梅津智弘
| 広島東洋カープ #39 | |
|---|---|
2008年4月5日
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| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 出身地 | 山形県上山市 |
| 生年月日 | 1983年3月3日(28歳) |
| 身長 体重 |
191cm 88kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| ポジション | 投手 |
| プロ入り | 2004年 ドラフト6巡目 |
| 初出場 | 2005年4月5日 |
| 年俸 | 3300万円(2011年) |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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この表について
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梅津 智弘(うめつ ともひろ、1983年3月3日 - )は、山形県上山市出身のプロ野球選手。広島東洋カープ所属の投手。
目次 |
[編集] 人物・プレイスタイル
191cmの長身と腕の長さを生かし、腕が遅れて出てくる独特のサイドスローから繰り出す球の制球力の良さが魅力。球種はストレート、大きく横滑りするスライダー、カーブ、シンカー、シュートを持つ。変則フォームという事もあってか、最高球速は2007年までは140km/hほどであったが、2008年シーズンでは146km/hまで伸びている模様。また、スライダーがジャイロ回転している事でも有名。
細身の長身で手足が長く、モデル並の体躯を持つ。実際、大学在学中に「雑誌のモデルにならないか」とスカウトされた事がある。
[編集] 経歴
山形県立上山明新館高等学校を卒業後、東都の國學院大學に入学。大学の同期には伊藤義弘(千葉ロッテマリーンズ)がいる。大学2年時には完全試合を達成(2002年秋季リーグ、拓大戦)。2003年秋季には、東都2部で最優秀投手。
[編集] プロ入り後
即戦力として期待され、下位指名ながら開幕一軍入りを果たした。登板3試合目にわずか3球で初勝利を記録。またプロ初黒星は1球敗戦だった。中継ぎとして33試合に登板、防御率2.53と活躍。この頃のチームメイトからのニックネームは、フォームがカマキリに似てることから「カマキリ」だった。
二段モーションの規制強化の影響で、それまでの独特のフォームを修正せざるを得なくなった。マーティ・ブラウン監督にアンダースロー転向を打診され、國學院大の先輩である千葉ロッテマリーンズの渡辺俊介にもアドバイスを貰うなどして挑んだが、しっくりこなかったのか結局サイドに戻した。
フォームの試行錯誤で前半は二軍暮らしだったが、8月に昇格して以降は一軍に定着。奪三振率が2倍近くに増え、最終的に23試合で防御率1.23と結果を残した。
シーズン序盤から永川勝浩につなぐセットアッパーとして登板機会を増やし、チームトップの21ホールドを挙げた。しかし交流戦辺りから疲れが見え始めたため、メンタル面の向上を図り、7月上旬に1年ぶりの2軍行きとなった。その後すぐ1軍復帰したが、復帰後は負け試合での起用が多くなった。
12月21日、モデル・タレント等で活躍している若林翔子と入籍を発表。
チームトップの64試合に登板して防御率2.62とセットアッパーとして安定した活躍を見せた。その活躍が評価され、契約更改では前年の倍以上となる3800万円(推定)でサインした。
シーズン序盤は安定した投球を続けていたが、6月4日に右肩痛で一軍登録を抹消。三軍でリハビリを続けて8月2日の二軍の公式戦で実戦復帰登板となったが、その試合で右肩痛が再発。登板1試合で再び三軍でリハビリを行うこととなり、そのままシーズン終了となった。秋季キャンプ期間でも広島に残ってリハビリを続けた。
前年の故障の影響で不安定な投球が続き[1]、敗戦処理やワンポイントでの登板が主となった。それでもなんとか防御率3点台を維持していたが、8月25日の阪神戦で1イニング10自責点と大炎上(チームは22対8で大敗)。防御率は6点台にまで悪化し翌日2軍落ちした。一軍復帰後は成績を多少持ち直したが、結局自己最悪となる防御率5.80でシーズンを終えた。
中継ぎとして23試合に登板。防御率こそ2.70と良好だったが、左打者を苦手としたことからイニングを任されるほどの信頼は得られず、対右打者のワンポイントリリーフとしての起用が中心となった[2]。
[編集] 詳細情報
[編集] 年度別投手成績
| 年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2005 | 広島 | 33 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 5 | .500 | 136 | 32.0 | 30 | 3 | 12 | 2 | 2 | 18 | 0 | 0 | 12 | 9 | 2.53 | 1.31 |
| 2006 | 23 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 9 | .000 | 84 | 22.0 | 14 | 0 | 7 | 1 | 0 | 23 | 1 | 0 | 3 | 3 | 1.23 | 0.95 | |
| 2007 | 47 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 3 | 0 | 21 | .400 | 193 | 44.1 | 39 | 5 | 20 | 1 | 1 | 36 | 1 | 0 | 27 | 26 | 5.28 | 1.33 | |
| 2008 | 64 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 1 | 21 | .000 | 236 | 58.1 | 44 | 6 | 18 | 3 | 2 | 49 | 0 | 0 | 18 | 17 | 2.62 | 1.06 | |
| 2009 | 26 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 1 | 0 | 9 | .667 | 94 | 24.2 | 17 | 1 | 4 | 1 | 0 | 16 | 0 | 0 | 6 | 5 | 1.82 | 0.85 | |
| 2010 | 46 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 6 | .000 | 186 | 40.1 | 47 | 9 | 17 | 2 | 3 | 24 | 0 | 0 | 33 | 26 | 5.80 | 1.59 | |
| 2011 | 23 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 1 | 0 | 4 | .750 | 82 | 20.0 | 21 | 1 | 3 | 1 | 3 | 11 | 1 | 0 | 6 | 6 | 2.70 | 1.20 | |
| 通算:7年 | 262 | 0 | 0 | 0 | 0 | 8 | 11 | 2 | 66 | .421 | 1011 | 241.2 | 212 | 25 | 81 | 11 | 11 | 177 | 3 | 0 | 105 | 92 | 3.43 | 1.21 | |
- 2011年度シーズン終了時
[編集] 記録
- 初登板:2005年4月5日、対阪神タイガース1回戦(広島市民球場)、6回表に救援登板、2回無失点
- 初奪三振:同上、6回表無死に赤星憲広から
- 初勝利:2005年4月7日、対阪神タイガース3回戦(広島市民球場)、9回表に救援登板・完了、1/3回無失点
- 初ホールド:2005年5月15日、対オリックス・バファローズ3回戦(スカイマークスタジアム)
- 初セーブ:2006年8月18日、対横浜ベイスターズ14回戦(横浜スタジアム)
- 1球敗戦投手:2005年6月29日、対阪神タイガース8回戦(米子市民球場)、7回表にアンディ・シーツに左越逆転3ラン ※史上17人目
[編集] 背番号
- 39 (2005年 - )
[編集] 参考文献
- ^ 梅津、200万円ダウン 防御率は6年目で最低5・80 中国新聞 (2010年12月1日)
- ^ “【広島】梅津300万円ダウンも納得”. nikkansports.com. (2011年11月11日) 2011年11月17日閲覧。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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