盗塁」を公言していたが、そのうち達成できたのは「3盗塁」だけだった。
  • 2007年シーズンは松坂大輔のメジャー移籍によるチーム人気の低下を防ぐために、「チームの顔がいなくなるので、来年は面白い事をします」と公言。若い女性ファンの担当は中島裕之片岡易之栗山巧に任せ、愛嬌のあるキャラクターを生かして主に主婦層をターゲットにファンを開拓していくと宣言している。
  • 2008年の春季キャンプ、すぽるとで中村と共に出演していた大久保博元コーチが「40本いってもらおうかな」と発言したら、本当に達成し本塁打王にも輝いた。
  • 2008年5月のオリックス戦で、金子千尋から頭部死球を受け頬骨を骨折するも、スタメン出場を続けた。翌ホークスとのカードではホームランを記録するなど、非常に怪我に強い選手である。
  • 2009年現在、日本人選手で公称体重が100kgを超えているのは山崎武司と中村の2人だけである。
  • 極端に長いスランプがなく、コンスタントに本塁打を量産している。そのため、王貞治らの持つ「シーズン55本塁打」の記録を破る最有力者と目されている。

[編集] 年度別打撃成績
































O
P
S
2003 西武・
埼玉西武
4 14 12 0 2 1 0 0 3 2 1 0 0 0 2 0 0 6 1 .167 .286 .250 .536
2004 28 37 33 8 9 1 0 2 16 5 0 0 0 0 2 0 2 10 1 .273 .351 .485 .836
2005 80 259 237 40 62 13 1 22 143 57 0 2 0 1 16 1 5 62 7 .262 .320 .603 .923
2006 100 323 283 47 78 16 0 9 121 29 4 2 3 0 29 2 8 78 9 .276 .359 .428 .787
2007 98 267 226 29 52 16 0 7 89 32 2 0 11 1 22 0 7 71 3 .230 316 .394 .710
2008 143 590 524 90 128 24 4 46 298 101 2 1 3 3 53 1 7 162 10 .244 .320 .569 .889
通算:6年 453 1490 1315 214 331 71 5 86 670 226 9 5 17 5 124 4 29 389 31 .252 .329 .510 .839
  • 2008年シーズン終了時点
  • 各年度の太字はリーグ最高

[編集] 年度別守備成績

年度 三塁 一塁
試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率
2003 - 2 17 0 0 0 1.000
2004 6 1 2 1 0 .750 4 10 0 0 2 1.000
2005 56 39 70 4 9 .965 6 12 2 0 1 1.000
2006 85 54 132 7 10 .964 7 26 1 1 4 .964
2007 83 39 103 8 9 .947 16 82 7 1 8 .989
2008 139 80 256 22 18 .939 8 13 1 0 1 1.000
通算成績 369 213 563 42 46 .949 43 160 11 2 16 .988

[編集] 個人記録

  • 初出場:2003年9月28日、対日本ハムファイターズ28回戦(東京ドーム) 四番・一塁手として先発出場
  • 初安打・初打点:同上、投手・カルロス・ミラバル
  • 初盗塁:2003年10月1日、対オリックス・ブルーウェーブ28回戦(ヤフーBBスタジアム)
  • 初本塁打:2004年7月24日、対大阪近鉄バファローズ18回戦(西武ドーム) 7回・山村宏樹から

[編集] タイトル・表彰

[編集] 背番号

  • 60(2002年 - )

[編集] 関連項目

先代:
-
交流戦優秀選手(パ・リーグ)
2005年
次代:
松中信彦
先代:
山崎武司
パ・リーグ本塁打王
2008年
次代:
-


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