竹下潤

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竹下 潤
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 静岡県静岡市
生年月日 (1969-07-12) 1969年7月12日(54歳)
身長
体重
184 cm
80 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 1991年 ドラフト1位
初出場 1992年4月18日
最終出場 2002年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴
  • フェズント岩手

竹下 潤(たけした じゅん、1969年7月12日 - )は、静岡県静岡市[1]出身の元プロ野球選手投手)。現在は、埼玉西武ライオンズのスカウト。

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

静岡市立商高では当初外野手だったが3年生の時に投手へ転向する[1]。卒業後、駒澤大学へ進学[1]。1年春からベンチ入りし、東都大学野球リーグでは在学中2回の優勝を経験。同期のエース若田部健一の控えだったが[1]1991年秋季リーグでは3年ぶりの優勝に貢献した。リーグ通算24試合に登板、6勝4敗、防御率2.36、60奪三振。他の大学同期に一塁手の上羽功晃(神戸製鋼-京都外大西高監督)らがいる。駒大では同期の若田部の他、3学年先輩に野村謙二郎、1学年先輩に関川浩一、1学年後輩に鶴田泰田口昌徳、3学年後輩に高木浩之河原純一本間満がいた。(高木とはプロで再びチームメイトとなる。)

熊谷組への入社が内定していたが、1991年度ドラフト会議にて、同僚・若田部の抽選で外れた西武ライオンズが1位指名[1]。予想外の指名であったために急遽の会見となった。入団後、投手コーチには大学の先輩である森繁和がおり、左腕不足というチーム事情から先発ローテーション入りを期待された。

西武時代[編集]

1992年7月15日福岡ダイエーホークス戦で初先発を果たし、5回を3失点に抑えると大学の先輩である新谷博の救援を受けて初勝利を飾る。しかし、制球の悪さが災いしてその後は結果を残せず登板機会も少なかった。

1995年シーズンには東尾修が監督に就任すると先発・中継ぎ・抑えと色々な場面で起用され、29試合に登板。

1996年8月7日オリックスブルーウェーブでは小川博文の本塁打のみの1失点に抑え、初完投勝利。

1997年シーズンからは主に中継ぎに回る。

1998年10月7日近鉄バファローズ戦に先発。同期である高村祐と投げ合い、8回を2失点に抑えて勝利投手となり、この試合でチームはリーグ優勝を決めた。

2000年以降は不整脈に悩まされたこともあって登板機会が激減。

2003年シーズンオフに現役を引退。

現役引退後[編集]

引退後は大学OBが経営する仏具店・葬儀社で営業を務めていた[2][3]

2006年からは広域複合企業チームフェズント岩手にコーチ兼投手として在籍した。

2008年、当時ライオンズで球団編成部長を務めていた鈴木葉留彦に誘われる形で[3]、埼玉西武ライオンズのスカウトに就任[4]。これまでの担当選手は、松本航宮川哲若林楽人蛭間拓哉など[3]

人物[編集]

イースタン・リーグでは1993年9月14日ヤクルトスワローズ戦でノーヒットノーランを記録[1]、また1994年4月26日のヤクルト戦ではノーヒットワンランを記録している(失点は失策で許した走者をスクイズで生還させたもの)。この試合では、竹下の他にもヤクルトの山部太がノーヒットノーランを達成しており、「両チーム無安打」の試合になった。2022年終了時現在、両チーム無安打試合は日本のプロ野球では一軍・二軍を通してこの試合のみである。

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]





















































W
H
I
P
1992 西武 5 1 0 0 0 1 0 0 -- 1.000 53 9.2 12 4 12 1 1 3 1 0 11 11 10.24 2.48
1993 5 1 0 0 0 0 2 0 -- .000 58 12.2 13 2 8 0 2 10 1 1 9 8 5.68 1.66
1994 3 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 21 4.2 7 2 3 0 0 2 0 0 4 4 7.71 2.14
1995 29 7 0 0 0 1 2 0 -- .333 351 81.2 72 6 36 0 4 75 5 0 30 22 2.42 1.32
1996 31 6 1 0 0 2 3 0 -- .400 310 71.2 63 11 36 1 1 73 9 0 45 44 5.53 1.38
1997 21 1 0 0 0 1 1 0 -- .500 138 30.0 39 3 13 0 0 26 6 0 16 11 3.30 1.73
1998 29 1 0 0 0 3 0 0 -- 1.000 160 35.1 43 5 13 1 1 30 5 0 14 12 3.06 1.58
1999 23 0 0 0 0 2 2 1 -- .500 113 27.1 17 1 14 3 2 36 1 0 12 11 3.62 1.13
2000 6 1 0 0 0 1 1 0 -- .500 39 9.0 9 2 3 0 0 9 0 0 4 4 4.00 1.33
2001 9 0 0 0 0 1 1 0 -- .500 23 5.0 6 2 2 0 0 4 0 0 2 2 3.60 1.60
2002 1 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 6 1.0 3 1 0 0 0 1 0 0 3 3 27.00 3.00
通算:11年 162 18 1 0 0 12 12 1 -- .500 1272 288.0 284 39 140 6 11 269 28 1 150 132 4.13 1.47
  • 各年度の太字はリーグ最高

背番号[編集]

  • 28 (1992年 - 2002年)
  • 48 (2003年)

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、330ページ
  2. ^ 有望な若手を続々獲得 西武ライオンズの敏腕スカウトは元仏具屋 FRIDAY DIGITAL 2020年2月20日
  3. ^ a b c 葬儀社から西武スカウトに転身しドラ1を7人獲得…選手が“お父さん”と慕う凄腕の素顔”. 文春オンライン. 文藝春秋 (2023年7月4日). 2023年7月4日閲覧。
  4. ^ 週刊ベースボール2014年3月24日号 P18

関連項目[編集]

外部リンク[編集]