矢野輝弘

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矢野 輝弘
阪神タイガース #39
基本情報
国籍 日本
出身地 大阪府大阪市平野区
生年月日 1968年12月6日(40歳)
身長
体重
181cm
80kg
選手情報
投球・打席 右投右打
守備位置 捕手
プロ入り 1990年 ドラフト2位
初出場 1991年8月3日
年俸 2億円(2009年)
経歴(括弧内は在籍年)
国際大会
代表チーム 日本
五輪 2008年

矢野 輝弘(やの あきひろ、1968年12月6日 - )は、阪神タイガースに所属するプロ野球選手(捕手)。愛称はテル、矢野さん、矢野ちゃん、アキちゃん、矢野プーなど。

バッティングは基本に忠実でお手本のようなフォームと言われ[要出典]流し打ちができて勝負強くホームランも打てる、攻守を備えた捕手である。

目次

[編集] 来歴

大阪市平野区瓜破に生まれ、小学2年生から地元の少年野球チームで野球を始める。当初は遊撃手だったが、チームの捕手がケガをしたため、以後矢野が捕手を務めることになった。瓜破中時代は、学校に野球部がなかったためバスケットボール部に所属していた。桜宮高時代は全てのポジションを守ったことがある。4番でキャプテンを任されていたが、高校通算本塁打はわずか3本だった。

その後東北福祉大を経て、1990年ドラフト2位で中日ドラゴンズに指名された。このドラフト会議の際、司会者だったパンチョ伊東から名前を「てるひろ」と読み間違えられたことが、当時の星野仙一監督から「テル」と呼ばれるきっかけとなった。中日入団後は長らく中村武志の控え捕手の立場で、打撃を買われて外野手として出場することもあった。

1997年オフ大豊泰昭と共に、関川浩一久慈照嘉との交換トレードで阪神タイガースに移籍。当時阪神の正捕手だった山田勝彦に代わってすぐに正捕手の座を勝ち取る。1999年には初の打率3割を達成。

2001年、野村監督が夫人である野村沙知代の逮捕に伴い辞任。かつて自らを阪神へのトレードに踏み切った星野が阪神監督に就任する。この時矢野は「また星野監督に捨てられてしまう」と失望してしまったと後に語っている。翌2002年は怪我が多く、2度の骨折に泣かされた。そこまで順調な成績を残していたチームも矢野の離脱と共に失速。

2003年には、東北福祉大で共に活躍し、広島から移籍してきた金本知憲の影響を受け、強い体作りに着手。同年はシーズンを通してほぼマスクを被り、8番の藤本敦士とともに『恐怖の下位打線』と呼ばれた。4点差で井川にMVPを譲ったものの、チーム防御率セ・リーグトップの3.53、自身の打率は.328を記録するなど攻守両面で活躍し、13年目にして自身初のベストナインゴールデングラブ賞を獲得。ゴールデングラブ賞は捕手として史上最年長での初受賞であった。

2004年には36歳にして自身初となる全試合(138試合)出場を達成。しかしシーズン終盤には疲労が目に見えてプレーに現われるようになり、パスボールなどキャッチングミスも目立った。また、阪神では辻恭彦以来2人目となる全試合マスクを目指したが、137試合の出場に留まった。矢野が守備に就かなかったその1試合は、井川慶ノーヒットノーランを達成した試合であった(捕手野口寿浩、矢野は代打での出場)。

2005年には三振を減らすべく宮本慎也を参考にしたバッティングフォームに改造、自己最多の19本塁打を放ち、盗塁阻止率も自己最高記録を残す。この年、自身2度目のベストナインとゴールデングラブ賞、日本シリーズでは敢闘賞を獲得。

2006年には17本塁打を放ち、通算100本塁打を達成。チーム2位の78打点も評価され、2年連続3度目のベストナインにも選出された。

2007年セ・パ交流戦時に右のふくらはぎを痛めたこともあり、一時登録を抹消。打率.236、本塁打6本と打撃不振に終わった。週に一度ほど野口や狩野恵輔にスタメンマスクを譲ることが多かった。この年のオフに、星野監督率いる北京五輪の野球日本代表に招集された。アジア予選では北海道日本ハムファイターズ中嶋聡のように、試合の終盤を任される「抑え捕手」として活躍した。

2008年は野口との併用でスタート。野口が岩田稔上園啓史ら若手とバッテリーを組んだのに対して、矢野は主にエース格の安藤優也下柳剛福原忍らが先発する試合でマスクを被ったり、あるいはスタメン落ちした試合では試合終盤に代打で出場、その後抑えの藤川球児とバッテリーを組むような起用法が多かった。夏場には藤川、新井貴浩と共に北京五輪代表に招集された。2年ぶりに規定打席に到達した。チームは読売ジャイアンツの猛攻に最後は息絶えたが、40歳を目前としながらも、正捕手として大いに仕事を果たしたシーズンとなった。


