TEE

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ロゴマーク

TEE (Trans Europ Express) とは、第二次世界大戦後の西ヨーロッパで運行されていた国際的鉄道ネットワークである。通しの列車番号を持つ国際特急列車群としてスタートしたが、後にフランス・イタリアでは国内相互発着の最優等列車の呼称としても使用された。

西ドイツのTEE車両 VT11.5型の前頭部

目次

[編集] 歴史と概説

[編集] 誕生まで

1952年、当時のオランダ国鉄総裁であったF・Q・デン・ホランダー (Franciscus Quirien den Hollander) は、ヨーロッパの国境を跨いだ国際特急列車ネットワークの構想を提唱した。この構想は1954年の国際鉄道連合の会議で討議され、列車を運行・経営する国際共同会社を設立し、各国共通の車両を製作して使用する方向で具体化が目指された。しかしこの共同会社案は各国の利害対立から実現せず、各国が独自の車両を使用し、統一規約のもとでネットワークを形成するかたちで実現をみることとなった。これがTEEである。

この構想が生まれた背景としては、第二次大戦後の航空網・高速道路網の急速な進展が挙げられる。鉄道は速度や利便性の面で、航空機や自動車に対して劣勢に立たされるようになった。そこで、航空機や自動車にはない居住性を売り物に、特に航空機を利用していた高級ビジネスユーザをターゲットとして、新しいタイプの国際特急列車を、西ヨーロッパ諸国の国鉄が共同で運行することになったのである。

かくして1956年の欧州列車ダイヤ会議でTEEのダイヤが決定され、1957年の夏ダイヤからTEEは10系統をもってデビューした。

当初は西ドイツ国鉄フランス国鉄イタリア国鉄スイス連邦鉄道、オランダ国鉄によって共同運行された(いくつかの列車は運行開始時ベルギーを通過したが、ベルギー国鉄は、1964年のみ参加した。また、ルクセンブルク国鉄も後に共同運行に参加した)。

[編集] 運行開始時の列車

運行開始は1957年6月2日で、以下の各列車が設定された。いずれも1日1往復の運転で、5ヶ国の国鉄(スイス・オランダは共同開発)により、4種類の気動車が運用された。ただしイタリア国鉄担当の「リギュール」だけは運行開始が2ヶ月遅れ、8月12日からの運転となったため、当初は4ヶ国でのスタートとなった。

列車愛称 経路 車両担当 愛称の意味
アルバレート
L' Arbalète
パリ東 - バーゼルSBB - チューリッヒ中央 フランス国鉄 (フランス語)ボウガン・機械弓
エーデルヴァイス
Edelweiss
アムステルダム中央 - ルクセンブルク - バーゼルSBB - チューリッヒ中央 スイス国鉄
オランダ国鉄
(ドイツ語)エーデルワイス
(花の名、スイスの国花)
エトワール・デュ・ノール
L' Étoile du Nord
パリ北 - ブリュッセル南 - アムステルダム中央 スイス国鉄
オランダ国鉄
(フランス語)北極星
ヘルヴェティア
Helvetia
チューリッヒ中央 - バーゼルSBB - フランクフルト・アム・マイン中央 - ハンブルク=アルトナ 西ドイツ国鉄 (ラテン語)スイス
イル=ド=フランス
L'Ile de France
パリ北 - ブリュッセル南 - アムステルダム中央 フランス国鉄 イル=ド=フランス地域圏
(パリ首都圏の地域名)
モン・スニ
Mont Cenis
リヨン・ペラーシュ - ミラノ中央 フランス国鉄 モン・スニ峠
パリ-ルール
Paris-Ruhr
パリ北 - ケルン中央 - デュッセルドルフ中央 - ドルトムント中央 西ドイツ国鉄 2つの地域名
オワゾ・ブルー
L'Oiseau Bleu
パリ北 - ブリュッセル南 スイス国鉄
オランダ国鉄
(フランス語)青い鳥
メーテルリンク(ベルギー出身)の童話劇)
サフィール
Saphir
オステンド - ブリュッセル南 - ケルン中央 - フランクフルト・アム・マイン中央 西ドイツ国鉄 (ドイツ語)サファイア
ライン-マイン
Rhein-Main
フランクフルト・アム・マイン中央 - ケルン中央 - アムステルダム中央 西ドイツ国鉄 2つの地域名
リギュール
Ligure
ミラノ中央 - マルセイユ・サン・シャルル イタリア国鉄 リグーリア州
(イタリアの地域名)
  • 「リギュール」は1957年8月12日運行開始、それ以外は1957年6月2日運行開始

[編集] TEEの特徴

1958年ブリュッセル万博にちなむ列車展示

それまでの「特急列車」は、(日本でも同様ではあるが)いわば「特権階級」の人々が利用するような豪華列車が一般的であり、ビジネス目的の列車ではなかった。そのため、ビジネスユーザにターゲットを絞った特急列車は、当時としては画期的なものであったと言われている。

