八木智哉

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八木 智哉
オリックス・バファローズ #27
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 神奈川県横浜市保土ケ谷区
生年月日 1983年11月7日(30歳)
身長
体重
181 cm
77 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 2005年 希望入団枠
初出場 2006年3月31日
年俸 1,800万円(2014年)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

八木 智哉(やぎ ともや、1983年11月7日 - )は、オリックス・バファローズに所属するプロ野球選手投手)。

義理の弟は総合格闘家の徳留一樹

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

神奈川県横浜市保土ケ谷区出身。小学2年の時、地元横浜市の軟式野球チーム「くぬぎ台レッドパンサーズ」で野球を始めた。中学時代はヤングリーグ「横浜旭ベースボールクラブ」に所属し全国大会出場。山梨県日本航空高等学校に進学し、3年夏に第83回全国高等学校野球選手権大会に出場する。初戦の鳴門工戦で11奪三振を記録して3回戦に進出した。

創価大学に進学後、1年時からベンチ入りし大学通算35勝。4年時の2005年全日本大学野球選手権大会では49奪三振の大会新記録を樹立する。同年11月2日横浜市長杯争奪関東地区大学野球選手権大会白鴎大学戦で完全試合を達成し、希望入団枠制度で日本ハムに入団(同年11月7日公示)する。

日本ハム時代[編集]

2006年3月31日、対オリックス1回戦に先発し、5回0/3無失点でプロ初勝利。4月15日の対ソフトバンク4回戦では延長10回まで無安打無得点に抑えた(0-0のまま降板したため、勝利投手にはなっていない。その後、武田久マイケル中村と継投。この両投手も安打を許さず、2リーグ制以後初となる継投でのノーヒットノーラン達成となった。また、「史上初めて延長まで安打も得点も許さないまま途中降板する」という珍記録も残ることとなった。)[1]。才能が開花し始めたダルビッシュ有とともに先発の柱としてリーグ優勝と日本一に貢献。同年のパ・リーグ新人王に選出された。

11月18日に大学時代から交際していた一般人女性と入籍。結婚式には親交のあるプロ野球関係者など約100人が参列した[2]。翌年には長男が誕生する。

2007年は、左肩痛など影響もあり4勝6敗と成績を落とした。

2008年は、前年の左肩痛が長引いた影響などもあり二軍生活が続き、プロ入り最低の2試合の登板に終わった。

2009年、二軍で好投を続け一軍昇格。雨の千葉マリンスタジアム(対ロッテ戦)で5回コールド「完封」、翌週のクリネックススタジアム宮城で完投勝利、ルーキーイヤーには勝てなかった西武にも勝利する。

2010年3月26日に先発するも5回9失点(自責点8)と乱調。翌週の登板も4回で失点2被安打7与四死球2と調子が上がらず、二軍降格となった。6月24日に再度一軍登録され、7月7日には7回2失点でシーズン初勝利を収めたが、その後は勝ち星に恵まれず、再度不調となり、自己最低防御率、1勝に終わった。

2011年は開幕直後ダルビッシュ武田勝ケッペルウルフ斎藤佑樹に次ぐ6番手投手として起用される。序盤の3試合に先発したが、その後は一軍登板機会がなく、そのままシーズンを終えた。

2012年は4月に3年ぶりの完封勝利を挙げるなど前半戦は好調を維持しローテーションを支えた。しかし8月に入ると打ち込まれるようになり、3試合でわずか4回1/3を投げたのみで二軍に降格し、その後は一軍での登板はなかった。

オリックス時代[編集]

