江川智晃

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江川 智晃
福岡ソフトバンクホークス #43
HAWKS-No8-Tomoaki.Egawa.JPG
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 三重県度会郡二見町(現:伊勢市
生年月日 1986年10月31日(27歳)
身長
体重
180 cm
86 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手, 一塁手
プロ入り 2004年 ドラフト1巡目
初出場 2006年5月5日
年俸 2,400万円(2014年)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

江川 智晃(えがわ ともあき、1986年10月31日 - )は、福岡ソフトバンクホークスに所属するプロ野球選手外野手)。

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

小学校2年生の時より野球を始める[1]。当時から身体能力は高く、陸上競技に出場すると地区記録を更新してしまう程の俊足の持ち主であった[1]二見町立二見中学校3年生時に第18回全日本少年軟式野球大会に出場し、全国制覇を達成[1]。他県からの野球強豪校からの誘いもあったが、地元の仲間と野球を続けるため、宇治山田商に進む。高校時代は投手外野手[2]。投手としては140km/hを超える速球を投げ[2]、打者としては広角に長打を打ち分ける技術があり、早い時期から投手としても打者としてもプロ野球関係者から注目されていた。高校2年夏の県大会では決勝でサヨナラホームランを打ち、甲子園出場を決めている。しかし、高校3年夏は甲子園確実と言われながらも決勝で鈴鹿高校にまさかの逆転サヨナラ負け。高校通算33本塁打[2]。50m5.8秒の走力を誇る[2]

2004年のドラフト会議福岡ダイエーホークスの1巡目指名を受ける。ホークスは江川を野手として評価していたので、プロでも投手をやりたかった江川は社会人野球シダックスに進む意向だったというが、最終的には入団を決める。その後11月30日に正式にソフトバンクへの球団譲渡が決定したが、12月8日の2004年ドラフト指名選手の入団発表会見はダイエーホークスのユニフォーム姿で行われた。

プロ入り後[編集]

2005年、当時二軍監督の秋山幸二の方針により、将来の主軸候補として1年目から二軍の4番・遊撃手として英才教育を受ける[2]ウエスタン・リーグ開幕戦で山井大介から顔面に死球を受け骨折し、一時的な視力の低下もあったが、現役時代に松坂大輔から同じ経験をしたことがある秋山の配慮で、特注の顔面保護ヘルメットを身に着け脅威的なスピードで復帰した[2]

2006年、5月5日に一軍に初昇格し、不振のライバル・松田宣浩に代わって即スタメン起用。7番・三塁手で出場し、松坂大輔西武)から初打席安打を放つなど5打数2安打と結果を残した[2]。翌日には西口文也からプロ初打点[2]。さらに本拠地デビューとなった対広島戦では黒田博樹からタイムリーヒットを放ち、初めてヒーローインタビューを受けた[2]。しかし、5月12日の対阪神戦でかかとを痛め登録抹消。その後再登録されるもデビュー時のような活躍はできず、二軍でシーズンを終えた。またシーズン途中から外野に挑戦した。これは入団当初からのプランである[3]

2007年、開幕一軍入りを果たし、4月13日の対オリックス戦で吉井理人から京セラドーム大阪の3階席まで届く特大のプロ初本塁打を放った[2]。この日は4打点を挙げたが、結局これがこの年挙げた全打点であった。4月に早くも二軍落ちしその後一軍出場はなかった。

2008年、2年連続で開幕一軍入りしたが、2試合に出場しただけで3打席3三振。前年に続き4月早々に二軍落ちしその後は一軍出場なし。翌2009年も6試合の出場にとどまった。

2010年、夏場に長谷川勇也の不調から一軍に合流し、中堅でのスタメン出場の機会が増えた。堅実な守備と猛打賞をマークするなど持ち前の打力でアピールしたが、確実性が乏しく、また代走として出場した試合でけん制アウトでサヨナラのチャンスを潰してしまうなど走塁ミスも多くレギュラー奪取にはいたらなかった。一方で、ウエスタン・リーグでは183打数61安打で打率.333、打点39、本塁打14本(ウエスタンホームラン王)、長打率.639、出塁率.464、OPS1.103の好成績を残した。

2011年、開幕は二軍で迎えるも好調をキープし、多村仁志の怪我にともない、ルーキーの柳田悠岐と共に一軍昇格。内川聖一ホセ・オーティズら外野陣の相次ぐ故障により、6月24日の日本ハム戦でシーズン初のスタメン出場を果たすと、ダルビッシュ有から右方向へのホームランを放った。しかし、その後は一本もヒットを打つことができず、シーズンを終えた。

2012年、開幕一軍入りを果たし、出場試合数他、自己最高の成績を残した。

2013年、4月10日の対オリックス戦においてプロ入り9年目で自身初となる1番打者で起用された。その後も中村晃柳田悠岐などライバルの離脱が相次ぎ、新外国人ブライアン・ラヘアも安定を欠いたことなどから外野手や一塁手としての起用が増えた。結果的には77試合に出場し、打率.260、12本、35打点と自身最高の成績をのこした[4]

2014年、前半戦では開幕から一軍の座を守り続け、主に右の代打として役割を果たした。右打者である主力の内川や松田の負傷離脱があり出場機会が増えるかと思われたが、同時期に一軍登録された吉村が好成績を維持したため出番は逆に減ってしまった。

プレースタイル[編集]

打撃センスが良く長打力もありウエスタンリーグでは毎年のように好成績を残しており、2012年シーズンまでで2軍では通算71本塁打をマークしている[1]

50m走5.8の脚力に加え[2]、投手出身であることから非常に強肩である。故障の多さ(腰痛と2011年秋には右肩の出術)と競争心の低さが課題[2]

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
2006 ソフトバンク 11 43 42 2 8 0 0 0 8 5 0 0 0 1 0 0 0 14 0 .190 .186 .190 .377
2007 8 17 17 1 4 0 1 1 9 4 0 0 0 0 0 0 0 5 0 .235 .235 .529 .765
2008 2 3 3 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 3 0 .000 .000 .000 .000
2009 6 13 12 1 1 0 0 0 1 0 0 0 1 0 0 0 0 5 0 .083 .083 .083 .167
2010 20 47 44 3 11 6 1 0 19 8 0 1 1 1 1 0 0 18 0 .250 .261 .432 .693
2011 11 10 9 1 1 0 0 1 4 1 0 0 0 0 1 0 0 8 0 .111 .200 .444 .644
2012 56 175 160 12 39 3 4 4 62 18 1 0 4 3 8 0 0 37 3 .244 .275 .388 .662
2013 77 264 227 32 59 4 1 12 101 35 2 2 3 1 30 0 3 64 3 .260 .352 .445 .797
2014 39 37 31 6 7 1 1 1 13 3 0 0 0 0 5 0 1 12 1 .226 .351 .419 .771
通算:9年 230 609 545 58 130 14 8 19 217 74 3 3 9 6 45 0 4 166 7 .239 .298 .398 .700
  • 2014年度シーズン終了時

記録[編集]

背番号[編集]

  • 8 (2005年 - 2009年)
  • 43 (2010年 - )

登場曲[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d 週刊ベースボール2013年8月19日号 P65
  2. ^ a b c d e f g h i j k l 週刊ベースボール2013年8月19日号 P66
  3. ^ 『激闘!!逆襲の予感 HAWKS 2006』 西日本新聞社、2006年、60頁。ISBN 4-8167-07-07-7
  4. ^ NPB 個人年度別成績 江川 智晃”. 2013年10月16日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]