ビジネスユーザをターゲットとしたため、全車1等車、ケータリングサービスの充実、ハイレベルなサービス、可能な限りの高速運転などを特徴とした。また、運転時間帯も、日帰り出張を意識した設定となった。そのため必然的に、全列車が昼行列車となった。

当時、通過各国の電化区間の電気方式や電圧が異なっていること(現在もそうであるが)や、非電化区間も多かったため、運行開始当初のTEE車両は、西ドイツがVT11.5型、フランスがx2700型、オランダ・スイスがDE4型/RAm型、イタリアがALn442型というディーゼル動車が使用された。1961年になってスイスが4電気方式を共通で走行できるRAe TEEII型電車を導入し、列車の電化が行われることとなるが、以後ほとんどの列車が、強力な電気機関車が豪華な専用客車を牽引する、客車列車方式に替わった。

TEE列車には、様々な制約が設けられ、客車は全て1等車とし、エアコンを完備し、食堂車を連結して乗客全員が車内で食事が摂れること、また車体塗色もクリーム色と紅色に塗り分けTEEのロゴマークを掲出し、列車には列車愛称を付け、原則として最高速度140km/hで走行可能な車両と定められていた。このTEE列車の車体塗色は、日本の国鉄151系「こだま型」南海「こうや号」20000系などに大きな影響を与え、また、フランスのx2700型は小田急SE車をSSE車に改造されるときのデザインのモデルになったともいわれている。国際TEE用車両は基本的にクリームと紅色の専用塗装でなければならなかったが、フランス・イタリアの国内TEEでは別の塗装を採用していた。

TEE列車には、普通乗車券の他に、特別急行券が必要であり、接続列車が遅延した場合にも、出発時刻を遅らせることなく定時運行に努めるなど、優等列車としての配慮がなされた。

[編集] サービスの近代化

当初のTEEの目的は、主要な都市を朝に出発し、夜に戻ってくる日帰りのビジネスライク的な国際線ルートの促進であったが、次第に各国ともに最優等列車=TEEという図式に発展し、1965年にフランスの「ミストラル」や西ドイツの「ブラウアー・エンツィアン」がTEEに組み入れられると、最初の目的からは、いささか逸脱するようになった。しかし、その後も各国は200km/h運転の実施など競い合ってサービス向上に努めた。

[編集] ネットワークの成長

TEEネットワークは、レンフェ(スペイン国鉄)、デンマーク国鉄オーストリア連邦鉄道が加わり、1974年まで成長していく。フランス・イタリアでは国内特急の名称にTEEを使用したために、TEE列車は大幅に増加した。しかし、この中でTEEのメンバーとなったのはオーストリア連邦鉄道のみであった。オーストリアは、ウィーン - チューリッヒ間に運行していた国際特急列車「トランサルピン」のTEE格上げを強く要望したが、運行所要時間の面でスイス側が難色を示し、結局は見送られた。残りの2ヶ国は、TEEが通過したものの、運行管理のメンバーには加入しなかった。その頃からTEEは同様のサービスを提供する列車と置き換えられていった。1979年、西ドイツ国鉄はインターシティ・サービスを中心に据えたネットワークの再構成を行い、TEEは大幅に縮小された。

[編集] 終焉

「ラインゴルト」 1986年

1984年までにTEEの大半はイタリア・フランスの国内線及びごくわずかの国際線を残し廃止された。その理由として、TEEは1等車のみの編成のため、一般乗客から敬遠されたこと、また、ダイヤ設定が基本的にターミナルを早朝に出発し、夜戻ってくるような時間帯であり、ビジネスマン以外には利用しにくい時間帯であったことなどが挙げられる。従ってその運転系統の大部分はインターシティ・ネットワークに置き換えられることとなったが、ダイヤ設定などは利用しやすく柔軟に変更された。

1986年冬の時点で、TEEは1日12往復が設定されていた。これらの列車はGottardo(RAe TEEII型電車を使用)を除き、すべて客車で運転されていた。

1987年5月に7往復が廃止され(この改正でユーロシティが新たに設定されている)、西ドイツとオランダからTEEが撤退した。

残る5往復(上記の「※」を付けた列車)については、1988年9月にGottardoがユーロシティとなり、スイスとイタリアからもTEEが撤退したほか、国際列車としてのTEEも消滅した。

最後に残ったフランス国内のTEE4往復も、TGV大西洋線開業に伴う1989年5月改正でユーロシティに格下げ(あるいは廃止)され、ここにTEEは32年の幕を閉じた。

1987年以降は、TEEに替わってユーロシティ列車がかつてのTEEの役目を担っている。

[編集] ノンストップ列車としての復活

1993年冬ダイヤより、パリとブリュッセルを結ぶユーロシティ4往復に対して"TEE"の種別名が付けられ、途中無停車運転となった。以下は1994年夏ダイヤのものである。いずれも過去にTEEとして運転されていたものである。

  • TEE 81 / TEE 84: "Rubens"
  • TEE 83 / TEE 86: "Brabant"
  • TEE 85 / TEE 80: "L'Ile de France"
  • TEE 89 / TEE 88: "Watteau"

