光山英和

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光山 英和
埼玉西武ライオンズ コーチ #89
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 大阪府大阪市生野区
生年月日 1965年11月20日(46歳)
身長
体重
186cm
100kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 捕手
プロ入り 1983年 ドラフト4位
初出場 NPB/1986年4月5日
KBO/2003年
最終出場 NPB/2002年
KBO/2003年
経歴(括弧内は在籍年)
選手歴
コーチ歴

光山 英和(みつやま ひでかず、1965年11月20日 - )は、元プロ野球選手捕手)、野球解説者大阪府大阪市生野区出身。

目次

[編集] 来歴・人物

野球の名門校として知られる上宮高校在学中の1983年甲子園第55回選抜大会)に選手として出場した。同年秋のプロ野球ドラフト会議にて近鉄バファローズに4位で指名され入団。

2年目までは二軍生活だったが、3年目の1986年からは正捕手・梨田昌孝が衰えを隠しきれなくなったこともあり、山下和彦古久保健二と共に一軍に帯同することが多くなった。1989年は序盤ケガで出遅れていたが、終盤に復帰しリーグ優勝に貢献した。日本シリーズでも先発マスクを被り、第3戦ではシーズンで1本も打てなかった本塁打を放ち、その試合で先発登板した加藤哲郎とともにヒーローインタビューを受けた。しかしシリーズは3連勝と王手をかけながら次の試合から4連敗し日本一を逃した。

1990年には 野茂英雄専用の捕手として起用され、古久保との併用も有ったが正捕手の座を獲得。打撃面でも本塁打を2桁放ち勝負強さを発揮した。それ以降も100kgの巨体から繰り出される豪快なバッティングを見せ正捕手の座を保っていたが、1995年1月に野茂がメジャーリーグ挑戦のため退団すると、的山哲也ら若手の成長もあって出場機会が減少した。

1997年開幕直前に中日ドラゴンズに移籍。当時の中日には中村武志鈴木郁洋などの捕手がいたため一軍から声が掛かることがほとんどなく、結果を残すことが出来なかった。

1999年5月16日、正捕手・村田真一が怪我で戦列を離れていた読売ジャイアンツ(巨人)への移籍[1]が中日・巨人両球団から発表された。突然の移籍であったため大きな頭に合うサイズのヘルメットが用意できなかった[2]というアクシデントはあったが、移籍後すぐに先発出場した試合(19日のヤクルトスワローズ戦)ではいきなり4打席連続安打を放ち、さらに履いているダボダボズボンのユニフォームが話題となって週刊誌にも採り上げられた。もっとも、その試合の5打席目の勝ち越しのチャンスでは制球の定まらない五十嵐亮太の完全なボール球を満塁にもかかわらず何球もファールした挙げ句に凡退してチームは敗退し、その打席から30打席以上無安打を続けて出番も減っていった。翌2000年はベテラン杉山直輝や若手の村田善則ら他の捕手陣が好調だったため1度も一軍に上がることなく戦力外通告を受けた。なお、巨人時代は、妻子を名古屋に残し、一人で独身寮に住んでいた。

近鉄、巨人時代のチームメートで親友でもある石井浩郎の紹介で2001年には千葉ロッテマリーンズに入団するも1年で解雇され、オフにメキシカンリーグに参加した。2002年は石井の在籍する横浜ベイスターズにテスト入団。3番手の捕手として期待されたが戦力外となり同年シーズン終了後に一度は現役を引退した。しかし野球への未練を捨てきれず、2003年には「金英和」(キム・ヨンファ、김영화)の登録名韓国球界に挑戦しロッテ・ジャイアンツでプレーした。

2004年からは衛星放送GAORAで放送されている「なまら! 北海道日本ハムファイターズ中継」(2009年よりGAORAプロ野球中継)の解説者、NOMO Baseball Clubのコーチを務めている。同時期に少年野球チーム「光山ベースボールクラブ」を創設。2006年にボーイズリーグの「オール松原」と合併した同クラブの総監督を、2007年より務める。同年、北海道STVラジオでも解説を開始。STVラジオがおこなった解説好感度調査では片岡篤史と並びトップの評価を得た。2007年11月より北京オリンピック野球日本代表にスタッフの一員として招集され、北京オリンピックアジア予選・同本戦に帯同した。2009年から道新スポーツの評論家も務める。

