糸川亮太

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糸川 亮太
埼玉西武ライオンズ #23
2024年4月20日 カーミニークフィールドにて
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 愛媛県四国中央市
生年月日 (1998-04-30) 1998年4月30日(25歳)
身長
体重
174 cm
77 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 2023年 ドラフト7位
初出場 2024年3月31日
年俸 950万円(2024年)[1]
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

糸川 亮太(いとがわ りょうた、1998年4月30日 - )は、愛媛県四国中央市出身のプロ野球選手投手)。右投右打。埼玉西武ライオンズ所属。

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

2人の兄(7歳上と3歳上)の影響で四国中央市立妻鳥小学校1年生のときに『妻鳥ファイターズ』で野球を始め、四国中央市立川之江北中学校では硬式野球の『川之江ボーイズ』に所属[2]。中学3年時はチームのキャプテンとエースを務め、夏には愛媛県選抜に選ばれた[3]

川之江高校に進学し、1年夏からベンチ入りしたが、結果を残せずにいた[3]。控え投手であった2年夏は愛媛大会準々決勝で敗退し、新チームが始動して間もない頃に友近拓也監督から「変化球ピッチャーになれ」と告げられ、投球スタイルを変更すると、エースに成長[3]。3年春は四国大会決勝まで勝ち進み、高知との決勝には敗れたが[4]、チームは準優勝を果たした。ただ、糸川は県大会後に発症した右肘の違和感で四国大会を欠場し、6月中旬まで投げることができず[3]、3年夏は愛媛大会2回戦で松山聖陵と対戦し、チームはアドゥワ誠に完投を許して1-5で敗れた[5]。甲子園出場経験はなし。

立正大学へ進学し、1年冬にシンカーを覚えると[6]、2年春にリーグ戦デビュー[7]。2年秋のリーグ戦では6試合に登板して2勝1敗・防御率1.98を記録し[8]、チームは18季ぶりに東都1部での優勝を果たした。その後に出場した明治神宮大会でもチームは9年ぶりとなる優勝を果たし[2]、糸川は3試合・13イニングを投げ、3勝・防御率0.69を記録して胴上げ投手となった[8]

大学卒業後はENEOSに入社し、1年目は結果を残せなかったものの[9]、2年目はミキハウスとの都市対抗2回戦で二大大会デビュー[10]日本選手権では日本新薬との2回戦で二大大会初先発となり[11]、6回1安打8奪三振無失点と快投した[10]。3年目もチームは都市対抗に出場し、2回戦で敗退したが[12]、糸川の登板機会はなかった。

2023年10月26日に開催されたドラフト会議にて、埼玉西武ライオンズから7位指名を受けた[13][注 1]。指名後に出場した日本選手権では、TDKとの初戦にリリーフ登板して2回無失点に抑え[15]三菱自動車岡崎との2回戦では先発し、6回無失点と好投した[16]。ただ、Honda熊本との準々決勝では登板機会がなく、チームは敗退した[17]。11月20日に契約金2000万円・年俸950万円(金額はいずれも推定)で仮契約を結び、背番号は23に決定した[1]

西武時代[編集]

2024年、球団の新人選手としては唯一開幕一軍入りを果たした[18]。3月31日、東北楽天ゴールデンイーグルスとの開幕第3戦(楽天モバイルパーク宮城)で延長11回から登板するも、小深田大翔にサヨナラ左犠飛を打たれ、敗戦投手となった[19]

選手としての特徴[編集]

独特の軌道を描くシンカーが武器[10]。変化球はその他にカットボール[20]などを投じる。ストレートの最速はアマチュア時代に147km/hを計測している[9]

詳細情報[編集]

記録[編集]

初記録

背番号[編集]

  • 23(2024年 - )

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 川之江高校野球部出身』としては鎌倉健2002年日本ハム3位)以来、史上2人目のプロ野球選手となった[14]

出典[編集]

