木下達生
| 東京ヤクルトスワローズ #62 | |
|---|---|
| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 出身地 | 愛知県名古屋市緑区 |
| 生年月日 | 1987年11月28日(24歳) |
| 身長 体重 |
183cm 87kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| ポジション | 投手 |
| プロ入り | 2005年 高校生ドラフト3巡目 |
| 初出場 | 2006年8月6日 |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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この表について
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木下 達生(きのした たつお、1987年11月28日 - )は、東京ヤクルトスワローズに所属するプロ野球選手(投手)。愛知県名古屋市緑区出身。
目次 |
[編集] 経歴
[編集] プロ入り前
少年時代から大の中日ドラゴンズファンで、特に川上憲伸のファンであった。リトルリーグ時代は自ら希望して川上と同じ背番号11をつけた。中京大中京高校のセレクションを受けるも不合格となり、東邦高校に一般入部。2年生となった2004年春に1学年上の岩田慎司の控え投手として第76回選抜高等学校野球大会に出場も登板無し。3年生となった2005年春にはエースとして水野祐希とバッテリーを組み、第77回選抜高等学校野球大会でチームをベスト8に導いた。同年秋の高校生ドラフト会議で北海道日本ハムファイターズに3巡目で指名された。事前に日本ハム側から指名挨拶が無かったことと、自身が地元で大ファンであった中日入りを希望していたことで入団交渉は難航したが、最終的には日本ハム側の熱意が通じ合意する形となった。
[編集] プロ入り後
ルーキーイヤーの2006年8月に一軍昇格しチームが優勝争いをする中、2試合に先発した。2007年は開幕は二軍スタートだったが、5月に一軍昇格。この年初登板となった5月19日の対福岡ソフトバンクホークス戦でプロ初完投、初完封で初勝利をマーク。その後先発ローテーションに入り、5試合で防御率2.40の数字を残すが6月20日に故障のため登録抹消。以降二軍でも登板は無く、一軍に復帰することは出来なかった。
2010年10月1日に球団から戦力外通告を受けたが、本人は現役続行を望み12球団合同トライアウトに参加した[1][2]。その後、中日ドラゴンズより入団テストのオファーがあり[3]秋季練習に参加[4]。11月19日に中日からテストの合格と育成選手として契約を結ぶことが発表された[5][6]。その後、自費でドミニカのウィンターリーグに参加した。
2011年7月15日に支配下選手登録され[7]、2日後の7月17日の対広島戦で4シーズンぶりに一軍登板した。しかし、11月11日、二度目の戦力外通告を受けた[8]。
2011年11月24日、2年連続で12球団合同トライアウトを受験。この模様はTBS系「プロ野球戦力外通告・クビを宣告された男達」でも特集された。翌25日、東京ヤクルトスワローズに入団することが発表された[9]。
[編集] プレースタイル
最速140km/h台後半のストレート、変化球はカーブ、カットボール、スライダー、フォークボールを投げる。特に自信のあるフォークボールは、同郷で同学年のフィギュアスケート選手・安藤美姫にちなんで「ミキティ・フォーク」と名付けた。安藤の4回転ジャンプと、フォークボールがミットまで4回転で届くのを引っかけてとのこと[要出典]。
[編集] 人物
練習試合で、宇治山田商業高校の江川智晃に自信を持って投げ込んだ外角直球を本塁打されて、レベルの違いを感じたことを野球生活での一番の思い出として挙げている。
入団当時はプロボクサーの亀田興毅に似ていることを売りにしていた。しかし、同僚だった小笠原道大からは「お前はピエロだ」と言われ、高校時代の監督にも窘められたことから亀田パフォーマンスを封印した。
[編集] 詳細情報
[編集] 年度別投手成績
| 年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2006 | 日本ハム | 2 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | .000 | 39 | 8.1 | 9 | 2 | 5 | 1 | 0 | 7 | 1 | 0 | 7 | 7 | 7.56 | 1.68 |
| 2007 | 5 | 5 | 1 | 1 | 0 | 2 | 1 | 0 | 0 | .667 | 119 | 30.0 | 27 | 3 | 7 | 0 | 0 | 11 | 1 | 0 | 8 | 8 | 2.40 | 1.13 | |
| 2011 | 中日 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 5 | 1.0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0.00 | 2.00 |
| 通算:3年 | 8 | 7 | 1 | 1 | 0 | 2 | 2 | 0 | 0 | .500 | 163 | 39.1 | 36 | 5 | 14 | 1 | 0 | 19 | 2 | 0 | 15 | 15 | 3.43 | 1.27 | |
- 2011年度シーズン終了時
[編集] 記録
- 初登板・初先発:2006年8月6日、対西武ライオンズ14回戦(インボイスSEIBUドーム)、5回2/3を5失点で敗戦投手
- 初奪三振:同上、1回裏に和田一浩から
- 初勝利・初完投勝利・初完封勝利:2007年5月19日、対福岡ソフトバンクホークス10回戦(福岡Yahoo!JAPANドーム)
[編集] 背番号
- 35 (2006年 - 2010年)
- 206 (2011年)
- 97 (2011年途中 - 同年終了)
- 62 (2012年 - )
[編集] 脚注
- ^ 八木智哉オフィシャルブログ「絆」 感謝!
- ^ ウォッチのブログ(木下本人のブログ)2010年10月8日付
- ^ ウォッチのブログ 2010年11月12日付(2010年11月17日参照)
- ^ 日刊スポーツ2010年11月14日付(2010年11月17日参照)
- ^ 木下と育成選手契約=プロ野球・中日 時事ドットコム(2010年11月19日)
- ^ ウォッチのブログ 2010年11月19日付(2010年11月19日参照)
- ^ 木下達生投手が支配下選手登録に 中日ドラゴンズ 公式サイト、2011年7月15日
- ^ 来季の選手契約について中日ドラゴンズ公式サイト 2011年11月11日閲覧
- ^ 選手獲得のお知らせ東京ヤクルトスワローズ公式サイト 2011年11月25日閲覧
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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