大塚明

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大塚 明
千葉ロッテマリーンズ コーチ #80
LM-Akira-Otsuka.jpg
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 大分県別府市
生年月日 1975年4月28日(36歳)
身長
体重
184cm
83kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 中堅手左翼手
プロ入り 1993年 ドラフト3位
初出場 1997年6月24日
最終出場 2009年6月30日
経歴(括弧内は在籍年)
選手歴
コーチ歴
  • 千葉ロッテマリーンズ (2011 - )

大塚 明(おおつか あきら、1975年4月28日 - )は、大分県別府市出身の元プロ野球選手外野手)。

目次

[編集] 来歴・人物

1993年別府羽室台高校から千葉ロッテマリーンズドラフト3位で指名され、内野手として入団(高校時代は投手)。当時の背番号は651997年、34盗塁を記録し、イースタンリーグ盗塁王を獲得する。 1999年に背番号を23に変更し、低打率ながら暫く3番打者を任されるなど、素材としては期待されていたが、同期や後輩が揃って高畠導宏打撃コーチの指導の下開眼していく中、取り残された。

また、右肩痛や2003年の左膝蓋部靭帯断裂など毎年のように故障にも苦しんだ。2004年ボビー・バレンタインの元での成績は、81打数、打率.272。

2005年にはスタメン代走守備固めなどで出場試合数は96に増加。外野手部門の守備率ではリーグトップの成績(守備率10割)を残した。

しかし2006年は開幕から大不振に陥り[1]、2007年は度重なる故障と守備の良い早川大輔がレギュラーに定着したこともあり、主に守備固めで49試合出場、打率.152に終わった。

プロ13年目の2006年9月23日、対北海道日本ハムファイターズ戦でキャリア初のサヨナラヒットを放った。

2008年7月25日、対福岡ソフトバンクホークス戦で6回裏途中から初めて一塁手の守備についた[2]。なお、その試合は14-0で大敗している。

2008年サブローの負傷や早川大輔の不調などもあり、103試合に出場。3年ぶりの本塁打も放った(うち1本はランニングホームラン)。この年国内FA権を取得したが、行使せず12月16日に来シーズン契約を結び残留した。

2010年2月、左膝半月板の内視鏡使用・一部切除手術を受ける[3]8月19日に球団から2010年シーズン限りの引退と2011年シーズンからのコーチ就任が発表され[4]、退団する代田建紀に代わって2軍外野守備走塁コーチに決定した[5]2010年10月2日ファーム日本選手権では一塁ベースコーチを担当した。10月8日、任意引退選手公示。

同年11月21日の優勝報告会で引退セレモニーが行われ、同期である諸積兼司福浦和也小野晋吾、家族から花束が送られた。セレモニーの最後には、グラウンドにいた大勢のファンから胴上げされるというサプライズがあった。

2012年シーズンから1軍外野守備走塁コーチに就任[6]

[編集] プレースタイル

守備位置は主にセンターで、レフトも守る(かつてはライトも守っていた)。センターとしてはサブローと並ぶ守備範囲を持ったが、故障してからは堅実なプレーに徹した。犠牲フライ性の打球は内野手に素早く中継した結果、走者を足止め、あるいは刺す場面も稀に見られる。

[編集] エピソード

  • 公式ページには馬の事を語る専用ページがあるなど、競馬好きで知られる。
  • 手術後、野球において必要とされる最低限の筋力を維持する為、年に数回アナボリックステロイド剤の間接注射を右肩に打っている。日本球界において医療目的のステロイド剤注射が許可されている数少ない事例である[7]
  • 2003年までのヒッティングマーチは山手線の駅を上野から大塚まで歌うもの、2004年のヒッティングマーチは大塚愛の『さくらんぼ』(メロディーのみ演奏)だった。2005年以降は『GO!GO!オオツカアキラ』の大塚明体操が主流[8]。またCHARCOAL FILTERの『Brand-New Myself ~僕にできること』を打席登場曲として使用している。
  • 2007年シーズン終了後に漫画を制作することを発表した。2005年から大塚自身が書き溜めていたものが採用されたもので、これはプロ野球現役選手初の試みである。
  • 2008年7月5日、ホーム(千葉マリンスタジアム)でビジターの黒ユニフォームを着用してプレイするという「ビジターナイトデイ」が行われた(現在の「ブラックブラックナイト」)[9]が、この時に一人だけ、通常のホームユニフォームを着用。ウグイス嬢・谷保恵美の場内アナウンスで初めて気づくというハプニングをやった[10]

