下敷領悠太

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下敷領 悠太
Yuta Shimoshikiryo
千葉ロッテマリーンズ No.24
基本情報
国籍 日本
出身地 大阪府大阪市東成区
生年月日 1983年5月4日(25歳)
身長
体重
183cm
75kg
選手情報
投球・打席 右投右打
守備位置 投手
プロ入り 2007年 5巡目(大学生・社会人)
経歴
Template  ウィキプロジェクト 野球選手

下敷領 悠太(しもしきりょう ゆうた、1983年5月4日 - )は大阪府出身で千葉ロッテマリーンズ所属の野球選手(投手)。

目次

[編集] 人物・経歴

上宮高では国木剛太(元広島)に次ぐ2番手投手(3番手は金村大裕=現阪神)。3年夏に大阪桐蔭高に敗れてベスト8止まりとなり、悲願の甲子園への出場は叶わなかった。
その後法政大学に進学、2年春から頭角を現す。3年次は伸び悩んだが、4年春は防御率2.60とまずまずの成績を残した。そして4年秋は6勝0敗・防御率1.42と自己最高の成績を残してチームの優勝に貢献、さらに初のベストナイン、ファン投票によるMVPを獲得した。

大学卒業後は日本生命に入社。1年目から先発に定着、日本選手権ではチームを準優勝に導いて敢闘賞を獲得した。
下敷領が登板の際には、上宮高時代の先輩である佐久間健一とバッテリーを組むことが多い。

渡辺俊介が引き合いに出されるほどリリースポイントが低いため、渡辺のフォームを見て研究していると思われがちだが、実際は中学時代にサイドスローに転向してから自然と腕が下がり始め、「気がつけば今くらいの低さで投げていた」といい、参考にすることがあるとすれば投球術ぐらいだという。

2007年11月19日に行われた大学・社会人ドラフト会議で千葉ロッテマリーンズに5巡目指名され12月11日に契約を交わした。

なおユニフォームの背に入る英名は「SHIMOSHIKIRYO」と13文字も入り、これは歴代の日本プロ野球の全選手・コーチの中で一番多い(これまでは源五郎丸洋の「GENGOROUMARU」、中野渡進の「NAKANOWATARI」、堤内健の「TSUTSUMIUCHI」で12文字)。

[編集] エピソード

  • 2007年12月17日に行われた新入団選手発表会では、渡辺俊介に勝っているところと負けていることを聞かれて「負けているところはリリースポイントの低さです。渡辺さんのほうがリリースポイントが低いんで・・・」と言った後、「勝っているところは・・・顔?」と言い、会場を沸かせた。

[編集] 主な表彰・タイトル

第33回社会人野球日本選手権敢闘賞(2006年)

[編集] 関連項目

千葉ロッテマリーンズ
2007年ドラフト指名選手
大学生・社会人 - 1巡目:服部泰卓 / 3巡目:根本朋久 / 4巡目:伊藤義弘 / 5巡目:下敷領悠太
高校生 - 1巡目:唐川侑己 / 3巡目:植松優友 / 4巡目:阿部和成
育成選手 - 1巡目:池田健 / 2巡目:宮本裕司 / 3巡目:小林憲幸 / 4巡目:白川大輔 / 5巡目:大谷龍次