ただしこれらの列車は、すべて1等車2等車で組成されていた。本来のTEEの定義である「全車1等車」の要件は満たしておらず、むしろ、2つの国の首都をノンストップで直結するプレミアムサービス的な意味合いがあった。

これらの列車も、1995年TGVがブリュッセルまで直通を開始した(このTGVによる列車が、後のタリスとなる)ことに伴い、同年夏までに姿を消した。

[編集] 保存車両

ニュルンベルクの保存車 VT602 003号

現役時代に使用された主な車両のうち、ドイツ、イタリア、オランダの気動車は整備され保存されている。また、スイスのTEE電車は、動態保存でイベント列車に使用されている。イタリアのETR300型電車は1編成が動態保存されている。ドイツではVT602 003号車(旧形式名VT11.5)が、ドイツの鉄道発祥の地のニュルンベルク中央駅のすぐ西にあるニュルンベルク交通博物館 (Verkehrsmuseum Nürnberg) の本館に、ICE 3の1/1モデルや数々の貴重な車両とともに静態保存されている。

[編集] TEEの功績と、21世紀のTEE

TEEが本来の目的を果たした期間は決して長くはなかったが、ビジネスユーザをターゲットとしたその上質のサービスは、鉄道におけるサービスレベルの向上に貢献した。また、各国が競ってサービス向上に努めたことも特筆されよう。これらの要素は、後のインターシティや、現在の高速鉄道にも引き継がれている。

そのため、ヨーロッパの鉄道趣味界では、TEEなき後も、それに対する思い入れが強い。2007年は、TEEが運転を開始してちょうど半世紀が経過した年であるが、既にTEEとして運転されている列車は皆無であるにも関わらず、当時の車輌によるイベント列車を初めとして、50周年記念行事や、出版物の発行が行われている。

一方、2000年には、中欧3カ国の鉄道事業者であるドイツ鉄道スイス連邦鉄道オーストリア連邦鉄道により、"TEE Rail Alliance" と呼ばれる組織が結成されている。20世紀末から急速に発展している航空連合に対抗する意味もあり、この3ヶ国を相互に結ぶ列車に対し、統合されたサービスを提供することを目標としている(類似の組織としては、欧州の高速鉄道事業者連合 "Railteam" がある)。

[編集] TEEに使用された主な車両

[編集] 内燃動車

VT601型 1986年(TEE引退後)
  • VT11.5型→VT601型 (西ドイツ国鉄)
    1957年のTEE運転開始時に製造された、液体式ディーゼル動車。7両編成、全長130.7mで両端の車両が動力車。出力は1,100PS×2 = 2,200PS。最高速度は140km/h。ボンネットスタイルが特徴。TEEには1973年まで使われ、一方1968年から1979年までは国内特急(F-Zug、インターシティ)に投入され、そして晩年は波動輸送用となる。インターシティでは160km/h運転を行うため、一部の動力車は2,200PSのガスタービンエンジンに換装されてVT602型となり、編成の片側の動力車に連結された(1982年廃車)。東西ドイツ統一直前の1990年8月から、わずか2ヶ月間ではあるが、ベルリンとハンブルクを結ぶインターシティ「マックス・リーバーマン」にも使用され、「フリーゲンダー・ハンブルガーの再来」とも言われた(運営は東ドイツ国鉄が実施。東ドイツ国鉄としては最初で最後のインターシティでもある)。現在はイベント用に保存。現役当時は「ライン-マイン」「サフィール」「ヘルヴェティア」「パリ-ルール」「パルジファル」「メディオラヌム」の各列車に使用された。
  • VT07.5型・VT08.5型 (西ドイツ国鉄)
    1957年のTEE運転開始時には、前述のVT11.5型の落成が遅れ、必要編成数を確保できなかった。そのため、運転開始後の短期間ながら、1950年代に製造され、既に西ドイツ国内で運用されていた特急用気動車であるVT07.5型(1951年製)・T08.5型(1952年製、後の608型)がTEEとして運用された。VT11.5型の増備に伴い順次置き換えられたが、過渡期にはVT11.5型とVT08.5型の併結もあった。
  • X2700型(RGP 825(RGP1)) (フランス国鉄)
    1957年のTEE運転開始時に製造された、825PSの液体式ディーゼル動車で、最高速度は140km/h。X2700型そのものは、在来型の長距離列車用の気動車 (600PS:RGP2) であったが、その一部編成 (2771〜2781) をTEE仕様として製造し、営業運転に備えた。この気動車は動力車(流線型)と制御車(半流線型)の2両編成でユニットとなり、このユニットを2つ連結して4両編成で運用される場合が多く、制御車の先頭部分には貫通幌が内蔵され、運転台周りは非常に凝った造作となっていた。また、各編成でヘッドライトの位置や形状にバラエティがある。現在はすでに引退、車体は更新されて近郊型の気動車に生まれ変わっている。現役当時は「モン・スニ」「アルバレート」「パルジファル」「イル=ド=フランス」「パリ-ルール」に使用された。このTEE用編成には厨房が設置され供食サービスは行われたものの、食堂車の連結はなく、座席も他国の専用車両に比較してやや見劣りがしたためか、1965年までと比較的使用期間は短かった。
DE4型 里帰り保存車
  • DE4(1000)型 (オランダ国鉄) / RAm型 (スイス国鉄)
    1957年のTEE運転開始時に製造された、電気式ディーゼル動車。4両編成の一端が動力車で、他端は客車に運転台を付けた制御車。2ヶ国の国鉄で共同開発され、動力車をオランダが、客車をスイスが製造し、両国鉄が同一仕様の車両を所有、運用した。運行開始当初は「エーデルヴァイス」「エトワール・デュ・ノール」「オワゾ・ブルー」に使用された。
    なおこの形式は事故で1編成が廃車されている[1] 。1974年までTEEに使われて引退した後、カナダオンタリオ・ノースランド鉄道に譲渡されてトロント - コクレーン間の特急列車「ノースランダー」に1977年から1992年まで使用された。その後さまざまな曲折を経て、制御車2両と中間車3両の計5両が2006年にオランダに里帰りしている。
ALn448型
  • ALn442+ALn448型(イタリア国鉄)
    1957年のTEE運転開始時に製造された、電気式ディーゼル動車。2両編成ながら、1両の長さが約28mもあり、供食設備も有していた。この気動車はTEE車両としては唯一床下機関を持つ車両で、客室床も他の客車より高い設計だった。また、製造当初は空調装置がなかった。通常は2両で運用されたが、中間に付随車を連結し3両で運転されることもあった。1973年までTEEとして使用後、ALn442型は厨房を撤去してALn460型に改称し、国内特急列車に1982年まで使用された。現在は1編成が保存されている。現役当時は、「リギュール」「レマノ」「メディオラヌム」「モン・スニ」に使用された。最高速度は140km/h。

