田中賢介

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田中 賢介
北海道日本ハムファイターズ #3
Kensuke Tanaka 2009 Japan Series.jpg
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 福岡県筑紫野市
生年月日 1981年5月20日(30歳)
身長
体重
176cm
78kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 二塁手遊撃手
プロ入り 1999年 ドラフト2位
初出場 2000年9月12日
年俸 2億7,000万円+出来高(2012年)
経歴(括弧内は在籍年)

田中 賢介(たなか けんすけ、1981年5月20日 - )は、北海道日本ハムファイターズに所属するプロ野球選手内野手)。

目次

[編集] 経歴

[編集] プロ入り前

小学校2年で野球を始め、中学から硬式野球を始める。高校は東福岡高校に進学し、一学年上の村田修一大野隆治とチームメイトとなる。2年時の1998年第70回選抜高等学校野球大会に出場し、3回戦・横浜高校戦で松坂大輔に2安打完封され敗退するが、田中は試合の先頭打者として1安打を放った。第80回全国高等学校野球選手権大会第81回全国高等学校野球選手権大会にも出場したが初戦敗退に終わった。

1999年プロ野球ドラフト会議で、2位指名で日本ハム・中日西武の3球団で競合の末、ドラフト直前に就任した大島康徳監督が引き当て日本ハムに入団。

[編集] プロ入り後

入団時から打撃センスは高く評価されていたものの、守備が課題で一軍に定着出来ずにいたが、1年目(2000年)から二軍で打率.313を記録し、9月に一軍に昇格しプロ初安打を記録。2001年は開幕一軍に入り、開幕戦である3月24日の対大阪近鉄バファローズ1回戦で9回に代打で出場してプロ初本塁打を打った。開幕戦での代打本塁打はパ・リーグでは9人目であるが、プロ初本塁打に限っては1989年の広永益隆以来3人目である[1]。当時の正三塁手だった片岡篤史が故障したため、翌日の開幕2戦目にプロ初先発起用され、3月31日~4月6日は6試合連続で三番打者を任されたが、打率を残せず、一軍定着は出来なかった。2002年2003年は一軍と二軍を行き来する状況が続く。

2004年に一軍で一時3割台の高打率を維持するも、6月に死球による右すね骨折で離脱。21試合の出場に終わる。2005年は一軍で22試合出場に留まるが、二軍で.307、16本塁打の好成績を残し、9月28日の一軍最終戦(対ロッテ戦)で延長11回に初のサヨナラ本塁打を放った。秋季キャンプ後にはトレイ・ヒルマン監督(当時)に「来季、最も飛躍を期待」として唯一名前を挙げられた。

2006年は開幕一軍に入り、課題だった守備が改善され、主に代走・守備固めで起用される。この年のチームは当初、新外国人のホセ・マシーアス二塁手として予定していたが結果を残せなかったため、マシーアスや木元邦之川島慶三らとのポジション争いを演じた後、田中が5月上旬から二塁手に、同月下旬から二番打者としてレギュラーに定着。自身初の規定打席到達を果たし、打率3割、21盗塁、リーグ最多犠打(34個)を達成、日本シリーズでも最多記録に並ぶ6犠打(5試合制では史上最多)を記録して日本一に貢献した。二塁手としてゴールデングラブ賞ベストナインを受賞(以後、前者は2009年まで4年連続、後者は翌2007年と2009年にも受賞)。またオフに2004年の骨折の際に右足に埋め込んだプレートの除去手術をした。

2007年は開幕から打撃不振に苦しみ、最終的に打率.255と前年から大きく率を落とすが、全144試合に出場、パシフィック・リーグ最多記録となる58犠打、盗塁も自己最多の27個を記録し、2年連続でゴールデングラブ、ベストナインを受賞。