[編集] 詳細情報

[編集] 年度別打撃成績

















































O
P
S
1997 ロッテ 28 62 53 7 10 1 1 2 19 8 2 1 2 1 4 0 2 11 0 .189 .267 .358 .625
1998 5 2 2 0 1 0 0 0 1 0 1 0 0 0 0 0 0 1 0 .500 .500 .500 1.000
1999 107 246 218 29 48 8 3 2 68 21 6 6 12 2 10 0 4 50 4 .220 .265 .312 .577
2000 74 277 255 41 61 17 1 9 107 44 14 4 6 1 13 0 2 42 3 .239 .280 .420 .700
2001 72 237 216 20 54 12 3 7 93 16 3 2 13 1 5 1 2 41 6 .250 .272 .431 .703
2002 43 89 86 6 16 5 1 1 26 6 2 0 1 0 2 0 0 19 1 .186 .205 .302 .507
2003 13 38 36 4 5 1 1 0 8 1 0 0 0 1 1 0 0 10 1 .139 .158 .222 .380
2004 32 90 81 14 22 6 0 3 37 13 2 1 2 0 7 0 0 16 1 .272 .330 .457 .786
2005 96 256 225 44 66 19 2 8 113 32 7 5 8 1 17 2 5 58 4 .293 .355 .502 .857
2006 109 197 182 22 44 12 0 0 56 10 5 4 0 1 11 0 2 42 7 .242 .291 .308 .599
2007 49 56 46 8 7 0 0 0 7 1 4 1 3 1 6 0 0 9 2 .152 .245 .152 .397
2008 103 159 139 19 37 14 0 3 60 20 7 4 6 1 13 0 0 27 4 .266 .327 .432 .758
2009 6 2 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000 .000 .000 .000
通算:13年 737 1711 1541 214 371 95 12 35 595 172 53 28 53 10 89 3 17 326 33 .241 .288 .386 .674

[編集] 年度別守備成績

年度 外野
試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率
1997 25 39 0 1 0 .975
1998 3 2 0 0 0 1.000
1999 103 125 2 1 0 .992
2000 67 100 3 3 0 .972
2001 68 105 1 1 0 .991
2002 40 39 2 1 0 .976
2003 13 17 0 1 0 .944
2004 32 41 1 1 0 .977
2005 93 144 2 0 2 1.000
2006 98 106 3 2 1 .982
2007 46 42 1 1 1 .977
2008 97 111 0 1 0 .991
2009 4 0 0 0 0 ----
通算 689 871 15 13 4 .986

[編集] 記録

[編集] 背番号

  • 65 (1997年 - 1998年)
  • 23 (1999年 - 2010年)
  • 80 (2011年 - )

[編集] 脚注

  1. ^ ただし自己最多の109試合に出場。
  2. ^ ホセ・オーティズの負傷退場により一塁を守れる内野手がいなくなったため。
  3. ^ 大塚明選手の手術について - 千葉ロッテマリーンズ・オフィシャルサイト 2010年2月19日
  4. ^ 大塚明選手 引退のお知らせ - 千葉ロッテマリーンズ・オフィシャルサイト 2010年8月19日
  5. ^ 2011年度のコーチングスタッフのお知らせ - 千葉ロッテマリーンズ・オフィシャルサイト 2010年11月21日
  6. ^ 2012年度のコーチングスタッフのお知らせ - 千葉ロッテマリーンズ・オフィシャルサイト 2011年11月27日
  7. ^ 無許可でこれをやるとドーピングとなる。
  8. ^ 元は大塚FC(現・徳島ヴォルティス)で使われていたのが起こり。
  9. ^ こんばんわ。 | 千葉ロッテマリーンズ 大塚明公式サイト
  10. ^ ちなみにユニフォームを間違えたのは一度や二度ではなく、二軍戦でも度々する失策という。

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

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