赤田将吾

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赤田 将吾
北海道日本ハムファイターズ #10
Akada syogo.jpg
オリックス時代
(2011年8月6日、QVCマリンフィールド)
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 鹿児島県曽於郡大崎町
生年月日 1980年9月1日(32歳)
身長
体重
179 cm
83 kg
選手情報
投球・打席 右投両打
ポジション 外野手二塁手
プロ入り 1998年 ドラフト2位
初出場 1999年8月20日
年俸 5,000万円+出来高(2013年)
※2012年から2年契約
経歴(括弧内は在籍年)

赤田 将吾(あかだ しょうご、1980年9月1日 - )は、北海道日本ハムファイターズに所属するプロ野球選手外野手内野手)。

目次

経歴 [編集]

プロ入り前 [編集]

鹿児島県曽於郡大崎町出身。出身地の大崎町が野球よりソフトボールが盛んだったこともあり、同郷の先輩である福留孝介と同様に小学校時代はソフトボールをしていた。日南学園高校時代はレギュラーではなかったが、試合前のシートノックの時に赤田のフィールディングを見ていたプロ野球チームのスカウトが、同高校の監督に守備のうまさを指摘したところ、レギュラーとして起用されるようになったという。[要出典]1998年のプロ野球ドラフト会議西武ライオンズから2位指名を受けて入団。同期に松坂大輔星野智樹らがいる。

西武時代 [編集]

入団時は内野手二塁手)で、高卒新人だった1999年フレッシュオールスターゲームに先発出場し一軍にも昇格、ルーズショルダーの影響で2年目より外野手に転向した。高卒新人で盗塁5を記録するなど俊足は期待されていたが、打撃がいま一つで足踏みしていた。

2001年イースタン・リーグ2位の打率.324、同リーグ3位の本塁打11、盗塁11を記録した。俊足を生かすため、元々右打ちだったが2002年よりスイッチヒッターに転向し、二軍で打率.288、本塁打11、盗塁6を記録した。

2004年小関竜也の不調で終盤から二番打者に定着し、初の規定打席到達。佐藤友亮との一・二番コンビで高い出塁率(二人で.341)を誇った。過去5年間で3本しか打っていない本塁打をこの年だけで9本打った。プレーオフ日本シリーズをいずれも勝ち抜いてチームとしては12年ぶりとなる日本シリーズ優勝を経験した。

2005年は二番・中堅手のレギュラーを獲得し、夏頃から打率を急上昇させた。打率.272、自己最高の盗塁20を記録。またこの年の9月1日(25歳の誕生日)にオフィシャルサイト「侍魂」を設立。2006年は主に一番または九番打者として堅実な打撃を見せ、打率は自己最高の.293を記録した。また、リーグ最多タイの三塁打7(西岡剛鉄平川崎宗則と並ぶ)、チーム3位(自己最多)の25犠打、3年連続2桁盗塁を記録した。この年も夏場から調子を上げ、交流戦以降の打率は3割を超えた。

2007年には松坂大輔ボストン・レッドソックスに移籍したため、代わって選手会長に就任したが、開幕直前の3月15日に右太ももを痛め、開幕一軍から外れた。リハビリテーションに予想以上の時間がかかり、シーズン終盤の9月5日に一軍登録。しかし打率は.162に終わり、レギュラー再獲得はならなかった。

2008年は新加入のヒラム・ボカチカ松坂健太にポジションを奪われ、春先はベンチを暖めることが多かった。4月以降は両者の不振によって出場機会が増え、4月25日オリックス・バファローズ戦では自身初のサヨナラ満塁本塁打を放つなど徐々に調子を上げていた。ところが、5月1日のソフトバンク戦で大飛球を追ってフェンスに激突、左足首関節捻挫で長期離脱を余儀なくされてしまう。8月に入ってようやく一軍に復帰、9月から10月にかけて打率3割以上を残した。クライマックスシリーズでは12打数6安打、本塁打1、打点3と打ちまくり、日本シリーズでは後藤武敏との併用ながら11打数3安打という数字を残し、球団史上初のアジアシリーズ制覇を経験した。

2009年は開幕からしばらくは一軍に帯同するが、不振で降格した。その後再昇格し、代走や守備固めなどで57試合に出場。二軍では怪我人が多数出たことから6年ぶりに二塁手・三塁手としても出場した。2010年2月19日阿部真宏との交換トレードオリックス・バファローズへ移籍。

オリックス時代 [編集]

2010年のオープン戦では打率.353と結果を残し、二番・右翼手として開幕戦に先発出場を果たしたが、開幕直後は打率がなかなか伸びなかった。4月10日東北楽天ゴールデンイーグルス戦で自身初の2打席連続本塁打、4月20日の北海道日本ハムファイターズ戦で移籍後初のサヨナラ安打、5月18日広島東洋カープ戦では左右打席本塁打を記録するが6月10日に登録抹消。以後は一軍と二軍との行き来に終始した。なお、4月4日のロッテ戦で6年ぶりとなる左打席での本塁打を小野晋吾から打った(2005年から2008年に記録した本塁打はすべて右打席で記録したものである)。