[編集] 電車

RAe TEEII型(復元車)
  • RAe TEEII(1050)型→RABe EC型 (スイス国鉄)
    TEE専用として製造されたものとしては最初の電車で、1961年製。4電気方式(直流1.5kV、直流3kV、交流15kV16 2/3Hz、交流25kV50Hz)に対応。クリーム色と紅色のTEE色。6両編成(登場当時は5両編成)だが、中間の1両に動力や機器を集中させており、4電源それぞれに対応した4つの集電装置を持つ。この中間電動車はいわば機関車といえるもので、出力は1,100kW×4 = 4,400kW、中空軸平行カルダン駆動で台車も3軸ボギー(中央軸は無動力車軸)となっており、日本の電車の感覚とは程遠いものがある。最高速度は160km/h。晩年はユーロシティ用となり、一部座席が2等車に改装され、灰色のツートンカラーとなった。既に営業運転からは引退したが、1編成は登場当時の姿に復元され、企画列車として主にかつての「ゴッタルド」のダイヤで運転されている。現役当時は、「イリス」「シザルパン」「ティチノ」「ゴッタルド」「エーデルヴァイス」の各列車に使用されていた。
ETR300型 ETR252の改造によるレプリカ
  • ETR300型 (イタリア国鉄)
    1953年に製造された曲線美あふれる優美な電車。車体はライトグレーと緑に塗装され、先頭スカート部の赤色がアクセントであった。それまでの特急用電車であったETR200型の発展型といえるこの電車は、2+3+2の3ユニットの7両編成で、カルダン駆動。各ユニットは連接構造になっている。運転席を2階に上げ、先頭部1階を展望スペースとした最初の本格的な長距離電車でもあった。このデザインは、その後日本の名鉄パノラマカーや、小田急3100形「NSE」に多大な影響を与えた。当初は2編成が製造され、その後第3編成が増備された。全3編成のうち第1・第3編成は引退後に解体されたが、第2編成のみは電車基地に留置されている。この電車は、日本には『ベスビアス特急』という文化映画で紹介され、イタリアを代表する電車として、日本にも知られることになった。ローマ - ミラノ間の運転で元々はTEE列車ではなかったが、国内列車もTEEに組み込まれるようになってからは、そのままTEE列車「セッテベロ」として運用された。この時点で台車の交換、ヘッドライトの強化などを行い200Km/h運転に対応した(試運転では240km/hを記録)。全長165.5m、定員160名(登場時)、自重301t、出力は180kW×12 = 2,160kW。
ET403型 1993年
  • ET403型 (西ドイツ国鉄)
    もともとは国内のインターシティ用として1973年に製造されたが、1982年からはルフトハンザ・エアポート・エクスプレス用に改装されて運用された。ルフトハンザ・エアポート・エクスプレスは航空機のチケットで乗車する列車で、正規のTEEではなかったが、TEEと同格に扱われた。またこの電車は、不定期ながらTEE列車にも使用された。4両編成で、その風貌から「ドナルドダック」と呼ばれた。このデザインは近鉄21000系電車「アーバンライナー」に影響を与えた。1993年運転終了。最高速度は200km/h。