[編集] エピソード

  • ノーヒットノーラン試合で2度マスクを被っている。中日時代には1996年8月11日読売ジャイアンツ19回戦(東京ドーム)で野口茂樹、阪神移籍後にも1998年5月26日の中日ドラゴンズ9回戦(倉敷マスカットスタジアム)で川尻哲郎をリードして記録達成を演出している。ノーヒットノーランを複数回達成した捕手は史上通算21人いるが、2008年時点で現役の捕手の中では矢野の他には谷繁元信中日)のみ。しかし前述の2004年、井川がノーヒットノーランを達成した試合は野口が先発フル出場したため、史上19回しか達成されていないシーズン全試合出場捕手の記録を逃した。
  • 2001年、当時中日の野口茂樹が阪神戦(石川県立野球場)でセ・リーグ記録の16奪三振を達成し1安打完封を記録しているが、その試合で唯一のヒットを打ったのが矢野であり、このヒットがなければ完全試合になっていた。
  • 2003年6月17日の横浜戦では珍しいサヨナラ三塁打を記録している。矢野の打撃直後、一塁走者(サヨナラのランナー)のアリアスのスタートが若干遅れたため、アリアスの本塁生還よりも早く矢野が三塁に到達し、三塁打として記録された。
  • FA取得:2005年(2回目・行使残留)

[編集] 人物

  • 阪神釣り同好会会長であり、シーズンオフには関本賢太郎福原忍カツノリ(現楽天二軍育成コーチ)などを連れてバス釣りに行く。釣り道具、またはロッカーなどは「ぐちゃぐちゃ」らしい(本人談)。08年末の番組の中で関本賢太郎が「下柳さん、金本さん、矢野さんはロッカーが二つあるんですが、下柳さんはもの自体が少ない。金本さんは『野球用具ロッカー』と『サプリメントロッカー』にわかれている。矢野さんのロッカーは『なにが何だかよく分からない』状態」。
  • その顔立ちから女性ファン(尼崎市市長白井文など)が多いが男性ファンからも人気である。
  • 「優しい」と形容する解説者が多い一方で「阪神で一番短気」と言われることもある。事実、年に一度のペースで乱闘寸前になることがあり、投手を叱咤することもたまに見られる。また、審判の判定に不服を示す素振りもたまに見られ、それが原因で2006年終了時点で二度の退場処分を受けている。
  • 03年の優勝特番で、矢野の実母が、矢野が過去「美少年コンテスト」なるものの優勝者であることを暴露。(複数の表彰状を見せびらかす)暴露された当人は「おかんやってもーた……」と嫌な汗をかいた。
  • 吉本興業漫才師ベイブルースとは高校時代の同級生で、ともに野球部に所属。元ベイブルースで現在はケツカッチン高山トモヒロとは、高山が3番、矢野が4番でクリーンナップを形成していた。高山の前にランナーが出塁すると、勝負強い矢野に打席が回るよう、ほぼ毎回高山にバントのサインが出されたと高山が語っている。2005年のシーズンオフには、優勝旅行特番で高山と2人で漫才をした。高山からは「アキちゃん」と呼ばれる。
  • 同い年で大学の1学年後輩でもある金本からは「矢野プー」と呼ばれており、彼も「かねもっちゃん」と呼ぶ仲である。
  • 阪神のスポンサー企業である上新電機のCMに赤星憲広今岡誠と共に出演している(3人とも2008年で終了)。2006年からはハウス食品の「六甲のおいしい水」に2004年からの今岡に加わって出演している。
  • 2006年シーズンからは、本人プロデュースのオリジナルスイーツ『Yano Chou(矢野シュー)』が甲子園球場の内野席売店で販売されている。夏季はシューの中身がアイスに変更となる。同年8月末には公式サイト限定販売のオリジナルTシャツもリリースされた。
  • 2006年1月21日に行われた声優水樹奈々の武道館ライブにビデオメッセージとサインボールを送る。(水樹は大の阪神ファンで特に矢野のファンである。)
  • ニンテンドーDS漢字検定がマイブームであると自身のサイトで明かしている。このことは、キャンプ中に彼がサンテレビ熱血!タイガース党に出演した時にも明かしていて、同じくサンテレビで(不定期で)放送されているサン虎検定というタイガースに関するクイズ番組でもネタになった。
  • 2006年の打席入場曲はHOME MADE家族の「サルビアのつぼみ」、2007年はSunSet Swishの『マイペース』、2008年は馬場俊英の『BOYS ON THE RUN』、2009年はケツメイシの『カーニバル』 。
  • 流行に乗り遅れながらも、韓流ドラマにはまる。初めは馬鹿にしていた藤川球児も引き込み、チーム内に韓流ドラマフリークを増やす。他、福原忍なども韓流ドラマ好き仲間である。オフのトークショーでは、藤川球児と二人で冬ソナツアーに行きたいと話す。
  • オールスターでバッテリーを組んだ巨人のエース上原浩治に、ブログで「阪神で矢野さんがみんなに好かれる訳がわかった。すごく話しやすいいい人」と評される。
  • 上記のように藤川球児安藤優也下柳剛福原忍ら阪神の主力投手陣からは絶大な信頼を受けており、2006年まで阪神でエースとして活躍し、メジャーリーグニューヨーク・ヤンキースへ移籍した井川慶からも「ヤンキースに来て下さい。」と言われた事がある。
  • 07年12月のアジア予選韓国戦で上原浩治と9回裏1イニングバッテリーを組み、三者凡退で抑え勝利。上原から直接ホテルでその日のウイニングボールを手渡される。ブログでの本人曰く「一生の宝物」らしい。

