小山伸一郎
| 東北楽天ゴールデンイーグルス #57 | |
|---|---|
| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 出身地 | 三重県度会郡二見町(現:伊勢市) |
| 生年月日 | 1978年6月13日(33歳) |
| 身長 体重 |
180cm 90kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| ポジション | 投手 |
| プロ入り | 1996年 ドラフト1位 |
| 初出場 | 1999年6月9日 |
| 年俸 | 1億円(2012年) |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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この表について
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小山 伸一郎(こやま しんいちろう、1978年6月13日 - )は、東北楽天ゴールデンイーグルスに所属するプロ野球選手(投手)。
愛称は「半袖魔神」「半袖王子」「ハゲタカ」。
目次 |
[編集] 経歴
[編集] プロ入り前
三重県出身。二見小学校3年時に友達の影響で地元の軟式野球チーム「二見スポーツ少年団」に入団し、野球を始める。小学6年のころは外野手の補欠だった。二見中学校では軟式野球部に入り、8番一塁手。三重県大会で春夏連覇、東海大会で準優勝した。
三重県立明野高等学校に進学し、はじめは三塁手だったが、強肩を見出されて1年夏から投手に転向。2年秋からエースをまかされた。3年夏、県大会決勝戦で海星高校に敗退し甲子園への出場はならなかった[1]。
140km/hを超す速球がスカウト陣の目にとまり、1996年のドラフト会議で中日ドラゴンズから1位指名を受けて入団。それまで郭源治がつけていた背番号33をもらうなど期待された。中日の同期には森野将彦などがいる。
[編集] 中日時代
1997年、1998年は一軍登板がなかった。1999年6月9日の巨人戦で1軍初登板を果たす。伸びのよいストレートを持ち、ファームではストッパーを務める事が多かった。「入団当時は160キロを出したいと言っていた」と野球名鑑に書かれていた。
2001年にファームで最多勝(10勝)を獲得。2002年、2003年にウエスタン・リーグで2年連続の最優秀救援投手賞を受賞した。しかし、一軍では安定した成績を残すまでには至らなかった。
2004年オフ、無償トレードで新規球団の東北楽天ゴールデンイーグルスに移籍。
[編集] 楽天時代
- 2005年
- 3月29日、ソフトバンク戦(ヤフードーム)の8回裏に移籍後初登板し無失点に抑える。地元開幕戦(仙台)である4月1日の西武戦にも登板し、無失点に抑えた。翌日の試合でもラスト2イニングを1安打無失点に抑え球団史上初の救援勝利を記録、小山にとっても1年半ぶりの勝ち星となった。また、チームはこの試合により球団史上初の連勝となった。しかし、制球力に難があり好不調の波が激しく、5月下旬には二軍降格となった。シーズン当初はクローザーに期待されながらセーブ数は0となった。
- 2006年
- 開幕から抑え候補に挙げられたが1セーブも上げられず中継ぎに降格。シーズンの防御率は8.56と悪く、27回1/3を投げて被本塁打6。四球の多さも相変わらずで投球回と失点(26失点)がほぼ同じであった。反面ボールの勢いはよく、1イニングに1つ程度の奪三振を挙げた。プレッシャーのかかる場面と気楽な場面での投球が余りに違いすぎるため、精神面の脆さが指摘された。
- 2007年
- 過去2年から一転して開幕を二軍で迎えた。二軍では抑えを任され好投するものの、一軍昇格は遅れて交流戦が明けてからとなり、当初は中継ぎで起用された。ところが、チームのストッパーである福盛和男が右肘の手術を受けるために7月24日を最後に戦線離脱。そのため福盛に代わる抑えとして、翌日7月25日の西武戦に登板してプロ初セーブを記録。その後は抜群の安定感を誇り、抑えに指名されてから12試合連続無失点を記録した。シーズン途中からの一軍合流だったため登板機会が30試合と少なかったが、3勝1敗16セーブ、被本塁打0、防御率0.58の成績を残し見事に抑えの代役を務め、楽天の4位への立役者の1人になった。
- 2008年
- キャンプの紅白戦から打ち込まれ、更にオープン戦でも失点し続けたため二軍降格となってしまい、開幕一軍メンバー入りを逃した。その後3月29日に一軍に昇格。4月1日のロッテ戦に4番手の投手として登板し、2回を無失点に抑え、救援勝利を得る。以後中継ぎ・抑えとして起用されるが、不安定なピッチングが多くリリーフ失敗が続き、一時は敗戦処理に近い起用法になってしまう。しかしシーズン後半には徐々に安定感を取り戻し、中継ぎの一人として最後まで一軍に残り続けた。
- 2009年
- 抑え候補として名前が挙がっており、この年の抑えに指名された川岸強が怪我で登録抹消された後、4月9日のソフトバンク戦でシーズン初セーブを挙げた。シーズン前半はセットアッパー、抑えを任されていたが打たれるケースが目立ち、その後は主に敗戦処理やロングリリーフで起用された。後半になると段々と安定感を増し、直球で空振りを取れるという理由で終盤には抑えに指名される。結局チーム最多の56試合に登板し、防御率は2.97と中継ぎの中では安定した成績を残した。日本ハムには15回1失点、オリックスには11回無失点だったが西武・ロッテ・ソフトバンクには防御率5.74と得意不得意がはっきりしていた。また、5月28日の中日戦に登板し打順が回った際、控え野手を使い果たしていた為、楽天に入団してから初めて打席に立った。結果は空振り三振。