2008年はグリップを肩より下でかまえる独自の打撃フォームを改造し、肩より少し上で構えるようにしたところ開幕4試合で前年に並ぶ3本塁打を打った。打率3割は逃したが、自身初の2桁本塁打を記録。更にはパ・リーグで唯一のフルイニング出場も果たした。88試合に三番打者として起用された。第2回ワールド・ベースボール・クラシックの一次候補に選ばれたが、代表には選出されなかった。

2009年に前任の金子誠から選手会長を引き継ぐ。WBC選考メンバーに入るも、日本代表のメンバー入りはできなかった。開幕から一番打者を任され、打率3割には届かなかったがリーグ最多の79四球、自己最多の31盗塁を記録した。8月21日に右足首痛で2年ぶりに先発出場を外れた(全試合出場は2010年8月14日まで継続)。また、この年は680打席に立ち、リーグ記録を46年振りに塗り替える(翌年西岡剛によって更新(692打席)される)と共に、セ・パ両リーグの規定打席到達者で唯一併殺打0のままシーズンを終えた(後述)。

2010年はリーグトップの得点圏打率.419を記録した他、右投手に対して打率.356と得意とし、シーズンを通して高打率を維持。最後まで首位打者争いに絡んだ。シーズン打率.335と193安打は共に自己最高であり、パ・リーグ2位。8月15日の対福岡ソフトバンクホークス戦を欠場し、2006年6月3日の対横浜ベイスターズ戦より継続していた連続試合出場は、歴代29位の620試合で終了した。この年国内FA権を獲得し、オフには翌年以降のメジャーリーグ挑戦も取り沙汰されたが[2]、総額7億5千万+出来高の3年契約を結んだ[3]。契約にはメジャー移籍を希望した場合は球団の許可を得た上で契約解除できる条項が含まれている[4]

2011年は春季キャンプ中の右手指骨折で出遅れた上、6月18日の対広島東洋カープ戦で6回に盗塁をした際に左足首を痛め、21日に受けた精密検査で「左距骨骨折で全治4~6ヶ月」と診断され、シーズン中の復帰はならなかったが[5]、フェニックスリーグで実戦復帰し、一軍の試合ではクライマックスシリーズのファーストステージの第1戦と第2戦に1番・二塁手で先発出場した。

2012年1月17日、札幌テレビ(STV)のアナウンサー西森千芳と結婚することを発表[6]。1月30日に入籍した事が球団より発表された。

[編集] プレースタイル・人物

打撃では広角に打球を打ち分け[7]、2007年にはリーグ最多記録となる58犠打を記録するなどバント技術やボールをカットする技術にも優れる[8]。選球眼にも優れており、2009年に105三振を喫している反面リーグ最多の79四球を記録している。右投手に対しては2008年から2010年までの通算で打率.317を残し、得点圏でも打率.329と高い数値を残してるが、左投手に対しては打率.282とやや弱い。

走塁では一塁到達3.7秒、三塁到達11.35秒をマークするなど全力疾走を怠らず[9]、盗塁成功率も80パーセント近い数値をマークする。

二塁守備では2006年から5年連続でゴールデングラブ賞を受賞しており、得点換算でも球界トップクラスの数値を残している[10]