[編集] 客車

ドーム展望車(復元)
  • TEE用客車 (西ドイツ国鉄)
    1962年から製造されたTEE・特急用客車。この客車は、当初TEEではなくF-Zugであった「ラインゴルト」用に製造されたものであり、従来の急行用客車(UIC-X規格)をベースに大幅にグレードアップし、空調設備も備えた特急用客車として登場した。1等開放座席車 (Apmz)、1等区分座席車 (Avmz)、食堂車のほか、ドーム展望車も製造されたが、このドーム展望車は車両限界の関係から200km/h運転開始時にTEE運用から外され、入れ替わりにバー車が連結されるようになった。また塗装は、1962年の登場時はコバルトブルーとクリームの「ラインゴルト」専用塗装であったが、1967年に「ラインゴルト」がTEEの仲間入りしてから、TEEカラーであるクリーム色と紅色に塗り分けられた。現在も改装を重ね、一部はドイツ鉄道のIC用客車の1等車として現役である。2006年には北欧などに散逸していたドーム展望車がドイツに里帰りし、TEE全盛時代の姿に復元され、「ラインゴルト」の記念列車も運転された。ドーム部分の窓下側面に書かれていた文字が当初は"RHEINGOLD"となっていたので、このドーム展望車は「ラインゴルト」専用と思われがちだが、TEEに組み込まれてからこの文字は "DEUTSCHE BUNDESBAHN" に代わり、「ラインプファール」号にも使用された。
  • Voiture TEE Inox 客車 (フランス国鉄)
    1950年代にフランス国鉄で製造されていた急行用ステンレス製客車(米国バッド社のライセンスで製造)を基本に、設備などをTEE仕様とした客車。いくつかの種類があるが、代表的なものでは、ベルギーやオランダ方面の系統に使用される "PBA" 型と、地中海方面の系統に使用される "Mistral 69" 型が存在する。ステンレス無塗装なので、クリームと赤のTEE塗装ではなく、屋根肩部にTEEレッドの帯がアクセントに入っている。前者はベルギー国鉄でも保有していた。すでに引退し、一部はキューバセネガルに譲渡された。
  • Voiture TEE Grand Confort(グラン・コンフォール)客車 (フランス国鉄)
    1970年から使用開始されたTEE専用客車で、ステンレス製ではなく、普通鋼製となっている。この客車は基本的にフランス国内のTEE用であった。グレーと赤のグラン・コンフォール塗装と呼ばれるフランスの特急塗装で、牽引機であるCC6500形やBB15000形などのゲンコツ形電気機関車も同じ塗装で編成美を見せていた。ストラスブール方面の系統(「クレベール」「スタニスラス」)と、ボルドー方面(「アキテーヌ」「エタンダール」)、トゥールーズ方面(「キャピトール」)の系統に運用された。1998年引退。
Carrozza Gran Comfort(現行塗装)
  • Carrozza Gran Comfort(グラン・コンフォルト)客車 (イタリア国鉄)
    1969年から1990年まで製造された1等客車。現在でも特急用の1等車として運用されている。フィアット社製。「アドリアティコ」「キュグヌス」「ヴェスヴィオ」「アンブロシアーノ」「アウロラ」などの国内TEEには当初TEEカラーでない青系の塗装の車両が使用されたが、「レマノ」「リギュール」「メディオラヌム」の国際TEEにはTEEカラーの車両が使用された。国内TEE用は1両ずつ柔軟に編成できるタイプの客車なのに対して、国際TEE用客車は「リギュール」「メディオラヌム」に使用された客車は電源装置の関係で6両固定編成になっていたが、「レマノ」は3〜6両で弾力的に運用された。今も使われている客車は、現行のFSカラーであるXMPR塗装になっている。
  • Talgo III RD客車 (スペイン国鉄
    スペイン国鉄の低床連接式客車「タルゴ」の一種だが、軌間が異なるフランスに直通するため、軌間可変機構を備えた客車。以後「タルゴ」は、軌間可変客車の代名詞となった。「カタラン・タルゴ」のみに使用された。