- 2010年
- 開幕2戦目で初登板をするものの、いきなりサヨナラ暴投という失態を犯す。当初は抑えは福盛、セットアッパーは川岸で小山はロングリリーフのような役割であったが、早々に福盛が不調で離脱したため抑えに川岸、セットアッパーに小山という形になった。初登板こそ最悪な形ではあったがその後は比較的安定した成績を残し、7月頃になると川岸が不調によって抑えを外された為、抑えを任されることになった。中盤以降は新たにセットアッパーに定着した青山浩二、片山博視と共に「スリーマウンテンズ」と呼ばれる強力なリリーフ陣を形成。シーズン序盤から大車輪の活躍をしたがシーズン閉幕直前の西武戦で登板中に右肘に違和感を訴え途中降板、右肘の炎症と診断され最後の最後でリタイアとなってしまった。しかしチーム最多の55試合に登板し、5勝4敗15ホールド11セーブ、防御率2.41と2007年に次ぐ好成績を残した。
- 2011年
- 主に競った場面での登板が多かった結果、キャリアハイとなる8勝を挙げ、勝ち星をさらう姿を星野仙一監督に「ハゲタカ」と評された[2]。また、投球回も自己最多となる68回2/3イニングを投げて防御率2.88、登板は50試合と4年連続50試合登板を達成した。5月22日の古巣・中日戦では約11年ぶりに先発登板したが、2回5失点と結果を残せなかった。
[編集] プレースタイル
平均球速約144km/h[3]、最速153km/hのストレートを誇る速球派リリーフ右腕。フォームのテークバックタイムが異様に短い。また、毎年高い奪三振率を記録しているのも特徴。
以前はこのストレート以外の実戦的な球種がなく、活躍はままならなかったが、2007年に高速シンカー(一般的なシンカーというよりも、ツーシーム握り方、曲がる遅めなストレートと言ったほうが近い)を習得。スライダーと組み合わせてよく投げている。その他に、フォークとカーブも持っている。
課題はセットポジション時で、この時に制球精度が極めて悪くなるため、相手バッターに隙を突かれる事が多くなる[要出典]。
[編集] 人物
登板時にゴーグルを着用する。ゴーグルには度が入っており、捕手の出すサインが見えなくなったため2003年ごろにかけ始めた。練習時やブルペンにいるときにはかけず、マウンドに行く時に初めて身に付け、モチベーションと気合を高めるための道具としている[4]。また、ゴーグルの色は楽天移籍1年目は赤、2年目は青、3年目は赤[5]と、色をシーズン前に決めて1年間使い続けている[6]。
春先の肌寒い時期でもひとりだけ半袖ユニフォームで登場したことから「半袖魔神」「半袖王子」と呼ばれている。特に「半袖魔神」については、雑誌や楽天球団の公式ページ、スポーツニュースサイトなどでも用いられており、公式のニックネームとなっている。いつも半袖でいる理由は、裾が気になって投げにくいからだと本人が語っている。しかし2008年シーズンは春先は半袖だと体温が下がりやすく、筋肉のパフォーマンスが悪くなるため長袖シャツを導入。ところがオープン戦から不調が続き、二軍からのスタートとなったため、すぐに半袖アンダーシャツに戻した。2010年の自主トレ中に生涯半袖アンダーシャツでの投球を宣言した。
マウンドに上がる際は、白線の前で一度帽子をとり、一礼してから線をまたぐということが恒例になっている。
テレビ番組で朝井秀樹と対談した際に、(お酒の入った席でのことではあるが)自分の守護神は「セミ」であることを明かした[7]。
2007年度の好調について、本人は以下の点を挙げていた。
- 技術面では踏み出す足の位置を馬原孝浩のフォームを参考に変え、加えて野村克也監督の助言も参考にしたところ、フォームの修正が以前に比べ簡単になったこと。
- 精神面では、自分以外に抑えができる選手がいなかったというチーム事情や、同僚からの声がけによって精神的に開き直れ、救援失敗を引きずることが無くなったこと。
楽天球団一のサッカー通であり、日刊スポーツでは小山のサッカー評論が記事になることもある[8]。
[編集] 詳細情報
[編集] 年度別投手成績
| 年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1999 | 中日 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 30 | 6.1 | 5 | 0 | 6 | 1 | 0 | 3 | 1 | 0 | 3 | 3 | 4.26 | 1.74 |
| 2000 | 29 | 3 | 0 | 0 | 0 | 2 | 4 | 0 | -- | .333 | 226 | 50.0 | 45 | 7 | 32 | 2 | 6 | 41 | 2 | 0 | 33 | 31 | 5.58 | 1.54 | |
| 2001 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | -- | .000 | 28 | 5.2 | 8 | 0 | 4 | 0 | 0 | 4 | 0 | 0 | 4 | 3 | 4.76 | 2.12 | |
| 2002 | 21 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 3 | 0 | -- | .250 | 101 | 24.1 | 20 | 6 | 11 | 0 | 1 | 14 | 0 | 0 | 15 | 13 | 4.81 | 1.27 | |