自身のイメージカラーがピンクであることからピンクリボン活動に取り組んでおり、2008年オフにはチャリティーイベントも実施している。

[編集] 詳細情報

[編集] 年度別打撃成績

















































O
P
S
2000 日本ハム 5 5 5 0 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 2 0 .200 .200 .200 .400
2001 56 116 99 12 14 1 1 3 26 9 0 2 3 1 13 0 0 28 0 .141 .239 .263 .502
2002 60 177 158 18 40 7 4 0 55 10 3 2 9 0 9 0 1 36 2 .253 .298 .348 .646
2003 52 114 102 10 22 4 1 1 31 16 1 1 2 2 6 0 2 30 0 .216 .268 .304 .572
2004 21 45 40 4 13 3 2 1 23 7 1 0 2 0 2 0 1 7 1 .325 .372 .575 .947
2005 22 28 24 2 5 0 0 1 8 2 1 1 0 0 4 0 0 10 0 .208 .321 .333 .655
2006 125 450 376 68 113 10 6 7 156 42 21 7 34 4 30 0 6 60 3 .301 .358 .415 .773
2007 144 638 526 66 134 24 7 3 181 31 27 14 58 2 43 1 9 107 2 .255 .321 .344 .665
2008 144 638 536 89 159 32 9 11 242 63 21 7 26 3 62 2 11 80 4 .297 .379 .451 .831
2009 144 680 575 93 163 34 4 3 214 49 31 11 17 4 79 4 5 105 0 .283 .373 .372 .745
2010 143 662 576 88 193 24 4 5 240 54 34 10 7 5 72 4 2 66 6 .335 .408 .417 .825
2011 49 220 200 25 58 6 1 1 69 10 8 3 2 1 17 0 0 21 1 .290 .344 .345 .689
通算:12年 965 3773 3217 475 915 145 39 36 1246 293 148 58 160 22 337 11 37 552 19 .284 .357 .387 .744
  • 2011年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

[編集] 表彰

[編集] 記録

初記録
その他記録
  • オールスターゲーム出場:2回 (2008年、2010年)
  • 連続打席無併殺打(862打席):2008年8月27日の対千葉ロッテマリーンズ21回戦・第4打席(投手は高木晃次)で併殺打を記録したあと、2010年4月6日の対東北楽天ゴールデンイーグルス1回戦・第3打席(投手は永井怜)で併殺打を記録するまでの間、862打席・729打数に亘って併殺打が無かった。862打席は1961年 - 1962年の毒島章一の900打席に次ぐ、729打数も毒島の795打数に次ぐ、いずれもパシフィック・リーグ歴代2位である。
  • シーズン犠打58:2007年。パ・リーグ史上最多(2010年現在)。プロ野球歴代では1990年の川相昌弘と並び4位。
  • シーズン打席680:2009年。パ・リーグ史上2位(2010年現在)。プロ野球歴代では2006年の青木宣親と並び4位。
  • 日本シリーズ最多犠打(6犠打):2006年(2010年現在)。5試合制ではシリーズ最多。5試合制以外も含めると最多タイ(3人目)。
  • 規定打席以上で併殺打0:2009年。2000年の清水隆行以来、史上11人目。パ・リーグでは5人目。日本ハムの選手としては初めて。シーズン全試合出場者がこの記録を達成したのは1969年の藤田平以来となるプロ野球歴代2人目で、パ・リーグの選手としては初めて。

[編集] 背番号

  • 3 (2000年 - )

[編集] 登場曲

[編集] 脚注

  1. ^ 2002 ベースボール・レコード・ブック
  2. ^ ダル、建山に続き…来オフ、賢介もメジャースポーツニッポン、2010年10月09日。
  3. ^ ハム賢介3年7.5億更改1号日刊スポーツ、2010年11月5日。
  4. ^ 日本ハム 田中賢介 メジャー移籍急浮上Sponichi Annex、 2011年11月3日。
  5. ^ 日本ハム:田中賢介は左距骨骨折と判明 今季復帰は絶望的 - 毎日jp
  6. ^ 賢介、札幌テレビ・西森千芳アナと結婚…日本ハム - スポーツ報知2012年1月18日
  7. ^ 小関順二、西尾典文、泉直樹 『プロ野球スカウティングレポート2010』 アスペクトムック、2010年、262-263頁。ISBN 978-4-7572-1744-7
  8. ^ 『野球小僧 世界野球選手名鑑2010』 白夜書房、2010年、88頁。ISBN 978-4-86191-595-6
  9. ^ 小関順二、西尾典文、泉直樹 『プロ野球スカウティングレポート2008』 アスペクトムック、2008年、264-265頁。ISBN 978-4-7572-1439-2
  10. ^ Baseball Lab守備評価~Second BasemanSMR Baseball Lab

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

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