[編集] 客車を牽引した主な電気機関車

ベルギー国鉄18型
  • CC40100型 (フランス国鉄) / 18型 (ベルギー国鉄)
    1964年から製造された、4電気方式のC-C機。客車と同じステンレス製のボディで統一美観を保っていた。出力3,850kW、最高速度240km/h。「オワゾ・ブルー」「イル=ド=フランス」「エトワール・デュ・ノール」等を牽引した。
CC6500型
  • CC6500型 (フランス国鉄)
    CC40100型とともにその前面形状から「ゲンコツ」と呼ばれた、直流専用のC-C機。2次形を除き最高速度200km/h。「ミストラル」「アキテーヌ」「キャピトール」等を牽引した。
103型 旧標準塗色
  • E03型→103型 (西ドイツ国鉄)
    1970年から量産化されたドイツの代表的C-C機。出力7,440kW、最高速度200km/h。「ブラウアー・エンツィアン」に初めて使用された。「ラインゴルト」をはじめ西ドイツ担当のTEEの多くを牽引し、一部は塗り替えられて「ルフトハンザ・エアポート・エクスプレス」専用機となった。
Re 4/4I型 10033号機 1982年
  • Re 4/4I (スイス国鉄)
    スイスの電気機関車は整備されたTEE専用機がTEEカラーに塗装され使用されたが、この機関車は1946年から製造された小型のB-B機で最高速度125km/h。短編成(3〜4両)の「ラインゴルト」専用で、TEE専用機は10033, 10034, 10046, 10050の4両(1950年-1951年製造)が在籍していた。すでに引退。
Re 4/4II型 11253号機 1983年
  • Re 4/4II型→Re420型 (スイス国鉄)
    1963年から製造されたスイスの代表的電気機関車。14.8m、80tのB-B機ながら、4,875kWの出力を誇り、カルダン駆動で回生制動付き。TEE専用機は11158〜11161, 11249〜11253の9両が在籍。最高速度140km/h。「ヘルヴェティア」「ローランド」「レマノ」「シザルパン」等を牽引した。ドーム展望車を連結していたごく初期の「ラインゴルト」はこの機関車が牽引していた。現在も汎用機として使用されている。
E444型 原型機 1984年
  • E444型 (イタリア国鉄)
    イタリアのすべての客車TEE列車を牽引したB-B機。"Tartaruga"(亀)と愛称され、車体にも小さく空を飛ぶ亀の絵が描かれていた。1985年以降、高速新線走行用に大規模修繕工事が実施され車体デザインも大幅に変更された。この改造により最高速度は200km/hに向上した。