  1. ^ a b 西武D7位・糸川亮太が仮契約で決意新た 「闘争心を持って投球していきたい」」サンケイスポーツ、2023年11月20日。2023年11月20日閲覧
  2. ^ a b 糸川亮太(立正大学硬式野球部/愛媛県四国中央市出身)第1回「闘志を前面に押し出すエース」」SPORTS COMMUNICATIONS、2020年2月3日。2023年11月20日閲覧
  3. ^ a b c d 糸川亮太(立正大学硬式野球部/愛媛県四国中央市出身)第3回「変化球投手へのモデルチェンジ」」SPORTS COMMUNICATIONS、2020年2月17日。2023年11月20日閲覧
  4. ^ 【春季四国大会】高知、6年ぶりの四国大会優勝! 決勝戦をレポート!」高校野球ドットコム、2016年5月7日。2023年11月20日閲覧
  5. ^ 松山聖陵・アドゥワ 完投で川之江下す」デイリースポーツ、2016年7月19日。2023年11月20日閲覧
  6. ^ 立正大 Vつないだ勝ち点3、2位浮上 糸川初完投は11K完封」Sponichi Annex、2018年10月13日。2023年11月20日閲覧
  7. ^ 糸川亮太(立正大学硬式野球部/愛媛県四国中央市出身)最終回「満足したら終わり」」SPORTS COMMUNICATIONS、2020年2月24日。2023年11月20日閲覧
  8. ^ a b 高校野球ラストステージから「大卒プロへ」走り出す糸川 亮太(立正大)の3日間」高校野球ドットコム、2018年12月5日。2023年11月20日閲覧
  9. ^ a b ENEOSには糸川もいる!糸川亮太2回無失点で存在感「初戦からいい形」磨いたシンカー手応え」日刊スポーツ、2022年2月23日。2023年11月20日閲覧
  10. ^ a b c 【西武】ドラフト7位のENEOS・糸川亮太に指名あいさつ「任されたポジションでがんばりたい」」SPAIA、2023年11月2日。2023年11月20日閲覧
  11. ^ 愛媛出身の2年目右腕 ENEOS・糸川亮太が台頭 日本選手権」毎日新聞、2022年11月5日。2023年11月20日閲覧
  12. ^ 前回王者・ENEOS、2回戦敗退で連覇の夢途絶える 大久保秀昭監督「もうちょっと試合をしたかった」」BASEBALL KING、2023年7月20日。2023年11月20日閲覧
  13. ^ 【ドラフト】西武7位ENEOS・糸川亮太「息の長い選手に」緊張感で自室に閉じこもり吉報聞く」日刊スポーツ、2023年10月26日。2023年11月20日閲覧
  14. ^ 本校野球部出身の糸川亮太さんがNPBのドラフト会議で西武ライオンズから指名を受けました。」愛媛県立川之江高等学校、2023年10月26日。2023年11月20日閲覧
  15. ^ 西武7位のENEOS・糸川亮太は中継ぎで好投「勝てればOKの気持ちで貢献できるように」【社会人野球】」中日スポーツ、2023年11月8日。2023年11月20日閲覧
  16. ^ ENEOS、接戦制し8強 西武D7位右腕・糸川が力投「必死に泥くさく、というのが僕のスタイル」/日本選手権」サンスポ、2023年11月13日。2023年11月20日閲覧
  17. ^ 第48回 社会人野球日本選手権大会〈準々決勝〉」ENEOS野球部。2023年11月20日閲覧
  18. ^ 【西武】ドラフト7位右腕の糸川亮太が開幕1軍「ここからが本当に勝負」」『スポーツ報知』2024年3月28日。2024年4月21日閲覧
  19. ^ a b 【西武】ドラフト7位右腕の糸川亮太がほろ苦デビュー「チームが負けてしまったので本当に申し訳ない」」『スポーツ報知』2024年3月31日。2024年4月21日閲覧
  20. ^ 小松vs川之江」高校野球ドットコム、2015年9月28日。2023年11月20日閲覧

関連項目[編集]

外部リンク[編集]