2011年からは埼玉西武ライオンズの一軍バッテリーコーチを務める。

大阪で飲食店を4店舗経営している。

[編集] 詳細情報

[編集] 年度別打撃成績

















































O
P
S
1986 近鉄 43 49 46 5 13 2 0 0 15 1 0 1 2 0 1 0 0 13 1 .283 .298 .326 .624
1987 23 21 18 3 4 1 0 1 8 2 0 0 1 0 0 0 2 3 0 .222 .300 .444 .744
1988 22 33 29 0 2 0 0 0 2 1 0 0 1 1 1 0 1 11 0 .069 .125 .069 .194
1989 14 12 12 0 4 1 0 0 5 0 0 0 0 0 0 0 0 4 0 .333 .333 .417 .750
1990 87 227 206 25 62 6 0 12 104 33 1 1 6 2 11 0 2 47 3 .301 .339 .505 .844
1991 74 150 135 10 28 4 0 3 41 9 1 0 4 1 8 0 2 34 1 .207 .260 .304 .564
1992 74 176 161 22 43 6 2 8 77 22 1 3 3 1 5 0 6 21 10 .267 .312 .478 .790
1993 86 244 217 21 57 8 0 9 92 20 1 1 6 1 20 0 0 45 6 .263 .324 .424 .747
1994 89 229 206 32 50 9 0 5 74 20 0 0 5 3 13 1 2 62 3 .243 .290 .359 .649
1995 62 115 105 5 21 5 0 2 32 11 0 1 4 1 5 0 0 40 0 .200 .234 .305 .539
1996 60 164 141 8 34 3 0 2 43 15 4 1 9 2 11 0 1 36 2 .241 .297 .305 .602
1997 中日 25 38 34 1 4 1 0 0 5 2 0 0 1 0 3 0 0 12 0 .118 .189 .147 .336
1998 15 7 7 0 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 2 0 .143 .143 .143 .286
1999 巨人 38 68 61 2 7 1 0 0 8 0 0 0 1 0 5 1 1 16 1 .115 .194 .131 .325
2001 ロッテ (M) 6 11 10 1 2 2 0 0 4 0 0 0 0 0 0 0 1 1 1 .200 .273 .400 .673
2002 横浜 8 5 5 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000 .000 .000 .000
2003 ロッテ (G) 7 9 9 1 1 0 0 1 4 1 0 0 0 0 0 0 0 4 0 .111 .111 .444 .556
NPB:16年 726 1549 1393 135 332 49 2 42 511 136 8 8 43 12 83 2 18 347 28 .238 .288 .367 .654
KBO:1年 7 9 9 1 1 0 0 1 4 1 0 0 0 0 0 0 0 4 0 .111 .111 .444 .556
  • 表中のロッテ (M)(2001年在籍)は、NPBの千葉ロッテマリーンズ
  • 表中のロッテ (G)(2003年在籍)は、KBOのロッテ・ジャイアンツ

[編集] 背番号

  • 56 (1984年 - 1989年)
  • 44 (1990年 - 1996年、1998年、2002年)
  • 17 (1997年)
  • 39 (1999年 - 2000年)
  • 60 (2001年)
  • 89 (2011年)

[編集] 登録名

  • 光山 英和(みつやま ひでかず) (1984年 - 2002年)
  • 金 英和(キム・ヨンファ) (2003年)

[編集] 関連情報

[編集] 出演

[編集] 脚注

  1. ^ 交換相手は同じ捕手の吉原孝介。シーズン途中での同一リーグ間の捕手同士のトレードは稀であるため、当時話題となった。
  2. ^ 移籍数試合の間は、当時巨人で光山と同じくらい頭が大きかった広澤克実のヘルメットを借りて被り打席に立った。マスクや防具はすぐに準備が出来た。

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

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