[編集] TEE列車リスト

  • 列車愛称のABC順。
  • 列車番号は、各列車の運行最終日のものを示す。
列車番号 列車愛称 運転経路 運用期間
TEE 93/92 アドリアティコ
Adriatico
ミラノ中央 - リミニ - アンコーナ - バーリ 1973/06/03 - 1987/05/30
TEE 9/8 アルベルト・シュバイツァー
Albert Schweitzer
ドルトムント - ボン - ケルン - ストラスブール 1980/06/02 - 1983/05/28
TEE 79/78 アンブロシアーノ
Ambrosiano
ミラノ中央 - ローマ・テルミニ 1974/05/26 - 1987/05/30
TEE 1/2 アキテーヌ
Aquitaine
パリ(オーステルリッツ) - ボルドー 1971/05/23 - 1984/06/02
TEE 65/64 アルバレート
L'Arbalète
パリ東 - バーゼルSBB - チューリッヒ中央 1957/06/02 - 1979/05/26
TEE 89/88 アウロラ
Aurora
ローマ・テルミニ - レッジョ・ディ・カラブリア 1974/05/26 - 1975/05/31
TEE 15/14 バッカス
Bacchus
ミュンヘン - ドルトムント 1979/05/28 - 1980/05/31
TEE 67/66 バヴァリア
Bavaria
チューリッヒ中央 - ミュンヘン 1969/09/28 - 1977/05/21
TEE 83/84 ブラバント
Brabant
パリ北 - ブリュッセル南 - アムステルダム中央 1963/05/26 - 1984/06/02
TEE 91/90 ブラウアー・エンツィアン
Blauer Enzian
ハンブルク=アルトナ - ミュンヘン 1965/05/30 - 1979/05/24
TEE 75/74 キャピトール
Le Capitole (du martin)
パリ(オーステルリッツ) - リモージュ - トゥールーズ・マタビオ 1970/09/27 - 1982/05/22
TEE 77/76 キャピトール
Le Capitole (du soir)
パリ(オーステルリッツ) - トゥールーズ・マタビオ 1970/09/27 - 1984/09/29
TEE 70/71-72/73 カタラン・タルゴ
Catalán Talgo
バルセロナ - モンペリエ - ニーム - アヴィニョン - ジュネーヴ(コルナバン) 1969/06/01 - 1982/05/22
TEE 22/23 シザルパン
Cisalpin
パリ(リヨン) - ローザンヌ - ドモドッソラ - ミラノ中央 1971/07/01 - 1984/01/21
TEE 77/76 コロッセウム
Colloseum
ローマ・テルミニ - ミラノ中央 1984/06/03 - 1987/05/30
TEE 37/36-35/34 キュグヌス
Cycnus
ミラノ中央 - ジェノヴァ - ヴェンティミーリア 1973/09/30 - 1978/05/27
TEE 42/43 ディアマント (I)
Diamant (I)
ドルトムント - ケルン - ブリュッセル - アントウェルペン 1965/05/30 - 1976/05/29
TEE 81/80 ディアマント (II)
Diamant (II)
ミュンヘン - ハンブルク=アルトナ 1979/05/27 - 1981/05/30
TEE 90/93 エーデルヴァイス
L'Edelweiss
アムステルダム - チューリッヒ中央 1957/06/02 - 1979/05/26
TEE 27/26 エラスムス
Erasmus
ミュンヘン - ニュルンベルク - ハーグ 1973/06/03 - 1980/05/31
TEE 5/4 エタンダール
L'Étendard
パリ(オーステルリッツ) - ボルドー 1971/08/26 - 1984/06/02
TEE 85/82 エトワール・デュ・ノール
L'Étoile du Nord
パリ北 - ブリュッセル南 - アントウェルペン - ハーグ - ロッテルダム - アムステルダム中央 1957/06/02 - 1984/06/02
TEE 35/34 フェデルブ
Faidherbe
パリ北 - リール - ルーベ - トゥールコワン 1978/10/02 - 1987/05/29
TEE 17/16 フリードリヒ・シラー
Friedrich Schiller
ドルトムント - シュトゥットガルト 1979/05/27 - 1982/05/22
TEE 19/18 ガンブリヌス
Gambrinus
ハンブルク=アルトナ - ケルン - ミュンヘン 1978/05/29 - 1983/05/28
TEE 36 ガヤン
Gayant
パリ北 - ドゥエ - リール - ルーベ - トゥールコワン 1978/10/02 - 1986/05/30
TEE 51/50 ゲーテ (I)
Goethe (I)
フランクフルト・アム・マイン中央 - メス - パリ東 1970/05/31 - 1975/05/31
TEE 25/24 ゲーテ (II)
Goethe (II)
フランクフルト・アム・マイン中央 - ドルトムント 1978/05/27 - 1983/05/28
TEE 59/58 ゴッタルド
Gottardo
チューリッヒ中央 - ミラノ中央 1961/07/01 - 1987/05/30
TEE 29/28 ハインリッヒ・ハイネ
Heinrich Heine
フランクフルト・アム・マイン中央 - ドルトムント 1979/05/27 - 1983/05/28
TEE 73/72 ヘルヴェティア
Helvetia
チューリッヒ中央 - フランクフルト・アム・マイン中央 - ハンブルク=アルトナ 1957/06/02 - 1979/05/26
TEE 81/88 イル=ド=フランス
L'Ile de France
パリ北 - アムステルダム中央 1957/06/02 - 1984/06/02
TEE 91/92 イリス
Iris
チューリッヒ - バーゼルSBB - ストラスブール - ルクセンブルク - ブリュッセル南 1974/05/26 - 1981/05/30
TEE 31/30 ジュール・ヴェルヌ
Jules Verne
パリ(モンパルナス) - アンジェ - ナント 1980/09/28 - 1982/03/09
TEE 61/62 クレベール
Kleber
パリ東 - ナンシー - ストラスブール 1971/05/23 - 1987/05/29
TEE 24/25 レマノ
Lemano
ミラノ中央 - ジュネーヴ(コルナバン) 1958/06/01 - 1982/05/22
TEE 46/47 リギュール
Ligure
ミラノ中央 - モナコ - ニース - カンヌ - マルセイユ・サン・シャルル 1957/09/12 - 1982/05/22
TEE 13/12 リヨネ
Le Lyonais
パリ(リヨン) - リヨン・ペラーシュ 1969/02/09 - 1976/09/25
TEE 84/85 メディオラヌム
Mediolanum
ミラノ中央 - ミュンヘン 1957/10/15 - 1984/06/02
TEE 79/86 メムリンク
Memling
パリ北 - ブリュッセル南 1974/09/29 - 1984/06/02
TEE 35/34 メルクール
Merkur