[編集] 年度別成績

年度 球団











































O
P
S
1991年 中日 2 22 30 27 2 3 0 0 1 6 4 0 0 1 0 2 0 15 0 .111 .172 .222 .394
1992年 72 118 108 10 28 6 0 0 34 8 0 1 0 1 8 1 20 3 .259 .314 .315 .629
1993年 24 39 31 5 10 0 0 1 13 3 0 0 1 0 6 1 4 1 .323 .447 .419 .866
1994年 35 53 46 5 10 2 0 1 15 2 0 1 3 0 3 1 9 2 .217 .280 .326 .606
1995年 57 123 115 14 28 2 2 1 37 5 1 0 0 0 7 1 31 5 .243 .293 .322 .615
1996年 38 56 124 104 26 36 3 0 7 60 19 1 0 2 2 13 3 16 22 .346 .426 .577 1.003
1997年 83 244 214 24 54 8 0 3 71 19 1 0 5 0 22 3 32 3 .252 .331 .332 .663
1998年 阪神 39 110 340 285 27 60 18 0 3 87 20 1 2 24 0 27 4 63 9 .211 .288 .305 .593
1999年 113 418 369 39 112 13 2 3 138 27 5 2 6 2 36 5 74 14 .304 .371 .374 .745
2000年 114 428 376 41 101 12 1 5 130 26 1 2 9 4 35 4 87 9 .269 .334 .346 .680
2001年 119 364 327 26 79 10 1 8 115 30 1 1 5 3 28 1 72 10 .242 .301 .352 .653
2002年 66 253 221 31 71 18 2 6 111 27 1 1 5 0 24 3 51 6 .321 .395 .502 .897
2003年 126 484 433 65 142 25 5 14 219 79 1 0 4 1 38 8 84 8 .328 .392 .506 .898
2004年 138 551 502 38 143 23 3 11 205 65 1 3 4 3 35 7 110 19 .285 .338 .408 .746
2005年 138 550 499 53 135 26 0 19 218 71 1 1 9 2 32 8 113 12 .271 .323 .437 .760
2006年 133 501 453 42 124 20 3 17 201 78 0 0 8 5 32 3 94 12 .274 .323 .444 .767
2007年 106 401 356 25 84 14 1 6 118 42 0 0 7 1 34 3 92 9 .236 .307 .331 .638
2008年 119 404 371 20 102 17 1 4 133 36 0 1 10 5 16 2 100 13 .275 .305 .358 .663
通算成績 1631 5425 4837 493 1322 217 21 110 1911 561 15 15 103 29 398 58 1067 137 .273 .334 .395 .729
年度 試合数 刺殺 補殺 失策 併殺 捕逸 守備率 企図数 許盗塁 盗塁刺 阻止率
1991 14 34 3 0 0 2 1.000 3 0 3 1.000
1992 65 210 16 2 2 2 .991 22 18 4 .182
1993 21 56 7 0 1 3 1.000 8 5 3 .375
1994 26 76 7 0 1 1 1.000 8 5 3 .375
1995 41 191 21 1 3 0 .995 16 10 6 .375
1996 38 157 13 1 0 3 .994 13 9 4 .308
1997 60 307 28 2 3 4 .994 41 34 7 .171
1998 109 521 49 2 8 7 .997 80 54 26 .325
1999 111 693 52 5 8 6 .993 79 53 26 .329
2000 113 752 62 6 9 6 .993 69 45 24 .348
2001 108 556 72 3 14 2 .995 81 49 32 .395
2002 66 528 30 1 7 4 .998 31 19 12 .387
2003 123 932 66 2 11 14 .998 100 65 35 .350
2004 137 1126 56 3 16 5 .997 87 57 30 .345
2005 138 1130 76 3 11 8 .998 76 43 33 .434
2006 132 1001 75 6 7 5 .994 67 39 28 .418
2007 101 720 56 3 8 3 .996 67 47 20 .299
2008 116 748 63 2 7 4 .998 71 45 26 .366
年度 外野
試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率
1993 1 0 0 0 0 -
1996 12 14 1 1 0 .938
1997 22 34 0 0 0 1.000
2001 4 4 0 0 0 1.000

[編集] タイトル・表彰・記録

[編集] タイトル・表彰

[編集] 記録

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

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