2013年1月25日木佐貫洋大引啓次赤田将吾との交換トレード糸井嘉男とともにオリックス・バファローズに移籍した[3]。 シーズン開幕は2軍でむかえた。6月27日に移籍後初先発を果たすも、2回を投げ5失点と結果を残せず[4]、翌日登録抹消された。9月に入って2度先発するも、いずれも結果を残せなかった。このシーズンはこの3試合の登板に終わり、プロ入り初のシーズン未勝利に終わった。 シーズンオフの12月4日に契約更改が予定されていたが、八木本人は更改日を「9日」と勘違いしていたため、契約更改交渉を欠席した[5]。同月9日に改めて契約更改交渉を行うも、0勝2敗という結果もあり、減額制限いっぱいの25%ダウン提示で更改した[6]

プレースタイル[編集]

サイドスロー気味のスリークォーターから、キレの良い球を繰り出す技巧派。ストレートは平均球速約134km/h[7]、最速144km/hと速さは無いが、得意のスクリューに加え、スライダーカーブなどの多彩な変化球とコントロールが武器である。

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]





















































W
H
I
P
2006 日本ハム 26 26 5 3 3 12 8 0 0 .600 683 170.2 134 12 51 5 3 108 3 0 54 47 2.48 1.08
2007 15 15 0 0 0 4 6 0 0 .400 370 85.1 99 12 20 0 4 36 1 1 45 43 4.54 1.39
2008 2 2 0 0 0 1 1 0 0 .500 49 10.2 14 3 2 0 2 10 0 0 8 8 6.75 1.50
2009 20 20 3 1 0 9 3 0 0 .750 501 122.0 115 16 40 1 5 76 3 0 41 39 2.88 1.27
2010 9 9 0 0 0 1 4 0 0 .200 182 39.0 47 10 18 0 4 27 1 0 31 30 6.92 1.67
2011 3 3 0 0 0 1 1 0 0 .500 68 15.0 17 0 4 0 2 4 2 0 7 7 4.20 1.40
2012 13 13 1 1 0 6 3 0 0 .667 285 66.2 67 4 16 1 6 37 3 0 27 25 3.38 1.25
2013 オリックス 3 3 0 0 0 0 2 0 0 .000 51 11.0 15 3 4 0 0 8 0 0 11 10 8.18 1.73
通算:8年 91 91 9 5 3 34 28 0 0 .548 2189 520.1 508 60 155 7 26 306 13 1 224 209 3.61 1.27
  • 2013年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

表彰[編集]

記録[編集]

投手記録
打撃記録
  • 初安打・初打点:2006年5月19日、対広島東洋カープ1回戦(広島市民球場)、5回表無死に大竹寛から右翼線適時二塁打
その他記録

背番号[編集]

  • 29 (2006年 - 2012年)
  • 27 (2013年 - )

登場曲[編集]

  • 「強者の詩」大我(あざな)タイプライター
  • 「Riders High」湘南乃風
  • 「ファイター」TEE
  • 「Bushido」ZEEBRA
  • 「FANTASTIC BABY」BIGBANG
  • 「THE RED MAGIC」AK-69

脚注[編集]

  1. ^ ただしNPBでは継投によるノーヒットノーランは認めていない
  2. ^ 日本ハム八木が決意新たに結婚披露宴開催日刊スポーツ 2007年12月10日。2011年3月21日閲覧。
  3. ^ トレード(2012年度シーズン終了後 ~ )”. 日本野球機構 (2013年1月25日). 2013年1月30日閲覧。
  4. ^ 移籍初登板の八木が誤算 5失点KOにも「状態は悪くなかった」”. Sponichi Annex 野球 (2013年6月27日). 2013年12月11日閲覧。
  5. ^ やっちまった…オリックス・八木 契約交渉すっぽかした”. Sponichi Annex 野球 (2013年12月5日). 2013年12月11日閲覧。
  6. ^ 謝るしかない」勘違い男・八木 0勝で25%ダウン”. Sponichi Annex 野球 (2013年12月10日). 2013年12月11日閲覧。
  7. ^ 『2013 プロ野球オール写真選手名鑑』 日本スポーツ企画出版社、2013年、191頁。ISBN 978-4-905411-11-6

関連項目[編集]

外部リンク[編集]