シュトゥットガルト - ケルン - コペンハーゲン 1974/05/26 - 1978/05/27
TEE 11/10 ミストラル
Le Mistral
パリ(リヨン) - リヨン・ペラーシュ - マルセイユ・サン・シャルル - カンヌ - ニース中央 1965/05/30 - 1981/09/26
TEE 15/14 モン・スニ
Le Mont Cenis
リヨン・ペラーシュ - トリノ - ミラノ中央 1957/06/02 - 1972/09/30
TEE 41/40 モリエール
(旧名: パリ-ルール)
Molière (ex Paris-Ruhr)
パリ北 - モーブージュ - リエージュ - ケルン中央 1957/06/02 - 1979/05/26
TEE 89/80 オワゾ・ブルー
L'Oiseau Bleu
パリ北 - サン=カンタン - ブリュッセル南 1957/06/02 - 1984/06/02
TEE 33/32 パルジファル
Parsifal
パリ北 - ケルン - ドルトムント - ハンブルク=アルトナ 1957/09/29 - 1979/05/26
TEE 97/96 プリンツ・オイゲン (I)
Prinz Eugen (I)
ブレーメン - パッサウ - ウィーン西 1971/09/25 - 1975/05/31
TEE 27/26 プリンツ・オイゲン (II)
Prinz Eugen (II)
ハノーファー中央 - ケルン - フランクフルト・アム・マイン中央 - ウィーン西 1975/06/01 - 1978/05/27
TEE 10/11 レンブラント
Rembrandt
ミュンヘン - シュトゥットガルト - アムステルダム中央 1967/05/28 - 1983/05/27
TEE 6/7 ラインゴルト
Rheingold
アムステルダム中央 - バーゼルSBB - ジュネーヴ(コルナバン) 1965/05/30 - 1987/05/30
TEE 16/17 ラインゴルト
Rheingold
アムステルダム - フランクフルト・アム・マイン中央 - ネルトリンゲン - ミュンヘン
(多層建て列車)
1982/05/23 - 1987/05/30
TEE 26/27 ラインプファール
Rheinpfeil
ドルトムント - フランクフルト・アム・マイン中央 - ミュンヘン 1965/05/30 - 1971/09/25
TEE 75/74 ローランド (I)
Roland (I)
ブレーメン - バーゼルSBB - ミラノ中央 1969/06/01 - 1979/05/26
TEE 91/90 ローランド (II)
Roland (II)
ブレーメン - フランクフルト・アム・マイン中央 - シュトゥットガルト 1979/05/28 - 1980/05/31
TEE 81/84 ルーベンス
Rubens
パリ北 - ブリュッセル南 1974/09/29 - 1987/05/27
TEE 17/16 ロダニアン
Le Rhodanien
パリ(リヨン) - アヴィニョン - マルセイユ・サン・シャルル 1971/05/23 - 1978/09/30
TEE 20/21 サフィール
Saphir
フランクフルト・アム・マイン中央 - ブリュッセル南 1957/06/02 - 1979/05/26
TEE 69/68 セッテベロ
Settebello
ローマ・テルミニ - ミラノ中央 1974/05/26 - 1984/06/02
TEE 63/62 スタニスラス
Stanislas
パリ東 - ナンシー - ストラスブール 1971/05/24 - 1982/09/25
TEE 57/56 ティチノ
Ticino
チューリッヒ中央 - ミラノ中央 1961/07/01 - 1974/05/25
TEE 22/23 ヴァン・ベートーヴェン
(旧名: ライン-マイン)
Van Beethoven
(ex Rhein-Main)
フランクフルト・アム・マイン中央 - ケルン中央 - アムステルダム中央 1957/06/02 - 1979/05/26
TEE 95/94 ヴェスヴィオ
Vesuvio
ミラノ中央 - ローマ・テルミニ - ナポリ 1973/09/30 - 1987/05/30
TEE 39/38 ヴァトー
Watteau
パリ北 - リール - トゥールコワン 1978/10/02 - 1987/05/27
TEE 61/62 ルフトハンザ・エアポート・エクスプレス
Lufthansa Airport Express
LH 1001/2
フランクフルト・アム・マイン国際空港 - デュッセルドルフ国際空港 1982/03/27 - 1991/06/01
TEE 63/64 ルフトハンザ・エアポート・エクスプレス
LH 1003/4
フランクフルト・アム・マイン国際空港 - デュッセルドルフ国際空港 1982/03/27 - 1991/06/01
TEE 65/66 ルフトハンザ・エアポート・エクスプレス
LH 1005/6
フランクフルト・アム・マイン国際空港 - デュッセルドルフ国際空港 1982/03/27 - 1991/06/01
TEE 67/68 ルフトハンザ・エアポート・エクスプレス
LH 1007/8
フランクフルト・アム・マイン国際空港 - デュッセルドルフ国際空港 1982/03/27 - 1991/06/01
  • 「ルフトハンザ・エアポート・エクスプレス」は正式なTEEではなかったが、ダイヤ上ではTEEの列車番号が割り当てられていたため、運用上はTEE列車とみなされる。
  • この表以外の列車として、パリ - ミラノ間に「ルテチア」いう列車が運転されていたが、この列車も最初はTEE列車として計画された。実際には通常の急行列車として運転され、後にユーロシティ列車となり、ジュネーブ - ミラノ間に運行経路が変更された。同様にTEEになり損ねた列車には、「トランサルピン」「チチアーノ」がある。

[編集] 脚注

  1. ^ 1971年2月9日に、ババリア号として運転中、西ドイツ国内で制限速度80km/hのところを50km/h速度超過の130km/hで走行し、対向車線を走行していたレールバスに接触し、これを跳ね飛ばし、脱線転覆事故を起こした。死者28人、負傷者42人という大惨事であった。原因はブレーキ系統の凍結によるトラブルとされた。これ以後ブレーキ系統にヒーターを付けるなどして凍結防止の策が施された。

[編集] 参考文献

  • Mertens, Maurice (1987). Les TEE, Trans Europ express (French). Paris, France: La Vie du rail. ISBN 2-902808-21-6. 
  • Konrad, Koschinski (2007). Die TEE-Story(Eisenbahn Journal Sonder-Ausgabe 1/2007) (German). Fürstenfeldbruck, Germany: Eisenbahn JOURNAL. ISBN 978-3-89610-170-9. 
  • (Magazine) (2007). Mythos TEE - 50 Jahre Trans-Europ-Express -(BAHN EXTRA 2/2007 - März/April) (German). München, Germany: GeraMond. ISBN 978-3-89724-189-3. 

[編集] 関連項目

ウィキメディア・コモンズ