2011年は春季キャンプで左膝を負傷したため出遅れたが、6月14日に一軍登録。主に七番打者として起用され、77試合に出場し、規定打席には届かなかったが打率.305を記録した。この2011年シーズンには楽天戦だけで3度のサヨナラ安打を記録しており、そのうち7月5日にライアン・スパイアーから記録したものはオリックス球団史上初の3試合連続サヨナラ勝利の3試合目に当たる。[1][2]7月10日に国内フリーエージェント権を取得したが、行使せずに2年契約を結び残留。オフに背番号を7に変更した。

2012年は開幕一軍入りを果たし、開幕第4戦目の4月3日、日本ハム戦で決勝打となる適時打を打ってシーズン初白星に貢献し、試合後のヒーローインタビューに選ばれた。しかし、この年は極度の打撃不振に陥り、4度の二軍降格を味わった。8月22日の日本ハム戦では2年ぶりの本塁打も打ったが、26試合の出場に留まってしまった。一方で、二軍では51試合に出場して打率.297、3本塁打17打点の成績を残している。

2013年1月25日[3]八木智哉糸井嘉男との交換トレードで、木佐貫洋大引啓次とともに北海道日本ハムファイターズに移籍。背番号は10

人物 [編集]

チャリティー活動にも熱心であり、ファースト・グラブ・プロジェクトにおいて、不要となったグローブなどの野球道具を、それらの恵まれない国々へ無償で送ろうとする活動を積極的に推進している。

週刊ベースボールのインタビューで、「二塁のままだったら今の自分はいない。外野にコンバートしたこととスイッチヒッターに転向したことで、俊足が生かせるようになったからプロでやっていけている」と語った。

詳細情報 [編集]

年度別打撃成績 [編集]

















































O
P
S
1999 西武 13 50 49 7 14 2 0 0 16 5 5 1 0 0 0 0 1 9 1 .286 .300 .327 .627
2000 31 79 65 10 10 0 1 1 15 3 2 0 0 0 13 0 1 26 2 .154 .304 .231 .535
2001 17 35 32 2 6 1 0 0 7 2 0 0 0 1 2 0 0 5 1 .188 .229 .219 .447
2002 37 62 57 4 9 1 0 1 13 2 3 1 4 0 1 0 0 17 2 .158 .172 .228 .400
2003 46 94 88 24 22 7 3 1 38 13 4 1 1 0 5 0 0 19 0 .250 .290 .432 .722
2004 122 436 374 68 97 18 2 9 146 41 16 5 15 3 42 1 2 87 3 .259 .335 .390 .725
2005 131 478 427 56 116 19 3 3 150 24 20 6 18 1 30 0 2 93 8 .272 .322 .351 .673
2006 124 518 451 50 132 16 7 2 168 34 16 9 25 4 36 1 2 79 3 .293 .345 .373 .717
2007 20 44 37 6 6 1 0 0 7 2 1 0 1 0 5 0 1 8 0 .162 .279 .189 .468
2008 68 180 160 29 39 7 1 2 54 13 2 1 3 2 14 0 1 37 4 .244 .305 .338 .643
2009 57 88 78 14 16 4 0 0 20 3 1 1 3 1 6 0 0 19 1 .205 .259 .256 .515
2010 オリックス 79 290 253 42 55 8 1 8 89 34 3 1 14 1 22 0 0 66 5 .217 .279 .352 .631
2011 77 246 226 17 69 8 1 0 79 17 0 3 2 0 18 0 0 52 3 .305 .357 .350 .706
2012 26 76 72 8 10 1 2 1 18 5 1 0 0 0 4 0 0 22 0 .139 .184 .250 .434
通算:14年 848 2676 2369 337 601 93 21 28 820 198 74 29 86 13 198 2 10 539 33 .254 .312 .346 .658
  • 2012年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別守備成績 [編集]


一塁 二塁 外野
試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率
1999 - 4 5 13 0 2 1.000 -
2000 5 22 3 1 1 .962 20 28 26 3 5 .947 -
2001 - - 13 21 0 0 0 1.000
2002 - 2 0 0 0 0 ---- 34 36 1 0 0 1.000
2003 - - 43 49 0 0 0 1.000
2004 - - 114 195 4 2 1 .990
2005 - - 128 240 3 2 1 .992
2006 - - 122 254 10 2 4 .992
2007 - - 15 21 1 0 0 1.000
2008 - - 57 94 3 0 0 1.000
2009 - - 42 49 1 0 0 1.000
2010 - - 69 112 3 2 0 .983
2011 - - 45 59 1 0 0 1.000
2012 - - 15 28 1 0 0 1.000
通算 5 22 3 1 1 .962 26 33 39 3 7 .960 697 1158 28 8 6 .993

表彰 [編集]

記録 [編集]

初記録

その他記録

背番号 [編集]

  • 9 (1999年 - 2009年)
  • 4 (2010年 - 2011年)
  • 7 (2012年)
  • 10 (2013年 - )

登場曲 [編集]

脚注 [編集]

  1. ^ 7月2日のソフトバンク戦は鈴木郁洋、翌3日の同戦では荒金久雄がサヨナラ安打を記録した。この3試合で決勝の得点を挙げたのはいずれも森山周で、これはプロ野球史上初。
  2. ^ 他の2度は8月9日にダレル・ラズナーから、9月15日に小山伸一郎から打った。
  3. ^ 日付は支配下選手登録公示日。

関連項目 [編集]

外部リンク [編集]