| 2003 | 12 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | -- | 1.000 | 88 | 17.1 | 18 | 2 | 15 | 1 | 4 | 13 | 3 | 0 | 18 | 18 | 9.35 | 1.90 | |
| 2004 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 20 | 4.0 | 6 | 1 | 3 | 0 | 0 | 6 | 0 | 0 | 4 | 4 | 9.00 | 2.25 | |
| 2005 | 楽天 | 30 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 2 | 0 | 1 | .333 | 186 | 42.0 | 39 | 8 | 25 | 2 | 0 | 46 | 5 | 0 | 22 | 21 | 4.50 | 1.52 |
| 2006 | 22 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 1 | .000 | 135 | 27.1 | 30 | 6 | 19 | 0 | 3 | 27 | 2 | 0 | 26 | 26 | 8.56 | 1.79 | |
| 2007 | 30 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 1 | 16 | 2 | .750 | 125 | 31.0 | 20 | 0 | 13 | 2 | 1 | 27 | 1 | 0 | 3 | 2 | 0.58 | 1.06 | |
| 2008 | 54 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 5 | 4 | 6 | .375 | 283 | 67.2 | 58 | 8 | 25 | 0 | 5 | 71 | 3 | 0 | 29 | 28 | 3.72 | 1.23 | |
| 2009 | 56 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 4 | 5 | 6 | .200 | 267 | 63.2 | 53 | 4 | 23 | 5 | 3 | 74 | 2 | 1 | 22 | 21 | 2.97 | 1.19 | |
| 2010 | 55 | 0 | 0 | 0 | 0 | 5 | 4 | 11 | 15 | .556 | 249 | 59.2 | 49 | 5 | 23 | 3 | 3 | 54 | 2 | 0 | 18 | 16 | 2.41 | 1.21 | |
| 2011 | 50 | 1 | 0 | 0 | 0 | 8 | 4 | 0 | 11 | .667 | 280 | 68.2 | 53 | 5 | 22 | 1 | 3 | 51 | 2 | 0 | 27 | 22 | 2.88 | 1.09 | |
| 通算:13年 | 368 | 4 | 0 | 0 | 0 | 25 | 30 | 36 | 42 | .455 | 2018 | 467.2 | 404 | 52 | 221 | 17 | 29 | 431 | 23 | 1 | 224 | 208 | 4.00 | 1.34 | |
- 2011年度シーズン終了時
[編集] 記録
- 初登板:1999年6月9日、対読売ジャイアンツ10回戦(東京ドーム)、8回裏から3番手で救援登板・完了、1回無失点
- 初奪三振:1999年6月10日、対読売ジャイアンツ11回戦(東京ドーム)、6回裏に二岡智宏から
- 初勝利:2000年8月9日、対広島東洋カープ18回戦(ナゴヤドーム)、7回表に3番手で救援登板、1回無失点
- 初先発:2000年8月23日、対横浜ベイスターズ19回戦(ナゴヤドーム)、5回1失点
- 初ホールド:2005年4月30日、対西武ライオンズ7回戦(フルキャストスタジアム宮城)、9回表に3番手で救援登板、1回無失点
- 初セーブ:2007年7月25日、対西武ライオンズ15回戦(グッドウィルドーム)、9回裏に3番手で救援登板・完了、1回無失点
[編集] 背番号
- 33 (1997年 - 2004年)
- 57 (2005年 - )
[編集] 登場曲
- 「Hells Bells」 AC/DC(2007年 - 2008年)
- 「Welcome to the Jungle」 Guns N' Roses(2009年)
- 「Enter Sandman」 Metallica(2010年 - )
[編集] 脚注
- ^ 参照:楽天野球団発行 ホームゲームプログラムvol.14 小山伸一郎
- ^ 「星野監督命名“ハイエナ”楽天小山8勝目」 日刊スポーツ(2011年9月29日)、2011年12月4日閲覧。
- ^ 『2012プロ野球オール写真選手名鑑』 日本スポーツ企画出版社、2012年、67頁。ISBN 978-4-905411-04-8。
- ^ 参照:河北新報 週刊イーグルス2007年8月30日
- ^ 参照:Date FM内の番組「アスリートリクエスト vol.10 小山伸一郎」2007年11月
- ^ 「道具の流儀」『週刊ベースボール』2011年10月31日号、ベースボール・マガジン社、雑誌20445-10/31、68-69頁。
- ^ 東日本放送 燃えよ!EAGLES 朝井、小山の焼き鳥対談 2007年12月5日
- ^ 「小山ズバリ!日本2-0シリア!」 日刊スポーツ(2011年1月12日)、2011年12月4日閲覧。
[編集] 関連項目
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